よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

拡販。

2011年05月21日 | Weblog
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2011/5/28(土) 
よっちゃん農場 + 復興プロジェクトチーム「海の手山の手ネットワーク」で上京します!
at GAIA!詳細はこちら。
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激アツな一日。短パンがベストだったなぁ。




このところの土曜の定番になりつつある「朝夕ネット仲間の復興支援ギフト」の荷造り。
4回目となると、なんとなく、慣れもあり緊張感が欠けて来たのか、
今回は忘れ物が多発
それでも大分短時間で終わるようになってきた。

次回が最後かなぁ。


その後、伊達コレ仲間の漢方牛営業Sさんと仙台駅へ。

1階、食材王国みやぎブースへの商談に。見事成立!
家に戻ると、別件で商談していたところも審査を通過したとの電話が入る。
ありがたい。

震災で県内の取引先も被災してゲンナリしていたけれど、今は出来る事をやるしかない!


その後、夜中まで加工場にて仕込み。

いぎなりがんばっと!よっちゃん!


歩む道。

2011年05月20日 | Weblog

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2011/5/28(土) 
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そういえば昨日の定期市で面白い人に会った。

数年前に我が家でやっていたイベント(カミさん曰くダッシュ村のパクリ)で会って以来の知人Yさん(すげー美人)。
最近になってまたちょくちょく話す機会も増えて来て、昨日も訪ねて来てくれた。

そのとなりに面白風味満点なメガネの男性。どうやら彼氏らしい
なんと話を聞くと大手広告代理店Hの仙台支店に勤務。

流れで話が復興プロジェクトの話題になった。
彼も商売という意味では業界の真ん中にいる人だ。

けれど、今アチコチで盛んな復興、支援という名がついた活動には「ん!?」という違和感があるとのこと。
そんでもって我々の海山ネットの中身、こんなことやろうかと思ってる、という話に興味を持ってくれた。
今度ぜひともゆっくり話したい。

要は、義援金の流れだったり、支援として送られる物資の一方通行な感じとか、
なんだろう…被災者と接する、話すという「実感」が伴わないところに、それでいいのかなぁ~と疑問を感じているらしい。

近いものがある。
我々の海山ネットが出来るまでの経緯として、
最初は、ボランティアも募金もする余裕が無い!まず自分が元気にならんとその余裕も出ないよー!
と思っていた。
そして、時間が経ち、今避難生活をしている人たちにとって何が必要か、何を手助け出来るのか、

それは「与えること」ではないなと思っている。(誤解しないように。切迫している「今必要なもの」とは別ね。)

前提として、もちろん私はぶっ壊れても家屋敷はある。彼らは何にも無い。
その経験の差を埋めるのはとっても難しいし、彼らの心、気持ちの流れ、時間にある意味任せるしか無い。

それでも現実はもの凄く厳しく、仮設住居が出来てそこに入ったら再スタートしなくちゃならない。
それは誰が面倒を見てくれるわけでも保障してくれるわけでなく、自分たちで考えなくちゃならない。

そこが、我々が共有出来るところかなーと感じている。
中途半端に地震被害を受け、見た目は地味に、実態は深刻なこれからを、私だって考えなくちゃなんない。
だから、彼らが自分たちで「前を向き、前に進もう」と感じたときに、何か手助けが出来る、一緒に出来る
事をやろう。そのキッカケを作りたい。それも商売を通して。それが生きるってことだから。
それが我々の復興プロジェクト。

逆に言えば、避難者全員を対象に出来ない。とっても地味で、難しく、手間も時間もかかりすぎるから。
何よりも華々しくはない!
それでも、やっぱり、漠然と、なんとなく流れに乗っかってます的なものより余程意味があるなーと思う。

なんか、生きてるってそういうことでしょ。そう思う。


実態がないのに怖がったり、見た、聞いた事が実感と勘違いしてる人が多いなーとつくづく思うんだもの。


んーもっと書きたいけどまとまらない。ので、今日は止めます!




再会。

2011年05月19日 | Weblog

震災以来、開催する公園が復旧部隊の拠点になっていたため休止していた定期市。
私らも311以来、初の直接販売。
私が参加している団体の中では、地味だけれど一番「お客さんと信頼で結ばれている」市。
今日は
「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」
なんて言葉はなく、商売、お客様という分別も抜きで
「大丈夫だったが!?」「いや~無事で良がった~!」
と、お互いの存在を確認し合い、あっちこっちでそんな言葉が交わされていた。

来てくれた皆様ありがとうございました!




