萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第62話 弥秀act.1―another,side story「陽はまた昇る」 

2013-03-13 23:27:25 | 陽はまた昇るanother,side story
現実と相克、その超える術 



第62話 弥秀act.1―another,side story「陽はまた昇る」 

H&K MP5、

ドイツのHeckler & Koch GmbH社製の短機関銃。
高性能機関拳銃、高性能自動短銃とも呼ばれる銃器を携え壁を見る。
ヘルメットとマスクのはざま瞳は動き、現れた写真標的に視覚から腕が反応した。

―刃物、

視覚認識に一瞬で腕が上がり警告を与え、即座にトリガーを弾く。
銃口の先でサバイバルナイフの男が写真に斃れる、そのまま次の壁に視界を移す。
そこから写真標的はまた現れて、反射的に視点が判断を下した。

―携帯、

携帯電話を持った男の姿に、発砲は行わない。
すぐに視界の壁は切り替わり女性が現われる、その拳銃を携えた手許へ周太は狙撃した。
それら瞬発的稼働を行う体は突入服にボディアーマーとタクティカルベストの重量に包まれる。
ヘルメットは機関拳銃に頬付けるために防弾仕様のフェイスガードは外され、実戦なら被弾の可能性は否めない。
だから一瞬の判断で標的を狙撃することだけが、自身の生命と犯人確保の安全を護る術になる。

目視、判断、警告、発砲。

この瞬間的連鎖運動に条件付けを反復することで、筋肉の記憶を完成させていく。
そして緊迫した現場状況でも無意識の反射運動を起こすよう、幾度も訓練を積み上げる。
そこにはコンマ1秒以下の散漫も赦されない、ただ全神経の集中に視覚と脊髄を連動させる。

―拳銃、

写真標的の得物に唇は警告を発し、腕はトリガーを弾く。
被弾に映像の男は消えて、ようやく訓練終了の合図が示された。
そして緊迫の解かれた意識は呼吸の希薄を自覚して、周太は息吐いた。

「…は、っ、」

溜息がマスクに遮られ、肺への酸素が幾らか薄い。
希薄な呼吸が気管支を突きあげて周太はゆっくり息を吸った。

―すこし苦しいけど、でも耐えられる、

他の隊員に気付かれぬよう呼吸を整え、素早く整列に加わった。
小隊長の訓示と礼が終わり解散すると、周太はマスクを外しヘルメットを脱いだ。

「は、っ…ふ、」

ぐんと呼吸が楽になって酸素が肺から取りこめる。
やはりマスクを着けての運動は辛い、そんな現実に幼い記憶が警鐘を知らす。
小学校1年生のころ、父と登った高山で森林限界を超えた途端に歩けなくなった。
そして山から戻って受けた検査の後、のど飴をいつも持っている習慣が出来た。

―…周、オレンジのど飴だよ、いつも持っていようね?すこしでも喉が痛くなったら食べるんだよ、

そう父と母に念押しされて、以来、森林限界より高所には登っていない。
それがどういう意味だったのか、英二が遠征訓練に行くため被験した高所適性テストを聴いて解かった。
おそらく自分は高所適性が低いのだろう、そして心肺機能に何らかの欠陥がある。

―お母さんにまだ聴いていないけど多分そうだ、普通の身体検査では解らなくても、

普通、体力テストや身体検査は低地で実施される。
この低地という条件下では高所適性に関する事項は判明し難いだろう、当然に自覚も無い。
だから健康になんの不具合もないと信じていた、けれどマスクを着けての訓練が証明してしまう。
もちろんマスクは酸素透過も考慮された素材で出来ている、それでも鼻筋から口許を押える圧迫だけで息が詰まる。
これが実戦で駆けるならもっと苦しいだろう、そう考えると自分の適性が「狙撃」であることは幸運かもしれない。

銃器対策レンジャーの任務は篭城事件におけるSATの後方支援、ヘリコプターやビルからロープで降下し突入を行う。
そしてSATの狙撃チームなら犯人に気付かれぬよう遠隔から発砲する、だから全力疾走する事は幾らか少ないはずだ。
その出動現場となる可能性は都市部に多い、それならば高所適性や希薄な酸素に多少の支障があっても何とかなる。

