萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第62話 夜秋act.5―side story「陽はまた昇る」

2013-03-11 22:27:06 | 陽はまた昇るside story
明辰、掌中の器 



第62話 夜秋act.5―side story「陽はまた昇る」

銀砂の夜が山にふる。

霧の晴れた梢に星は響き、その光へ焚火の煙は昇りゆく。
夏に繁れる林間に銀のきらめき揺れて、谷からの風に水の気配が香る。
すこし気温がまた下がった、その体感温度と山風のなか英二はコッヘルを焚火にかけた。

「あんた、コッヘルまで持ち歩いてんだ?」

すこし驚いたよう低い声が訊いてくれる。
その声に英二は笑いかけた。

「はい、救助の時に役立つと思って。あったかい飲み物は体温を上げますし、精神的にも落着きますから。カップ出してくれますか?」
「ああ、」

頷きながら原はマグカップをザックから出し、英二に渡すと足を組んだ。
腿を支えに頬杖つき、寛いだよう目を細めるといつもの一本調子が言ってくれた。

「本当にレスキューのプライドが高いんだな、あんた、」
「ありがとうございます、」

素直に礼を言って笑いかける、その先で精悍な瞳が笑った。
一見は仏頂面に見える貌、けれど笑うと意外な愛嬌が原にはある。
寡黙な性分の根は素直なのだろうな?そう感じるまま英二はさっきの質問を繋いだ。

「高校の山岳部に入ったのは、元から山が好きで?」
「いや、半分強制的だった、」

答えた低い声が半分笑っている、その言葉が気になってしまう。
半分強制的とはどういう意味だろう?目で問いかけた先で原は口を開いてくれた。

「俺は口が重いだろ?それで高校は入学早々に浮いてな、だから担任が顧問してる部活に俺をひっぱりこんだ。それが山岳部だった、」

社交的の正反対、そんな原らしいエピソードだろう。
この寡黙で実直な山ヤが育まれていく初歩、その物語を聴きたくて英二は笑いかけた。

「その先生がさっき教えてくれた、元県警の山岳救助隊だった方ですか?」
「ああ、家の事情で転職したらしい、」

すこし微笑んで答えてくれる、その目がふっと和む。
たぶん良い先生だったのだろうな?そんな予想と耳傾けた先、低くても透る声は話し始めた。

「静岡県警の山岳遭難救助隊で南アルプスの管轄に居たんだ。体力も化けモンみたいでさ、マラソン大会も体育の先生より強かったよ。
社会科で地理の担当してた、山とか気候のことが詳しくて部活でも教わったよ。山が楽しくて仕方ないって感じで、でも怖さもよく知ってた、」

ひとつ息吐いて精悍な瞳が瞬いた。
かすかな哀切の映った瞳が英二を見、原は教えてくれた。

「先生は教師になるつもりで大学に入ったらしい、でも3年の春休みにワンゲルの友達が行方不明になった。一ノ倉沢で滑落したんだよ。
先生は大学の合間に探しに行ってたんだ、そのとき長野県警の山岳警備隊の人と色々と話したらしい。で、地元の県警で救助隊員になったんだよ、」

仲間の遭難死、それは山ヤの誰もが遭遇する哀しい可能性だろう。
それを通して山岳レスキューに生きた男は今、教師として「山」を教え続けている。
その教え子は警視庁山岳救助隊の隊服姿で座り、英二に向きあって物語をつないだ。

「発見出来たのは5ヶ月後の盆休みだったそうだ、白骨化してたけどザックとか残っていて、免許証から身元確認が出来たらしい。
見つけられて嬉しいけど悔しいって話してくれた、生きて帰ってほしいって。そういうの援けたいから先生、自分が山の警察官になったんだ、」

語られる物語のはざま、コッヘルに湯の沸く音がやわらかい。
山ふる静寂に湯音を聴きながら微笑んで、原は続けてくれた。

「救助隊を俺に奨めてくれる時、先生は山の現実を全部話してくれたよ。どうやって遭難が起きるのか、遭難者はどんな状態になるのか。
遭難者を救助しても酷い言葉を投げられる事もある、遭難者の態度にムカつくことも、逆に泣かされることもある。そういうの話してくれた、」

遭難現場、そこの現実は美しいばかりじゃない。
むしろ危険の冷淡と醜態がうずくまる、そこに向きあう日常は楽だとは言えない。
その全てを語られても山岳救助隊員の道を選んだ男は今、精悍な瞳を細めて率直に笑った。

