<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地





一日の仕事が終わって、今宵の宿として予約していたのは、なんとリゾートホテルなのであった。

リゾートホテルというと、私はタイのホアヒンの一泊50ドルのリゾートホテルと、ミャンマーのグウェサンビーチにある、これまた一泊50ドルのリゾートホテルの経験しかない。
ホアヒンのリゾートホテルもグウェサンビーチのホテルも立派で、ホアヒンのホテルはビーチまでは歩いて5分の距離だったものの設備も良く、ナイトバザールまでも歩いてすぐで、夜中にハンバーガーを食べたくなったら向かいにバーガーキングがあったのでとても便利なところなのであった。
また、グウェサンビーチのホテルはコテージになっていて、正面玄関を出ると、そこはもうすでに天然のビーチになっているようなところで、夜の3時間ほどしか電気が通じないことを除けばボンヤリするにはベストだし、近くの村へ行くとシーフードレストランで伊勢エビのでっかい料理を500円程度で食べられるという、それはまた天国のようなところなのであった。

しかし、日本では高級ホテルに宿泊することはほとんどない。

なんといっても仕事ではビジネスホテル。
プライベートではお遍路さんの宿か国民宿舎かユースホステルをモットーにしているため、シティホテルやビーチリゾートは私にとっては高嶺の花、というよりもまったくの無縁の宿泊施設なのであった。

それが仕事とはいえ、沖縄で、しかも恩納村で、しかもしかも、高級リゾートに取引先のコネで安く宿泊することができたということは、私に想像を絶する気分転換の機会を与えてくれたのだった。

ホテルの名前をカフーリゾートフチャクコンド・ホテルといい、正直、高級であった。

宿泊した部屋の大きさは私が12年ほど前に購入した大阪堺の中古マンションより広かったのはむろんのこと、ベランダからはエメラルド色に輝く東シナ海が見渡せ、しかもしかも、夕日がとっても奇麗な場所なのであった。
お風呂も広く、バスタブは寝て入れる大きさ。
トイレも東京都内のシケたビジネスホテルのバスルームほどもある。
ベッドルームは2部屋あり、ベッド数は合計4。
フルセットのソファと大型液晶テレビにキッチンまであったのだ。
そこになんと宿泊者は私一人。

これは.......嫁さんと娘に自慢しなければ、と思って写真をパシャパシャと撮影したのだが、よくよく考えてみると日頃、国民宿舎やユースホステル、お遍路さんの宿などを巡る旅しかさせていないので、

「こんな豪華なホテルに泊まったよ」

と自慢しようものなら、どういう事態に発展するのか、恐ろしい事実に気がついたのであった。

きっと「家族で沖縄旅行」という要求がだされるであろう。
それはそれでいい。
旅割りを使えば、それなりの費用で航空券は購入できる。
でも、宿泊先は国際通り近くの東横インでは許してもらえないに違いない。
民宿は?

「ね、ホテルハイビスカスって映画見たよね。良かったね」

などというセリフは全く通用しないであろう。

「な~、あの写真のホテルに泊まりたい~」

ということになるのは間違いない。

沈みゆく夕日を眺め売店で買って来たオリオンビルをグイッと飲みながら、このカフーリゾートに経費で宿泊したことは秘密にしなければならないと思ったのであった。

つづく



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朝、大阪駅で電車の時間を調整するため、南口にあるスターバックスに入ってソイラテを注文。
店外のベンチに腰をかけてiPadを使ってメールチェックとニュースサイトを見ていたら何やら大きな演説が聞こえてきた。
正直、かなりの騒音だ。
朝の大阪梅田界隈は都会とはいえそこそこ静か。
じっくり落ち着いてソイラテを楽しみたいと思っていたところに大阪府知事選の候補が選挙カーに乗って演説を始めたのだった。

「橋下政治の独裁体制を打破するためにも」

と大きな声でガナリはじめたのは日本共産党の候補者なのであった。

こんな話題、朝早くから聞きたくないので「はよどっか行ってや」と心のなかでつぶやいたものの、なかなか演説は収まらない。
ソイラテの味も、iPadのニュースも落ち着いて楽しむことができないのだ。