―でも何が駄目なのか知っておく方が良いよね、大学のこともあるし、

聴講生として学ぶ森林学では当然、山に登って実地調査をする。
そのことを考えても自分の体を知った方が良いだろう、吉村医師に相談してみようか?
自身が山ヤである吉村ならアドバイスをくれるはず、そんな思案と歩く横から落着いた声が笑いかけた。

「おつかれ湯原、全弾的中だったな、」

振り向くと涼やかな瞳が笑ってくれる。
もう2月の射撃大会から見知った笑顔に、周太は笑いかけた。

「おつかれさまです、菅野さんも全部的中でしたね、」
「実戦の方が得意なんだよ、だから大会とか苦手でな。どっちもの湯原はすごいよ、」

可笑しそうに笑って、軽やかに肩を叩いてくれる。
こんなふう親しみを示してくれる、その感謝へ素直に周太は微笑んだ。

「ありがとうございます、でも合同訓練は難しそうで、」
「そうだな、自衛隊と一緒だと臨場感が違うな、」

話しながら歩く廊下、黄昏の光が長く射す。
いま8月の下旬に掛かる頃、昨日よりすこし陽の短くなった空は暮れなずむ。
もう奥多摩の山は夜に包まれる、その遠い空に俤を見上げた横から菅野が問いかけた。

「湯原、標的の手許を狙ってたな?それも利き手だった、どうしてそこを狙った?」

利き手、そこまで菅野は見切っている。
本部特練らしい才能に周太は敬意をこめ笑いかけた。

「はい、犯人の動きを封じるには一番良いと思いました、」

利き手を撃たれたら武器を操り難くなる。
けれど実戦において「手だけ」を狙うことは難しい、それでも一番に可能性がある。
この可能性を確実にする手段を身に着けたい、そんな意志と笑いかけた先で菅野が微笑んだ。

「動きを封じることが俺たちの任務だもんな、出来れば一滴の血も流さずに解決したいけど、」
「はい、」

素直に頷きながら嬉しくなる。
自分と同じ考えの先輩がいる事が嬉しくて、頼もしい。
そして菅野が柏木と親しいことが解る気がする、それも嬉しくて周太は笑いかけた。

「菅野さんは、柏木さんと少し似ていますね、」
「お、湯原も思うんだ?よくそう言われるんだけど何でかな、」

涼やかな瞳を細めながらヘルメット片手に笑ってくれる。
その気さくで穏やかな空気が先輩を懐かしませて、なんだか嬉しい。

…柏木さん相変わらずお茶淹れてるんだろうな、若林さんも元気かな?…深堀のメールで佐藤さんのことは解かるけど、

新宿署で親しくしてくれた4人を想い、ほっと心が温まる。
そして「彼」の視線が思い出されて突入服の中、すっと汗ひとすじ落ちた。

…あの人は見張っているんだろうか、今こうして訓練している時も、

第七機動隊 銃器対策レンジャー第一小隊。
それが今の所属部署になる、ここにも新宿署のように「彼」の部下がいるのだろうか?
まだ「彼」が何者なのか正確には掴んでいない、けれど平日の図書館でいつか現実は解かるだろう。
そんな想いに心裡ため息吐いた横から、菅野が尋ねてくれた。

「そういえば湯原、盗聴器は大丈夫か?」

約10日前の第七機動隊付属寮で、周太と光一の個室から盗聴器が見つかった。
他にも共同スペースの2ヶ所から発見されている、以来、七機全体が盗聴器への警戒を強めた。
その事実を第七機動隊所属の全員が知っている、けれど盗聴対象の真相は光一と自分以外に知らない。
そんな現実の秘匿を呑みこんだまま周太は、ただ気遣いへの感謝に微笑んだ。

「はい、あれからは異常ありません、」
「なら良かったよ、着任早々に災難だったな、」

穏やかなトーンで言いながら涼やかな目が笑いかけてくれる。
その優しい笑顔は困ったよう首傾げ、そっと教えてくれた。

「隣の部屋じゃなければ話す必要ない事だがな、国村さんは実際のところ敵も多いんだ。だから盗聴も仕掛けられたんだろうな、」

光一の敵が多い、それは警察組織の仕組みからだろう。
そんな予想と見上げた先で菅野は少し歩調を緩め、静かに話し始めた。

「国村さんは高卒だけど23歳で警部補になった、これはキャリア組が大学校を出た時の階級と年齢に同じだ、要は並んだって事になる。
それがな、農業高校出の男が自分たち国家一種のエリートと並んだって癪に障るらしい、だから粗探しをしたいって連中も居るんだよ、」

