萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第63話 残証act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2013-03-24 22:16:17 | 陽はまた昇るanother,side story
証、その発見と理解  



第63話 残証act.1―another,side story「陽はまた昇る」

My first answer therefore to the question 'What is history?'
is that it is a continuous process of interaction between the historian and his facts,
an unending dialogue between the present and the past.

“ 問いかけ「歴史とは何か?」へ、まず最初の答えとして、  
 歴史とは歴史家と事実が対峙し続けるプロセスであり、現在と過去が交わす果てなき対話である ”

Edward Hallett Carr『What Is History?』

1961年にケンブリッジ大学で行われた連続講演「What Is History?」は同年秋に書籍化された。
この歴史学における著名な基本テキストは今、デスクライトに輝く古いページでアルファベットに綴られる。
ページを繰るたび古書らしい乾いた匂いと甘く重厚な香かすかに頬なでて、寮の小さなデスクが懐かしい書斎机に想えてしまう。

…この本をお父さん、何度も書斎で読んでいたんだね、

いま感じる香に俤を想い、独り周太は微笑んだ。
この本は今日の午後に大学図書館へ返却する、その名残りに今一度と読み返してゆく。
本と向きあう穏やかな時間に窓のカーテンはあわく明るみ、ゆっくりと朝の到来を告げてくる。
こんなふう本との対話に夜明けを迎えるのはどれくらいぶりだろう?大学卒業して以来になる?
ふと心の隅っこが歳月をカウントするのに微笑んで、周太は最後の一文を読んだ。

“And yet, it moves” それでも、それは動く

この言葉は、地動説を支持したガリレオ・ガリレイが1633年の宗教裁判で呟いたとされる。
日本では「それでも地球は回っている」の訳で著名だが、英訳「It」の方が実際の台詞に近く、そして続きがあった。

“All truths are easy to understand once they are discovered; the point is to discover them.”
 全ての真理は発見してしまえば理解することも易しい、重要なのは真理を発見することである

真理を発見すること、それは自分にとって父の実像を知ること。
父と死別するまでの9年半は家庭人の父しか知らない事に疑問は無かった。
けれど亡くなって父の記憶を辿るうち、自分が「父の人生」を全く知らない不自然に気がついた。

父の両親は、自分の祖父母はどんな人だったのだろう?
なぜ父は結婚前までのアルバムが無い?祖父母の写真すら1枚も無い?
父が大学で山岳部だったと知っていても何を学んだか知らず、母校の名前すら知らない。
そして父が警察官として「どこ」に通勤していたのかも、本当は何ひとつ知らなかった。

…警察官として仕事内容を言えないのは仕方ない、でも、どうして…お祖父さんたちの写真が1つも無いなんて、

あらためての疑問と共に見開きを広げ、ブルーブラックの筆跡を見つめてしまう。
すこし古びてもきれいな紙面に流暢なアルファベットと数字は綴られて、どれも父の俤が懐かしい。

“ 15.Mar.1978 Kaoru.Y ”

東京大学に入学した春、父はこの本を買い求めた。
このイギリスで出版された歴史学書を開く時、父は異国で育まれた幼い日々を懐かしんだろう。
父が7歳になる初夏、仏文学者の祖父はオックスフォード大学に招聘されて父子共に渡英した。
その4年間も帰国子女であることも父は話していない、そして母も同様に父の過去を何も知らない。
この「話していない」が逆に疑問を呼び起こす、なぜ父は自身の過去も両親のことも「隠す」のだろう?

…外国にいたことも話さない、大学のことも、お祖父さんのことも何も…普通なら隠す必要なんて無いことなのに、どうして?

湯原晉 仏文学博士。

東京大学文学部仏文学科教授、パリ第三大学名誉教授、フランス文学者の権威。
そんな肩書を持つ祖父は立派な教師で、卓越した研究者で、優しく頼もしい夫で父で家庭人だった。
こうした人柄なのだと調べた資料どれもが語り、祖母斗貴子と縁戚らしい英二の祖母も教えてくれる。
こういう祖父を自分は誇りに想う、生きて会ったことも無くまだ写真も見ていないけれど敬愛している。
誰にも賞賛される祖父、それなのに、どうして父は息子の自分に何ひとつ祖父の事跡を語らない?

