萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

正午の初夏、皐月―万葉集×William Wordsworth

2013-05-22 12:50:28 | 文学閑話韻文系
名も知らぬまま、けれど輝きは 



正午の初夏、皐月―万葉集×William Wordsworth

正午の初夏は青空やわらかい、今日のこの辺です。
この時期は光が透けるよう明るくて綺麗、草も木も光って見える。
瓦屋根きらめくトコなんて、アノ五月の歌の通りだなって思います。笑

写真は近場の森にある花木です、で、この名前を未だに知りません。笑
卯の花と似た白い星型が可愛いんですけど、持っている山野草ハンドブックに載ってない。
ちょっとビジターセンターに行ってみたら良いのかもしれないけど、なんか行きそびれてます。
どなたかご存知の方いらしたら是非、教えてくれませんか?



宇の花も いまだ咲かねば霍公鳥 佐保の山辺に 来鳴き響もす  大伴家持

卯の花もまだ咲かず夏は来ない、
だから時鳥も春の女神が坐ます山に来て、時告げ鳴く聲を響かす。
夏を待ち切れないと、佐保姫のようなあなたと逢瀬する時を今だと言ってるけど?

昨日も卯の花と霍公鳥=ホトトギス・時鳥のこと書きましたけど。
この歌はすこし早い時期に鳴きだした時鳥に、恋逸る気持を解釈してみました。

時ならず 玉をぞ貫ける宇の花の 五月を待たば久しくあるべみ  詠み人知らず

まだ時は訪れない、
けれど皐月玉に縫う卯の花が咲く五月を待つと、待ち遠しくて。
この心の玉緒を貫くあなたのこと、早く逢いたくて待ち遠しくて、早月の初夏を待ち兼ねて。

この「玉」は薬玉のことで、卯の花を用いて五月に作るものを皐月玉ともいいます。
薬玉は今でも工芸品でありますが、綿を色糸でかがった美しいもので女の子の魔除けになる装飾品です。
ですが昔は老若男女すべてが用いたもので、綿の中に薬=薬草や木の実などを詰めて糸でかがり玉に作りました。
その表面を色糸や花を挿して綺麗に作りあげると贈物として、恋する相手へも歌を添え贈ることもあったようです。
たしか『源氏物語』にも光源氏が花散里へ薬玉を贈るシーンがあったかな?ちょっと曖昧な記憶ですみませんが、笑
ソンナ意味のある「玉」なので相聞歌に解釈してみました。

また、歌には5月=サツキを「五月」と書いていますが、解釈は三種に書き分けてみました。
古い字を用いる「皐月」を古来伝統の薬玉に、早く逢いたい想いに「早月」と掛けてあります。
5月を日本ではこんなふう三つの表記があることは、解釈を広げるのに楽しいです。

二つの歌とも共通するのが卯の花咲く季節への心弾みです。
五月の時を待ち兼ねて、卯の花や時鳥に早く時を告げてほしいと願う。
そんな五月という季節に籠めた人の想いが謳われているなって想います。



Then sing, ye Birds, sing, sing a joyous song!
And let the young Lambs bound
As to the tabor’s sound!
We in thought will join your throng,
Ye that pipe and ye that play,
Ye that through your hearts to-day
Feel the gladness of the May!

歌ってよね、鳥たちよ、歓びの歌を詠い、謳おう
子羊たちは踊り跳ねてよ、
小太鼓の音に合わせるよう楽しく。
私たちは愉しげな君たちに想いを馳せ、
笛を吹き遊ぶ君たちよ、
今日という日に君たちの心に想い馳せる、
皐月の輝ける歓び満ちる君たちに。

William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」X

もうまんま五月の喜びを謳っちゃっています。
昨日掲載したIIIに続く一節ですが、イギリスでも五月はイイ季節なんですね。

昨今では五月病なんて日本ではありますけど。
そんな憂鬱になったら外を歩いてみることも良いかなって思います。
どっか公園なり森なりを歩いてみると、光も風も涼やかで明るいまんま心誘ってくれるかなと。
そういう時期だからでしょうか?ここんとこ森も人をよく見かけます、やっぱり考えることは同じなんでしょうね、笑




昨日UP「Lettre de la memoire、暁光の斎 act.9―side K2」加筆ほぼ終わり、校正ちょっとします。
一昨日の第65話「序風act.3―side story」も校正を少しやったら続きを今日UP予定です。


取り急ぎ、





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第65話 序風act.3―side story「陽はまた昇る」

2013-05-20 23:56:46 | 陽はまた昇るside story
扉の前、その先へ駈け



第65話 序風act.3―side story「陽はまた昇る」

踊平に四駆を停めて降りた視界、薄雲から残暑の陽光が刺す。
昨夜の雨に湿度も高い、こんな日は熱中症や日射病、それから脱水症状も怖い。
今回の救助要請も原因はその辺りだろうか?思案しながらザックを背負い英二は原と藤岡、大野に笑いかけた。

「真名井沢源頭部の岩場なら、何度か転落事故があったポイントの所だと思います。曲ヶ谷北峰を巻いて赤杭尾根に出ましょう、」

過去のデータから今回の遭難現場を推定する。
そんないつも通りの発言に、バスケット担架を携えた大野の陽気な目が瞬き笑ってくれた。

「なんで宮田がここに居るんだよ、今日、異動だよな?」
「はい、今日から国村小隊長が上司です、さっき電話で許可と命令はもらいました、行きましょう、」

応えながら英二はルートを指さし三人へ微笑んだ。
その肩へと大野は隊服の腕を伸ばし、ぽんと軽く叩くと言ってくれた。

「要救助者は意識不明の重体らしい、だから俺、正直なとこ宮田が来てくれてホッとしてるよ、ありがとう、」

応急処置の技能を頼りにしてくれる、そんな言葉が素直に嬉しい。
ここ青梅署山岳救助隊で吉村医師に師事した技能を今、この時も活かせる。
それがただ嬉しい想いと緊張とに微笑んで、英二は踵返しながら綺麗に笑った。

「ありがとうございます、俺も皆と一緒でホッとしてますよ?急ぎましょう、」

笑って山道を踏み、この先にある光景を覚悟する。
おそらく前にも救助へ向かった現場だろう、その要救助者は厳しい状態だった、
きっと今回も困難だと予想しておく方が良い、そう想うからこそ尚更あのまま第七機動隊舎へ向かうなど出来なかった。

―たった1秒差の命かもしれないんだ、だから、

たった1秒で生命の分岐点が変る、だから今も救助へ駈けたい。
ただ1秒、そんな現実を11ヶ月の現場生活で見つめてきた、それは目前の遭難事故と書類と両方ある。
そうして心が命じたままに応急処置の技術を磨いてきた、そんな11ヶ月が今を最後に山の現場から離れる。

第七機動隊山岳救助レンジャー第2小隊
そこが新しい自分の所属先、そこは山の現場から離れた府中にある。
けれど七機山岳レンジャーは警視庁管内の山は勿論、全国の救助要請に応える責務を担う。
その救助要請は山岳遭難とは限らない、災害救助要請にも応答する為に危険度も高くなる。

―藤岡は災害救助派遣された七機の人に会って、ここに来たんだよな、

いま背後を歩く足音に、自分の進路先と同期の縁を想う。
光一と三人で呑んだ夜、藤岡は大地震の被災経験と祖父の死を話してくれた。
あの津波に藤岡が失ったのは祖父だけじゃない、きっと友人知人も多く亡くしているだろう。
そんな藤岡が最初の死体見分に溺死体と出会ったことは、決して容易く超えられることじゃ無い。
それでも現場に立ち続ける姿から自分も学ばせてもらった、そして今あらためて向かう進路の重みが実感になる。

―これから俺は現場で向きあうんだ、あのときの藤岡と同じ姿に、

今回の異動は、個人的理由から志願した。
それは警察官としての理想など欠片も無い、あるのは恋愛と意地と誇りだけ。
唯ひとり想う相手を援けたい、あの束縛が赦せない壊したい、それらを自分が遂げたい。
そう願うから異動を志願して周太を追いかける、ただそれだけの個人的理由だからこそ責務は全て果たしたい。
だから今も救助要請を背にして異動など出来ないまま、山岳レスキューの誇りと名もない熱情に現場へ駈けていく。

「宮田、さっき言ってたポイントって真名井沢の一番上のルンゼか?」

背後から低く透る声が訊いてくれる、その記憶力に信頼が厚くなる。
やはり原は良いプライドが高い、そんな人柄が嬉しく英二は微笑んだ。

「はい、あの岩場は急斜ですし昨夜の雨で滑りやすい、もしかして水が流れている状態かもしれません、」
「だな、」

短い応答に溜息まじり、より後ろの方からも緊張が浸す。
岩場に水があれば足元は悪い、そして墜ち方によっては受傷度合が深刻になる。
この現実たちは山岳救助にある者なら誰も予想は容易い、それでも希望も抱いて真名井北陵を少し下ると人影が見えた。
今回の遭難パーティーだろう大学生数名といる消防救助隊の制服姿にいつものよう英二は微笑んだ。

