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<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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たまの外食もいいもんだと思い、昨夜久しぶりに休日の夜の大阪難波に出かけると、高島屋本店前のロータリーが大変な混雑になっていた。

「なんだなんだなんだ」

と野次馬根性丸出しで、その群衆の中に入ると、なんと、大阪市長候補の大阪府知事橋下徹の選挙前日最後の街頭演説が始まるところなのであった。

それにしても物凄い群衆なのであった。
私も含めて。
しかも上空はメディアのものと思われるヘリコプターが4機ほど旋回しており、一種独特の緊張感に包まれていた。
他政党のオッサンが一人、趣味の悪い白いロールスロイスのサンルーフから身体を乗り出して演説を妨害しようと大きな音で音楽を鳴らしていたが、それも群衆から自然発生した「帰れ」コールに恐れをなして、音楽を止め橋下候補と知事候補の松井候補に「頑張ったください」の一言を残して消え去っていったのであった。

演説は応援に来ていたそのまんま東の挨拶から始まったが、こんなオッサン、逆効果ではないかといささか心配になった。
でも、聞くところによると午前中は石原東京都知事も一緒に選挙応援に回っていたというので、その全国的な期待度は小さくない。

そのまんま東の応援演説が終わると知事候補の松井一郎維新の会幹事長が演説。
もごもごした声で何を言っているのかよく聞き取れなかったのだが、大阪は上海の倍の経済力があるとか、大阪に本社を置く世界的製薬会社(武田薬品のこと、世界第5位)が関東に研究拠点を移したことへの行政の失態や、日教組や教育委員会に左右されない教育改革について語っていたと思う。

で、肝心の大阪市長候補の大阪府知事橋下徹。

その演説を聞いて驚いた。



なんと、はっきりとわかりやすく話す人なのだ、ということで驚いたのだ。

メディアへの露出が多いことで知られる橋下候補ではあるが、その話は筋が一本通っていた。
要約すると以下の通りだった。

まず、大阪が今のように衰退してしまったのは行政の責任で、明治時代に作られた組織が平成の今の時代に存在すること自体おかしいというもの。
明治時代は大阪市は明らかな大都市で、周囲の市町村はそうではなかった。だから周囲の市町村を統括して管理する府庁と市内を統括する市政が別々に必要だった。
でも、今は大阪市も堺市も、豊中市、八尾市、東大阪市、岸和田市など、どれもこれも大きな街ばかりになった。
だから市政と府政を分ける必要はない。
分けることによってメリットは何もなく、ただ既存の権益に満足したい行政を生み出すに過ぎないというのだ。

大阪は東京と役割を2分しなければならない街で、比較すべきは国内の地方都市ではなく、上海や北京、香港、シンガポール、バンコク、そしてロンドン、ニューヨークと勝負しなければならない街ということ。

大阪市単体で、堺市単体で、これらの海外の大都市経済圏と正面切って勝負できるのか、ということが、大阪都構想なのだとアピールした。

恥ずかしながら私は初めて大阪都構想の概要を知ることができたのであった。

で、次は「話し合いでは解決できないところまで大阪の、そして日本の政治は来てしまった」という主張だった。

これは度重なる民主党の失態を上げ、

「話合いで物事が解決していますか。話しあい、解決できかんければ明日協議、それでもだめなら来週、それでもだめなら来月、半年先。何かひとつでも前に進んだものがありますか。」

と主張。

「その間に社会は益々混迷を深めて何一つ前に進まない。こんな日本になってしまった。だからこれには戦争が必要です!」

「おお!過激な発言」

と衆目が注視するなか、

「明治維新、フランス革命、アメリカ独立戦争、すべて戦いが必要でした。話し合いでは解決できないことも有る」

盛んに橋下徹を叩く週刊新潮が喜びそうな主張が連続する。
耳を傾ける群衆にも、

「そんなこと言ってええんかいな」

というムードが漂ったその時、

「私も戦争をするしかありません。戦争するしか無いのです。その戦争。今日の戦争は選挙です。選挙が戦いです。」

周囲から大きな拍手が起こった。

とどのつまり、大阪市長に立候補した橋下大阪府知事は一般府民が普段思っていることを堂々と展開したにすぎず、たったこれだけのことを言うことができなかった従来の大阪府政、市政、ないし国内の政治はまったく何だったかと思わせるものがあったのだ。

市政では大阪市は数々の不透明な助成金や、予算のプールが問題になっている街でもある。
この不正な金のかなりは同和問題に注がれていることもアンタッチャブルだったのだが、地区出身の知事が主張すると迫力が違うのであった。

ともかく、そのまんま東からはじまった40分に渡る演説に感心し、しばし聞き耳を立ててしまい、終わってみると腹ぺこになった大阪なんばの夕方なのであった。








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