萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

朔日、高峰の夢

2013-03-01 19:13:27 | お知らせ他
温故知新、その先へ 



こんばんわ、今日の神奈川は春一番が吹きました。
気温も高く晴れた日でしたが、木々は大揺れです。

きっと富士山も風が強いんだろうなーと、最高点の空を想います。
流れる雲と大気に山は貌を変えて、雪面も刻々と色を変えていく。
体当たりする冷気の塊は雪煙を巻きあげ、体感温度は零を超えて下がる。
そんな場所は今パソコンを前にしていると遠くて、けれど文章にするとき現場になります。
こういう臨場の温度や匂い、光、重さ軽さ、もっとシンプルでストレートに描けるようになりたいです。

朝UPした第61話「塔朗4」加筆校正が終わりました。
今夜はこのあと短編連載をUP予定です、光一サイドになるかと。

リクエスト頂いて始めた光一と雅樹の連載ですが何を想われますか?



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第61話 塔朗 act.4―another,side story「陽はまた昇る」

2013-03-01 08:30:17 | 陽はまた昇るanother,side story
燈火、手渡す願いに 



第61話 塔朗 act.4―another,side story「陽はまた昇る」 

夏休みの午後、大学図書館は古書の香に鎮まらす。

セピアいろ漂うページに午後の太陽は明るんで、ブルーブラックの筆跡を浮彫りにする。
広い閲覧デスクに積んだ本は影あわく落し、手許のシャープペンシルはルーズリーフに数字と書名を綴っていく。
一冊ずつ丁寧に表紙を開き年月日とサインを確認して穂先に書かせ、今度は発行と印刷の日付と場所をメモする。
開いては閉じるたびに乾いた匂いと甘く重厚な香が頬を撫でて、このデスクが家の書斎机に想えてしまう。
そんな本たちの気配はどうしても俤を示して、アルファベットの筆跡もアラビア数字の癖も全て懐かしい。

“ 5.Apr.1974 Kaoru.Y ”

英語での日付表記はアメリカ式とイギリス式の2種類に大別され、日と月の記載順序が逆になる。
いま手許にある「Kaoru.Y」のサインが入った本たちは全てイギリス式「日、月、年」で綴られていく。
この表記法も家の蔵書たちと同じで、周太の本にも父は「Shuta.Y」と買ってくれた日付を書いてくれた。
そして書斎の壁一面に遺されたフランス文学書たちにも、同じ表記法のサインが父と似た筆跡で綴られる。
だから確信出来てしまう、いま書架と机を往復しては確かめていく本たちは誰が寄贈したのか?

…お父さんの本だね、家の書斎に並んでいた本なんでしょう、お父さん?

家の書斎には本棚が3つある。
壁一面の仏文学書が整列する大きな書架、もう2つは書斎机と揃いの書棚。
書架は古くて綺麗な本が隙間なく並び、比べて書棚は文庫本か雑誌ばかりで空間が多い。
きっと書棚の本たちは印刷年が1982年以降が大半だろう、そんな推定がもう出来てしまう。

1982年3月、父はこの大学を卒業して警視庁に入った。
それ以降の父はハードカバーも古書も自身の為には買っていない。
あんなにも本好きで博学な父が文庫本と雑誌だけ、それでも息子と妻には立派な装丁の本を贈っていた。
それを幼い自分は不思議に思わなかった、けれど今、ようやく父の真実と真相が見えてくる。

…本当に大切にしたい本を買っても、自分には活かせないって覚悟してたからだね…そうでしょう、お父さん?

30年前の書斎に並んでいた本、その一冊ずつに父と対話する。
古くて美しい英文学の書籍たちは原書か研究書が多くて、日本語訳版はどれも流麗な名訳が綴られる。
きっと名訳を読んで自身が翻訳する勉強をしていた、そんな意志たちの軌跡が父の夢の欠片を示す。
そして幼い日の記憶たちが一冊ずつの行間に、父が息子に懸けて望んだ夢を語ってくれる。
そして寄贈年月は1983年9月、父が異動する時節だという事実が胸を刺す。

「…っ、」

ちいさな嗚咽を飲んで、シャーペンの文字に涙ひとつ沁みていく。
まだ父は24歳だった、22歳で父親を亡くし翌年に祖母も見送った父は家族全てを喪い、独りだった。
唯一の肉親である母親の従姉とも連絡を絶っていた、そんな父は自身の死後を任せられる人は誰もいない。
そして父は異動先の任務にある「殉職」死を当然理解していた、その想いは息子の自分が立っている今と重なる。

…だけど俺はお母さんと英二がいてくれる、でもお父さんは本当に独りだったね…だから本も寄贈したんでしょ、お父さん?