「坂田さん、」
「え、宮田くん?」

驚いた貌が振向いて日焼顔が凝視する。
現場で連携する消防隊にも異動の挨拶はした、だから坂田も今日が何の日か気付くだろう。
さっきの大野も最初こんな反応をした、つい可笑しくて少し笑った英二に壮年の男は微笑んだ。

「今日だって聴いてたけど君らしいな?」
「はい、ちょうど駐車場で聴きました、この真下ですか?」

答えながら質問して見おろす先、下部の真名井沢から谷風が吹上げる。
炎天下の熱こもる隊服が涼んで心地いい、けれど微かな血の気配を感じた隣で坂田が頷いた。

「ああ、150メートルくらい降りた場所だ。今さっき後藤さんがウチの中谷と先発で向かってくれてる、」

最も傾斜のきついポイントになる、そこへ後藤はどのルートで降りたろう?
以前に光一と辿った道も考えながら英二は坂田へと穏やかに笑いかけた。

「解かりました、バスケット担架での引き上げに向かいます、」
「よろしくな、」

日焼顔を頷かせてくれる、その眼差しが温かい。
まだ2年目の自分を信頼してくれる、そんな空気に感謝と微笑んで英二は同僚三人と赤杭尾根を下りはじめた。
そこから横方向へトラバースしてゆくと、現場は前と同じ真名井沢最上部に切立つ岩溝の一段上だった。

―またあの場所だ、

心裡ため息こぼれて現実が傷む。
あのポイントは危険だと注意看板も立てたはず、それなのに事故は終わらない。
それに等高線を見れば急峻な真名井北陵よりも赤杭尾根から下りる方が安全だと解かるはずだ。
どうしたら人は山を正しく行けるようになるだろう?この疑問に微笑んで英二は後ろを振り向いた。

「あの岩尾根を回りこみましょう、急斜面をトラバースします、」
「解かった、足元に気を付けろよ、」

頷き返した藤岡の目が少し笑ってくれる。
藤岡も以前あのポイントの遭難現場に立ち会った、だから同じ想いかもしれない。
そんな共感にすこし心軽くなりながら英二は登りはじめた背中、Tシャツのなか汗流れだす。

―太陽が熱い、湿度も、

噎せかえる熱気は昨夜の雨が湿気に籠らす。
まだ正午前の太陽ですら炎熱は激しく岩盤は熱い、これでは熱中症が多いだろう。
意識ふらついた瞬間に足を取られ滑落する、そんな危険が雨後の岩場で起きても不思議は無い。

―脱水症状も起こしているかもしれない、それで出血があれば尚更、

遭難者の体調を経験と知識に計りながら、現場への足どりを慎重に運ぶ。
急斜面をトラバースして岩尾根を1つ回り込みテラス状になったルンゼへと出た。
そこに中谷と後藤、大学生らしき青年に囲まれた要救助者の姿を見て英二はすこし微笑んだ。

「副隊長、中谷さん、バスケット担架を持ってきました、」

慎重に歩み寄り声かけると振り向いてくれる。
その二人とも驚いた顔になるまま、後藤が呆れたよう言ってくれた。

「宮田、おまえさん異動初日なのに来ちまったのかい?」
「はい、国村小隊長の許可は得ています、」

微笑んで応えながら消防隊員の傍に片膝つく。
そんな英二の肩ひとつ叩くと後藤は笑ってくれた。

「ありがとうなあ、」

ただ一言、けれど想いの全てが温かい。
この温もり微笑んだ英二に深い目は頷いて、立ち上がり後藤は原たちの方へ踵返した。
これからバスケット担架のセッティングをしてくれる、その時間を素早く山時計に見ながら英二は尋ねた。

「中谷さん、様子はいかがですか?」
「あ、はい、」

意識を引き戻すよう新人消防隊員は返事した。
まだ驚いた顔のままでいる、けれど中谷は手短に教えてくれた。

「呼びかけの反応はゼロ、耳から出血もあり頭蓋骨を骨折しているようです、一刻も早く医師に見せる必要があります、」

意識障害、嘔吐、耳鼻からの出血、けいれん、麻痺。
これらが認められるときは緊急度が高い、そして遭難者は耳から血を流し軽く痙攣している。
相当に厳しい状態と判断せざるを得ない、そう今までの現場と知識から呑みこんで英二は穏やかに頷いた。

「解かりました、脚の応急処置だけ担架のセットまでに終えます、」

答えながら見た右下肢、登山パンツが変形し血濡れている。
おそらく開放性骨折だろう、露出した骨は感染しやすく骨髄炎の危険が大きい。
すぐ受傷部分の保護と固定が必要になる、その判断に英二は感染防止グローブを嵌めた。

―この傷だと滑落の時に足から墜ちたかもしれない、

滑落から着地の衝撃を足で受けた、その衝撃で折れたのかもしれない。
それなら頭部に与えられる衝撃は軽減されるはず、頭蓋骨折も幾らか救われているだろう。
そんな希望を想いながら英二はバスケット担架をセットする短時間で応急処置を済ませた。








(to be continued)

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夏を呼ぶ、雨・時鳥―万葉集×William Wordsworth

2013-05-20 21:32:18 | 文学閑話韻文系
慈雨、きらめくのは



夏を呼ぶ、雨・時鳥―万葉集×William Wordsworth

雨ふる一日だった神奈川です。
昨夜から降り続くまま夕刻、静かな細い雨がやわらかでした。
そんな雨に誘われちゃって帰り道、つい森へ寄った景色をココに載せた感じです。笑

大野らに 小雨被り敷く木の許に 時と依り来ね 我が念ふ人  柿本人麻呂

広大な野原に小雨ふる、
雨の雫鏤めきらめく木の下に、時が来たら籠りに来てよ?
細やかな雨の紗と木蔭に護られて逢瀬を過ごそうよ、ね、私が慕う君、

こんな感じの意味かなって歌です。
イメージに上↑柑橘の雫まとう写真を貼ってみました。
柑橘=立花、立ち佇んで待つ花木って言葉遊びになるし、常緑樹の木下闇はお籠りにちょうど良いなと。笑



かくばかり 雨の雫に霍公鳥 宇の花山に なほ香鳴くらむ  詠み人知らず

こんなに雨が降っている、
それでも雨の雫を透かして霍公鳥の声は聞えてくる。
虚空のもと卯の花咲く山で、香るよう時を呼び鳴くのだろうか?

霍公鳥は「ホトトギス」と読みます。
夏を呼ぶ鳥と言われて「時鳥」「不如帰」また「子規」とも表記します。
ご存知の方も多いでしょうが俳人の正岡子規はホトトギスに自身を擬えてこの雅号を付けました。
ホトトギスは血を吐いても啼いて夏を呼ぶと言われる鳥で、子規は肺病で吐血したことからこの名したそうです。

時鳥が鳴いている山の「宇の花」は「卯の花」です、初夏に咲く白い草花です。
写真はちょっと違う花木ですけど、花の形はコンナ感じなので載せてみました。

卯の花の咲き散る岳ゆ霍公鳥 鳴きてさ渡る 君は聞きつや  詠み人知らず

真白い卯の花こぼれ咲く小高い丘、時鳥が夏を呼ぶよう啼いてゆく。
君はこの声を聴いたろうか、僕が君を恋慕い呼んでること解かってくれている?
もう間近い夏、夏には君に逢いたい、
真白い花散り零れる紗幕へ君を攫って、それから、

時鳥は時告げる鳥だから、恋愛に結ばれる時を告げる鳥って解釈です。
ほんとはコレ、掲載されてる『万葉集』では雑歌に分類されてるんですけどね、
だけど「君」なんて単語があったのでコンナ感じに相聞歌で意訳してみました、笑



Now, while the birds thus sing a joyous song,
And while the young lanmbs bound
As to the tabour’s sound,
To me alone there came a thought of grief:
A timely utterance gave that thought relief,
And I again am strong:
The cataracts blow their trumpets from the steep;
No more shall grief of mine the season wrong;
I hear the Echoes through the mountains throng,
The Winds come to me from the fields of sleep,
And all the earth is gay;

今この時、鳥たちは歓びの歌を謳い
子羊は弾むよう跳び歩く 
小太鼓の響きに合せるように、
私は孤独なまま哀しみに沈んでいたが、
時を得た歌の詞が愁いをほどいて
そして私には、強い心が蘇った 
峻厳な崖ふる滝は、歓びの旋律と響き
この歓びの季節はもう、私の深い哀しみに痛むことはない
連なる山が木霊を廻らす歌が聴こえる、
微睡む野から風は私のもとへ来る、
そして世界の全てが、陽気に笑う

William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」III

鳥の声、滝の水音、山々と涼やかな風。
音声と初夏のイメージが似ているなと想って載せてみました。
それから「all the earth is gay」なんてね、恋の始まりで弾む心みたいだから。笑



昨夜UP短編連載「Lettre de la memoire、暁光の斎 act.8」加筆終っています、あとで校正ちょっとする予定です。
今朝UPした「杜の変若水―side K2,another sky 明日香の風に」は加筆ほぼ終わり&校正少しだけします。

取り急ぎ、



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第65話 序風act.2―side story「陽はまた昇る」

2013-05-19 07:07:26 | 陽はまた昇るside story
次の場所へ、



第65話 序風act.2―side story「陽はまた昇る」

スーツ姿で踏みこむ登山靴から青葉が昇らす。

木洩陽ゆれる道は標識など無い、それでも迷わず進んでゆける。
もう何度めに通るのか解からないほど慣れた、そんな馴染みの木立は夏に息吹く。
そして広がった森の深奥、大樹の天蓋おおう緑の空間に記憶が佇んだ。

『…英二?』

初めて名前を呼んでくれた、あの秋の瞬間が微笑む。
ホリゾンブルーのウェア姿が大いなるブナの前、恥ずかしがりの笑顔が振り返る。
ウェアの衿元から薄紅のうなじを見せて、もう赤くなる頬が笑ってくれた。

「もう、ずっと、愛しているんだ…言えなかったけれど、本当はもうずっと、愛している」

ぎこちなくて、けれど素直な言葉と涙が綺麗な笑顔に零れだす。
あのとき初めて見せてくれた幸せな笑顔と言葉が、黄金の木蔭に咲いた。

「愛している、英二」

When,in a blessed season
With those two dear ones-to my heart so dear-…
And on the melancholy beacon,fell
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam
And think ye not with radiance more divine
From these remembrances, and from the power
They left behind?

