願い、その希望に祈りを、
第64話 富岳act.7―another,side story「陽はまた昇る」
カーテンゆれる影絵が、あわいクリーム色の壁にうす青い。
やわらかな風の吹く、その窓向こうは午後の光ゆっくりと白雲の移ろう。
静かな時間が吹いてゆく、そんな病室に佇んだ白衣姿が低く穏やかに微笑んだ。
「もう大丈夫そうだね、でも麻酔が切れたら痛むと思います。撃たれた時は痛くなかったろうけどね、あれは興奮したアドレナリンの所為だから、」
「はい、ありがとうございます。痛いの覚悟しておきますね、」
脚に包帯を巻いた青年はベッドの上、蒼ざめた顔で笑ってくれる。
あの包帯の下には弾丸が刻んだ痕がある、その手術を見つめた記憶に脳裡が赤く染まった。
―あれが銃で撃たれた傷なんだ、ね
大腿部へ食い込んだ、一発の銃弾。
その傷口、創口周囲の皮膚表面には黒く焦げた挫滅輪が出来ていた。
けれど火薬輪や刺青暈は無い、警察の事情聴取の通り林間からの誤射に当ったのだろう。
そこに意図された狙撃は存在しない、けれど、14年前の春に存在した銃創が残像で鼓動を撃つ。
―お父さんの胸にもあの傷があったんだ、見ていないけれど、でも…あったんだ、
penetrating GSW「盲管射創」
盲管射創は弾丸が体内に留まっている。
父の心臓部に刻まれた盲管射創は、弾丸の摘出をされていたのだろうか?
それとも即死に近かったという父の場合、弾丸はそのままに荼毘へ付されたのだろうか?
―きっと司法解剖で摘出されたんだろうな、…胸骨とかはどうだったのかな、お骨拾った記憶が未だ戻らないから解らないけど、
ぼんやりと病室の片隅に佇んで、斑に残る記憶を辿っている。
その視界で白衣姿は負傷の青年と笑顔で話し、あわいブルーの白衣着た看護師は小気味よく動く。
それが男性であることにこの病院の立地条件を想い見つめる向うから、穏やかな医師は振り向き微笑んだ。
「彼がね、あなたの怪我を手当てする知識を貸してくれたんです、おかげで手術は成功出来ました。こちらへ?」
穏やかで快活な笑顔が呼んでくれる、その眼差しへ周太は微笑んだ。
幾分ぼやけた意識のまま歩み寄ってベッドの傍に立つ、その右手へとベッドの青年は掌差し出してくれた。
「あなたのお蔭で助かりました、本当にありがとうございます、」
蒼ざめた肌色は失血とショックの為だろう、けれど笑顔は明るい。
その笑顔がただ素直に嬉しくて周太は綺麗に笑いかけた。
「たいしたこと僕はしていません、でも少しでもお役に立てたのなら嬉しいです、」
笑いかけ差し出された手と握手する。
その温もりと感触が、優しいまま鼓動を掴んだ。
―生きてる、銃で撃たれても、
被弾しても生きている。
今この手が握る掌は温かい、肌も弾力がある、そして笑ってくれる。
この人は銃で撃たれた、それでも脈うつ体温も血流も滞ることなく生きている。
その現実が鼓動から温かく響いて胸を突く、そして生まれる瞳の熱が明るく微笑んだ。
「どうかお大事に、また奥多摩へ来て下さいね?」
「はい、治ったらまた登りに来ます。今度来た時は今日の下山ルート、ちゃんと自分の足で下ります、」
蒼ざめても明るい笑顔ほころんで、そっと掌ひらかれ握手が離れる。
それでも掌には体温の残像が優しく残らす、この温もりに瞳の熱こみあげそうで周太はゆっくり踵返した。
そのまま扉を開いた廊下の窓には青く白く光に満ちる、その二色を見ながら回廊めぐって階段を下り、中庭へ出た。
さあっ、
風きらめく木洩陽が、青く光の点滅に自分を染めてゆく。
涼やかな水と草の香ふれゆく頬を奥歯が噛む、それでもシャツの下で胸震えて塞き上げる。
すこし足早になる靴音がテラコッタの小道に鳴って、そして大らかな水木の樹影に飛びこんだとき涙こぼれた。
「…あ、…っぅ、」
嗚咽あふれて呑んで、けれど涙は頬伝う。
いま見つめた銃弾の傷と負傷者の笑顔と、掌の体温が鼓動から輝きだす。
いま見つめた全てが過去と原罪と未来に軌跡を繋げてゆく、そして心が叫んだ。
「お、とうさんっ…たすけられなくて…っごめんなさ、ぃ、」
あなたをこそ、救けたかった。
いま青年を銃創から救う手助けが出来た、それが本当に嬉しい。
けれど想ってしまう、願ってしまう、こんなふう父を救けられたなら良かったのに?