もしも自分が死んだら、その弔いをする親族は誰もいない。
家の屋敷も庭も、自家の墓所も、自分の後に誰も護ってくれる人はいない。
そんな自分が「死」を日常としていく、その覚悟が自宅と墓所を常に整える習慣にもなったのだろう。
それを証拠づけるかのよう記憶の父は庭仕事も日曜大工も得意で、小さな修繕ならすぐ済ませていた。
いつ自分が斃れても跡が乱れない様に、そうした想いにも父は自分の愛読書たちも整理したのだろう。

書斎に独りきり佇んで、大切な本たちを書棚から出して段ボール箱に詰めていく。
そのとき父は何を願い、何を諦めたのか?

My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die!
The Child is father of the Man : 
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.

私の心は弾む 空わたす虹を見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである 
年経て老いたときもそうでありたい さもなくば私に死を!
子供は大人の父
われ生きる日々が願わくば 自然への畏敬で結ばれんことを

William Wordsworth「My Heart Leaps Up」別名「虹」

あの詩を気がつけば父は口遊んでいた。
そんな父にとって「虹」は英文学の夢だと今、記していく書名に解かる。
いま父の愛読書たちが納められた書架とこのデスクと、何往復もして時間は積りゆく。
今の自分と同齢だった父が抱いていた真実と願いが、今ここで書き写す書名と数から語りだす。

生涯かけて英文学を学び続け活かしたい、それが父の夢。
けれど英文学の道を諦めた、だから父は数冊以外の全てを寄贈した。
もう学者にならないなら本を開くことも無い、それは絶望と哀しみだったろう。
それでも希望を見つめたから父は本を母校の図書館へ送りだした、その想いへ周太は微笑んだ。

「…読んで活かして欲しいんでしょう、お父さん?夢が続くように、」

英文学を学ぶ人に「本」を活かしてほしい。

もう学者としての自分は本を開けない、ならば自分の夢繋ぐ誰かに贈りたい。
ずっと大切にしてきた「本」その世界と知識を再び開いてもらうなら、自分の夢は生き続けられる。
そう父は願い、同朋を信じたから大切な本を手離せた。そんな父の真実が29年を超えて今、息子に届く。

…ね、お父さん?お父さんの夢は終わらないね、ずっと生きてる、

文字、文章、それらが渡す夢の英知は時空も超えて、今、無尽に輝く。



一冊の本を抱きしめて歩く、その胸が温かい。
29年前の父が愛していた本を読んでみたい、そう想って一冊だけ借りてきた。
ようやく見つけられた父の大切な欠片が嬉しい、嬉しい気持ちにキャンパスの空も明るい。

…よかった、お父さんの本が見つかって…でも、あっちは出来なかったな、

父の寄贈書は探せた、けれどもう1つ確認したい目的は今日は出来ない。
土曜日の今日は図書館にも制限があり、開架図書は利用出来ても書庫は閉架になる。
そして確認したかった書籍は書庫に納められていた、だから閲覧するなら平日に来るしかない。

…休みは聴講の土曜に充てるから平日って難しいよね…でも、あの人を探す方法って他にない、

警視庁術科センター射撃場と新宿駅東口交番。
どちらも7月まで毎日のよう通っていた場所、そこに現われた老人の素性を探したい。
異動直前に現われた「彼」と自分の関係を知るヒントが、この大学の図書館で見つかるかもしれない。
そう考えたけれど目的の書籍は土曜日閉架の書庫に収蔵されている、だから今日は諦めるしかない。
けれど平日に大学に来るチャンスはあるだろうか?考えながらキャンパスを歩いて、不意に声を掛けられた。