祝福された季節に、
愛しい私の想いの人と、ふたり連れだって…
そして切なき山頂の道しるべ、その上に
あふれる喜びの心と若き黄金の輝きが降そそいだ
これよりも神秘きらめく光輝があるだなんて考えられない
あの記憶たちから、その力から遺された以上の輝きは

「周太、」

呼んだ名前は詩の光景に微笑んで風に融ける。
いま夏の梢わたす光きらめいて秋の黄金を欠片に映す。
あの瞬間に今を戻れたら?そんな願い微笑んで英二はブナの樹影に片膝ついた。

「馨さん、俺も七機に行きます、」

大樹の根元に微笑んで呼びかける、そこに馨が遺した絶命の血は埋まる。
ただ一発の弾丸に撃たれた肺の血は手帳に染みこんだ、その血移した脱脂綿の灰はここに眠る。
もう天降る雨に灰は溶けて大樹を流れているのだろうか?その廻らす水の度を想い英二は梢を見あげた。

「今夜は周太と会えるかもしれません、それが俺、怖いんです。喘息のことを問い詰めて、無理矢理に止めてしまいそうな俺がいます。
もう後藤さん達は周太を信じて見守る覚悟を決めました、俺もそうしてあげたいのに顔を見たら崩れそうです…富士で覚悟を決めたのに、」

喘息患者にとって硝煙や砂埃は悪化につながる。
その先にあるのは肺気腫など肺機能障害、そして死の刻限が近づく。
それらが周太の現実かもしれないと、その可能性を夏富士から3日間を考えてきた。
もちろん理屈では解かっている、理性でも解かる、けれど心迸る感情が言うことを聴けない。

「馨さん、どうしたら俺は冷静になれますか?…このままだと俺はまた取り乱します、初任総合の時のようにまた周太を」

また周太を、そう言いかけて言葉がもう出ない。
鼓動ごと破ろうとする想いが詰まってしまう、その傷みに胸抑えた掌へ堅い輪郭がふれる。
ワイシャツとTシャツ透かした小さな鍵の堅い温もりに、懐かしい声が記憶から微笑んだ。

―…私はあなたを信じるしか出来ない…あの子の幸せな笑顔を取り戻してくれたあなたにしか、あの子を託す事は出来ない

メゾソプラノゆれる髪、木洩陽うつす黒目がちの瞳、そして一滴の涙。
あのひとの祈りを聴いて10ヶ月が過ぎ、秋から夏へと季節は一巡して初秋を迎える。
そんなふう彼女の祈りと生きた月日は喜びばかりじゃない、それなのに全てが愛おしい。

「…そうだ、泣いてもなんでも幸せなんだ、俺は」

想い独りごと零れて、樹間の風に融けこみ空へゆく。
昨春から警察学校で過ごした6ヶ月は特別だった、それ以上に11ヶ月は深く鮮やぐ。
この色彩が何から織りだされたのか、その真中にある想いごと英二は大樹を仰いだ。

「馨さん、俺を周太に逢わせてくれてありがとう、」

あのひとに逢えて良かった、この想い仰いだ梢は蒼穹を抱いて光きらめく。



登山ザックとボストンバッグを携えると、部屋は何も無い。
元から少ない荷物だった、けれど11ヶ月の全てがこの部屋にある。
そして、そこには唯一度だけ訪れてくれた周太の気配がそっと佇む。

「…このベッドで周太、泣きながら眠ってくれたな、」

言葉とふれるベッドのスプリング、ここで周太は留守番しながら眠ってくれた。
いつも通っていたラーメン屋の店主が馨の殺害犯だった真実、それに向きあった翌日の記憶たち。
あのときに二人共に見つめた馨の遺志は温かく店主に息づいて、周太の13年間をゆっくり溶かしてくれた。
あの夕暮れも、夜も朝も昼も寄り添って周太を支えられたことは誇らしい。
あの誇りを第七機動隊で共にある時間にも抱けるだろうか?

―どんなに俺が泣いてもなんでも、もう支えるしかないんだ、

心裡に覚悟が呟く、そして静かに微笑は唇ひたす。
その静謐のまま部屋に向きあうと、端正な室内礼を贈った。

「11ヶ月、ありがとうございました、」

低く声は響いて部屋の静寂が立つ。
次はどんな男がどんな想いをこの部屋で見つめるのだろう?
そんな想い笑って英二はドアノブを掴み、扉を開いた。

かちり、

聴き慣れた音鳴いて廊下に出た背、扉は閉まる。
もう一度向き直り施錠して、担当窓口へ挨拶と鍵を返却すると診察室へ向かった。
革靴のソールが響くごと奥多摩の山が少し遠くなる、その先には府中の七機隊舎が待つ。

―本当に始まる、

そっと心つぶやいた左肩、担いだザックの一ヶ所が鼓動へ届く。
そこにある救急用具ケースに納めた金属の部品たちは、今日のゲートも通るだろうか?
そんな思案を抱きながら擦違う相手に挨拶を交わす、そうして辿り着いた親しい扉をノックした。

「はい、どうぞ?」

穏やかな声の応えに扉を開く視界、明るい部屋のデスクから白衣姿が振向いてくれる。
その笑顔が一瞬だけ青年になり、すぐ見慣れたロマンスグレーになって立ち上がった。

「行くんですね、」
「はい、」

短い言葉で答え合い、けれど思いの万感は伝わりあう。
この医師が居なかったら自分の今は無い、その感謝に英二は頭を下げた。

「吉村先生、本当にお世話になりました。異動してもまた教えて下さい、」
「はい、いつでも帰っておいで?」

いつでも帰っておいで?
そんな温度ある言葉で吉村医師は笑ってくれる。
けれど医師の瞳に物言いたげな空気を見、英二は微笑んだ。

「先生、何か俺に仰りたいことがあるんですか?」

問いかけに医師の切長い目がゆっくり瞬いた。
すこし迷うかの眼差しに件名が解かる、それでも背筋伸ばした英二に医師は訊いてくれた。

「宮田くん、湯原くんの様子を毎日教えてもらうことは出来ますか?」

なぜ吉村医師が周太の様子を毎日知りたがるのか?
その理由を真直ぐ医師の目に見つめて英二は穏やかに微笑んだ。

「先日、周太と会われた時に何か気づかれたんですね?」

尋ねた言葉に医師の目は真直ぐ見つめ返す。
その眼差し受け留めた向かい、静かな声が教えてくれた。

「気管支系の疾患が疑われます、ご相談は頂いてないのですが、」

危惧が、現実になって聳え立つ。
夏富士で後藤から可能性は聴かされていた、けれど医師の言葉になれば現実は逃げられない。
もう逃場なんか無い、そんな想いごと息ひとつ飲み下して英二は穏やかに口を開いた。

「吉村先生、周太は小児喘息の罹患歴があるんです。再発した可能性があります、」

告げた言葉の向こう側、白衣姿の笑顔が傷みに瞑目する。
それでもすぐ瞠いた瞳は英二を真直ぐ見、静かに微笑んだ。

「後藤さんの事で肺気腫を学んだ君なら、喘息の再発についても解ってるのでしょう?」
「はい、もう富士で泣いてきました、」

正直なまま応え笑いかける、その想いごと医師の瞳は受けとめてくれる。
ほっと溜息ついて吉村は穏やかに笑ってくれた。

「病院の薬がね、1ヶ月分減っていたんです。たぶん雅人が湯原くんの主治医になったのでしょう、だから大丈夫です、彼も迷医だからね、」

彼も迷医だから、そう息子を評して医師は微笑んだ。
前に吉村医師は自身を「迷医」だと教えてくれた、それと同じだと言ってくれる。
あのときと同じ温かな微笑はフラットな視点がある、その信頼に英二は頭を下げた。

「きっと周太は俺にも話さないつもりです、同じ警察官だから余計に言えないと思います。きっと先生に相談しないのも同じ理由です、
雅人先生にたくさんお世話になると思いますが、よろしくお願いします。俺に出来ることは何でも言って下さい、周太を援けて下さい、」

誰かのために頭を下げるなんて、一年前の自分には出来たろうか?