「それから俺の適性と弱点を教えてくれた。俺はビビりな分だけ慎重に行動できるから、命を救える行動に繋げて活かすことが出来るって。
誰かの為に危険に立ち向かったら、臆病も少しずつ治るぞって言ってくれた。俺がビビりな自分に悩んでんの、先生はよく解ってるんだ、」

いつもの一本調子、けれど言葉一つずつに温度がある。
大切な恩師を語っている、その穏やかな敬愛の空気に英二は微笑んだ。

「先生とは卒業後も一緒に登ったんですか?」
「年に一回は一緒する、俺のビビりチェックらしい、」

頷いて精悍な瞳が英二を見る、その眼差しは寛いで暖かい。
こんな貌を見せてくれるようになった、それが素直に嬉しくて微笑んだ向こう、原が困ったよう笑った。

「だから今怖いんだよ、たぶん俺、遠征訓練の辞退したこと滅茶苦茶に絞られる、」

警察の山岳レスキューOBならば勿論、遠征訓練も公務として考えるだろう。
それは怒られて当然かもしれない、その予想に英二も困りながら微笑んだ。

「厳しい先生なんですか?」
「普段は優しいけどな、山のことはマジ鬼にもなる、」

鬼、そんな表現を原がするのは余程だろう?
ふたりの遣り取りを想像して可笑しくて、つい笑った英二に原も笑いだした。

「ははっ、完全に他人事で笑いやがって?あんたビビりの正反対だもんな、羨ましいよ、」

臆病の正反対、言われて見ればそうかもしれない。
元来が傲慢なところが自分にはある、それでも今は「怖い」相手が1人いる。
その俤に微笑んで英二はコッヘルを火からおろし、マグカップに注ぎながら答えた。

「俺もビビる時あるけど?」
「マジかよ、一度見てみたいな、」

愛嬌の笑顔ほころばせ原が笑う、その貌は肚が透けるほど明るい。
こういう男なら守秘にも信頼が出来るだろう、そんな信頼とマグカップを手渡した。

「インスタントコーヒーですけど、」
「どうも、」

大きな手にカップを受けとる、この仕草にも寛いだ気楽が明るい。
英二のカミングアウトもプライドも丸呑みしてくれた寡黙の実直、それが何げない仕草と表情に見える。
この思案に吹く風は樹木と清流を香らせながら冷えていく、いま夜明に近づくごと下がる大気に焚火は心地いい。
炎に爆ぜる木音と光を見つめながらカップに口付けて、湯気くゆらす熱い芳香を英二は啜りこんだ。

―旨いな、

心つぶやいて掌のカップにほっとする。
インスタントでも山で沸した湯のコーヒーは旨い、それは山の空気のお蔭だろう。
いま黎明時の涼やかな空気に炎を見つめる時間、小さな欠伸ひとつで英二は微笑んだ。

「原さんの彼女って、どうやって出逢ったんですか?」

問いかけに原が振向いて、すこし眠たげな瞳に炎が映る。
大きな手に持ったカップの湯気を吹き、ひとくち啜りこんで低い声がすこし笑った。

「中学の同級生だ、」

短い言葉で答えてくれる、その貌がふっと和む。
きっと良い恋をしている、そんな空気に英二は笑いかけた。

「彼女は今も地元に?」
「ああ、静岡の事務所に勤めてる、」

徹夜のビバークにも疲労少ない声は、いつもの一本調子でも笑っている。
夜霧が晴れる前よりも打ち解けた、その様子が嬉しいまま英二は微笑んだ。

「事務所だと士業?」
「税理士だ、専門学校出てる、」

短い言葉の応酬、それでも会話が成り立つ。
そこに見える眼差しは質朴に温かい、そして確信がまた積まれる。
ゆるやかな焚火の熱に貌を照らしてコーヒー啜りながら、夜明けを共に待つ時間。
いま穏やかに晴れた山の夜にある、けれど3時間ほど前は相互理解の緊張が霧に籠められていた。

『俺を信用するヤツを裏切ることは、いちばん大嫌いだ、』

そう告げた原の言葉が、緊張を信頼に変えてくれた。
そして今は連帯感が焚火の前に照らされる、この紐帯を固めたくて英二は笑いかけた。

「告白のきっかけって何でした?」
「卒業式だ、高校の、」

短く応えて笑んだ瞳が、照れくさげに炎を見た。
手許も困ったよう焚き木を掴んで火にくべる、そんな仕草のぶっきら棒を英二は突っついた。

「彼女から告白されたんだろ、原さん?」

がらり、

放りこんだ焚き木が燃え崩れ、照れくさい視線が英二を見る。
ひき結んだ口許がへの字に言い澱む、それでも原は観念したよう口を開いた。

「…不覚にもな、」

不覚、その古風な言い回しが面白い。
なにより告白「された」ことが不本意だという思考に笑いたくなる。

―告られたって自慢しても良いとこだけど、本気だから悔しいんだろな?

