もう言いたく無いのですが、どうしてこんなにいい天気なんですかね。
関東に出てきた昭和45年の秋がこんなふうに暑かったのを記憶していますが、歴史的にも一番暑いのだそうですね。参ります。まったく。
わたくしの小学生時代に、男の先生も半ズボンであったようなかすかな記憶があります。山形県ですから、例のフェーン現象で夏はことのほか暑かったのです。熊谷市に抜かれるまでは日本一暑い土地でありましたから。
銚子は夏涼しく、冬暖かく、こんな住みよい土地はない。それがこれだけ暑いとなると大都会はいかばかりか・・・・・。
今日は、情報カードを前に、学校のある出来事・行事を哲学的に分析するとどうなるかということを真剣に考えていました。図解をしながら、考えていくわけです。情報収集をしながらです。インターネットで得た情報はカードに印刷をして、分析に入ります。
システム的に妥当かどうかということと、個別の論理に照らしあわせた時に、論理性に齟齬がないかどうかということを考えていました。ある問いをたてて、その解を考えるという手法を10代からとってきましたから、慣れっこになっています。
しかし、これだけですとなんのことやらご理解いただけないと思いますが、それはそれ。これ以上言うと守秘義務にひっかかりますから、後は内緒。
つまり言いたいのは、そういう時にやはり理数的な教養が必要ですよということなのです。考えるのは国語的教養ばかりとは限らないのです。あるいは倫理社会という科目を持っている地歴公民の教科とも限らないのです。総合的な教養が無いと、非常に優れた知識人に振り回されます。
その意味ではわたくしなぞまだまだであります。振り回されてばかりです。乱暴な思考方法と粗雑な言語になかなか適切な対応がとれない場合もあります。あ、学校のことではありませんよ。社会生活一般のことです。
特に学校以外の組織でもいろいろ関わっていますから、人間関係は実に複雑であります。それがわたくしの特性でもありましょう。まだまだ学校と、柔道以外に関わっているものがありますから。ほとんどボランティアですからね。つまりボランティアである以上、それは他人には言うべきではないと思っていますから。人に自慢げに言ってしまったら、もうそれは奉仕の精神から逸脱してしまうことになります。
今日は高齢化社会とジェンダーということを考えておりました。教育とも密接にむすびついております。特に、高齢化社会になったときに、女性の役割は介護やケアの面で非常に重要になるということをいろいろ情報収集をしながら、考えておりました。それでは男性の役割はどうなるのか。男性は高齢化社会で、どのような役割を果たして行くべきなのか。積極的にです。そして、そこに結びつく学校教育の役割をも。これはまた自分自身の問題でもありますが。
つまりそれが問いです。
わたくしなりの。
そして、その解を考える。それが県銚の将来像にも結びつきます。一校を任せていただいている以上、あらゆることに興味を持って、自分を鍛錬していくしかないのであります。
楽しいことばかりです。やったらやっただけ、成果はあがります。武道と一緒です。本当にそう思います。勉強も一緒です。やるかやるまいか考えているより、行動です。すばやく行動しましょう。
英単語の記憶と一緒です。
やるしかないのです。
今日は、ジムの帰りに、複数の知らない方から挨拶をしていただきました。
最近、そういう機会が増えております。
海上中学校の教え子と呼ばれる方々ですと絶対に覚えておりますが、どうもちょっと年齢層がお若い。
もしかしたら、本校の卒業生かもしれないとも思いつつ・・・まぁこれだけの個性的なヘアスタイルですから、たぶん目立つのだろうとか、勝手に思っています。県下の高校校長で、こんなアタマをしているのはわたくしだけすからね。笑ってしまいますが。
人間関係というのも、職業生活あってのことでありましょう。
しかし、いつまでもそれにこだわって、未練たっぷりしがみついているのもいかがなものか。年相応ということ、分相応というのも当然あります。わたくしなぞは、他人に自慢げに誇るべきものは何もないし、こだわりもない。無為自然でしかありません。
ただし、知性はほしい。
そのために努力する時間もほしい。
それは絶対的教養に乏しいから、知性がほしいと思うからであります。まだまだ成長したいのであります。年をとってもですよ。
愛が大切であると説かれるのは、愛が無いからであると言われた西洋哲学者のように、それはそれで必要な思考方法であると思うからであります。
欲張りましょう。
遊んでいる暇はないのですよ。
・・・・・・・また小言になってしまいましたが。