なんでも橋下知事率いる維新の会は独裁政治を断行し、大阪市の税金を奪おうとしているけしからん輩だという。
話の内容からすると橋下知事のリーダーシップが独裁政治かどうかわからないが、日本共産党の看板が何年間も志位和夫委員長独裁であることは、気にしていないようだ。
しかも、共産主義を国家の骨格にしている国は中国、北朝鮮のように一党独裁あるいは独裁政治を旨としているので、そんな政党が「ファッショだ」というのは、読売新聞社の渡辺恒雄が「報道の自由」を叫ぶようなものだ。

さらに「教育の自由も侵害し」とも叫んでおり、これも共産主義以外は認めないという教育を旨とする共産主義のことはあまり気にしていない発言ともとれるものだ。

いずれにせよ、府政であろうが国政であろうが強力なリーダーシップが求められていることは市井の人々が一番良く知っており、それを「独裁政治」というのは、野田首相のチャランポラン無責任政治を「民主政治」と言うのと同じ。
こういう無責任な発言をするところが政権を取ったりすると、全席禁煙のスタバは嫌煙者のファッショカフェだ、と言われたりするのではないか、と思うんであった。

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世界での競争力27位。
日本の経済力を示す冷酷な評価だ。

今の日本はやれ震災だ、やれ原発事故だ、やれ洪水だ、といって大騒ぎし、日本が危機的状況のあると盛んに叫んでいるが、本当の問題は他に潜んでいるのではないだろうか、とつくづく思う。

賃金が上がらないのも地震のせい。
外国人が訪れないのも原発事故のせい。
製品価格が上がって来ているのも洪水のせい。
だから経済が良くならないのも震災のせい。
という具合に「他人事」。

政治に関心持ったり、海外へ出て行こうとすう若者がめっきり減ってしまったのも、天災その他のせいにしている。

もしかすると震災が発生して世界中から賞賛された「秩序ある日本の姿」も、実のところ「争う気力も無い、去勢された日本の姿」の変形して現れた姿だったとも思わぬでもない。

そんなこんなしているうちに途方も無い円高で日本経済を支えて来た製造業は青色吐息。
人権や組合や、福祉、バラマキばかりを主張する民主党が政権をとり、無能化された自民党や、いまだにコミュニズムを信奉している共産党、カルト政党公明党などが国政をあれやこれやとかき回している。
これで良くなる方がおかしいが、国がおかしくなっても民間企業は大丈夫と思っていたら、オリンパス粉飾決算のようなあり得ない事件が発生する。

企業は同族、でもなくても身内的経営。
情報操作はお手のもの。
損害を出しても帳簿をいじって公認会計士をたらし込み、口裏会わせば怖いものはないと思っている。

青山監査閤人。
不二家。
武富士。
雪印。

ヒラから中間管理職へと階段を上っていた頃にバブルを経験した世代が経営を握ったら、倫理観がそのままだった、というのが一連の事件だろうか。

オリンパスの粉飾決算。
他人事ではない、次はあそこの会社が露になるかもわからない、と思ったりする情けない日本の現状なのであった。

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自分自身で沖縄をドライブするのも初めて沖縄を訪れたとき以来。
ここ近年は、沖縄にある代理店の人に空港やゆいレールの駅まで迎えに来てもらって移動していたので、ホントにひさしぶりの運転だった。

そこで気づいたのだが、国道58号線は沖縄本島を南北に貫く大動脈なのだが、ほんとに大動脈よろしく那覇市内や浦添市内では、かなり混雑するのには驚いた。
失礼かもしれないが、沖縄でこんなに混雑するとは思わなかったのだ。
正直言って私の父の故郷の岡山県の岡山市近郊や、たまに金毘羅参りにで通過する香川県の高松市なんかよりも、よほど混雑する国道なのであった。
車がなかなか進まないくらいの混雑だ。
しかも、風景は完全に大都会。
初めて訪れた時の沖縄らしい風景はどこへやら。
本土とほとんど変わらない景色が展開し、私はかなり残念に思っていたのだった。

なお、国道58号線は沖縄本島を貫いているばかりではなく、海の上も走っており、奄美大島や種子島も南北に貫き、終点は鹿児島市なんだという。
将来は奄美諸島に橋でもかける壮大な計画でもあるのだろうか。

ともかく関空からの初発で那覇についたのは午前10時過ぎ。
レンタカーを借りて移動を開始し、時刻はすでに11時を過ぎている。
腹は減ってきているし、かといって恩納村までは2時間ほどかかると聞いていたものだから、お昼すぎの約束に間に合わなかったら大変だ。
と、私は北に進みながら、適当な昼ごはん場所を探しながらのドライブとなった。

沖縄に来たのだから、沖縄そばを食べたかった。
ところが沿道には大阪や東京でも同じミニのチェーン店が点在している。
何が悲しくて沖縄まで来て吉野家の牛丼を食べたいと思うのか。
さらに天下一品のラーメン店まである。
しかも看板が立っていて「京都白河、創業昭和46年」と書かれており、ここまできてコッテリラーメンを食べる気にはさすがにならない。

思えば二十数年前、初めて沖縄に来た時は食べ物が口に合わず苦労した思い出があるが、知らないあいだに本土の毒気に汚染されていたのであった。
で、そういえば5年前に来た時は那覇市内で「お、これでも食べましょう」と那覇市内で札幌らーめんの店に連れていかれたことを思い出した。
恐るべし、日本文化。

ともかく、何かせっかくだから沖縄のもの、とばかりに先を急いでいると、普天間基地の横を通過。

「話題の普天間や、写真写真」
大阪に帰ってから中学生の娘に社会の勉強よろしく普天間基地の写真を見せてやろうと思ってカメラを探したのだが、アホなことに、カメラはトランクの中に入っていて取れなかったのだった。

やがて北谷町まで来たときに「沖縄食堂」の看板が目に止まった。
止まったのだが、自動車を止めるタイミングを逸して通過してしまった。
次の信号で慌てて左折して、食堂のあるあたりまで戻ろうとしたら、そこになんと、結構大きな沖縄そばのお店があったのであった。

「おおおお!ここに入らずして、どこで食べる」

私は沖縄食堂の件はすっかり忘れて、その店「そば屋鶴小」に入った。

「いらっしゃいませ」

と迎えてくれた店の女の子は沖縄の伝統衣装をまとっており、沖縄に来た、という感じがした。
なかなかいいではないか。
ランチの時間にはまだちょっと早いのか、店の中には数人の年配の人たちや、米軍関係者と思われる白人のカップルが食事をしていた。

私はメニューから豚の角煮がたくさん乗った三枚肉そばとポーク玉子おにぎりと注文。
「ポークおにぎり、甘いソースが入っていますが、大丈夫ですか?」
と店の人に訊かれたが、
「大丈夫です」
と答えた。
実際、ちょっと甘みのあるトロリとしたソースがポークと卵と一緒に挟まれ、のり巻きされた不思議なおにぎりなのであったが、これも実に美味しく平らげた。
元来沖縄そばは大好きなので、まったく問題ない味なのであった。

食べ終わり、勘定をしようと席を立ったら、入り口から4人ほどのアメリカ人が入ってきた。

「Hello! May I help you? 」

と声をかける店の女の子の英語の発音は非常に整ったアメリカンイングリッシュだった。
やっぱり基地関係者が大きな顧客になっているのだな、と痛烈に関心するとともに、自然にバイリンガルの沖縄に、ある意味別の可能性を感じたのであった。

で、私が勘定をすると、

「Thank you!」

と笑顔で言われた。
バンコクではアラブ人に、大阪でのある交流会ではブラジル人に、広島の平和記念館ではオーストラリア人に、と間違えられた実績のある私なので、アメリカ人に間違えられても仕方がない、と思った。

運転を再開し、読谷村を通過して恩納村に入った。
二十数年前に建設工事で訪れたリゾートホテルが豪華に営業をしている横を通過。
「懐かしい~」
と思った。
そして、訪問先にたどり着くには時間の余裕が少しあるので、以前も訪れた真栄田岬に行って見ることにした。

真栄田岬は恩納村のリゾートエリアを望める風光明媚な場所で、今はどうなっているのだろうと思って行ってみると、昔よりも整理されたのか、綺麗な駐車場や展望エリアが設置され、そこから眺める景色はエメラルド色に輝く、昔と変わらない、めちゃくちゃ綺麗な沖縄の海が輝いていたのであった。

つづく



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久しぶりの沖縄出張。
前回訪問したのは2006年6月6日。
666。
なんとなく縁起が悪い....。

