文章、瞬間の凍結と永劫
こんばんわ、日曜から月曜に変る今です。笑
いま第61話「塔朗5」の加筆がほぼ終わりました、これが「塔朗」最終話です。
今回は英文からの引用を2つさせて頂きました、どちらも有名なのでご存知の方も多かったかと。
My first answer therefore to the question 'What is history?'
is that it is a continuous process of interaction between the historian and his facts,
an unending dialogue between the present and the past.
問いかけ「歴史とは何か?」へ、まず最初の答えとして、
歴史とは歴史家と事実が対峙し続けるプロセスであり、
現在と過去が交わす果てなき対話である。
Edward Hallett Carr『What Is History?』の原文と対訳です。
対訳は自作なので間違いがあるかもしれません、ミス訳あればご指摘くださいね?
岩波新書で邦題『歴史とは何か?』として邦訳版もあります、ちょっと昔の翻訳なために古語調が特徴的です。
この『What Is History?』は、1961年1月から3月にケンブリッジ大学で行われたE.H.カーの連続講演を収めたものです。
歴史の定義と存在について根本問題を述べた内容で、歴史を研究する導入門として現在も読まれています。
ようするに史学の専門書なのですが、英文学者を目指していた馨の愛読書にリストアップしました。
今まで登場の外国文学は詩文や純文学小説に冒険譚等ですが『What Is History?』は専門書の翻訳が難しいことから今回登場させています。
学者を目指した馨は英文学を深めるため翻訳をしました、母国語=思考言語に変換する作業は思考の学習でもあるからです。
翻訳する対象の言語、ここではイギリス英語を話させる思考回路を学びたい。この目的達成には専門書の翻訳は適任です。
専門的な単語と言い回しを学び、文章の中身である専門知識も思想も学ぶことができる。
そんな一石何鳥の方法論で馨は英文学への造詣を深めていました。
My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die!
The Child is father of the Man :
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.
私の心は弾む 空わたす虹を見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである
年経て老いた時もそうでありたい さもなくば私は終焉に向かう
子供は大人の父である
願えるのなら私の生きる日々は 自然への畏敬に充たす涯に結びたい
William Wordsworth「My Heart Leaps up When I Behold」日本では「虹」の名で親しまれています。
ワーズワスの詩は本作中でよく引用していますが、英国を代表する詩人の一人です。
自然描写に心情を映しこんだ詩風が特徴で、数篇は岩波文庫の邦訳版があります。
ただ岩波邦訳版に「虹」は無く、部分的な引用が題詞にされた詩が載っています。
The Child is father of the Man :
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.
この部分が「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」の題詞です。
邦題は「幼少期の回想からうける霊魂不滅の啓示」と幾らか堅物な感じになっています。
この詩の一節も、何度も本編中に遣わせてもらっています。
The innocent brightness of a new-born Day Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.
生まれた新たな陽の純粋な輝きは、いまも瑞々しい
沈みゆく陽をかこむ雲達に、謹厳な色彩を読みとる瞳は、人の死すべき運命を見つめた瞳
時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
生きるにおける、人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
慎ましやかに綻ぶ花すらも、私には涙より深く心響かせる
よく英二が山の現場で思い出している詩、あの一節です。
本作中での英二は日英ハーフの家庭教師がいます、また専属モデルを務めた写真家も英国人です。
そういう人物設定の背景から、よく英文学にからめた回想や思考をさせています。
その点では周太のターンになると、いっそう外国文学が登場します。
祖父が仏文学者で父も英文学を志望していた為、幼い頃から英仏の文学と言葉にふれて育った設定です。
こうした生立ちが父たちの死をめぐる真相を辿る鍵となり、また「夢」人生の支柱ともなっていきます。
筆跡、文字、言語、文法、文学、学問。これらが周太の「50年の束縛」を解く重要な過程です。
ある意味で行動派の英二と対照的な手法、けれど本当の意味で解放するツールになり得るか?
その辺をどう描くのかは、書いてる自分の思案ドコロです。笑