<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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はじめてミャンマーを訪問してから10年以上が経過した。
あの時はいわゆる軍事政権下で、
「ミャンマーには自由はない」
と言われていた。
例えば、携帯電話を持ち込むと罰則があると言われたので、いつも使っている携帯電話を大阪の自宅に置いて出発した。
パソコンも情報機器なので念のために持ち込まず、ハイテク機材といえばカメラぐらいで訪問したのだった。
大阪の領事館がなぜか9.11の影響で閉鎖されていたので、ビザはヤンゴンの旅行社にインターネットでお願いしてアライバルビザを取得した。
このアライバルビザというのが大変だった。
関空でも、バンコクのドムアン国際空港でも誰もミャンマーのアライバルビザの存在を誰も知らなかったので、搭乗手続きするごとに、
「引き返すことになるかもしれませんよ」
と脅された。
その毎に、
「ミャンマーは聞きしに勝る、大変なところなんだ」
と、ある意味腰を据えて出かけたのだ。

結果、聞くと見るとは大違いであることがはっきりした。

正直言うと、
「ミャンマーって何か悪いことをしたの?」
と言いたくなるぐらい拍子抜けだった。
確かに街中で政治向けの話はしないほうがいいとガイドさんにも言われた。
でも、こっちがしなくても何故か愚痴は聞かされて、結構影ではみんな好き勝手なことを言っていた。
もちろん、人々は明るかった。
驚いたことに性格は昔の日本人そっくりで気さくで大らかで心配性で優しくて、ホントに良い国だと思った。
少なくとも、ほとんどの人々が良い人なのであった。
出発前のミャンマー情報はかなりのパーセンテージで誤りだった。
むしろミャンマー報道はミャンマーに何らかの恨みがあって、故意に悪くいい、その政府を転覆させるのが目的なんじゃないか、と思うほど現実とミャンマーの外での情報がまったく異なっていた。

そこは普通の発展途上国で、むしろ中国なんかのほうがよっぽど人権侵害や腐敗がはびこっているのではないかと感じたのであった。

報道は信じることはできない。
ミャンマーを訪問して得た教訓であった。

実際、最近でもミャンマーに行ったことのある人に会うと、必ずと言っていいほど、
「報道というのは作られるんだな~ということをミャンマーへ行って初めて知りました」
という意見を聞く。
人権弾圧、強制労働、少数民族の迫害。
なにやら半島の付け根にある国と同じじゃないかと思えるようなことばかり伝えられていたので現地へ行くと拍子抜けしてしまったのは私だけではなかったらしい。
実際は英国植民地支配の置き土産の少数民族紛争との闘いと、その少数民族のいくつかが大きく関与している麻薬の撲滅、宗教紛争の押さえ込みと、西欧の人権団体が大好きなスーチー女史の自宅軟禁という蟄居処分が変なふうに曲げられて「極悪非道の国家」との印象を与えていたのだ。

報道は人為的に作られる。

やれ従軍慰安婦がどうのこうの、侵略戦争だ云々かんぬん。
本音と建前。
聞いているこっちはうんざりするのだ。
自分の国を悪く表現することが美徳だというようにマスメディアは事実に目を瞑り、変な国の肩ばかり持つ。
その変な国は、一方は日本の領土を不当に占有しようとし、もう一方はすでに占有しお粗末な軍事要塞を築いている。
戦後ウソばかりついている国が被害者で、ウソに翻弄されている日本が加害者だなんて、よく言えたものだ。
慰安婦が会見、と言いながら、直前になって逃げ出したことにも目をつむり、
「橋下市長が反省の態度を見せないから、遭う気が失せた」
とはよく言えたものだ。
訊くところによると老元慰安婦は日本国内で主張もそこそこ寄付金の振込用紙を配り歩いていたという。
公の場で、正体をさらされるのが恐ろしくなって逃げ出したのは誰が見ても明らかだ。
それを指摘するマスメディアがほとんどないのはどういうわけだ。
インターネットで市井は彼らの態度を嗤っているのに、どうしたんだろう。
メディアは市井の声を代表しているんじゃなかったのか。
メディアには高学歴が多く、自分の既得権益を死守しようとする政治屋に公務員に大学時代の友達が多いからかわからないが、日本国内でかつてミャンマー報道したような真似をするのはやめていただきたいと思う、橋下コメント事件なのであった。

それにしても橋下徹市長も、もっと言動には注意を払わないと。
敵は揚げ足取りに虎視眈々なのだから。

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