分かれ道まで家族と元気よくやってきたウマオでしたが、それ以上は行く気はなさそうで、やはりばあちゃんと下りると言います。なので、ここでみんなと別れて二人だけで下山することにしました。石鎚ではたった一人で山道をあるいて心細い思いをしましたけど、ウマオと二人でもそれは同じ。なにしろ無事にリフト乗り場に行く責任があります。
ウマオも多分心細かったと思います。何度も何度もみんなが上って行った次郎笈を眺めながら歩いていました。
「ウマちゃん、もう山を見るのやめよう、危ないから下を向いて歩いてね。」
それでも、二度見の展望所までは距離も短く道も歩きやすかったのでよかったのです。
下の方が紅葉していました。
展望所で休憩しているとき、見知らぬお兄さんにチョコをもらったり、おばさまたちに話しかけられたりして、親切にしてもらいました。だいたい、子どもたちは、トラオもですが登山者からはかわいがられましたね。
これから1200mほどは何もない山道のようです。
あそこに神社がある?
ウマオが言いました。
わたしはこの突出した岩に興味を持ちましたが・・・

ああ~ 写真で見るとしっかりと神社が写っていました。けれどウマオがそう聞いたときわたしは、「そうかしらねえ。」と生返事をしただけでした。ウマオには見えていたのですね。もうちょっと真剣に見ればよかった。よくよく見れば、登っていく人まで写っているではあいませんか。そして、せっかく写真に撮った地図も見ておくべきでした。
後悔先に立たず
というのは、 途中、「神水へ」と書いた道しるべは見つけたのですが、獣道みたいな道だったので通り過ぎてしまったのです。神社と言うからにはもう少しましな道(少なくとも登ってきたときくらいの整備された道)があるだろうとい思い込みが災いしました。 さらに、道のそばに神社があるという思い込みが追い打ちをかけました。まさか今歩いている道を再び登らなければならないなんて思いもよらなかったのです。
道しるべがどれも古く、やっと字が読める程度でした。
西島駅へ800㍍のところまで来ました。
そこからの道は

もう写真を写すどころではなく
「ウマちゃん、もうちょっと右を歩いて。」
右側は山ですが、左側は緩いけど深い谷。
「こけそうになったら右手をつくんよ、左手はだめよ。」
道幅が30㎝ほどのところもあったのです。バランスを崩せば斜面を転がり落ちます。
「ウマちゃん、そこでちょっと待ってて。」
登ってくる人に道を譲るため、よけられる場所を指示します。すれ違う場所もないくらい狭い道でした。しかも谷側は崩れかけたところがあるし、滑りやすいがれきの道だし、
「ウマちゃん大丈夫? しんどいんじゃない?」
ウマオの足取りがふらふらとしておぼつかないのは、ウマオの体幹が弱いせいなのか、疲れてふらついているのか。ウマオの靴が何度も石に当たる音を聞きながら、ばあちゃんは気が気ではありませんでした。休ませたいけど腰を下ろして休むスペースもなかったのです。
そして、
行けども行けども神社らしきものは見当たらず・・・もしかして、あの獣道みたいなところを登らないといけなかった? と気づいたのは、東屋のような休憩所に着いてから。
「ウマちゃん、ごめん。ばあちゃん神社へ寄る道を間違えたみたい。」ちょっと長めに休憩して、エネルギー補給もして再び歩き出しましたが、ここからすぐ西島駅に着いてしまいました。
到着地点の道案内
後神水? ああ、やっぱりあのとき道を登らないと行けなかったのか。
そして、後悔はそれだけではありませんでした。
駅へ続くもう一つの道には鳥居がたっていて、広く歩きやすそうな道を大勢の人が下りてきたのです。
神社へ寄っていれば、あんなに危ない道を通ることもはらはらすることもなかったのにー
右側の狭い道がわたしたちの通ってきた道です。道しるべに寄れば、それが遊歩道ですって!
トラオたちはまだ下りてきません。30分ほど周りの景色を見て待ちました。
次郎笈。なだらかな優しい姿でした。今どの辺りを下りているのかしらねえ。
駅の周辺は赤く染まっていました。
西島神社があの辺りにあるのかな?
後から聞いた話ですが、トラオたちも途中の大劔神社へ行く道を間違えて引き返したんだそうです。やっぱりわかりにくい道だったんですね。大劔神社は、山小屋のような、あまり神社らしくない建物だったとか。そんな小さな社が剣山にはたくさんありました。
石鎚山の社は、土小屋、成就、山頂と三つありますが、すべて石鎚神社です。剣山の小さな社は全部名前がちがいます。神様がいっぱいいる山?
それを統べるのが劔神社なのかな? 勉強不足で分かりませんが。
1,5㎞下に置いた車をとりにみんなが下りていった後、わたしは、朝素通りしてしまった大劔神社にお参りしました。登山の後のこの階段はなかなかきつかったですが、上りましたよ。これは上から見下ろしたところ。
神社の横に登山口があって、リフトを使わずに登る人はこの神社を通って行き、帰って来ます。必ずお参りするようになっているんですね。
ここからは、私自身の山登りについてのまとめです。ちょっと理屈っぽくなります。読み飛ばしていただいてかまいません。
私は登山をしだしてから、どこの山も日本人の信仰と深く結びついていると言うことが分かりました。ですから、山のものは木も草も生き物もすべてに敬意を持って登ろうと思うよううになりました。かつての私を振り返ると、立山にも乗鞍にも行きましたが、そこまでの敬意を持って山を見たかというと、やはりそうではありませんでした。観光客の目でしたからね。だからといって観光客が悪いと意味ではありません。
山のいいところは、人もみな大自然の中の一部、命あるものすべて同じ仲間という気持ちになれることではないかなと思うのです。たとえ観光で来たとしても。だから見知らぬ人とも「こんにちは」と挨拶をかわせるのではないかと。子どもたちはたくさんの知らない人に励ましてもらい、ほめてもらいました。
けれど、剣山では、たまに返事が返ってこないときがありました。そんな時、その人がなにか心に鎧を着ているような気がしたのです。山に登ることでそうした心の鎧を少しずつ脱いでいけるといいなあと思いました。
さらに、この神社で、登山者でも観光客でもないもう一種類の人たちに会いました。ぴかぴかの登山靴風の厚底靴をはいてあちこちでポーズを作り、写真を撮っているお嬢さんたち。いわゆるインスタ映えを狙って写真だけ撮りに来ようでした。顔もファッションもそれはすてきなのにちょっと残念な振舞い。
まあ、外国の人だからしかたないか。わたしだって、海外旅行に行ったとき、同じような態度だったもの。つぎは是非頂上まで登ってくださいね。そして森羅万象すべてに神が宿るーそんな日本古来の精神を山の空気から感じ取って欲しいです。
西日本1,2の高い山を登って、多分今年の山登りは終わりです。紅葉のシーズンですので今からは低い場所で山歩きを楽しみます。 剣山登山 おわり。