…お祖父さんは立派な人だよって教える方がお父さんらしいのに、どうして写真も無いの?お祖父さんが書いた本だって家には一冊も無い、

家の書斎に祖父の蔵書は遺されて、どれも「Susumu.Y」と購入日が父と似た筆跡で記されている。
けれど祖父が著わした豊富な学術書たちが一冊も無い、普通は自著の初版は出版社から贈られるだろうに?
だから祖父を探して名前から検索した時も、該当者のうち湯原晉仏文学博士は祖父ではないと思ってしまった。
それなのに戸籍謄本と除籍謄本で調べた祖父の死亡地が「フランス国パリ市」だったから意外で、生年月日の一致にも驚いた。
そして湯原晉博士が自分の祖父なのだと英二の祖母、顕子から聴かされた時は嬉しくて、けれど疑問も同時に起きだした。

なぜ父は、立派な祖父の存在を「隠して」いたのだろう?

もし祖父の写真が1枚あったなら湯原晉博士が自分の祖父だと解かるだろう、けれど過去のアルバムは家に無い。
もし祖父の著作が1冊でも書斎にあったなら文章を読み、祖父の人柄を読取り父との共通点を気付くことも出来る。
けれど祖父の著作も写真も無い、祖父の生年月日も過去帳に記されていない、祖父と父の母校が同じであることも教えられなかった。
こんなにも祖父と父に対して無知に育てられていることは、まるで全てを「意図的に父が隠して」いたとしか思えない。

…お父さんが隠した理由を知ることが、俺には真理の発見になるね…お父さんたちの過去と話すことが真相を教えてくれる、

父は祖父を自分から隠してしまった、その理由を知りたい。
その理由はおそらく、顕子と父の血縁関係を英二が隠している理由とも重なるはず。
だから英二に真実を問い質してみたい、けれと英二が秘匿を簡単に教えてくれるとは思えない。
どうしたら英二から真実を訊けるのだろう?そんな思案と捲るページにアルファベットは語りかけ、過去の父を今の自分に繋ぐ。

that it is a continuous process of interaction between the historian and his facts,
an unending dialogue between the present and the past.
歴史とは歴史家と事実が対峙し続けるプロセスであり、現在と過去が交わす果てなき対話である

もし現在の人間と過去の事実が交わす対話が歴史なら、自分と父が過去の痕跡を通して会話する事は家族の歴史を示すはず。
そうして家族の生きた証を心に綴ったなら自分が何者か解かるだろう、そのとき生きるべき場所へ進む磁針は動きだす。
そんな願いに微笑んで見つめるページに曙光ゆるやかに射し、最後の言葉は静謐に光った。

And yet, it moves ― それでも、それは動く





土曜朝のどこか賑やかな廊下、行き交う先輩へ挨拶しながら歩いて行く。
世間では週末の休みの日、けれど警察では勤務日と曜日はあまり関係が無い。
それでも土曜や日曜は何となくでも寛いでいる?そんな感想と歩く付属寮は顔馴染が増えた。
その中でも親しい1人を見つけて、嬉しくて周太は笑いかけた。

「おはようございます、高田さん、」
「おはよ、湯原。今日って講義だよな、」

山岳救助隊服姿の日焼顔ほころばせて、涼しい一重目が笑ってくれる。
こういう山ヤらしい明るさは懐かしく話しやすい、楽しい気持ちで周太は微笑んだ。

「はい、そうです。そのあと先生のお手伝いしてきます、」
「そっか、もし晩飯まで戻れるんなら一緒しようよ、講義の話また聴かせてほしいんだ、」

気さくな提案と笑顔には会話と学問を楽しむ気持ちが明るい。
この先輩は学生時代の山岳部で森林学にふれている、その話も聴きたくて頷いた。

「いいですよ、6時半には戻る予定なので、」
「俺は上がりがちょっと遅いんだ、8時に食堂でいいかな?」

待合せを決めてくれる言葉から高田が所属する山岳救助レンジャー第2小隊の予定が解かる。
どうやら今夕は夜間訓練があるらしい、それなら夜、光一が部屋へ遊びに来るのは遅くなるだろう。
だったら図書館で本を2冊借りても読めるかな?思案しながら頷きかけた横から穏やかな声が微笑んだ。

「また勉強会の相談?」

あわい日焼け健やかな白皙の笑顔に、鼓動が少し跳ねあがる。
この先輩は懐かしい俤を想わせてしまう、そんな想い小さく深呼吸して周太は笑いかけた。

「おつかれさまです、浦部さん。朝食の時はありがとうございました、」
「こっちこそ一緒してくれてありがとう、穂高のことまた聴きたかったら声かけて、」

落着いた透る声が笑ってくれる、その声は違うけれどトーンが似ていて嬉しくなる。
今頃は御岳駐在所にいるだろうか?逢いたい俤をつい想いながら周太は微笑んだ。

「ありがとうございます、また質問させて下さい、」
「うん、いつでもどうぞ?あ、高田さん、今日の訓練は小隊長のご指名あるっぽいですよ?良かったですね、」

端正な瞳がすこし悪戯っぽい眼差しになって笑いだす。
その先で高田の顔が嬉しいと困ったの織り交ぜに笑った。

「マジ?ちょっと心の準備してかんとなあ、俺。湯原、もしも晩飯で愚痴ったら聴いてくれな、国村さんには内緒で、」

先輩たちの笑顔と言葉には光一が指揮官として立つ姿が覗える。
きっと良い上司なのだろうな?いつも底抜けに明るく怜悧な幼馴染を想い周太は微笑んだ。

「はい、口は堅い方ですから、」
「ありがとな。浦部、ちょっと部屋に寄ってイイか?あの資料を見せてほしいんだけど、」

拝むような眼差しで高田が笑いかけた先、白皙の貌が軽く首傾げこむ。
その端正な瞳ひとつ瞬くとすぐ笑顔になって、一つ上の先輩に笑った。

「7月に小隊長が講習やったヤツですね?高田さん、訓練の予習してくんだ、」
「そうだよ、もしミスったら国村さんのサドシゴキの餌食だろ?だから万全を備えたいんだよ、あ、」

困ったようでも愉快に一重目は笑って、けれど視線が向うに止められる。
その視線を追って振り向いた先、整然と歩く救助隊服姿へ高田は背筋を伸ばし笑いかけた。

「おはようございます、黒木さん、」

声に振り向いた日焼顔は、真直ぐ眼差しを向けてくる。
その水際立って精悍な瞳が高田を見、浦部と周太を眺めると微笑んだ。

「おはよう、今日も訓練よろしくな、」
「はい、よろしくお願いします、」

改まった態度で高田が室内礼をし、隣で浦部も姿勢を整え礼をした。
周太も一緒に頭を下げると、黒木は軽く会釈して廊下の角を曲がっていった。
なにか緊張した空気にひとつ息吐いて、ゆっくり頭を上げる端正な困り顔が微笑んだ。

「黒木さん、ちょっと俺たちの話を聞いたみたいですね?」
「ああ、微妙に機嫌悪かったよな、まあ仕方ないかな、」

ほっと息吐くと高田も困ったよう一重目を細めた。
いったい何が困るのだろう?首傾げ見上げた周太に穏やかな笑顔が教えてくれた。

「今の黒木さん、高田さんには大学の山岳部の先輩でね、次の小隊長だろうって言われてた人なんだ。だから国村さん褒めると、ちょっとね?」

…あ、光一が言ってた「アウェー」ってこのこと?