確かにそういう考えは存在するだろう、それは納得できる。
けれど菅野はどこから情報を得たのだろうか?この疑問に周太は尋ねた。

「後輩の方とかにキャリアの人が?」
「ああ、高校の後輩で東大に行ったヤツだ、今は察庁の警備課にいる、」

答えてくれる言葉に、幾つかの単語が引っ掛かる。
菅野の後輩が言った事なら情報として信頼度は高いだろう、けれど解らない。
そんなことを考えながらも歩く廊下、ゆっくり黄昏が薄暮へ変わっていく。

きっともう奥多摩の山は夜だろう、そこから自分のいる場所は、遠い。



開錠した扉の10cm上方を見ながら、いつものよう開いていく。
その視界にごく細い線が現われて、ほっとしながら周太はさり気なく繊維を外して自室に入った。

ぱたん、

閉じた扉に鍵をかけて次は窓の開錠をする。
ゆっくり開いて2cmになった窓、桟との間に細い糸が真っすぐ張られた。
その確認をするとまた慎重に窓を閉め、施錠して溜息がこぼれ微笑んだ。

…良かった、誰も侵入していない、

たった2本の細い糸、けれど侵入者の存在有無を知らせてくれる。
こんな警戒方法を使う日常が今の自分、その緊迫感が全神経の集中を絶えさせない。
自分は警察官になる為に多くの覚悟をした、けれどこんな「監視」状況は予想外だった。

「…どうして?」

ぽつんと独り言こぼれて瞑目する、その瞼に父の俤が微笑んだ。
1年前の自分が知っている父は穏やかな知識人で、庭仕事と茶の湯を好む家庭人だった。
あとは射撃でオリンピックに出場した事、幼い頃から登山と読書を愛していること、料理が得意なこと。
どれもが警察官の姿を示さず、そして父の過去も真相も、祖父母たちすら遠く隠して顕わすことは無い。

けれど父の軌跡を辿り警察官の世界で直面する現実は「謎」が多すぎる。
そして意図せずに辿り着いた父の母校で見た事実には「意志」の残像たちが語ってくる。
その全てを考えあわせても、今この自分が立たされている「監視」の理由はまだ解らない。
ただ「彼」の存在だけが影を射し、父を象るパズルのピースたちを深い翳りへと隠してしまう。

…あの人のこと調べるには図書館が一番良いんだ、でも平日じゃないと書庫は開かれない、

きっと図書館の書庫にヒントがある。
そう解っているのに、閲覧に行く時間が簡単には掴めそうにない。
それでも調べるなら平日に休暇を取る算段を考えるか、別の閲覧場所を探すしかない。
考えながら風呂に行く支度をしていると携帯電話の受信ランプが赤く輝いた。

「あ、」

光の色と、現在の時刻に鼓動が跳ね上がる。
今は19時過ぎ、もし道迷いが発生すれば捜索依頼が舞い込む時間だろう。
そんな予想に小さく息呑んで携帯を開き、受信メールの文面に呼吸を呑んだ。


From  :宮田英二
subject:出ます
本 文 :おつかれさま、周太。今から道迷いの夜間捜索に出ます、夜の電話は出来ないかもしれない。
     周太の声聴きたいけど我慢するよ、その分だけ俺のこと想っていてくれる?


夜間捜索、その単語に不安がこみあげ緊張が昇りだす。
けれどもう一度読み直した2行目の単語たちに、今度は紅潮が昇った。

「…っ、こ、こんな非常事態にだめでしょえいじ?」

遭難救助の現場に行くのに、こんな事を言って来るなんて呑気すぎる?
そう思いかけて、けれど直ぐに気づかされて信頼と優しさに心掴まれてしまう。
こんなふう言って英二は心配や不安を除こうとしてくれている、その配慮に微笑んで返信を作った。


T o  :宮田英二
subject:Re:出ます
本 文 :気を付けてね、無事を信じて想っています。


短い一行だけの返信、けれど全てを懸けた祈りが籠る。
どうか無事で帰ってきてほしい、綺麗な笑顔のまま山を駈けてほしい。
その願いのままに携帯電話を握りしめてBook Markから天気予報を検索する。
そこに表示された奥多摩地方の天気を見つめ、独り、窓から北西の空を周太は仰いだ。






(to be continued)

blogramランキング参加中!

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする