<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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「あのな~。沖縄の海洋博に行きたいねん」
「何アホなこと言うてるの。そんな遠いところへ行くお金はうちにはありません!」

とおふくろに叱られたのは1975年。
当時小学校6年生であった私は、海洋博覧会の「博覧会」という言葉に鋭く反応し、「沖縄へいきたい!」と叫んでいたのであった。
それは幼いながらも鮮明な記憶として残っていた大阪万博を彷彿させるものがあるのではないか、という期待がそう言わせたことは間違いない。
それだけ海洋博は沖縄という、つい最近、米国から日本に戻ってきたばかり最南端の未知なる県に対して興味がわくイベントであった。

とりわけ私の目を惹いたのはアクアポリスという海に浮かんだ巨大な建造物の写真だった。
まるで大阪万博の「お祭り広場」のでかい天井を海に浮かせたようなイメージは、大阪万博の太陽の塔を始めとすると各パビリオンが感じさせた近未来感と同様の雰囲気を私に感じさせていたのであった。

でも結局、海洋博には行けなかった。
本当に沖縄へ行くだけの余裕が、あの頃の我が家にはなかったのだ。

その海洋博の会場の場所に私が立つことになったのは、それからはるか36年後。
大人になった私は国営の記念公園となった海洋博跡地に自分で自動車を運転して訪れたのであった。

駐車場で自動車を降り、正面玄関に立った私は感無量であった。
ついに来た!という言葉を久しぶりに叫びたくなる、そんな一瞬であった。

それにしても、美しすぎる。
何が、というと公園とその向こうに広がる海と、その海に浮かぶ伊江島の風景が滅茶苦茶美しかったのであった。

こんな遠い所に人が来るんだろうか、と思っていたが、休日だけのことはあり大阪の万博記念公園並に大勢の人々が訪れていた。
アクアポリスは2000年にスクラップ処理されていて、もう見ることはできないが、この景色があれば文句の言いようはない。

海洋博記念公園は無料だ。
この素晴らしい景色が無料であることに「当然だ」と思う一方、「ありがたや」と思うこともできる豊かな気分にさせるのであった。

正面の入口からはなだらかな下り坂の階段が続いている。
その左手横には高齢者や身障者に配慮したと思われるエスカレーターも設置されている。
この際、税金の無駄遣い、と言うような無粋なことは指摘せずにおこう。
この素晴らしい景色をすべての人に見てもらうためには当然あってしかるべき施設だ。

なんといっても沖縄は日本の宝石なのだから。

この海洋博記念公園の最大の目玉は「美ら海水族館」という名のアクアリウム。
大阪天保山の海遊館に匹敵するという大水槽があるとのことで、本来であればこの水族館を訪れるのが本道に違いない。
少なくとも。
でも私は今朝、北に向かってドライブする自動車の車窓から左手に広がる煌く大洋を眺めているうちに、ここへは家族を絶対に連れてこなければならないと思っていたのだ。
それも強く。
だから、美ら海水族館を訪れるのは絶対に娘と嫁さんが一緒でなければならないし、初めて見る南国の水族館の感動を自分自身も娘と一緒に体験しなければならないと思ったのだ。

だから、水族館は来るべき次回訪問にまわしてしまい、私は熱帯植物園やその他施設を見て今回の旅は帰ろうと思ったのだ。

まるでミャンマーかタイか、はたまたベトナムのビーチエリアか、と思わせるような漂うような南国の空気が周囲を覆うステキな公園。
朝が早いので場所によっては人影はまばら。
というよりも、殆どの人が水族館へ向かっているのだが、私は人気の少ない方へ向いて歩いていたので、いつしか周囲は観光客の姿がちらほらで、人の姿といえば植物の世話をしている公園庭師の人たちや、掃除の人たちしか見かけなくなってしまった。

「オキちゃん劇場」

会場の地図をみると、海に近いところに「オキちゃん劇場」という名前のイベント会場がある。
何かいな?と思ってゆっくりと向かって歩いた。
なんといっても、沖縄は11月と言え、まったくの夏。
早足で歩くと暑いのであった。

で、その劇場は何のことはない、イルカショーの会場なのであった。
「イルカショーはこの夏に城崎のマリンワールドで見たばっかりやな」
とあまり興味のわかない私ではあったが、観客席に誰もいない静かな水槽に近づくと、そこは本土のイルカショーとは全く違ったトロピカルでホノボノとしたイルカの世界が広がっていたのであった。

水槽に近づく私を警戒することもなく、ぽか~んと水中を漂っているのはミナミバンドイルカの「ムク」ちゃんなのであった。
その他にも元気に泳ぐ2頭がいて合計3頭。
あまり体格が大きくないミナミバンドイルカはニコニコ笑っているような表情をしていて、かわいい。
元気な2頭はともかく、のんびり漂っている「ムク」を見ていると、なんともいえぬ心持ちになり、リラックスしてくるのであった。

ジャンプする必要もない。
調教師にキスをする必要もない。
ただただ、のんびり漂うイルカは最高の姿のように思えた。

しかも、この「ムク」ちゃん。
イルカとしては只者ではないことも分かった。
正直、私は大いに驚いてしまったのであった。
「ムク」ちゃん、なんて呼ぶのはおこがましい。
「ムク」さん、と呼ばなければならないだろう。

なぜなら、水槽前のプレートの説明によると、この「ムク」さんは、1975年の海洋博覧会以来、この水槽で活躍している大ベテランのミナミバンドイルカなのであった。

「イルカって、どのくらい生きるんやろ」

という疑問と共に、そのキャリアに対して思わず脱帽している私なのであった。

「海洋博に行きたい」

とおふくろに言って叱られた、まさにあの時すでに「ムク」はここで芸をしていたのだ。

イルカのホノボノとした姿と共に、紺碧の青空のもと、私は36年にも渡る時空をひとっ飛びしたような錯覚に囚われたのであった。

つづく



(のんびり漂う「ムク」)




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