
私が中学3年生だった1977年の秋。
テレビはアメリカのミニシリーズドラマで話題は持ちきりだった。
そのミニシリーズの題名は「ルーツ」。
アメリカ史のダークサイド、黒人奴隷の家族についてアフリカで奴隷狩りに遭ってから、現代に至るまでのストーリーで、かなり衝撃的な内容だった。
モデルはその作家のアレックス・ヘイリー。
一種のタブーを扱ったドラマだけに本国アメリカでは視聴率40%以上を獲得し、社会現象にまでなった。
西アフリカで囚われた少年クンタ・キンテが奴隷船で米国へ。
上陸した港の奴隷市場で買い叩かれて白人の農園へ。
数々の虐待にもめげず、主人から与えられた「トビー」という名前を拒否しつつ、彼は本名クンタ・キンテを捨てずに部族の誇りを捨てずに生き続けた。
結局、彼は二度と故郷のアフリカに戻ることはなく、そのまま彼は米国で娘を授かり、その娘の成長を見届け米国で奴隷として亡くなった。
その娘が息子を授かり、奴隷解放令以降、その息子が自由な黒人として新天地へ旅立つ所で最初のシリーズは終了。
以降は「ルーツ2」に引き継がれた。
クンタ・キンテの孫から始まり、3代先の作者のアレックス・ヘイリーまでが描かれた。
ドラマのクライマックス、現在のアフリカを取材で訪れたアレックス・ヘイリーは、祖先がいたと思われる部族の長から長い物語を聞かされる。
何時間にも及ぶ物語の末に先祖のクンタ・キンテの名前に出会うのだ。
あまりの感動に、アメリカ版大河ドラマとしてもてはやされ、刺激を受けた人たちが自分のルーツを探し当てようと家系図を調査、辿る運動がにわかに高まったのであった。
ところで、人というのはどこまで先祖を遡ることができるのだろう。
人の祖先を遡ることは難しく、1000年以上続く確実な家族といえば、正直天皇家以外に無いのではないかと思ってしまう。
さらにこれを人類一般に当てはめて、例えば「日本人はどこから来たのだろう?」と問いかけると、ほとんど訳がわかならない。
アジアだから北京原人に至るのか、はたまた別の原生人類に至るのか。
それに対する解答はついこの間まで存在しなかった。
調査するすべが無かったのだ。
ところが、科学の進歩が、歴史をも解明することが可能になりつつあるということに衝撃を覚えたのであった。
ブライアン・サイクス著、大野晶子訳「イヴの七人の娘たち」(ヴィレッジブックス)は女性のみが遺伝的に受け継いでいくというミトコンドリアDNAを用いて人の先祖を追い求めた科学ノンフィクションだ。
なんでも、欧州では殆どの人が7人の女性に行き着くという、「人類みな兄弟」的結果がでているのだという。
古代人の化石からDNAを採取することに成功し、しかもそのゲノムを解読し、現代人のそれと比較した結果だからという、
「そんなこともできるのかい」
という驚きなのだ。
筆者はアルプスの山中で発見されたアイスマンのDNAを解読したことで知られる科学者であり、その信ぴょう性は著しく高い。
人間、祖先を6代前どころか2万年4万年と遡れば、かなりの頻度で「親戚だった」という証拠が見つかるというのも驚きだ。
DNAは生命が生み出した、自然のデータファイルなのであった。
本書にはいくつかの読み物としてのキーポイントがある。
前半の学会で巻き起こった議論の応酬と学者間の闘いは、アカデミックな世界の生々しい人間臭さを浮き彫りとし、後半の7人の女性の物語はDNA調査の結果に基づいた作者の創作だが、物語というよりも、当時の様子をイメージする助けにもなり、かなりユニークだった。
また、いわゆる「ミッシングリング」問題についても結論を出していて、ネアンデルタール人とクロマニオン人の間に遺伝的繋がりはなく、数万年前までは「人」にカテゴライズされる動物が複数存在したことの証でもあるということも、大いに驚きなのであった。
クロマニオン人はDNAでも明らかに現代人のそれと同じで、現代ヨーロッパ人の祖先であることも確認されているようだ。
しかしネアンデルタール人がなぜ没落し、最期の一人がイベリア半島で死を迎えることになったのかの謎は、大部分は想像の世界に包まれているのが現状だ。
読んでいて私がイメージしたのは、もしかするとビッグフットやヒマラヤの雪男は細々と生きながらえているネアンデルタール人の末裔ではないか、というイメージも浮かんできたのであった。
ともあれ、おしまいには日本人についてのDNAの解析結果も載っていて、これもまた興味をそそられるところなのであった。
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