そんな想いごと下げた視界は診察室の床一面、午前の光に輝いている。
きらめく床ふる陽射しは目映い、その明るさに英二はそっと微笑んだ。

―周太の為なら幾らでも頭なんか下げられる、こんな俺でも、

唯ひとり想う相手のために頭を下げている。
それが誇らしくて幸せに想えてしまう、こんな存在が居てくれることが嬉しい。
その反面本当は怖く弱くなる、その狭間ゆっくり姿勢を直した視界でロマンスグレーが笑ってくれた。

「宮田くんに頭を下げられると困りますね?本来の君は簡単に頭を下げる男じゃないだろうから、」
「はい、」

素直に笑って肯定する、そんな前で医師は笑ってくれる。
そして机の抽斗を開くと一冊の本を出し、手渡してくれた。

「これを湯原くんに渡して下さい、私からと言わなくても良いから、」

穏やかな声を聴きながら見た表紙は、英文綴りの表題が描かれる。
その内容を目に止め英二は医師に向き直った。

「先生、これは日本だと手に入り難いんじゃないですか?」
「だからこそ湯原くんに贈りたいんです、渡して下さい、」

篤実な笑顔ほころばせ医師は目でも促してくれる。
その厚意に甘えたい、けれど貰って良いのか解らない。
そんな迷いの狭間に見つめた英二に吉村医師は言ってくれた。

「銃創の処置ならね、私は知識と手に染みこんでいます。雅人も同じ本を持っているから大丈夫、何より湯原くんには御守になる本です。
それにね、私にとっても湯原くんは大切な友人なんです。だから少しでも援けたいって思っているんだ、十年後の彼とも話したいからね、」

周太にとって御守になる本、十年後の周太とも話したい。
そう言ってくれる想いに吐息ひとつで英二は綺麗に笑った。

「ありがとうございます、必ず周太に伝言と一緒に渡します、」

医師の言葉も伝えてあげたい、きっと周太にとって命綱にもなるほど大切だろうから。
そんな想いに笑いかけた先、穏やかな切長い瞳は英二を見つめ笑ってくれた。

「宮田くん、君の十年後、二十年後とも話したいって私は思っています。どうか毎日を元気に笑って下さい、ここで私は待っています、」

待っている、そう告げてくれる意味に英二は警察医のデスクを見た。
窓ふる光のなか写真立ての笑顔はきらめいている、あの輝きに自分も近づきたい。
そう願う憧憬と嫉妬と羨望と、希望を見つめて英二は約束ごと綺麗に笑った。

「はい、必ず奥多摩に帰って来ます。いつか周太も母も連れて帰ります、待っていて下さいね?」
「楽しみに待っています、」

篤実な笑顔ほころんで一緒に廊下へ出てくれる。
そして歩きだして直ぐ、吉村医師は笑って教えてくれた。

「今日はね、後藤さんは大泣きするから来ないそうです。ちょっと無理だって昨夜、電話が来たんですよ?」

そんなにも想ってくれている、それが素直に嬉しい。
まだ3日しか経っていない後藤との時間を想い英二は微笑んだ。

「後藤さんとは俺、夏富士でたくさん話してきました。それに同じ警視庁山岳救助レンジャーですから、」
「そうだね、でも今日はサプライズの方もいらしているみたいですよ?」

可笑しそうなトーンで吉村は廊下の先、ロビーへと視線を向け微笑んだ。
その軌跡を追った彼方、白いシャツ姿と小学生が立っていた。

「美代さんと秀介?」

顔馴染の姿に驚かされる、二人とも御岳から青梅警察署まで来てくれた?
この予想外に足早になった先から小学生が駆け寄って、英二は片膝つき抱きとめた。

「秀介、わざわざ来てくれたのか?」
「うんっ、美代ちゃんに車で連れて来てもらったよ、」

嬉しそうな声が英二を見つめ笑ってくれる。
この笑顔から自分の御岳駐在所は始まった、もう11ヶ月前になる記憶と英二は笑った。

「ありがとう、秀介。この間もらった竜胆、大事にするからな、」
「あれは、じいちゃんからのお礼でもあるからね。あのね、僕も御岳剣道会に入るから稽古に帰って来てね?」

笑顔が言ってくれる田中老人の竜胆は、自分の真中に今も咲いている。
あのとき氷雨に見つめた紫紺の花を想いながら、立ち上がると英二は小学生と歩きだした。

「秀介も剣道会に入ったんだ、じゃあ同門だな?」
「うんっ、今に背も大きくなって強くなって、宮田のお兄さんと稽古できるようになるからね、」

明るい声で約束を言ってくれる、その声に頷き微笑んでロビーに出た。
そして白いシャツ姿の前に立つと、明るい綺麗な瞳が英二に真直ぐ微笑んだ。

「宮田くん、光ちゃんのことお願いします。それでこれ、光ちゃんと湯原くんと3人でどうぞ、」

差し出された紙袋を受けとると柑橘ふわり香佳い。
すこし持ち重りのする感覚に軽く首傾げた前、明るい笑顔は教えてくれた。

「前に試食してもらった柚子ゼリーの改訂版です、これなら寮の部屋でも食べやすいかなって思って、」
「ありがとう、美代さん、」

礼を言い笑いかける先、優しい笑顔は明るくほころんでくれる。
ただ笑ってくれる貌はどこか逢いたい俤にも似て、その相似ごと英二は笑いかけた。

「美代さん、本当に色々とありがとう。また皆で呑もうね?」
「うん、」

素直に頷いてくれる笑顔は明朗に温かい。
そのまま一緒に4人で駐車場へ出ると、ミニパトカー1台通りから走りこんで停まった。
すぐ開いた助手席と運転席の扉から、今朝も一緒に食事した制服姿が降りて来てくれた。

「ギリ間に合ったな、見送りに来たよ、宮田、」
「ありがとう藤岡、でも勤務は大丈夫なのか?」

同期の笑顔は嬉しいけれど少し驚かされてしまう。
そんな視界に並んで精悍な瞳は可笑しそうに笑った。

「俺が巡回ついでに藤岡を拾ってきた、岩崎さんも山井さんも了解してる、」
「そうなんだ?」

納得しながらも面映ゆくなる、こんな見送りは嬉しいけれど照れくさい。
さすがの自分も困りそう?そんな笑顔ほころんだとき原の無線機が鳴った。

「あ、」

全員で見つめた真中で原は無線を繋ぎ話しだす。
その会話内容を聴きながら同時に英二は携帯電話を開いた。
今の時刻で繋がるだろうか?そんな思案の先5コールめに開いた通話の先に英二は口を開いた。

「国村小隊長、宮田です。今こちらで遭難事故が発生しました、応急処置が必要になりそうです、救助へ向かう許可を頂けますか?」

初めての敬称で呼びかけた先、テノールの声が笑いだす。
そんな陽気で頼もしい上司は電話の彼方から、いつものトーンで命令してくれた。

「了解、現場に急行して下さい。コッチのコトは気にしなくって良いよ、ソッチのが今は大事だからね、」
「ありがとうございます、」

ネクタイ緩めながら自分の四駆へ歩き後部座席の扉を開いて乗り込む。
携帯を切ってネクタイとワイシャツを脱ぎTシャツ姿になると、素早く救助隊服を着こむ。
すぐ着替え終えて後部座席から降りた英二に藤岡が笑い、無線を切った原があきれたよう尋ねた。

「おまえ、異動日に出動するのかよ?」
「ここは現場です、救助に待ったは無いだろ?」

笑って頷きながら制帽を被り、登山靴の紐を締め上げ結ぶ。
そして四駆の運転席に乗り込むと、窓を開けて英二は同僚二人と友人達へ笑った。

「原さんがパトカーで先導して下さい、着いて行きます。先生、美代さん、秀介、今日はこのまま府中へ行くけど、また帰って来ます、」

また帰る、その約束に笑ってエンジンを始動する。
自分の四駆に隊服姿で乗るのは初めてになる、それが異動日の今になったことが面白い。
こんな初めては必然のようで楽しくなる、綺麗に笑って英二は愛車のアクセルを登山靴で踏んだ。








(to be continued)

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朝の空気

2013-05-19 05:18:55 | お知らせ他
夜明、樹木の吐息



おはようございます、空は薄曇りの優しい朝です。
開けた窓から樹木の香が瑞々しい、そういう空気に初夏の時を想います。
鳥の声が近場の森からも聴こえて、穏やかに静かで涼やかな皐月の朝です。

昨日はあんまり書いて無いですね、笑
もし楽しみにして下さっている方いらしたら、すみません。

今日は昨日朝UPの第65話「序風1」の加筆校正とその他をします。
集中連載の続編と短編連載の続編、第65話の2話目を書く予定です。
ソンナ感じで今日はUPを多く出来たらなと考えています、どれも早く話を進めたい、笑


取り急ぎ、


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第65話 序風act.1―side story「陽はまた昇る」

2013-05-18 01:55:28 | 陽はまた昇るside story
始る 



第65話 序風act.1―side story「陽はまた昇る」


あの人が消えるなら自分も消えればいい、ただそれだけのこと。



蛇口を止めて、水流が消える。
髪から肌から雫が墜ちる、この冷たさが好きだ。
それでも明日の朝からは幾らか温くなる、そう思う心が郷愁の場所を定めてしまう。

―もうこの水温が俺の普通なんだな、

肌ふれる水滴にすら自分は奥多摩に馴染んだ。
そんな11ヶ月たちの五感全てが記憶になり、想いになって全て温かい。
けれど記憶の映像は幸福ばかりじゃない、幾つもの絶命と負傷と、血と汗の香が沁みこんでいる。

「うん…どれも俺の宝だな、」

こぼれた独り言は浴室に響き、指で濡れ髪を梳いて顔をあげる。
見あげた窓には薄く光が映りだす、すぐに夜は明けて朝が世界を覆うだろう。
もう刻限が来れば自分はこの場所を立ち、第七機動隊山岳救助レンジャーに立っている。

そして、ようやく闘いは始まる。




制服かラフな服装が座る食堂、ワイシャツにネクタイ姿で入ると視線が向く。
その誰もに微笑向けながら歩いてトレイをとる、その前から馴染みの笑顔が言ってくれた。

「宮田くん、厨房からのお餞別」

笑顔と一緒に差し出された皿は、目玉焼きの黄味が4つになっている。
卵4個分の一皿が楽しくて可笑しくて英二は笑った。

「ありがとうございます、でも卵4個の目玉焼きって初めて見ましたけど、」
「四葉のクローバーみたいでしょ?幸運のおまじないよ、どこの山でも元気なようにね、」

明るく笑ってくれる言葉はさらり温かい。
その温もりは懐かしい人を想わせて、東の故郷を思いながら英二は素直に笑った。

「お心遣いすみません、ありがたく頂戴します、」
「ええ、今日もシッカリ食べていきなさいよ?七機でも元気にたくさん食べるのよ、体に気をつけてね?」

気さくな笑顔が今後へも心遣いをくれる。
言葉遣いも貌も全く違う人、けれど美幸の笑顔を想いだすのは何故だろう?

―こういうのが母親の温もりって言うヤツなのかな、

独り心裡で想うことに、自分の生立ちが苦笑いする。
こうした何げない心配の言葉を実母から聴いたことが無い、けれど今少しずつ母は変り始めた。
それでも真直ぐな愛情の言葉はまだ貰えない、その寂しさは24歳を迎える今でも本音は哀しいままだ。
こんな哀しみが他人の言葉に温められる、この想い穏やかに笑って英二は頷いた。

「はい、ありがとうございます。今までお世話になりました、おばさん達もお元気で、」
「こっちこそありがとうね、」

軽やかな別れを告げてくれる声に微笑んで、英二は踵を返した。
いつもの窓際へ歩み寄る向こう、いつもの笑顔ふたつ並んで手を挙げてくれる。
まだ1ヶ月だけの同僚と1年半を同期として過ごした相手、その二人と食膳を囲むと英二は綺麗に笑った。

「今日まで色々ありがとう、異動してからも同じ山岳レンジャーとしてよろしくな?」

今日の昼前にはこの青梅署を発って第七機動隊舎へ入る、そして午後から訓練が始まる。
そうしたら二度とこの食堂で食事することは無いだろう、ここに座るのも今が最後になる。
次に青梅署配属になる時はもう単身寮には入らない、そんな約束事と想う前から藤岡も笑ってくれた。

「うん、よろしくな。また呑んだりしようよ、剣道で帰ってくるときには声かけろよ?」
「そうする、ありがとう、」

答えと笑いかける先、人の好い笑顔も寂しさと笑ってくれる。
いつも朗らかな人柄のよい柔道青年、そんな同期に笑った隣から低い透る声が言ってくれた。

「1ヶ月世話になった、ありがとうな、」

短い言葉、けれど万感が精悍な瞳に笑ってくれる。
この無口な朴訥は好きだ、そんな感想ごと英二は丼を持ち微笑んだ。

「こちらこそ世話になりました、南アルプスのことまた教えて下さい、」
「おう、」

ぼそっと頷いてくれる瞳は温かい、この寡黙な先輩ともまた仕事したいと素直に想う。
そんな感慨の向かいで丼をかっ込んで、空の丼を片手に人の好い笑顔は立ち上がった。

「お替り貰ってくるな、」
「おう、早いな、」

いつものよう笑いかけた青い制服姿は配膳口へと歩いてゆく。
その背中を見送る隣、すこし困ったような微笑が口を開いた。

「藤岡、おまえのこと話してた、」
「俺のことを?」

何を話していたのだろう?
その疑問と笑いかけた英二に原は教えてくれた。

「初任教養の時に山岳訓練で滑落した同期を援けたこと、救急法の講義でも教場を鎮めたこと。この2つで宮田をすごいって思ったって。
特に滑落の救助は初心者なのにって驚いたらしい、だから宮田の青梅署配属も納得出来るって笑って話してた。今、寂しいだろうと思う、」

寂しいだろうと思う、そう改めて言われる自分も寂しくなる。
初任科教養から藤岡とは一緒に過ごしてきた、あの朴訥とした明るさに何度自分も救われたろう?

―周太とのことも藤岡、いつもフラットに受けとめてくれて嬉しかった、

同じ教場出身者同士、そんな関わりのなか藤岡は周太との関係を大らかに認め黙秘してくれている。
そこに同性愛だという事実への衒いは欠片も無い、そういう自然体な人の好さがいつも嬉しい。
また一緒に酒を呑みたいな?そんな想いと配膳口の背中見つめる隣、日焼顔はすこし笑った。

「あのさ、おまえが富士に行ってる時、おまえの相手に会ったっぽいんだけど、」

言わないのは気まずい、でも申し訳ない?
そうした遠慮がすこし困っている笑顔へと英二は率直に笑った。

「可愛かったでしょ?」
「そうだな、」

また短い言葉に応えたトーンが少し可笑しそうに笑っている。
富士登山から戻った後は忙しくて、この件を話すことは出来なかった。
それでも本当は聴きたかった状況を教えてほしい、そう見た英二は原は教えてくれた。

「国村さんも来て第2小隊のこと訊かれた、黒木さんの事は特に、」

光一が向けた質問項目に来訪の意図が見える。
そこにある現状が思われて、英二は穏やかに笑いかけた。

「原さんが黒木さんと仲良くなった切欠は何ですか?」
「それ、国村さんにも訊かれたよ、」

精悍な瞳が可笑しそうに笑ってくれる。
そして少し考えるよう首傾げ、原は答えてくれた。

「第2に来た最初に黒木さんとパートナー組んで訓練した、それで終わった後に褒められたよ、口数が最低限で良いってさ、」

言葉少ないことが幸いした、そう原は言っている。
これでは陽気な光一とは難しいのも仕方ない?そんな分析と汁椀を手にした隣からアドバイスが跳んだ。

「七機の寮、あんまり壁が厚くないから我慢しろよ?」

何を我慢するって言うんですか?

そう聴きたい台詞とアドバイス者が予想外で喉詰まる。
そして噎せかけた味噌汁をなんどか飲み下し、英二は微笑んだ。

「静かに我慢しないって選択肢もありますよね?」
「ふはっ、」

日焼顔ほころんで笑いだす、その貌が愛嬌に明るい。
いつも仏頂面に見える原だけれど笑顔は違う、それが楽しい前に山盛の丼飯と藤岡が戻ってきた。
座って箸を取りながら大きい目が此方を見てくれる、そして人の好い笑顔ほころばせた。

「でも今夜から宮田、ちょっと悩みが増えそうだよな?」
「悩み?…あ、」

訊きかけて、すぐに墓穴の存在を気がつかされる。
今すぐ撤回したい、そう想って口を開きかけた向かいに先制された。

「本妻とパートナーに挟まれたら大変そうだなって思ってさ、」

ほら、やっぱり藤岡は図星を刺してきた?