以前、営業職であった私は大阪で勤務しながらも、なぜか沖縄県も一部営業テリトリーとしていて年に1~2回は沖縄を訪れていた。
ただし、沖縄といってもいつも訪問するのが沖縄県庁であったり、航空自衛隊那覇基地であったりしたために、那覇市周辺から出ることはめったになく、ほとんどが大阪からの日帰り出張なのであった。
営業マンとして最後の出張となった2006年は、二泊三日の滞在ではあったものの、ほとんどが製品の納品の立会に費やされ、朝一番の飛行機で那覇空港に降り立ってから、最終日の最終便で大阪に帰るまで、働き詰め。
沖縄を体感したのは夜の居酒屋さんだけで、とりわけゆいレール旭橋駅から徒歩5分ほどの居酒屋さんの泡盛と沖縄野菜の炒め物が絶妙だったことを思い出す。
思い出しただけで、お腹がキューっとなり、またまた飲みたくなってくるぐらいだ。

そもそも沖縄を初めて訪れたのは1987年。
社会人二年目。
恩納村という日本とは到底思えないようなトロピカルリゾートエリアに建設中のリゾートホテルの工事に訪れ2週間ほど滞在したのが最初だった。

このときは5月の末から6月にかけての滞在だった。
大阪からの直行便の予約ができなかったので、鹿児島経由で伊丹空港から那覇へ向かったのだったが、鹿児島から乗ったANAのスチュワーデス(と、当時は呼んだ)のおばちゃんが未だに記憶から離れない。
というのも、このANAのスチュワーデスのおばちゃんは離陸後飛行が安定すると、何を思ったのかバスガイドよろしく眼下に望める奄美諸島の島々を案内し始めたのだった。

「あれが奄美大島です。」

とひとつひとつ島の名前から説明開始。
なんだかんだと文化や雰囲気などを解説してくれるのだ。
機内は比較的空いていたし、機種も100人乗り程度の小さな飛行機で。こじんまりした雰囲気だったこともあるのかも知れない。
しかし、それだけでは印象に残ることもなかっただろう。
今でも稀に、大阪から東京に向かう飛行機では「左手に富士山の綺麗な姿が見えています」と機長やチーフパーサーのアナウンスがないこともないからだ。

ところがこの鹿児島発那覇行きのANAのおばちゃんスチュワーデスは他の人とは異なって、解説を聞かなかったら小学校の遠足、わいわいガキどもがざわついている時のベテランバスガイドさんよろしく「ちゃんと聞きなさい」てな具合に、窓の外を見ていないお客を叱るというところが、強烈な印象となってしまったのであった。
そのしかり方も、ベテランバスガイドのように嫌な感じは全くないところに凄さがあり、私は「スチュワーデスにはこんあおばちゃんもおるんや」と感動したくらいなのだ。

この時の天気が非常によかったためか、とりわけ与論島の解説には力が入っていて、私もその美しい島のまーるい海岸線に感動しきりなのであった。
ただ、「お、与論島は島の半分が飛行場か?」とビックリしたのも覚えている。

ともかくそんなこんなで沖縄へ到着したのだったが、ビックリしたのは当時の空港ターミナルが貧弱であったことに加え、めちゃくちゃ暑かったことなのであった。
先行して沖縄に来ていた同僚が迎えに来ていたのだが、

「暑いな~。まだ5月やで」
「驚くのはまだ早いで。」
「なんや。」
「このまえ、台風来たやろ」
「ん」
「沖縄では台風の雨は360度、全方位から降ってくることがわかった。傘は無意味や。あれは体験せんとわからん。それに、宿のエアコン、1時間100円要るで」

との衝撃の証言を数々聞くことになった。

同僚がレンタルしていた車に乗り込んで恩納村に向って出発した私は、途中国際通りにあったスーパーダイナハ(ダイエーのチェーン店だった)に立ち寄り海水パンツを購入。
日本なのに、なんとなく異国情緒が漂う那覇の街を北に向かったのであった。

今回の私の目的地も初めて沖縄を訪れたときに向かった恩納村。
ここに世界有数の国立の研究所が建設されており、そこを訪問するための出張なのであった。
でも、今回は、同僚もいず、私一人。
空港近くのレンタカー屋さんでマツダのデミオをレンタルし、いざ、国道58号線の北上を開始したのだった。

つづく

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タイという国は「マイペンライ」なお国柄と言われている。

マイペンライとは「気にすんな」と言う程度の意味合いで、何事にも寛容な仏教思想が浸透した結果のように思われるのだが、おとなりのミャンマーはタイよりも経験な仏教国だが、あまり「マイペンライ(ミャンマー語でなんというかは筆者は不勉強のため知りません)」なところがない。
だから仏教だけが個性を作り出しているとまでは言えないところだ。

