萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第65話 序風act.1―side story「陽はまた昇る」

2013-05-18 01:55:28 | 陽はまた昇るside story
始る 



第65話 序風act.1―side story「陽はまた昇る」


あの人が消えるなら自分も消えればいい、ただそれだけのこと。



蛇口を止めて、水流が消える。
髪から肌から雫が墜ちる、この冷たさが好きだ。
それでも明日の朝からは幾らか温くなる、そう思う心が郷愁の場所を定めてしまう。

―もうこの水温が俺の普通なんだな、

肌ふれる水滴にすら自分は奥多摩に馴染んだ。
そんな11ヶ月たちの五感全てが記憶になり、想いになって全て温かい。
けれど記憶の映像は幸福ばかりじゃない、幾つもの絶命と負傷と、血と汗の香が沁みこんでいる。

「うん…どれも俺の宝だな、」

こぼれた独り言は浴室に響き、指で濡れ髪を梳いて顔をあげる。
見あげた窓には薄く光が映りだす、すぐに夜は明けて朝が世界を覆うだろう。
もう刻限が来れば自分はこの場所を立ち、第七機動隊山岳救助レンジャーに立っている。

そして、ようやく闘いは始まる。




制服かラフな服装が座る食堂、ワイシャツにネクタイ姿で入ると視線が向く。
その誰もに微笑向けながら歩いてトレイをとる、その前から馴染みの笑顔が言ってくれた。

「宮田くん、厨房からのお餞別」

笑顔と一緒に差し出された皿は、目玉焼きの黄味が4つになっている。
卵4個分の一皿が楽しくて可笑しくて英二は笑った。

「ありがとうございます、でも卵4個の目玉焼きって初めて見ましたけど、」
「四葉のクローバーみたいでしょ?幸運のおまじないよ、どこの山でも元気なようにね、」

明るく笑ってくれる言葉はさらり温かい。
その温もりは懐かしい人を想わせて、東の故郷を思いながら英二は素直に笑った。

「お心遣いすみません、ありがたく頂戴します、」
「ええ、今日もシッカリ食べていきなさいよ?七機でも元気にたくさん食べるのよ、体に気をつけてね?」

気さくな笑顔が今後へも心遣いをくれる。
言葉遣いも貌も全く違う人、けれど美幸の笑顔を想いだすのは何故だろう?

―こういうのが母親の温もりって言うヤツなのかな、

独り心裡で想うことに、自分の生立ちが苦笑いする。
こうした何げない心配の言葉を実母から聴いたことが無い、けれど今少しずつ母は変り始めた。
それでも真直ぐな愛情の言葉はまだ貰えない、その寂しさは24歳を迎える今でも本音は哀しいままだ。
こんな哀しみが他人の言葉に温められる、この想い穏やかに笑って英二は頷いた。

「はい、ありがとうございます。今までお世話になりました、おばさん達もお元気で、」
「こっちこそありがとうね、」

軽やかな別れを告げてくれる声に微笑んで、英二は踵を返した。
いつもの窓際へ歩み寄る向こう、いつもの笑顔ふたつ並んで手を挙げてくれる。
まだ1ヶ月だけの同僚と1年半を同期として過ごした相手、その二人と食膳を囲むと英二は綺麗に笑った。

「今日まで色々ありがとう、異動してからも同じ山岳レンジャーとしてよろしくな?」

今日の昼前にはこの青梅署を発って第七機動隊舎へ入る、そして午後から訓練が始まる。
そうしたら二度とこの食堂で食事することは無いだろう、ここに座るのも今が最後になる。
次に青梅署配属になる時はもう単身寮には入らない、そんな約束事と想う前から藤岡も笑ってくれた。