そんな予想通りに困りながら、けれど今日は噎せずに済んだ。
こんなことも少しの進歩かもしれない?そう思うこと自体が可笑しくて英二は笑った。

「挟まれたら両手に花だって満喫するよ、」







(to be continued)

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青という色は

2013-05-17 20:35:19 | お知らせ他
空、移ろいかつ恒久



こんばんわ、青空の綺麗だった神奈川です。

今朝UPした文学閑話は加筆が終わっています。
昼UPの短編は 3/4 ほど出来上がりました、あとちょっと加筆の予定です。
そのあと本篇・第65話の英二サイドを考えています。

取り急ぎ、


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不盡、天地の際―万葉集×William Wordsworth

2013-05-17 07:40:44 | 文学閑話韻文系
光輝不尽、遥かなる時に



不盡、天地の際―万葉集×William Wordsworth

天地の分かれし時ゆ 神さびて
高く貴き駿河なる 布士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 
度る日の陰も隠らひ 照る月の光も見えず 白雲も去いき波ばかり 
時じくそ 雪は落りける 語り告げ言ひ継ぎ往かむ 不盡の高嶺は   山部宿禰赤人

天と地が腕ほどき分れた遥か太古より 神の気配に充ちて
高く聳え、貴い、裾引く富士の高峰を 広やかな天穹へと仰ぎ見れば
空渡る太陽も山陰に隠され 照らす月光も遮られ見えず 真白き雲も流れ去れず波のよう留まり
時を知らぬよう常に雪は降る この壮大を語り告げ言い伝えて往きたい 尽きること無き高嶺の富士を

山部宿禰赤人が詠んだ富士賛歌、『万葉集』巻第三に納められています。

冒頭「天地の分れし時」は日本の神話に基づく一文です。
世界の原初は混沌とした靄のような状態で、それが天と地に分かれたと『古事記』に書かれています。
それを踏まえた表現なのですが、この天地開闢は擬人化による描写がちょっとエロい感じです。笑

神話では伊弉諾尊・イザナギノミコトという男神と伊弉冉尊イザナミノミコトという女神が天沼矛・アメノヌボコで最初の島を創ります。
作り方は泥んこ沼状態の地へと鋒を挿しかき混ぜ→水分と土成分に攪拌分離→この土部分が水分=海に滴り積もって島の出来上がり。
っこの作り方ってバターを作るのと似てますよね、水分=乳清で土成分=バターって感じに捉えると解かりやすいのかなあと。笑

この攪拌作業のとき二柱の神が立っていた場所を「天の橋」と書いてありますが、イメージとして虹かもしれないですね。
こうして出来上がった原初の島は淤能碁呂島・オノゴロジマは「自ずから凝った島」または「ゴロゴロ混ぜた島」と選名に二説あります。
この淤能碁呂島で二柱の神はXXXをして日本の国土を生むのですが、その辺の描写もある意味リアルで大らかです。笑
お誘いは男からがマナーだよってことまで書いてあるんですけどね、この理由考察も楽しいかもしれません。

生まれた国土の本州部分を大倭豊秋津島・オオヤマトトヨアキツシマと言います。
この別名を天御虚空豊秋津根別・アマツミソラトヨアキツネワケと言って、天と津=海を根っこから別けた虚空部分という意味です。
いま集中連載中「Lost article 天津風」の天津風は、天空と津=海原を駆けぬける風を表す言葉になります。

また上述の歌は「長歌」物語的な韻文です。
これを要約する短歌=反歌は百人一首でご存知の方もあるかなと。

田兒の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白に衣 不盡の高嶺に雪は零りける  山部宿禰赤人

田子の浦浜に出て見ると、尽きること無き高峰へ雪は降り零れて真白な衣まとうようだ

田子の浦は現在の静岡県にある浜辺です。
真白に「衣」は「そ」と読む万葉仮名ですが、ここでは衣服の意味を絡めた訳にしました。
富士山は裾野が大きく広がるために裳裾ひく貴婦人と称えられます、その辺りでこんな感じです。



Upon the naked pool and dreary crags,
And on the melancholy beacon, fell
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam-
And think ye not with radiance more divine
From these remembrances, and from the power
They left behind?

水果てた池と、荒涼たる岩山と、
そして抒情切なき山頂の道しるべに、
あふれる喜びの心と、若き黄金の輝きがふり注いだ。
あれよりも神秘なる光輝を得られると、
数多の記憶と遺された力から
考えられるだろうか?

William Wordsworth『The Prelude [Spots of Time]』の一節です。
茫漠とした抒情ある岩山、そう言われるとこの国では富士山っぽいなあと。
森林限界を超える高峰ならいずれも山頂部分は岩石状ですけどね、笑

divineは神々しいという意味です。
山部赤人の歌にある「神さびて」と重なる感覚がここでも詠まれているなと。
From these remembrances は「数多の記憶」ですが「悠久の時間」とも意訳できます。

ワーズワスの自然に心を詠みこむ歌作は万葉歌人と似ているなあと。
古今東西で人の心も感受性も普遍があるなってことが、こんなふう詩歌からも感じます。
イギリスの倫理学者カントは理性の普遍性ってことを論じていますが、抒情にも同じよう普遍的感覚があるなあと。
そうやって考えると人間の思考も感覚も、民族国境から時空すら関係ないモンかもしれませんね。笑






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たまには読者になって

2013-05-15 12:45:00 | 文学閑話散文系
お盆過ぎの青空ひろがる日曜です、こちらは。
ちょっと近場の山へ車走らせてきましたが、濃い緑に入道雲の白が映えて美しかったです。

お知らせ掲示板にさらっとふれていますが・影響を受けた本のこと。
いま読んで下さっている方、お薦めの本はありますか?
自分はマアこんな感じで

司馬遼太郎は『街道をゆく』シリーズの文章が大好きです、あの元編集長なバッサリ切れ味が堪らんです。
特に美しいなあと思ったのは、『奈良散歩』の興福寺阿修羅像について。
阿修羅像のモデルを想像して言及しているのですが、表情と姿から読みとる像の内面表現がすごいなーと。
そして『比叡への道』の「鬱金色の世界」法華大会のルポルタージュになっています、この現場描写は日本語の美をガッツリ魅せて頂きました。
光と影、木履の響く音、密やかな問答の声、蝋燭の煙と香。それから二千年の霊場を漂う不可思議な空気感。
伝統的寺院の持つ特有の「時間が止まった空間」を見事に書き切っていて、惚れます。
ああいう客観的な観察力は新聞記者ならではの、現場を踏む人の力というのか・現物を視て書く凄みを感じます。

自分も実際に比叡山は登りました。
夏の朝からでしたがが、司馬さんも書かれた通りに濃霧が凄まじかったです。
視界は30cmもなく足元すら見えない、音も無く人けも無く、なにか得体のしれない空気が流れて。
衣服に霧が浸みこみ冷えていく、堂にあがれば靴下を透し水気は昇ってくる。
真綿で目隠しされたよう白い霧に包まれて、天も地も無い異世界でした。

で、注意ですが。女性だけでは絶対に行かない方が良いです。
根本中道のエリアはまだしも、最奥の横川はマサに異世界・2000年前の時間が籠められたような場所です。
人間に会うこと自体が少なく山道です、あんなとこでナンカ巻き込まれても誰も援けは来ません。



川端康成は内容はそーでもないですが、情景描写の美を学ばせて頂きました。
『伊豆の踊子』と『雪国』の冒頭は秀逸、中学生の時かな?初めて読んで表現が神だと思いました。中身の恋愛話はマアあれですが。
雪国の夜を表現して「夜の底が白くなった」とある、あれは実際に雪深い街に住むと感覚に迫る描写なんですよね。

井上靖『楼蘭』、『敦煌』も影響受けていると思います。ストイックな文章の底流にある熱っぽさがイイ。
それが顕著だったのが『楼蘭』の一体の女性ミイラ発掘についての行でした。
ただの発掘品としてではなく、ひとりの女性として捉える視点が美しいです。

古典で言えば『今昔物語集』と『万葉集』ですが、どちらも世界観と描写が好きです。
万葉は、自然現象と心理現象の呼応表現に凄みを感じます、古代人の大らかな心理には強靭な美を見てしまう。
今昔は、現代の感覚に近いものが数多く出会える世界です、そして見失いがちな「未知への想い」が楽しい。
特に今昔は「巻第二十七 本朝付霊鬼」の描写がどきどきします、闇への感覚を覚ましてくれる感じで。

こちらは論文ですが、小川和佑先生『桜と日本人』は豊富な種類の桜たちを書分ける描写力が凄いです。
文章の軽快さなら小松和彦先生の『異人論』ほかは読みやすく、怪談なんか好きな人には入門書としておススメです。
掲示板にも触れた高橋崇先生の東北史研究書、こちらはフィールドワークで出会った現物への濃やかな描写が秀逸です。
特に藤原四代のミイラ発掘についてが凄みがあります、優れたミステリーを読んでいくような面白さがあって。



恋愛小説で唯一どかんと来たのは高橋治『風の盆恋歌』です。純愛と現実の哀しさがもぉね、人間って美しく哀しいなあと。
この高橋さんとの出会いは友達から貰った『短夜』でした。

「たまには恋愛小説も読めよ、骨董界が舞台だし読みやすいんじゃね?」

など言われて渡されたので、その帰り道の電車で読んだワケです。
そしたら意外と読みやすかった、男性が描いているからかな?友達が言うよう骨董界=コアな世界だからかな?
いつも読んで下さる方は気付かれていると思いますが、和物って自分は好きなんですよ。
だから骨董も嫌いじゃない、眺めに行くこともありますし、茶の湯は骨董扱うしね。
その辺の好みを良く知っている友達に感謝です、笑

で、他のも読んでみようかなーと手を出したら、和物を美しく描く作家さんで。
それで何作か読みました、北陸平泉寺を舞台にした刀の研磨師の話とか面白かったです。
なかでも心を引っ叩かれたのが『風の盆恋歌』でした、恋愛小説に対する考え方を変えてくれた一冊です。
あー、恋愛小説って恋人同士だけの物語じゃないってとこ書くと面白いんだなー感動するんだなーと。