男なら本命の相手には自分から言いたい、そんな意地は解かる。
自分は周太への告白も婚約申込みも自分から出来た、この首尾は本音かなり誇らしい。
だから原の「不覚」はよく解る、けれど原には「された」が似合うようで可笑しくて、英二はつい噴き出した。

「ふっ、」
「笑うな、」

冷静な一本調子で遮って、けれど原の目も困ったよう笑いだす。
その空気に許しと親しみを見て、英二は笑ったまま訊いてみた。

「彼女のこと原さんもずっと好きで、本当は自分から告白したかったんだろ?」
「…ああ、」

ぶすっとした声音で答えてくれる、それでも精悍な目は照れくさく笑う。
このアンバランスに気づいてしまえば原は親しみやすい、そう気づけた2週間に笑って提案した。

「原さん、結婚の申し込みは自分からしなよ?また後悔しないようにさ、」
「だったら教えろ、」

不貞腐れた、そう誤解されがちの一本調子が英二に問う。
こんな言い方でも原は心底から訊きたいと思っている、その意志へ笑いかけた先で精悍な瞳がすこし笑った。

「どういう言い方が女は嬉しいんだ?その、申込みとかって、」

こんな質問を原にされるなんて、2週間前は誰が予想しただろう?



夜明の下山に救助活動は無事撤収し、奥多摩交番へ着くと畠山と木下の妻が炊き出しをしてくれた。
熱い味噌汁と握飯の朝食は空腹にしみて旨い、狭い交番からはみ出て立ち食いしていると後藤に呼ばれた。

「おうい、宮田。ちょっと二階に来てくれ、食いもん持ったままでかまわんよ、」
「はい、」

返事して味噌汁を啜りこむと、最後に熱い湯気が喉を直撃した。
すぐに咳が迫り上げる、噎せあがるまま咳こむ隣から原が湯呑を渡してくれた。

「よく噎せるな、心肺機能は強いくせに変なヤツ、」

一本調子の台詞が前より長く、言葉も親しいトーンになっている。
こんな順化は嬉しい、受けとった水を飲んで英二は綺麗に笑った。

「いろんな貌があって良いだろ?水、ありがとな、」
「ふん、副隊長んとこ早く行けよ、」

英二のタメ口にも原は笑って、握飯を頬張りながら二階を指さしてくれる。
もう昨日とは違う空気が楽しい、微笑んで英二も握飯を口に押し込みながら中に入って流しへ湯呑と椀を戻した。

「ごちそうさまでした、旨かったです、」

奥へ声をかけ笑いかける、その向こうで畠山と木下の両夫人が微笑んだ。
ふたつの笑顔に感謝で頭を下げて、混雑を縫うよう二階へ上がり後藤の前に座った。

「おつかれさまでした、調子はいかがですか?」

挨拶すぐに問いかけた先、大らかな笑顔がほころんだ。
いつもの元気そうな貌にほっとする、そんな想いを知るよう後藤は言ってくれた。

「すまんなあ、心配かけて。おかげさまで痛みとかは何もないよ、でも吉村から早速に呼びだしだがね、」

笑いながら携帯電話を開いて見せてくれる、その画面に短いメール文は温かい。
今日は何時でも良いから診察に寄るように、そんな文章に英二は後藤に微笑んだ。

「今日は土曜ですから、御岳の病院に呼び出しですね?」
「だから昼の訓練はつきあえるぞ、御岳の河原でボルダリングでもするかい?」

病院の話題だったのに「山」の話になってしまう。
こんな後藤らしさに笑った英二に、後藤は目を細めながら言ってくれた。

「もう宮田なら解ってるだろう?おまえさんと光一を異動させる理由と、蒔田はまだ俺の体のことは知らんだろうってこと、」

蒔田にはまだ話していない、そんな後藤の気持ちは解かる気がする。
この切ない現実に微笑んで英二は穏やかな瞳のまま頷いた。

「後藤さんが現役でいる間に光一へ引継がせる、そのために光一のカリスマを早く着実に認めさせることが俺の役目だと思っています。
今回の異動は、光一の実力を警視庁の外で示す機会だと俺は考えます。機動隊なら警視庁の管轄外でも活動する機会から、人脈も作れます。
この考えは藤田さんも同じだと思います、でも副隊長のお体には気づいていないでしょうね?いつも一緒に登ってなければ気づき難いですから、」