勉強なさいませ。
関東に出てきた昭和45年の秋がこんなふうに暑かったのを記憶していますが、歴史的にも一番暑いのだそうですね。参ります。まったく。
わたくしの小学生時代に、男の先生も半ズボンであったようなかすかな記憶があります。山形県ですから、例のフェーン現象で夏はことのほか暑かったのです。熊谷市に抜かれるまでは日本一暑い土地でありましたから。
銚子は夏涼しく、冬暖かく、こんな住みよい土地はない。それがこれだけ暑いとなると大都会はいかばかりか・・・・・。
今日は、情報カードを前に、学校のある出来事・行事を哲学的に分析するとどうなるかということを真剣に考えていました。図解をしながら、考えていくわけです。情報収集をしながらです。インターネットで得た情報はカードに印刷をして、分析に入ります。
システム的に妥当かどうかということと、個別の論理に照らしあわせた時に、論理性に齟齬がないかどうかということを考えていました。ある問いをたてて、その解を考えるという手法を10代からとってきましたから、慣れっこになっています。
しかし、これだけですとなんのことやらご理解いただけないと思いますが、それはそれ。これ以上言うと守秘義務にひっかかりますから、後は内緒。
つまり言いたいのは、そういう時にやはり理数的な教養が必要ですよということなのです。考えるのは国語的教養ばかりとは限らないのです。あるいは倫理社会という科目を持っている地歴公民の教科とも限らないのです。総合的な教養が無いと、非常に優れた知識人に振り回されます。
その意味ではわたくしなぞまだまだであります。振り回されてばかりです。乱暴な思考方法と粗雑な言語になかなか適切な対応がとれない場合もあります。あ、学校のことではありませんよ。社会生活一般のことです。
特に学校以外の組織でもいろいろ関わっていますから、人間関係は実に複雑であります。それがわたくしの特性でもありましょう。まだまだ学校と、柔道以外に関わっているものがありますから。ほとんどボランティアですからね。つまりボランティアである以上、それは他人には言うべきではないと思っていますから。人に自慢げに言ってしまったら、もうそれは奉仕の精神から逸脱してしまうことになります。
今日は高齢化社会とジェンダーということを考えておりました。教育とも密接にむすびついております。特に、高齢化社会になったときに、女性の役割は介護やケアの面で非常に重要になるということをいろいろ情報収集をしながら、考えておりました。それでは男性の役割はどうなるのか。男性は高齢化社会で、どのような役割を果たして行くべきなのか。積極的にです。そして、そこに結びつく学校教育の役割をも。これはまた自分自身の問題でもありますが。
つまりそれが問いです。
わたくしなりの。
そして、その解を考える。それが県銚の将来像にも結びつきます。一校を任せていただいている以上、あらゆることに興味を持って、自分を鍛錬していくしかないのであります。
楽しいことばかりです。やったらやっただけ、成果はあがります。武道と一緒です。本当にそう思います。勉強も一緒です。やるかやるまいか考えているより、行動です。すばやく行動しましょう。
英単語の記憶と一緒です。
やるしかないのです。
今日は、ジムの帰りに、複数の知らない方から挨拶をしていただきました。
最近、そういう機会が増えております。
海上中学校の教え子と呼ばれる方々ですと絶対に覚えておりますが、どうもちょっと年齢層がお若い。
もしかしたら、本校の卒業生かもしれないとも思いつつ・・・まぁこれだけの個性的なヘアスタイルですから、たぶん目立つのだろうとか、勝手に思っています。県下の高校校長で、こんなアタマをしているのはわたくしだけすからね。笑ってしまいますが。
人間関係というのも、職業生活あってのことでありましょう。
しかし、いつまでもそれにこだわって、未練たっぷりしがみついているのもいかがなものか。年相応ということ、分相応というのも当然あります。わたくしなぞは、他人に自慢げに誇るべきものは何もないし、こだわりもない。無為自然でしかありません。
ただし、知性はほしい。
そのために努力する時間もほしい。
それは絶対的教養に乏しいから、知性がほしいと思うからであります。まだまだ成長したいのであります。年をとってもですよ。
愛が大切であると説かれるのは、愛が無いからであると言われた西洋哲学者のように、それはそれで必要な思考方法であると思うからであります。
欲張りましょう。
遊んでいる暇はないのですよ。
・・・・・・・また小言になってしまいましたが。
勉強なさいませ。