いちばん最近で面白かったのは、青梅警察署警察医の手記です。
掲示板の資料出典に書いてある本です、明快な文章と吉野先生独自の所見が読みごたえありました。
この小説を書くための資料として探して読んだものですが、出会えてよかった名著だと思っています。
これと同時に面白かったのは、青梅署山岳救助隊副隊長の手記『山岳救助隊日誌』これも資料にさせて頂いています。
とても読みやすく、かつ美しい文章で綴られていて副隊長の人柄を感じさせる名文が多いです。
この副隊長さんを小説の後藤副隊長のモデルにさせて頂いています、なので後藤副隊長エピソードは実話ベースが豊富です。

だらっと書いてみましたが、気になる本とかありましたか?
なにかおススメ本ありましたら教えてください、ジャンル問わずで。

趣味のブログトーナメント


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第64話 富嶽act.8―side story「陽はまた昇る」

2013-05-14 20:33:15 | 陽はまた昇るside story
祈望、最高峰の黄昏に 



第64話 富嶽act.8―side story「陽はまた昇る」

硝煙や砂埃がひどい環境は喘息を悪化させるってことだよ。

そう告げられた言葉の通りだと解っている。
だから敢えて触れたくなかった、その「環境」が今後どうなるか知る分だけ逃げたい。
それでも見つめあった現実に肚底から叫んだ聲は唇を動かした。

「退職、させてくれませんか?」

こぼれた言葉に黄昏が降る、その光に座して向きあう瞳が大きくなる。
いつもの深い瞳に映りだした途惑いに英二は真直ぐ願った。

「後藤さん、周太を退職させてください、今すぐ警察をクビにして欲しいんです、お願いします、」

真直ぐ瞳を見つめたまま願いは音を持って叫びかける。
あと一ヶ月も経たず迫る期日が怖くて、恐怖のまま英二は訴えた。

「後藤さんなら解かってますよね、周太がこの後、あと一ヶ月もしたらどこに配属されるのか?七機より硝煙も埃も酷い場所になります、
そんなところに行ったら周太、もし喘息だったら肺気腫を絶対に起こします、まだ23歳なんです、それなのにもう駄目になるなんて嫌です、」

北岳草を見せてあげる、

そう約束してから一年も経っていない、それなのに約束はもう壊されてしまう?
世界中で北岳にしか咲かない可憐な高山植物、あの姿を植物学に夢見る周太に見せたい。
そう願ってきた、それは光一を抱いても変らない願いのまま息づいて、今さらのよう強くなる。
それなのに今この場所で、この夏富士で17年前に解っていた現実が約束ごと幸福を奪いに来てしまう?

「嫌です、まだ周太に何も見せていません、俺が本当に見せてあげたい景色も花も、まだ見せていないんです。だからお願いします、」

どうかお願い、あのひとを止めてほしい。
今なら未だ間に合うかもしれない、その可能性を英二は言葉に変えた。

「周太だって警察官採用試験に合格したんです、それなら小児喘息は治っていたはずです。だから今ならまだ再発の初期段階だと思います、
まだ完治させるチャンスが今ならあるはずだ、肺気腫は逃れられるはずなんです、そうしたら周太、まだ山に登れる可能性だってあります、
周太は山の木の樹医になりたいんです、山に登れないと駄目なんです、今なら間に合います、今すぐ周太を退職させて下さい、お願いします」

今なら周太の夢は、山の樹医になりたい夢は叶う可能性が高い。
けれど本当に喘息が再発してしまったら、そのまま悪化して肺気腫を誘発すれば周太の気管支は再起不能になる。

―…病院で検査したら喘息が解かったんだ、それで最大酸素摂取量も低い…気管支自体の問題だから難しいよ、しかもSpO2が普通より低かった

経皮的動脈血酸素飽和度SpO2

Saturation飽和度、Pulse脈拍、Oxygen酸素 の頭文字でSpO2と略される。
動脈血中酸素と結合しているヘモグロビンの割合=ヘモグロビン酸素飽和度の値を動脈血酸素飽和度SaO2と呼ぶ。
この測定には血液ガス分析を遣うが、パルスオキシメーターで測定したSaO2の近似値が経皮的動脈血酸素飽和SpO2となる。
このSpO2は低酸素症の発症をモニターすることであり、測定値が示す状態は93%以上なら正常。
90%以下は要検査、70%以下はチアノーゼを発現、50%以下で組織の損傷、そして30%以下で細胞死する。

この値が低いという事は肺機能障害を意味してしまう。
それが17年間の生活で隠れていられたのは一旦の治癒と、高地に行く機会を失った所為だろう。
そんなふう考えると馨が休日ごと息子を山へ連れて行った理由が、その真実が解かる。

―良い空気でリラックスさせてあげたかったんだ、山歩きで地道なトレーニングさせて体力をつけてあげたかった、

樹木医になりたい、

そう息子が願った時、どんなに馨は嬉しかっただろう?
英文学者の道を絶たれた自分の運命とは違う未来を、我が子の植物学へ夢見た希望はどんなに嬉しかったか。
仏文学者だった父親の晉とも違う植物学という道に、息子の幸福と健康を祈り馨は息子に山を教えようとした。
その祈りが解かるからこそ尚更に、今、周太をあの場所から引き離したい。

「七機を動かして周太に健康診断を受ける命令を下さい、体力の不適格で辞職に追い込めばいい、七機なら後藤さんの力で動かせますよね?
地域部長の蒔田さんを動かして人事二課に圧力を掛けることも可能じゃありませんか?あそこにも山岳会の人間が居ますよね、七機ならもっと。
警視庁山岳会の会長なら、後藤さんなら周太1人くらい辞職に追い込めるはずです、お願いします、今すぐ周太を警察から引き離して下さい、」

どうか周太をもう、警察から放して欲しい。
本当は自分の力で周太を辞職させようと思っていた。
けれど今じゃなければ間に合わない、そして今の自分では力が足りない。

―悔しい、俺の力で護れないなんて悔しい、

自分の力だけで、あのひとを護れない。
こんなこと悔しくて赦せない、プライドが悲鳴を上げて嫌だと逆らう、けれど時間が無い。
この今しかチャンスが無いかもしれない周太の体と夢の保持、それを願うまま英二は後藤の前に両手をついた。

「後藤さん、周太を辞職させて下さい。お願いです、周太の体を壊させないで下さい、周太を死なせないで下さい…っ、」

願い、英二は土下座した。

土下座するくらいなら死んだ方が良い。
誰かの力に縋ってまで生きたくない、誰にも自分のプライドは売らない。
そう思って生きてきた、けれど今の自分は唯ひとりを救えるなら土下座でも何でもする。
あのひとを救えるならこの命すら惜しくない、そんな想いごと床へ這いつくばった肩を大きな掌が包んだ。

「宮田、土下座なんか止めてくれ。おまえさんのそんな姿は見たくないよ、ほら頭をあげろ?」

深い声が響いて大きな温もりが肩を持ち上げようとする。
けれど英二は絨毯を見つめたまま、頭上の相手へと願った。

「嫌です、周太を辞めさせるって約束して下さるまで止めません、周太を辞職させて下さい、」
「それは無理だ、すまん、」

短い答えが、深い声になって心臓を絞めあげる。
喉まで絞め上げられ顔あげて、後藤の瞳に英二は視線で咬みついた。

「なぜだ!後藤さん、あなた言ったじゃないか、周太を援ける為なら何でも言えって、さっきこの山頂でも事情は解ってるって!」

自分の聲がやたら鼓膜深くに響きだす。
見据えた一点に相手の目だけしか見えない、そして感情が発熱する。
背中から脳まで真紅に侵されてゆく意識のまま、この唇から憎悪が噴いた。

「周太のことは俺を操る道具ですか?親を棄てた俺を息子だって言うのも操る為ですか、俺じゃなくて俺の能力だけが欲しいんですか?
光一のパートナーやって救急士になって出世して、山岳会を守れば用済みか?あなたも俺の親と同じで、俺の才能しか見ていないんだろ!」

荒げた声が耳鳴りを撃ち、灼かれた心の劫火が感情を煮えさせる。
幼い頃から抑圧された記憶ごと「才能」への反発が痛い、この傷みへの憎悪に見つめた視界、後藤の瞳が笑ってくれた。

「周太くんは男だよ、それもとびきりの立派な男だ、そうだろう?」

周太は男、そんな事実を告げて深い瞳が笑う。
その瞳を見据えたままの視線越し、稀代の山ヤはいつものトーンで話しだした。

「立派な男には信念ってモンがある、それに従うことを周太くんは決めとるよ。たぶん10歳にならない前から、きっと父親が消えた時からだよ。
周太くんはな、おふくろさんを独りっきりで支えながら父親を追いかけて生きてきたんだ、それが周太くんの生きた14年間のプライドなんだ。
あの子の性格だと苦しいこと哀しいことが多かったはずだろうよ?それがな、再会して貌を見た途端に解ってなあ、本当は俺は泣きたかったんだ、」