「あの、もしかして湯原さんですか?」

声に振り向くと見覚えのある、真面目そうな男が立っている。
どこで見た顔だろう?そう記憶を辿った前から学生が笑った。

「ここの射撃部の勝田です、一昨年の国公立戦と秋の関東大会で会ってるんですけど。湯原さんが三連覇優勝したときです、」
「あ、」

聴いた名前が記憶と一致して周太は微笑んだ。
確か2つ学年が下だったはず?思い出した相手へと笑いかけた。

「どちらも準決勝で一緒でしたよね、こんにちは、」
「やっぱり湯原さんだ、なんか雰囲気が変わったから、違うかなっても思ったんですけど、」

笑った顔が生真面目から懐っこく変わって明るくなる、この表情を憶えている。
試合の後にすこし言葉を交わしただけ、それでも学生時代の知己は懐かしい。
なんだか嬉しく笑った周太に勝田は訊いてくれた。

「もう大学は卒業されたんですよね、もしかして今はここの院生ですか?」

大学卒業後の周太が警視庁に入ったことを、勝田は知らないらしい。
社会人になってからは警察内部の競技会しか出ておらず、一般の大会は出場していない。
だから消息を知らないのも当然だろう、そう言葉に読めて少し安堵しながら周太は答えと笑いかけた。

「ううん、聴講生です。勝田さんは4年生ですよね?」
「そうです、就職組なんで学生の大会はラストですよ。地元の団体とかもあるけど、続けるのか決めていなくて、」
「勝田さんは地元に帰るんですか?」
「就職は東京の出版社です、でも射撃は地元の猟友会のが役立てるかなあとか。俺、山梨なんで、」

山梨なら奥多摩から近い、だから猟友会が役立つ理由はすぐ見当がつく。
そうした山の理由を教えてくれた笑顔がふと胸に痛む、きっと英二との会話に気付いたことの所為だろう。
そんな想いと今夜の予定を考えながら、今ここの会話に相槌を打った。

「猟友会だと競技用とは違うライフルですよね、免許とかも、」
「それなんですよ、だから続けるかどうするか迷うんですよね。保管場所の問題もあるし、」
「そっか、場所は悩みますよね?でも勝田さん上手だから、競技だけでも続けるとかは?国体もあるし、」
「そうなんですよね、折角やったのになあとか思うと、」

午後でも陽の高いキャンパスの一角、立話に汗が滲みだす。
本を抱えながら手の甲で額を拭うと、気がついて勝田が誘ってくれた。

「暑いっすよね、良かったら学食とかに行きますか?」

学食、そう言われて周太は左腕のクライマーウォッチを見た。
もう時計は15時半を過ぎている、農学部の学食を出て2時間半も経ってしまった。
青木准教授がそろそろ帰る時間だろう、思い出して周太は勝田に笑顔で謝った。

「ありがとう、でも俺もう行かないといけなくて。ごめんね、」
「こっちこそ呼び止めてすみません。良かったら部室にも遊びに来て下さい、湯原さん来たら皆も喜びます。でも駒場なんですよ、」

もう少し話したそうな笑顔は鞄から、小さな付箋紙を出してくれる。
すぐペンで走り書きすると、懐っこい笑顔で周太に手渡した。

「俺のアドレスと部室の場所です。水曜の昼休みがミーティングで、日曜は浜町のスポーツセンターで練習してます。ついでの時にでも、」
「はい、ありがとうございます。また、」

素直に付箋紙を受けとって踵返すと、木洩陽の合間を急いだ。
ゆれる陽炎に盆の残暑は照りつける、けれど森からの風は幾らか涼やかで息つける。
そうして戻っていく道の2時間半前は隣を歩いてくれる人が居た。

―…傍にいさせてよ、周太?自分勝手で狡い俺だけど、幸せに笑えっていうなら傍にいてよ

いま吹きぬける風の源、そこで英二が願ってくれた言葉が嬉しい。
けれど嬉しい分だけ傷みが疼く、そして左手首を掴んだ長い指の残像が愛おしい。

…英二、左手首を握ったのは時間を止めたかったから、なんでしょう?