言われなくても後藤の病変に気付けるのは、警察内部では吉村医師と自分くらいだろう。
それくらい後藤の様子に変化は見られない、そんな理解に笑いかけた先で深い瞳が満足げに微笑んだ。

「おまえさん、ちゃんと解ってくれてるなあ。俺の見込みは間違っちゃいなかった、嬉しいよ、」
「ありがとうございます。後藤さん、光一にはもう話したんですよね?」

きっと話しているはずだ、その方が光一は奮起するだろうから。
この推察に後藤は、ますます愉快そうに頷いた。

「話したよ、あいつが異動する朝だ。署の診察室でおまえさんが仕事してた後ろでな、吉村と簡単に話しておいた。冬富士も無理だってな、」
「解りました、病名はまだ言ってないんですか?」
「すまんなあ、宮田から説明してくれるかい?」

深い目は信頼に笑って寛いでいる、その貌には徹夜の疲れが僅かに燻らす。
やはり前よりも無理は利かなくなり始めている、今も早く後藤は休ませた方が良いだろう。
そんな判断をめぐらせながらも英二はいつもどおり、穏やかな笑顔で頷いた。

「検査の結果が出たら話しますね。あと富士の計画ですけど小屋で1泊しませんか?翌朝の早くに下山すれば昼前には戻れます、」
「うむ、泊まりは良いなあ?俺のほうは構わんよ、元から翌日も振休扱いにしてあるからな、」
「良かった、昼に変更後の計画を渡しますね、」
「よろしくな、楽しみにしてるよ、」

話しながら頷く顔は登山計画を愉しみに待っている。
この山を愛する笑顔を続かせてあげたい、そんな願いに英二は山時計を見ながら立ちあがった。

「そろそろ署に戻ります、吉村先生の診察が終わったらメール頂けますか?」
「うん、吉村と昼飯食ってから駐在所に行くよ、」

言いながら後藤も立ち上がってくれる。
たぶん後藤も帰宅するのだろう、ほっとして微笑んだ英二に後藤が愉快に笑った。

「そういえば宮田、ずいぶん原と仲良くなったみたいだな?おまえさんたち一晩、なにを話してたんだい?」

自分たちの変化が傍目にも解るんだ?
こういうのは嬉しい、なにより後藤には話しておきたい。
けれど今は後藤を早く帰したくて、一緒に歩きだしながら英二は核心部だけを口にした。

「俺のカミングアウトと、原さんの結婚観についてです、」

言って笑いかけた隣、深い目がゆっくり瞬いた。
すこし考えるよう瞳を細め、すぐ愉快に笑いだすと後藤は英二の肩をひとつ叩いた。

「へえ、そりゃ濃い内容だなあ?さぞ愉しかったろうよ、」

確かに「濃い」時間だった。
そんな感想に嬉しく笑って英二は綺麗に微笑んだ。

「はい、愉しかったです。またちゃんと話しますね、」
「おう、ぜひ聴かせてほしいよ。原の件は本人から聴いてみたいなあ、」

可笑しそうな笑顔と階段を下りると、表で木下と原が話していた。
ふたり楽しそうな笑顔でいる、その横顔を眺めて後藤は言ってくれた。

「やっぱり原の雰囲気、ぐっと明るくなったなあ?光一の時と同じだよ、ありがとうよ宮田、」

光一の時、そう言われて小さく心が軋んでしまう。
光一と初めてビバークした時から一年も経っていない、けれど遠い時間にも思える。
それくらい光一と過ごした時間には記憶と変化が積った、そんな想いごと英二は綺麗に微笑んだ。

「俺のほうこそ、ありがとうございます、」

本当に、自分の方こそ感謝したい。
光一と出逢って自分は「山」の多くを学んだ。
山にある現実の喜びも哀しみも、山に見る夢の傷みも誇りも知った。

その全てが自分を援けて「自分」を見つける光になる、この明暗ともに誇らしく、ただ嬉しい。









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