本当は泣きたかった、そう告げた微笑の瞳が窓ふる黄昏に揺らぐ。
黄金に染まりだす山小屋の一室、至近距離に向きあう男は笑ってくれた。

「樹医になりたいって話は俺も湯原から聴いたよ?湯原のヤツ、本当に嬉しそうだったぞ?だから周太くんの名前を見つけた時は、本当に驚いた。
光一のパートナー候補を探して警察学校の名簿を見た時、嘘だろうって疑ったぞ?それで履歴書から全部を閲覧してなあ、射撃部のことがあった。
しかも工学部じゃないか、農学部じゃなかったんだ、だから俺にはもう解ったんだよ、なぜ周太くんが警察学校に入ったのか理由が解かったんだ、
だから辞めさせたかったよ、だけど宮田が連れてきた周太くんの貌はなあ、とっくに決意した立派な男の貌だったよ、だから俺も覚悟したんだぞ?」

俺も覚悟した、そう言って「同じだ」と深い瞳は笑う。
そして深い穏やかな声は英二の肚に響いた。

「湯原の息子が選んだ道を俺も全力で支えてやろうって覚悟したよ、だから警視庁の射撃大会の時もな、俺は補欠だがエントリーしたんだぞ?
ずっと出場は辞退し続けていたんだ、俺は山の殿下の警衛でもあるからな?だけどあの日だけは周太くんの運命の瞬間に立ち会ってやりたくてなあ、
湯原が出来ないことを俺がしてやろうって思った、それはな?一人前の男として認めて、信念を貫くサポートをしてやることだって俺は想っとるよ、」

今冬2月、警視庁拳銃射撃競技会で周太の進路は定まった。
あのとき光一も自分も周太の選択を見つめながら、周太に絡まる50年の連鎖へ反抗を挑んだ。
その傍らで後藤も見守ってくれていた?そんな真相ごと見つめた深い瞳は穏やかに笑ってくれた。

「あの日は蒔田も同じだったよ、蒔田も俺も周太くんのことを警察学校に入った時から見守って来たんだぞ?それで周太くんの意志を見てたよ、
だから二人で肚を決めたんだ、敢えて自分たちは手出しをしない、周太くん自身の力で父親の真実に向きあわせてやろうって覚悟しているんだ。
周太くんが立派な男だから周太くん自身の判断を信じようって決めとる、他が勝手に手出しすることは立派な男の誇りを傷つけるだけだからな、」

周太は立派な男、
そう解かるから後藤も蒔田も信じ、覚悟している。
その広やかに深い信頼と支える意志は日焼顔ほころばせ、英二の両肩に大きな手を置いたまま言ってくれた。

「なあ、宮田。周太くんを大切に想うならな、周太くんを一人の立派な男だと認めて、信じて、判断も意志も丸ごと受けとめてやってくれんか?」

全てを丸ごとに受けとめる。
そんな大きな懐を提案して後藤はいつもの深い声で言ってくれた。

「男なら護られるより戦うことを選ぶ、それは宮田こそ解かるだろう?立派な男なら自分の意志を貫くことが本望だ、それを手伝ってやればいい。
周太くんの誇りと意志を壊したらいけない、たとえ結果が命を縮めることだとしても周太くんの選択なんだ、それが周太くんの幸せなら仕方ない、」

命を縮めることすらも幸せな選択。
そんな言葉は自分こそ解かっている、日々を山岳救助に駆ける身なら解からない訳が無い。
最高峰を夢見て険峻を辿り凍れる巨壁を登攀し、生死と天地の境に立つ誇りに自分こそが生きている。
そして後藤も同じように生きてきた、その理解に英二は涙ひとつ零し微笑んだ。

「今日の富士登山、後藤さんも俺も命を懸けてだってピークハントしたかった、それと周太も同じってことですよね?」
「ああ、そうだよ。その通りだ、」

深い声が応え微笑んで、ぽん、肩ひとつ大きな掌が軽く叩いてくれた。
その温かな振動が背中に廻り鼓動を押して、大きな吐息に英二の喉を迫り上げた。

「覚悟します、俺も。でもっ…でも俺は…っ、」

嗚咽あふれ、涙が堰を切る。
きっと、こんな覚悟は何度しても痛い、耐えられる自身も無い。
痛くて苦しくて解らなくなる、そんな痛覚ごと大きな懐は英二の肩を抱いてくれた。

「周太くんはな、おまえよりずっと強い男だぞ?だから今ここで泣いておけ、周太くんの前で泣いたりしないで済むようになあ、」

深い声と懐の温もりが、涙ごと怒りも哀しみも溶かしだす。
この今だけ、そう決めた涙に英二は大きな広い男へ縋りつき、泣いた。




朱色に染まる砂利道を歩く、その音に風が鳴る。
登山靴に踏む砂礫は乾いた軋みをあげ、右手に樹海の囁き広がらす。
もう暗い山蔭に見上げた空は黄金とブルーに深い、流れゆく金色の雲は墨色の陰翳あざやがせ駈けてゆく。
富士山五合目、天へ昇らす茫漠の岩石と豊穣なる森、その二つの世界を分かつ一閃の道に英二は佇んだ。

The innocent brightness of a new-born Day  Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,

幼い頃から親しんだ一節が今、立っている天地の際に響きだす。
昇る陽と沈む陽に見つめる雲の色を知る瞳は、人間の生死を見つめる瞳。
そんなフレーズは天地の境界線に見つめる黄昏に、より鮮やかな現実となって泣けない涙に融けてゆく。
そして深まる肚の覚悟に微笑んで、遥かな東の空へと英二は約束と笑いかけた。

「周太、俺も覚悟したよ?でも諦めたりなんかしないから、」

諦めたりなど出来ない、この最高峰で気づいた本音にそう笑える。
どうしても離れたくない唯ひとりの相手、それなら離れないで済むよう考えて動けばいい。
そんな思案に見上げた山頂の空は雄渾な雲を幟ひるがえし、今年の初めに伝えた誓いの言葉を心へ映した。

 あなただけが、自分の真実も想いも知っている
 そんなあなただから、心から尊敬し友情を想い真剣に愛してしまった
 この純粋な情熱のままあなただけが欲しい、あなたの愛を信じたい
 純粋で美しい瞳のあなたに相応しいのは自分だけ、どうか変わらぬ愛と純潔の約束を交わしてほしい
 毎夜に愛し吐息を交して、どうか毎朝に花嫁としてあなたを見つめたい
 だから約束する「あなたを愛していると最高峰から永遠に告げていく」すべてに負けない心を信じてほしい

正月に贈った求婚の花束に添えた、精一杯のメッセージ。
あの言葉も約束も、全てを周太は覚えているだろうか、今も信じてくれるのだろうか?
たとえ信じて貰えていないとしても自分の本音はもう変わらない、この戀ごと英二はウェアの胸元を握りしめた。
その掌に触れる堅い、確かな輪郭を持った小さな鍵を左の掌が記憶する、その左手首で動く山時計の秒針に贈り主の時間が切ない。

「馨さん、どうか周太を、あなたの息子さんを護って下さい…周太の肺をこれ以上痛めつけないで下さい、救けて下さい、」

声に零れる祈りが夕風に靡いて空へ向かう。
この祈りがどうか天へ届いてほしい、最高峰の神に叶えてほしい。
どうか周太の体が壊れる前に全てが終わることを願う、そんな今の心に初夏の想いへ懺悔が痛い。
この本音を今ここで吐きだしていこう、そう決めて英二は黄金染まる山頂を仰いだ。

「富士の神よ、聴いて下さい。俺は周太の体が壊れても良いと願いました、俺の傍に居てくれるなら不自由な体になってくれて良いと、」

初任総合の期間、自分は何度もそう思ってしまった。
離れたくない想いが狂気を呼んで夜、この手を周太の首に懸け心中未遂まで謀った。
あのとき自分が願った「愛する人の死」が現実に近づいてくる、その今になって思い知る祈りを天辺に告げた。

「でも違います、今こんな時になって初めて解かりました。俺は周太に元気で笑っていてほしいんです、元気な樹医になって笑ってほしい、
幸せに生きていてほしい、俺が周太を幸せにしたいんです。その為なら俺は何でもします、だから富士の神よ、願いごとを俺に許して下さい、」

どうか幸せに笑っていてほしい、唯ひとり幸福を願う人は元気であってほしい。
これから始まる日々は周太の体に何を惹き起すのか?その現実を自分は知ることになるだろう。
それでも今この願いが叶うと信じ続けたい、そう覚悟を肚にこめ英二は山頂へと大らかに笑った。

「最高峰の神よ、俺の頬に竜の爪痕を刻んだことが祝福ならば願いを聴いて下さい、どうか俺の命を周太に分け与えて下さい、
そして二人離れずに生きられる時間を下さい、一秒でも永く一緒に生きさせて下さい、雪崩の爪痕にくれた祝福を周太へ下さい、」

この山に初登頂した冬睦月、雪崩に跳んだ氷は自分の頬へ爪痕を刻んだ。
これを最高峰の竜の爪痕だと光一と周太は言祝いでくれた、その全ても懸けて永遠を祈りたい。
この祈り応えるよう、生命の息吹く森から風は頬の傷痕なぶって斜面を駆け昇り、黄金の雲に天を輝かす。

富士五合目御中道は天地の境、神と人を結ぶ道。そこに見つめる黄昏は雲に謹厳の色を映して流れ、そして時は動く。








【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」XI】

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