周太の左手には、英二に譲ってもらったクライマーウォッチが時を刻む。
あの時間を英二は止めたいと願ってくれた、周太の左手を掴んで離れないようしてくれた。
そして周太の左手ごと腕時計を隠して、ふたりベンチに座る時を時間から自由にしてくれた。
時間を隠して傍にいたいと願う、それすら本当は自分も同じ想いだった。

…ありがとう英二、だけどね…泣きながら俺の傍にいるのなら、英二が笑っていられる所に行ってほしいんだ、

もう変ることのない願い微笑んで、陸橋を渡っていく。
ここを渉れば夢が生きられる場所に着く、そんな想いごと抱いた父の本は温かい。
父と祖父は外国文学の世界に生きた、けれど自分は森林学に希望も未来も見つめている。
文学と植物学、そのキャンパスと研究分野は違うけれど、学問と本に懸ける意志と願いは変らない。
こんなふうに父達の軌跡を自分も辿れる、その幸せ微笑んで周太は陸橋の上、本郷キャンパスを振り向いた。

「お祖父さん、お父さん、俺もここにいるよ?」

ひとりキャンパスの狭間に笑って、父たちの軌跡のこらす場所を見る。
静かな古いベンチ、父が寄贈した本たち、祖父が書いた小説と研究書。
そして祖父が護っていた研究室もある、そこに学んだ祖母が嫁いで父が生まれた。
こんなに家族の記憶が遺される場所に居る、嬉しくて微笑んだ心がまた、新たな欠片に気がついた。

「…あ、部室は?」

学生時代は山岳部だった、そう父は話してくれた。
その部室には大学生だった父の記憶が何かあるかもしれない?
そう思いついた意識へと再会した知人の言葉が「部室」に呼応した。

『ここの射撃部の…良かったら部室にも遊びに来て下さい』

この大学は「射撃部」がある。
この事実に可能性が顕れて「警察官」の父がヒントになる。
もし「彼」がこの大学に痕跡を残すなら所属学部と、他はどこが考えられる?

…最初に俺を見に来た場所だってそうだ、だったらもしかして、

図書館の書庫以外でも「彼」を探しだせる?
図書館以外の場所なら土曜日でも、今日あの目的が出来る。
そう気がつくまま貰った付箋を見て、けれど周太は軽く首を振った。

「…もう帰らなくちゃ、今日は、」

もう学食に戻らないといけない、夢の同朋が自分を待っている。

手塚と話していたハイポニカ栽培の件、あの見解を青木樹医から聴きたい。
美代の模試対策にもつきあいたい、帰り道も仲間と歩ける時間を楽しみたい。
そんな時間の全ては自分の宝物、けれど次の約束なんて本当は自分には出来ない。

もしも今ポケットの携帯電話が「召集」を告げたなら応じて現場へ行く。
それが自分に課せられた任務で義務、だからシャツの中は出動服用のTシャツを着ている。
いつでも死の可能性がある、そう警察学校で覚悟して銃器対策レンジャーの異動にまた覚悟した。
だから約束なんて本当は出来ない、こんな生き方は寂しく哀しいとも言われるだろう。
けれど哀しいだけじゃない、そう今の自分は誇りの底から言える。

次は無い、そう覚悟する分だけ時間は尊い、そして「今」が輝いて見える。

もし「次」があるなら幸運だと感謝を想う、だから尚更「今」を大切に想える。
この今が未来の「次」の幸福を呼ぶ、そう解るから相手も自分も大事に生きられる。
そうして今この警察官である時間を生きたならいつか、夢を実現する瞬間を大切に出来る。
こういう自分の在り方を今は幸運と想っている、この想い微笑んで周太はそっと父の本に約束した。

「お父さん、俺とお父さんは逆だね?…だから俺はね、きっと夢を叶えられるよ?約束した通り樹医になるね、」

笑顔で約束を告げて本を抱き直し、姿勢も真直ぐに歩きだす。
その先には緑の大樹が梢を広げて、夢の学舎と仲間は待っている。








【引用詩文:William Wordsworth「My Heart Leaps Up」】

(to be continued)

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