「うん、よろしくな。また呑んだりしようよ、剣道で帰ってくるときには声かけろよ?」
「そうする、ありがとう、」

答えと笑いかける先、人の好い笑顔も寂しさと笑ってくれる。
いつも朗らかな人柄のよい柔道青年、そんな同期に笑った隣から低い透る声が言ってくれた。

「1ヶ月世話になった、ありがとうな、」

短い言葉、けれど万感が精悍な瞳に笑ってくれる。
この無口な朴訥は好きだ、そんな感想ごと英二は丼を持ち微笑んだ。

「こちらこそ世話になりました、南アルプスのことまた教えて下さい、」
「おう、」

ぼそっと頷いてくれる瞳は温かい、この寡黙な先輩ともまた仕事したいと素直に想う。
そんな感慨の向かいで丼をかっ込んで、空の丼を片手に人の好い笑顔は立ち上がった。

「お替り貰ってくるな、」
「おう、早いな、」

いつものよう笑いかけた青い制服姿は配膳口へと歩いてゆく。
その背中を見送る隣、すこし困ったような微笑が口を開いた。

「藤岡、おまえのこと話してた、」
「俺のことを?」

何を話していたのだろう?
その疑問と笑いかけた英二に原は教えてくれた。

「初任教養の時に山岳訓練で滑落した同期を援けたこと、救急法の講義でも教場を鎮めたこと。この2つで宮田をすごいって思ったって。
特に滑落の救助は初心者なのにって驚いたらしい、だから宮田の青梅署配属も納得出来るって笑って話してた。今、寂しいだろうと思う、」

寂しいだろうと思う、そう改めて言われる自分も寂しくなる。
初任科教養から藤岡とは一緒に過ごしてきた、あの朴訥とした明るさに何度自分も救われたろう?

―周太とのことも藤岡、いつもフラットに受けとめてくれて嬉しかった、

同じ教場出身者同士、そんな関わりのなか藤岡は周太との関係を大らかに認め黙秘してくれている。
そこに同性愛だという事実への衒いは欠片も無い、そういう自然体な人の好さがいつも嬉しい。
また一緒に酒を呑みたいな?そんな想いと配膳口の背中見つめる隣、日焼顔はすこし笑った。

「あのさ、おまえが富士に行ってる時、おまえの相手に会ったっぽいんだけど、」

言わないのは気まずい、でも申し訳ない?
そうした遠慮がすこし困っている笑顔へと英二は率直に笑った。

「可愛かったでしょ?」
「そうだな、」

また短い言葉に応えたトーンが少し可笑しそうに笑っている。
富士登山から戻った後は忙しくて、この件を話すことは出来なかった。
それでも本当は聴きたかった状況を教えてほしい、そう見た英二は原は教えてくれた。

「国村さんも来て第2小隊のこと訊かれた、黒木さんの事は特に、」

光一が向けた質問項目に来訪の意図が見える。
そこにある現状が思われて、英二は穏やかに笑いかけた。

「原さんが黒木さんと仲良くなった切欠は何ですか?」
「それ、国村さんにも訊かれたよ、」

精悍な瞳が可笑しそうに笑ってくれる。
そして少し考えるよう首傾げ、原は答えてくれた。

「第2に来た最初に黒木さんとパートナー組んで訓練した、それで終わった後に褒められたよ、口数が最低限で良いってさ、」

言葉少ないことが幸いした、そう原は言っている。
これでは陽気な光一とは難しいのも仕方ない?そんな分析と汁椀を手にした隣からアドバイスが跳んだ。

「七機の寮、あんまり壁が厚くないから我慢しろよ?」

何を我慢するって言うんですか?

そう聴きたい台詞とアドバイス者が予想外で喉詰まる。
そして噎せかけた味噌汁をなんどか飲み下し、英二は微笑んだ。

「静かに我慢しないって選択肢もありますよね?」
「ふはっ、」

日焼顔ほころんで笑いだす、その貌が愛嬌に明るい。
いつも仏頂面に見える原だけれど笑顔は違う、それが楽しい前に山盛の丼飯と藤岡が戻ってきた。
座って箸を取りながら大きい目が此方を見てくれる、そして人の好い笑顔ほころばせた。

「でも今夜から宮田、ちょっと悩みが増えそうだよな?」
「悩み?…あ、」

訊きかけて、すぐに墓穴の存在を気がつかされる。
今すぐ撤回したい、そう想って口を開きかけた向かいに先制された。

「本妻とパートナーに挟まれたら大変そうだなって思ってさ、」

ほら、やっぱり藤岡は図星を刺してきた?

そんな予想通りに困りながら、けれど今日は噎せずに済んだ。
こんなことも少しの進歩かもしれない?そう思うこと自体が可笑しくて英二は笑った。

「挟まれたら両手に花だって満喫するよ、」







(to be continued)

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