今日は県銚だより(学校新聞)第18号を作成しておりました。
午後の1時から始めて、4時までかかりました。
間で書類の決裁もありますから、これがなかなか集中できないのです。
あれもこれもとやることがたくさんあります。
しかも、今日は先生方との面接もありました。約3時間でありました。
午後4時には完成しましたので、カラーで印刷をしていただきました。
各中学校に郵送させていただきます。
待っていてください。
来週早々には到着すると思います。
夕方、なじみの書店に寄って双葉山物語というDVDを買ってきました。今日はいつも行っているスポーツジムが月末の休館日でした。
先ほどまでそれを鑑賞しておりました。欲しかったのです。どうしてもです。いつもその書店に寄っているのに、在庫があることすら気がつきませんでした。うかつと言えばうかつでありました。
わたくしは相撲も大好きなのです。今場所の白鳳関の活躍も楽しみに見ておりました。もっと好きなのが、故郷を同じくする柏戸という横綱でありました。
母校の小学校でたまに地方場所が行われて、大勢の力士が来られたものでした。
わたくしは、従兄弟たちに連れられて、真剣に応援をしておりました。関脇時代の柏戸をこの目でしっかり見て、心臓が張り裂けんばかりになっておりました。
大内山とか、千代の山とかの取り組みにも胸を躍らせたものであります。
柏戸は、実に攻撃的な攻めの相撲でありました。大鵬という名横綱の陰に隠れておりましたが、その潔さは実に好ましいと思っておりました。大鵬はどちらかというと受けの相撲で、相手に攻めさせてそれからじっくり料理をします。なんとも円熟味のある相撲でありました。
大人になってから、実はその大鵬関の相撲にはとても学ぶべき点があると気がついたことがありました。直情径行もいいのですが、また後の先というか、そういう攻め方もあると教えていただいたこともあったのです。柔道4段を受ける時でした。当時の県柔道協会長であられたS先生のところに日参して、形をはじめとして生き方まで、いろいろと教えていただいておった時期でありました。30歳ころでした。
柔道にも受けの柔道があったのですが、近代柔道はそれを許してくれません。
それはそれで時代の流れで致し方なし。
しかし、それにつけても双葉山のすばらしさ。
どこかでまた書いてみたいことの一つであります。
単純ではないものがあるような気がするのです。
本校はまだ無の境地で勝負できるほどではありません。
我未だ木鶏たり得ずと双葉山が言ったような心境にも到達しておりません。
わたくし自身がです。
まだまだ攻めるしかありません。
式典でも申し上げましたが、伝統は遺跡ではありません。常に、再解釈して、再創造していくしかないわけです。しかし、それでもなお双葉山のように、柔軟な手法で、円熟味のある思考方法をとっていきたいと思ったのでした。
たまにはDVDもいいものであります。
また明日!
午後の1時から始めて、4時までかかりました。
間で書類の決裁もありますから、これがなかなか集中できないのです。
あれもこれもとやることがたくさんあります。
しかも、今日は先生方との面接もありました。約3時間でありました。
午後4時には完成しましたので、カラーで印刷をしていただきました。
各中学校に郵送させていただきます。
待っていてください。
来週早々には到着すると思います。
夕方、なじみの書店に寄って双葉山物語というDVDを買ってきました。今日はいつも行っているスポーツジムが月末の休館日でした。
先ほどまでそれを鑑賞しておりました。欲しかったのです。どうしてもです。いつもその書店に寄っているのに、在庫があることすら気がつきませんでした。うかつと言えばうかつでありました。
わたくしは相撲も大好きなのです。今場所の白鳳関の活躍も楽しみに見ておりました。もっと好きなのが、故郷を同じくする柏戸という横綱でありました。
母校の小学校でたまに地方場所が行われて、大勢の力士が来られたものでした。
わたくしは、従兄弟たちに連れられて、真剣に応援をしておりました。関脇時代の柏戸をこの目でしっかり見て、心臓が張り裂けんばかりになっておりました。
大内山とか、千代の山とかの取り組みにも胸を躍らせたものであります。
柏戸は、実に攻撃的な攻めの相撲でありました。大鵬という名横綱の陰に隠れておりましたが、その潔さは実に好ましいと思っておりました。大鵬はどちらかというと受けの相撲で、相手に攻めさせてそれからじっくり料理をします。なんとも円熟味のある相撲でありました。
大人になってから、実はその大鵬関の相撲にはとても学ぶべき点があると気がついたことがありました。直情径行もいいのですが、また後の先というか、そういう攻め方もあると教えていただいたこともあったのです。柔道4段を受ける時でした。当時の県柔道協会長であられたS先生のところに日参して、形をはじめとして生き方まで、いろいろと教えていただいておった時期でありました。30歳ころでした。
柔道にも受けの柔道があったのですが、近代柔道はそれを許してくれません。
それはそれで時代の流れで致し方なし。
しかし、それにつけても双葉山のすばらしさ。
どこかでまた書いてみたいことの一つであります。
単純ではないものがあるような気がするのです。
本校はまだ無の境地で勝負できるほどではありません。
我未だ木鶏たり得ずと双葉山が言ったような心境にも到達しておりません。
わたくし自身がです。
まだまだ攻めるしかありません。
式典でも申し上げましたが、伝統は遺跡ではありません。常に、再解釈して、再創造していくしかないわけです。しかし、それでもなお双葉山のように、柔軟な手法で、円熟味のある思考方法をとっていきたいと思ったのでした。
たまにはDVDもいいものであります。
また明日!