第七機動隊に着任した初日の夜、光一は所属する第2小隊を「アウェー」だと笑っていた。
あれから3週間が過ぎた今は小隊長として隊員に慕われて、愉しげな様子を日々見かけている。
けれど未だ全員という訳にはいかないらしい、そんな思案の前から高田は困ったようでも笑ってくれた。

「それくらい人望もある優秀な人なんだ、山岳部でも面倒見いい先輩だよ?ただちょっと堅すぎるって言うかさ、小隊長と正反対なんだ、」
「だから板挟みなんですよね、高田さんは。あ、湯原くん時間かな?」

左手首のクライマーウォッチを見、優しい笑顔が促してくれる。
確かにそろそろ行かないといけない、お互い笑いあって別れると周太は廊下を急いだ。

…優秀で面倒見が良くて物堅いって英二と似てるね、そうすると異動して来たら同じタイプ同士って感じになるけど、

思案しながら先輩たちと会釈交わすたび肩掛けの鞄ゆれて、本やテキストの重みが一緒に移動する。
つい傾ぎそうになる姿勢を整えながら談話室の前を通ると、快活な声が笑いかけてくれた。

「おう、湯原。今から東大か?」
「はい、今から行ってきます、」

笑顔で応えた向かい、同じ銃器レンジャーの先輩はテキスト片手にジャケット姿で笑っている。
この先輩も東京理科大学の第二理学部に毎夕通う、今も大学図書館か研究室に行くのだろうか?そんな雰囲気に周太は尋ねてみた。

「箭野さんも今から大学に行くんですか?」
「ああ、卒研のことでな。途中まで一緒に行くか?」

気さくに5年次上で1つ年上の先輩は誘ってくれる。
同じ社会人学生の相手と連れだつのは楽しそうで、嬉しく周太は頷いた。

「はい、お願いします。箭野さんは飯田橋ですよね、」

いま4年生の箭野は夏休みも卒業研究で忙しいだろうな?
そんな感想と並んで歩きだす隣から、少し驚いたよう尋ねてくれた。

「そうだけど、もしかしてウチの大学に来たことあるのか?」
「はい、機械工学科に資料を見に伺ったんです。そのとき理学部の方ともお話しさせてもらって、」

学生時代の記憶はまだ2年前のことでしかない、それでも今もう懐かしい。
懐旧に微笑んで扉を開き、街路へ出ると先輩は嬉しそうに笑いかけてくれた。

「そうだったんだ、湯原は大学で機械工学をやってたんだもんな。理学部のどんな話を聴いたんだ?」
「第二理学部の建学精神を伺いました、東京理科大の伝統がそこにあるって、」

あの話を聴いたとき本当は、自分の進路に対する疑問を抱いた。
だからこそ尚更に聴講生として学ぶ今を選んだのかもしれない、そんな想いに微笑んだ隣で誇らしい笑顔が教えてくれた。

「ウチは物理専門の夜学からスタートしてるって聴いたろ?その伝統と実力主義があるから日本で唯一、夜間の理学部があるんだ。
理学修士の授与数も私大ではトップだよ、だから俺はウチの学校に入ったんだ。夜学があるからってダケじゃなくて校風や実績が好きでさ、」

箭野の笑顔から2年前に話した学生の笑顔が思い出される。
あの学生も学ぶ誇りある良い貌だった、けれど自分は当時どんな貌だったろう?
あのころ自分は何の為に大学に居たのか、その過去と今を想いながら周太は微笑んだ。

「箭野さん、本当に勉強することが好きなんですね。修士課程も考えているんですか?」
「修士も行きたいけどな、退職しないと難しそうなんだ。理学専攻科なら夜間だから、そっちは行くつもりだよ、」

本当に学ぶことが楽しい、そんな笑顔が応えてくれる。
こんなにも勉強家なのに、どうして箭野は進学せずに高卒で警視庁に入ったのだろう?
疑問を思いながらもプライベートの事情を思うと聴き難くて、けれど改札を通ると思い切って訊いてみた。