「…ぅっ…おとうさ、っ…どうして、」
どうして、あの春の夜に撃たれてしまったの?
あのとき拳銃が放った一発を胸に受容れた、それがなぜ、父の心臓でなくてはいけない?
それが父の意志だったとしても、それが父の誇り護る最期だったとしても、けれど自分は願ってしまう。
「お、とうさんっ、…俺が救けたかった、…っ、」
聲が泣く、この叫びが薄緑の梢を超えて空へ昇ればいい。
もう叶うはずの無い願いと知っている、それでも天へ聲を届けたい。
もう過去は戻れない、それでも未来を願えるのなら約束がほしくて梢の太陽に微笑んだ。
「お願い、俺の前でもう誰も死なせないで?…っ、必ず、たすけさせてください、どうか…」
もう自分の前では誰も死なせない、今日のよう手助けを少しでもしたい。
もう一ヶ月後から死線が近所になっていく、そこで全てを懸けて父の願いを叶えたい。
いま銃創の手術を見つめて笑顔と握手した、その瞬間たちが教えてくれた父の祈りを自分が現実にする。
父の祈り、それはきっと「贖罪」そして「生きる」チャンスを贈ることだから。
ゆるい陽射しがシャツ越しに背中を暑くする。
日向は残暑がまだ名残らす、その眩しい光に出るとき雅人が白い袋を差し出した。
「まず1ヶ月分が入っています、うがい薬と飲み薬です。生活の注意書きも添えました、また1ヶ月後に経過を診ましょう、」
大きな日焼あわい手から渡されて、重りする紙袋が小さく鳴った。
この1ヶ月で自分の体の今後が占える、そんな可能性を白い袋ごと受けとって周太は微笑んだ。
「ありがとうございます、また1ヶ月後に来させて頂きますね。吉村先生にもよろしくお伝えください、」
「伝えておきます、父からもね、約束の時間に間に合わなくて申し訳ないって伝言だよ、」
穏やかで快活な笑顔が教えてくれる、その空気は父親とは違って、けれど似ている。
いつも懐かしいロマンスグレーの俤を想いながら、周太は明るく笑った。
「こちらこそ、お留守の間に色々すみませんってお伝えください。あと、生まれた赤ちゃんにも、おめでとうって伝えてくれますか?」
「ああ、伝えておくよ。お産と銃創の処置が重なるなんて、なあ?」
可笑しそうに笑って雅人はひとつ伸びをした。
大らかに空へ伸ばした腕の白衣は陽光まばゆい、その光纏って下した右掌を差し出してくれた。
「湯原くんが居てくれたお蔭で、父が居なくても冷静に手術出来ました。ホントに銃創は俺も自信無かったんだ、ありがとう、」
正直な言葉を掌と出してくれる、その明朗な笑顔に嬉しくなる。
そして今にも迫り上げる温かな瞳の熱に笑って、周太は大好きな医師と握手した。
「こちらこそ、ありがとうございました。処置を見せて頂いたお蔭できっと俺にも応急処置が出来ます、本当にお世話になりました、」
「お世話になりました、じゃないだろ?」
穏やかな声が楽しげなトーン含んで軽やかに否定する。
その意外な言葉に瞳ひとつ瞬いた向こう、優しい笑顔ほころんだ。
「これからお世話になります、だろ?今日から一緒に喘息と戦うんだ、今、銃創とも一緒に戦ったしな。もう俺たちは戦友だろ?」
戦友と呼んで今日から、これから一緒に病と戦ってくれる人がいる。
いまの状況が体調悪化に繋がる以上、喘息のことは母に言えない、英二にはもっと話せない。
二人が知れば何をしても警察官を止めさせるだろう、愛してくれる分だけ無理矢理に止めてくれる。
そう解かるから相談なんて出来ない、そして雅人の反対も当然だと思っていた、だから孤独に闘う覚悟もしてきた。
けれどこの医師は覚悟を決めてプライドと我儘を受け留めてくれる、ただ嬉しい想い熱になるまま周太は綺麗に笑った。
「はい、これからお世話になります。戦友の雅人先生、」
これから始まる戦いは、独りじゃない。
その安堵と歓びは体の真中から温かく心をきらめかす。
そして、もう止められない涙ひとつ頬こぼれて夏の風にきらめいた。
(to be continued)
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