3年にわたって放映された「坂の上の雲」も、今月の第3部で幕を閉じます。40代の司馬遼太郎が作家生命をかけて挑んだこの大作は、読んでも読んでも終わらない全8巻。
後半は戦争場面が多い中、戦場以外での息の詰まるような活躍をした人たちのことが少しだけ出てきます。印象に残ったのが4巻「遼陽」の章。
1904年4月の日銀の正貨(金貨)は6800万円しかなく、軍事費調達のために、まず1000万ポンド(1億円)の戦時外債募集の責務を負わされたのが高橋是清でした。
このくだりが司馬氏の独特の語り口で『・・その金の調達に、日銀副総裁の高橋是清が、調査役の深井英五をつれてヨーロッパ中をかけまわっていた。ひややかに観察すれば、これほど滑稽な忙しさで戦争をした国は古来なかったに違いない。』 これが宣戦布告の半月後の状況でなのです。『もし外債募集がうまくゆかず、戦費がととのわなければ、日本はどうなるか。高橋がそれを仕遂げてくれねば、日本はつぶれる』といった元老井上馨言葉にもあるように、国を左右する重要任務でした。
必死の説得でやっとロンドンの銀行団から500万ポンドの約束を取り付けます。しかしまだ半分・・・。その晩餐会でユダヤ人ジェイコブ・シフとの劇的な出会いがあり、残りの500万ポンド分をまさにポンと約束してくれたのです。シフ氏の協力の理由はロシア国内には600万人のユダヤ人が居住し迫害を受けている。日本が勝てばロシアに革命が起き帝政をほうむるであろう」という人種問題が絡んでいました。
また別の側面から、大佐明石元二郎が100万円の資金を懐に、帝政ロシアを取り巻く革命分子、不平分子などに接触、革命工作をして、ロシアの国内攪乱を図りました。
もう一人金子堅太郎(巻3)。書生時代にハーバード大学で法律を学び、その時の同窓生が日露開戦当時の米大統領になったセオドル・ルーズベルトです。日露開戦を決意した御前会議の直後、開戦に消極的だった伊藤博文は『米国に行き、大統領と米国国民の同情を喚起し、程よいところで米国の好意的な仲介により停戦講和ということろにもってゆけるよう、その工作に従事してもらいたい』と金子を米国に送り込みます。
こうした戦場以外の地道な戦略があったのです。そのシフのことをもう少し知りたいと本を探していたところ、寺田さんのブログで田畑則重 「日露戦争に投資した男 ユダヤ人銀行家の日記 」(新潮新書) を見つけました。
シフは1847年フランクフルト旧ユダヤ人街でも500年の歴史を持つ裕福な家に生まれました。18歳で急激な発展を遂げるアメリカに飛び出したシフは、南北戦争後の好景気で成功を遂げます。やがて彼は、アメリカの近代産業国家への歩みと歩調を合わせ成長しているクーン・ロープ商会(国債、鉄道債券を取り扱う)に入り、経営者の娘と結婚して積極的に海外との関係を築き、その人脈は比類なしと言われるまでになります。善意のアメリカを象徴しながらも有能な金融資本家の顔を持つのがシフでした。
田畑氏は、ロンドンでの晩さん会での高橋との出会いは根回しがあったと書いています。シフの日本支援は、日露開戦前にすでに公債の情報をつかんでおりロシアに与える打撃を計算していたこと、ルーズベルトもアメリカ国民も日本支持に傾いていたこと、アメリカ資本の参加により日本に対して同情するのは英国ばかりではないと英国政府も喜んだこと…など複雑な背景をあげています。
後半130ページ余りがシフの日本滞在記「シフ滞日記」の日本語訳です。日本の勝利に大きく貢献したシフは叙勲を受けるために、講和の翌年の春、妻や友人を伴い往復3か月半をかけて日本へ旅行をします。その時の旅の記録です。、明治維新からまだ40年たらずの新興国日本が、外国人の目にどう映ったかがとても興味のあるところです。
明治天皇の謁見、勲二等旭日重光章の叙勲、午餐、晩餐、物見遊山、骨董品の買い付け、日本文化への好意的な見方、日本の上流階級の生活と様式、韓国の100年前の風景など新鮮でとても興味がそそられました。パートナーのご婦人方は「買い物」のスケジュールも多く、この時代に日本美術が流出していったのが感じ取られます。