「あの、どうして高校を出てすぐ大学に行かなかったんですか?箭野さんすごく勉強家なのに、」
「ま、金の問題だな、」

さらり答えてくれた貌が、明るく笑ってくれる。
その笑顔と言葉を見上げた向う電車が入線して、乗りこみ並んで座ると箭野は微笑んだ。

「俺、中1の時に事故に遭ってさ。そのとき両親が死んで、祖父さんに育ててもらったんだよ、」

そんな事情があったなんて知らなかった。
驚いて瞳ひとつ瞬いた隣、一歳年長の先輩は明るい笑顔のまま話してくれた。

「祖父さんは神田で古本屋やってるんだけど、正直家計は楽じゃない。だから俺、高校も働きながら定時制に行ってたんだ。
祖父さんは普通科で良いって言ってくれたし大学も奨めてくれたよ、でも3つ下に弟がいるから貯金は残しておいてやりたかったんだ。
警視庁を選んだのも安定収入が良いなって理由が大きいよ、きっかけは事故の時に世話になった警官がカッコ良かったからなんだけどさ、」

話すトーンは朗らかなまま、なんでも無いことのよう笑っている。
その声から言葉から気づかされて、心裡に周太は涙を呑みこんだ。

…やっぱり俺は傲慢だったかもしれない、だって本当の意味で真剣じゃなかった、

父は早く亡くした、けれど自分には母がいる。
あの華奢な体でいつも微笑んでキャリアウーマンをしながら独りで育ててくれた。
たしかに一人っ子の母子家庭は寂しくて、けれど母と援けあう温もりは幸せだと心から想っている。
なにより自分は経済的な不自由は一度も無かった、だから大学を選ぶ時も自分の目的だけで考えることが許された。
それも本当に「学びたい」目的では進学していない、そんな自分は箭野ほど真摯に大学時代を過ごしていなかった。

工学部を選んだことも警察官になったことも、本当は傲慢かもしれない?
いま気付き始めた自分の選択の意味、その隣から朗らかな声が笑ってくれた。

「それで弟の大学受験と同時に俺も進学したんだ、弟は現役合格で国立大の奨学金生になってくれてさ、お蔭で俺も余裕が出来たよ。
機動隊は進学を奨励してくれるから通学しやすいけど、訓練もキツイし両立は大変なのも本音だよ。でもやり残して後悔したくないだろ?」

やり残して後悔したくない。

その言葉も笑顔も真直ぐ心を敲く、そして自責が痛みだす。
もし今この場で死んだなら自分は植物学に想い遺してしまう、きっと生涯の後悔に泣く。
この想いごと右掌でクライマーウォッチを握りしめた隣、勤労学生は透けるよう明るく微笑んだ。

「本当は俺、事故で中1の時に死んでいたんだ。あのとき両親と警察官が救けてくれたから、俺は今ここに生きていられるんだよ。
だから人間の人生って自分だけのモノじゃないって思えてさ、だったら自分に出来ること全部やって、きちんと生きたって胸張りたいんだ。
特に今の部署なんか明日どうなるか解らないだろ?この一秒後だって終わるかもしらん、そのとき後悔するの嫌だからチャンスは大事にしたいよ、」

人生は自分だけのものじゃない、その意味を自分は解かっているつもりだった。
けれど一秒後に後悔する可能性を「現実」のものとして覚悟し考えていたと言えない。
どこか自分だけは大丈夫だと甘えがある、その傲慢に大学進学も就職もすべて捨て身にした。

今この瞬間に死んだなら、自分は「きちんと生きた」と父に胸を張れるだろうか?

そう自分に問いながら気づかされる心は何かが解かれて、生まれる涙を肚へ落しこむ。
こんな自分だから母を警視庁合格通知で泣かせてしまった、その懺悔と明日への願いが今、温かい。
この想いを生涯ずっと忘れないでいたい、そんな願い微笑んで周太は尊敬すべき先輩に笑いかけた。

「俺、箭野さんと一緒に電車に乗れて良かったです。ありがとうございます、」

自分ひとり苦労して努力している、そんな気持が甘えと傲慢に蟠っていた。
けれど今ひとつずつ解けながら心が温まる、気づかされた慈恵への感謝が肩の力を抜いてゆく。
そして父と自分の夢を真直ぐ見つめる視点がひとつ増え、視野は明るんでゆっくり大らかに広がりだす。

And yet, it moves.

向きあう過去を認める瞬間に、今、一歩また先へ証は綴られる。





【引用文:Edward Hallett Carr『What Is History?』】

(to be continued)


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