そんなタイの首都バンコクが浸水を始めてからかなりの期間が経過している。

アユタヤの工場群は1階部分が水浸して、日本企業の多くが中途半端でない大きな被害を受けている。

考えてみれば日本企業にとって今年は踏んだり蹴ったりの年で、国内では東日本大震災で東北地方の海岸線が壊滅的被害を受け、国内経済は円高による人災に祟られて、仕方が無いので国外生産に移管して、治安と友好関係がすこぶる安心のタイに出張ったら、今度は未曾有の大規模水害。
と、普通の会社なら倒産してしまうような巨大悲劇に連続遭遇しているという実情だ。

そんな日本企業の苦境をあざ笑っているのか、タイのインラック首相はニコニコ笑いながら「11月中には水も引くでしょう」とのんきなことをほざいている。
日本は野田という増税をモットーにしている自国の首相だけでうんざりなのに、災害で巨額の被害を出して市民の生活を破壊し、無為無策で避難の矢面にたたされているのにニコニコしているような他国の首相でさらにうんざりといったところだ。

このインラック首相。
実は政治的能力も何もない人で、事実上国外追放処分になっているタクシン元首相の実の妹というだけで首相になったような人なのだ。
つまりインラック首相はタクシンの傀儡で、例に言えばプーチンに操られるメドベージェフ大統領と似たり寄ったりなのだ。

このアホ首相の愚策の影響は野田首相の愚策の前に実際に現れ始めている。

なんと、パソコンのハードディスクやデジカメが極度の品薄になりつつあり、東京や大阪の量販店では一挙に価格が釣り上がりはじめたのだという。
折しも、日本の首相が「近日中に消費税を10%にアップすることをお約束」と国際会議で宣言した、その時に、物価上昇。
本当に迷惑至極。

タイは日本を手本にして近代国家建設を行って来ていることでも知られているが、こんなくだらないことまで真似なくてもいいものを。
「マイペンライ」では済まされない値上げラッシュが始まっているようだ。

タイで救いなのは、浸水しそうな王宮を市民ボランティアと軍が自主的に守っているということ。
プミポン国王は「人々の苦境の中、王宮だけ守られるという訳にはいかない。浸水しても構わない」という、これまた昭和天皇に多くを学ばれたという王様ならではの御心のなかのボランティア。
首相はアホだが、市民はしっかりしているところも、なんとなく日本に似ているのだ。

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休日の正午前。
近所のスーパーマーケットに買い物に出かけたら、とんでもないものを見つけてしまった。

「姫路駅名物 えきそば」

関西地区に住んでいる人々の中にはJR姫路駅のえきそばのファンは少なくない、と私は思っている。
これは私がファンだからという理由ではないが、確かにここの駅そばは他とは違う特長があり記憶に残る味なのだ。

昭和40年代。
幼い頃の私は晴秋の農繁期や盆正月、両親または母につれられて祖父母をはじめ叔父叔母、大量の従姉、又従兄弟が生活している岡山へ行ったものだった。
山陽新幹線開業前、毎回母に手を取られ大阪駅から宇野行きの国鉄の急行鷲羽号に乗るのが楽しみだったのだが、中でも最も大きな楽しみが「姫路駅の駅そば」を食べることなのであった。

当時は姫路駅に停車したと同時に売り子が電車の側までやってきて、そばを販売してくれていた。
母も私が姫路駅のそばが大好きなのを知っていて、必ず買い求めてくれたのだが、ときどき売り子がやってこず、わざわざホームの駅そば屋まで買い求めに行ってくれたことが何度かあった。
一度だけ、いくら待っても母が電車に帰ってこず、今にも電車が発車しそうな感じになんてきて、一人不安な私は泣き出してしまったことがあたったりした。
調度、泣きじゃくって周囲の人に慰められているところに母が丼を持って帰ってきてくれたことを、霞に包まれた情景になってしまったが今でも記憶として残っている。