政府の要人や官僚、そのパートナーの夫人たちも、外国人を接待するマナーを心得ており、急速な日本の文明開化が確実に進行しているのがみられます。婦人方にも英語を話す人がかなりいたようで、手取り足取りの文明開化が着実に根付いてきた証拠でしょう。とにかく私が知らなかった明治初期の日本を、外国人の客観的な目を通して知ることができ非常に面白く読みました。
日露戦争を語るときにシフのことはあまり出てきません。シフが秘書に口述筆記させた日記には、日本人の歓迎のスピーチでシフに対する感謝の念が切々とつづられています。それを読むと、今を生きる私もホッとするものがあります。戦争の良し悪しはともかく、資金のめどがないままに開戦していたら日本はどうなったか・・・。最も追い詰められた日本がすんでのところで窮地を脱することができたことに感謝の念がわきます。
晩餐会のシフの謝辞も記述され、『私は真剣に、新たな起債をして国家に過重な負担を負わせることの危険性を忠告した。とりわけ日本に価値ある資産がないことは、高い信用がないことと同じだとだという事実を詳しく説明した。信用は、日本が世界の市場で重ねて得てきたもので、周到に守るべきものなのだ』と忠告したことがとても心に残ります。
NHKの「坂の上の雲」第3部が楽しみです。。
:。:.::.*゜:.。:..:* シフのその後 :。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.゜
その後、シフが1920年にこの世を去ったあと、1929年の世界大恐慌でクーン・ローブ商会も大きな打撃を受け、かつての栄光は取り戻せませんでした。一方、孫のドロシーは36歳の時「ニューヨーク・ポスト」紙を買収し、1976年にメディア王パート・マードック氏に売却するまで社主として君臨し、歴代大統領とも親しく交わるほどの華やかな経歴だったようです。
第2次世界大戦後、クーン・ロープ商会は同じユダヤ資本のリーマン・ブラザーズと合併しましたが、その結末はといえば、つい先ごろ、世界を巻き込んだ大恐慌を引き起こし破綻してしまったことは周知の事実です。しかしシフの末裔はアメリカ政財界に隠然と名を残しているようです。
そんな乃木大将を演じきるのは柄本明以外にないように、存在感のある演技です。
児玉源太郎の知性、胆力、判断力、指導力でもって実践の現場で活躍する人と対照的で、そこがテレビの見どころかもしれませんね。
でもその名所とか由緒ある建物とかはあまり知りません。
まだそのころはあまり興味がなかったので。
今ならもっと面白いかもしれません。
「江」の最終回は、いつもの例どおり、時間を延長して、
引っ張って引っ張って、とうとう味気ないものになってしまった
感じがしました。
「江」は最終回のひとつ前の回が非常に印象に残りました。
それにしても「江」は、お転婆な娘から表情も会話も動作も
美しく成長していく様が見事だったと思います。
》ももりさん
日露戦争迄さかのぼることができる・・・、今のご時世に
とても素晴らしいことだと思います。
親たちは、なぜか太平洋戦争の苦労話をそんなにたくさんは
してくれませんでした。
「・・・天皇は・・・・、戦犯・・・、」戦後でさえひそひそと、気兼ねする
ような話し方でした。
それにしても柄本明の乃木大将役、素晴らしい演技ですね~。
武人としての能力の欠如、大勢の部下を死なせた責任、作戦の
失敗、トップとしての指揮官のプライド…複雑な感情を、
言葉少なに表情と動作だけで演じ切るすごさ。
自作の素晴らしい漢詩を見て、武人よりも文人になりたかったのかも・・・
と思いました。ストーリーよりもそのことが非常に印象に残りました。
》テラさん
ドラマに出てくる、明治人の一言一言が素晴らしいですね。
ドラマ冒頭のナレーション『登って行く坂の上に、もし一朶(いちだ)の
輝く白い雲があるとしたら、それのみを見つめて坂を登って行くであろう』。
命を懸けることができるものを持っていたんですね。
今の世の中で「白い雲」はなんでしょうか?
鹿児島の町には、明治維新のなごりがたくさん残っていました。
「江」の最終回は、昨夜録りためたビデオで見ました。