
瑞巌寺の参道を抜けて入口まできた。
ここで拝観料を収めなければならない。
だが、拝観料を払って中に入るべきかどうか一瞬躊躇ってしまった。
なにも拝観料の支払いがSuicaやICOCAで支払えるように自動販売機で近代化されていたからではない。
入口のずっと先に見える本堂が銀色の工事パネルや屋根に囲まれており、そこにでかでかと「鹿島建設」と記された看板がかかっていたからなのであった。
「なんや~、ここまできて工事中かいな~」
と、さもずいぶん前からこのお寺の訪問を楽しみにしていた観光客のような台詞をつぶやいてしまったのであった。
実際は2時間ほど前に仙台の駅で「どこへ行けば良いのやら」という結果、やっと見つけた訪問先なのであった。
ここは。
でも、せっかく大阪から片道たぶん700kmのこの地にやってきて訪れた著名なお寺の本堂が工事中というのは、いかにも寂しい。
昨年、なんかの拍子で訪れた法隆寺も修理中であったが、そこは家から電車1時間もかからない距離で、なんかのついでに行ける場所でもある。
でも、ここ瑞巌寺は飛行機でなんかのついでで来られるところではない。
たとえピーチでも無理なのだ。
思案していると入口にかかっている案内板に目がとまった。
そこには「特別公開」の文字が踊っていたのである。
なんでも、本堂の大規模修理を記念して寶華殿が特別にご開帳されているのだという。
その賽華殿とは、伊達政宗夫妻の位牌が収め垂れている場所で普段は堅く扉を閉ざして公開されることはないという。
今回は期間を5月6日まで限定で公開しているのだ。
伊達政宗というと、どうしてもNHKの大河ドラマ「独眼竜正宗」を思い出してしまい、渡辺謙の姿を連想してしまう。
その后の愛姫を誰が演じていたのか忘れてしまったのだが、渡辺謙の顔をした伊達政宗公は凄いお寺を建てたものだと感動しきりなのであった。
ということで、次回はいつ御開帳されるのか分からない賽華殿を拝むため私はJR西日本のICOCAで拝観料チケットを買い求めて境内の奥へと進んだ。
それにしても修理の工事さえしていなければ、荘厳でゆったりとしたお寺なのだろう。
参道沿いの苔が美しく夕日に映えている。
宝物殿では「桃山時代の美」みたいなこともやっているのだが、なんとなく京都か奈良に来てしまったような錯覚を覚えそうだったのでここも入ることを若干ではあるが躊躇してしまった。
賽華殿への途中には山を手で繰り抜いたようなトンネルをくぐり、坂道を上がる。
坂道と石段を上がりきったところに賽華殿が扉をあけて建っていたのだった。
江戸期の侍の習わしなのか趣味なのか。
私は建築の外部装飾は少々ハデハデケバケバで馴染めないものがある。
いわゆる仏壇のでっかいやつ、というイメージだ。
日光東照宮などはその代表例で、徳川家康の趣味の悪さが輝いていると思えてならないのだが、政宗公も家康と同時代人だけに少々趣味はいかがなものだろうか、というような作りをしていた。
すくなくとも極彩色に近い装飾がなされているという点では一致していた。
それでも、この賽華殿が美しく感じるのは、その規模がこじんまりしているからで、周囲も深い森に囲まれているからだろう。
周囲の墨には石窟にもあった石仏のかけらがちらばり、それに苔が生えていて千と千尋の神隠し的世界が展開されている。
アマチュアカメラマンがシャッターを切っていて、私も負けずにシャッターを切った。
夕日が木漏れ日となり賽華殿の装飾を照らす。
キラキラ。
キラキラしている風景が印象的だ。
大阪では桜の季節はとっくに終わってしまったが、ここ仙台では桜の花びらがまだチラチラ風に舞う季節で、賽華殿の周りも風が吹く旅に桜の花びらが、自然の優雅な演出に彩りを添えていたのだった。
御開帳された内部を正面から拝んで、拝観させていただいたことを渡辺謙のイメージを拭い去ろうとしながら、伊達政宗公ご夫妻の御霊にお礼を言い、下山したのであった。

つづく
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