そして、ずっと行方が気になっていた南三陸の元気印、松野さんにようやく会えた。

あの日は南三陸の病院に入院していて、上階に逃げて助かった。
助かったと言っても、建物ごと何度も波に揺すられ、
外を見ればその黒い渦の中の壮絶さを目の当たりにしたという。

ある人は顔を涙に濡らしハンドルに掴まって渦にのまれていく女性、
ある人は冷蔵庫を浮き輪代わりの様に、必死の形相で流される男性、

そんな人が、もう沢山、黒い海に消えてく様を目の当たりに。。
建物の中で助かっている人たちも、どーすることも出来ず、ただ涙し、叫ぶことしか出来なかったそうだ。


そんな彼女、深刻な病気を抱える中、自分の町の復興をめざし今日も元気を振りまいていた。
何よりも、今回の事で南三陸の人がこのまま避難から戻らなくなる事が怖いという。
幸いにして家屋敷は海から離れて残ったので、町に残る自分が出来ること、商売をし、
周りも元気にして行きたいと張り切っている。
すげぇ~なと思う。

我々の海山ネットも発想は同じだ。
「与えるだけで」全て失ってしまった人たちの復興の手助けにはならないと思っている。
今はみんな手を差し伸べてくれるけれど、町が片付き戻ってからの生活、経済は自分たちで
考えていかなければどーしよーもない。
けれど、我々はそんな地獄を見てはいないから、キッカケを提案し、彼らが自分たちで「前にすすむぞ」
という気持ちになるのを、今は歯がゆくても待つしかない。
再び立ち上がったとき、全力で後方支援出来るように。


思えば、私がこっちに戻った10数年前、大した売り先もなく途方にくれてた時期、
県の農産加工連という団体に入会し、はじめてヨーカドーに出展した際、
右も左もわからない私に一番最初に声をかけてくれて、あれやこれやと世話してくれたのが彼女だった。
今と変わらず元気で、時には少々ビックマウスな彼女。。
とにかく前向きで気が強く、どちらかというとネガティブな私としては、何度励まされ、また救われた事か。。
その恩に報いる時期だ。



いや~…今日は…久しぶりに彼女の「海鮮はっと」が食べれて満足満足。




「東北応援隊」がやってきた。

2011年05月18日 | Weblog
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昼過ぎ、佐藤農場へ。


猛暑の中、南三陸の数少ない若手A君が草刈り奮闘中!!




ちょうどたねの森紙さん(なんと珍しい名字)から電話が入って待ち合わせ、海山ネットみんなで会おうと呼びかけ集合。

GAIAにお世話になって「たねの森」を知り、主にGAIAで、時には直接買った事もあったけど、
面識はもちろん話した事もなかった。

今回311があり、
「東北を支援する為に仲間で「東北応援隊」を作りました。東北の復興に手助け出来る事があれば販売その他で力になりたい。」
そんなメールが届いたときには、正直、どう返していいものか迷ったけれど、
今の海山ネットの事、それに至るまでの個人的な想い、これから、を正直に書き返信した。

そんな想いに応えてくれて、視察や支援物資のお届けなど、沢山の地を回って忙しいなか寄ってくれた。
紙さんの
「ただ"ありがたい。では売ってちょうだい"というのではなく、違うものを感じたから会いたくなった」
そんな言葉が出た時は海山ネット仲間のKさんから
「ほら、よっちゃん!涙 涙!」とからかわれる始末。
が、とってもうれしかった。

まさに、彼らの活動も、場所は違えど発想はほぼ同じ。
義援物資を送った。お金を送った。
そんな、一方通行ではなく、一人や二人、少なくても良いから、
本当に大変な経験した人に対して、きちんと力になれる形で手助けしたいという想い。それを繋げる役目でもいいからちゃんとやりたい。
すごく伝わったし、共有出来た時間だった。
きっと彼らとは繋がれる、そう実感できた。


そして…
終わってから at GAIA 用のセット試作を検討しようとサンプル持ち寄ってたんだけれど。
それを紙さんが購入してくれた。
そうです…
記念すべき「海の手山の手ネットワーク」の第1号のお客様!!

サンプルだったのに。。気持ちで買ってくれた。

記念だ!と、みんなで一枚記念撮影!




そして夜。
おととい、南三陸の方が選別してくれた唐辛子を入れ、よっちゃんラー油を仕込む。


疲れもピークだけれど、気持ちが舞い上がった1日。

想いをひとつに。

2011年05月17日 | Weblog

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ランチミーティング。
東京っぽいな
古川にて、海山ネットメンバーのSさん、Kさん+カミさんで会議。
言葉ではなく、資料として「海山ネットがなんであるか」が必要な時期、作ろう!!
また、28日の東京に向けた商品内容を詰める。



佐藤農場の宗一さんと、夜、鳴子の宿の一つを訪ねる。

我々の復興プロジェクト、海の手山の手ネットワークの活動は、
どちらが支援をする、される、という段階を超えて一緒に前を向こう!元気になろう!という内容を目指している。
具体的には、我々の商品とともに「海の手」が作ったものも一緒に発信しようというもの。

それに向け、これまで「山の手」メンバーでその活動方法や動き方を考えて来た。

が、いよいよ本格的になり「海の手」の意思もちゃんと確認して行こうと、
避難当初から何度も話しているSさんを訪ねた。

改めて、
311からの我々の想い、経過を2時間かけて真剣にお話させて頂き、意見を聞いた。

「一緒にやりませんか?」

そして

「やりましょう!」

と返して頂いた!


海山ネットのプロジェクトは長期を考えている。
いつか、当たり前だった日常が戻ったときに、ホントの絆が出来るまで。
だからこそ、我々だけではダメだし、彼らだけでもダメ。

押し付けてもダメだし、我々が今出来ることはキッカケを作る事。それが入り口。
一人でも「海の手」が増えれば、力は自然に拡散して行くはずと確信している。

一緒に前を向いて歩き出したい。