そんな思い出深い「姫路駅のそば」は国鉄がJRになっても、存在し続け今日に至っている。

この駅そばの特徴は麺とスープの組み合わせにある。
麺が中華麺でスープが和風なのだ。
そこに天ぷらや油揚げが載っていたりするのだは、これが実においしいのだ。

今でも時々仕事で姫路に出かけた時は、この駅そばを食べることを私は習慣にしている。
たとえお客さんとランチを食べて別れた直後であっても、私はこの蕎麦だけは絶対に食べることにしているのだ。
こんなこと、家族に話したら「アホちゃうん」と指摘されるかも知れないが、アホと言われようがバカと言われようが、マヌケと入れようが姫路に行ったからには「駅そば」は絶対であり、「これ食べなくして何が姫路だ」、という感覚がある。
正直、国宝姫路城よりも駅そばが、この播州の代表物だと私は信じている。

で、カップ駅そば。

山積みされて販売されているその光景は、私にとってかなりショックなのであった。
というのも、まさか「姫路駅そば」がカップになるとは思えず、しかもそれを日清食品というカップラメーン世界一の会社が商品化してしまっていることに、驚きと苛立ちを感じたのであった。

「どんな味なんや。駅そばファンへの挑戦か?」

私は迷わず1個購入。
その日のランチに食することに決めたのであった。

で、結果から言うと、なんでもない。
日清食品の代表カップうどん「どん兵衛」の変形版とも言えるような製品なのであった。
味は明らかにどん兵衛。
しかし麺は中華麺。
天ぷらというかエビのかき揚げも載っている。
パッケージには「姫路駅名物」。
でも食べたら、どん兵衛。

結局本物は現地に行かなければ味わうことは不可能な、神聖なる「姫路駅そば」なのであった。



丼いっぱいに広がるエビの天ぷら。
スープは粉で、一味唐辛子が付いていた。
麺は中華。
よくよく考えてみると、これにスライスした豚の角煮を乗っけると、そのまま「沖縄そば」として売れそうな感じがしないでもない。
カップ麺、案外いい加減な作りなのかも。



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やっぱり儲かっている会社の感覚というのは一般庶民とは異なっているのか。
日本映画の上位20位のうち、東宝配給の映画が13作品も占めているというのだから、東宝の収益、いかようなものだろうか。
想像するに、巨額であろう。

しかも、東宝、東映、松竹、日活、大映など、並み居る映画メジャーのうち、経営基盤がしっかりしているのも東宝のみ。
なんといっても東宝はあの阪急阪神ホールディングスの一員であり、創業者も阪急電鉄の小林一三。
つまり、東宝映画はもともと東京宝塚という名前のとおり、宝塚歌劇と親戚にあたる存在で、最近は我が阪神タイガースまでも身内に加えるという凄いコングロマリットなのだ。

で、何が言いたいのかというと、映画の入場料引き下げ中止の決定について文句を言いたいのだ。

TOHOシネマズは映画料金引き下げの試験を都内のいくつかの劇場で実施。
客数が伸びたら来年度から全劇場の鑑賞料金を引き下げるという、ある種のマーケティングを行なっていたのだ.
が、結果は芳しくなく、料金値下げが映画の入場者数増に繋がらない、という結論をだしたのだという。

その値引き、わずかに300円。

通常大人1800円の入場料を1500円に値下げしただけの試験を実施していて「入場者が増えない」とは、何事か!
当たり前ではないか、と私のような貧乏庶民は思うのである。

映画大好きな私はいくら仕事で多忙でも、必ず月に最低1度は劇場に足を運んで映画を見ている。
しかし、ファンにとってもその入場券1800円は決して安いものではない。
それが1500円になったとて同じ事。
東京、大阪のサラリーマンの2~3回分のランチ費用と変わらない。

で、どうせ値引きするのなら1200円とか思い切って1000円ぐらいにしてもらわないと、値下げの恩恵は感じられない。
いっそのこと昔の大毎地下劇場(大阪西梅田にあった名画座)よろしく600円から800円で好きなだけ映画館に滞在できるというアイデアなら、さらに善なのである。

だから映画が300円くらい安くなってもほとんど意味はなく、どうしても安価で見たい人は月に一度の「映画の日」にでかけて1000円で見るか、劇場の会員になってレディースデイ(男は不可)だとか、メンバーズデイで映画を見ることになるのだ。

TOHOシネマズは私が最も利用する映画館だが、こんなマヌケなマーケティングをしているようなら、そのうち客は離れるぞ、と言いたくなるのも、人情なのだ。

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