今日から柔道教室が国体期間中に地元の中学校柔道場に移動するので、さきほどまで(夜7時から)ちょっとだけ稽古をしておりました。楽しみにしておりました。中学校の校長先生にも先日お願いをしておりましたし。生徒募集にお伺いした時にです。あ、むろん生徒募集がメインで、道場拝借は付け足しでしたがね。
なによりも、孫のような柔道選手と稽古できるのが楽しみであります。なんと言ってもわたくしと年齢差が50歳くらいはあるのですから、こんなにかわいい存在はない。
それこそひと汗かいて、しっかりおいしく夕ご飯をいただきました。稽古のあとのご飯は実においしいものであります。
あまり食べるとそれこそドクターに叱られてしまいますから、ちょうどいい加減にしか食べませんが。
運動について「も」まったくの素人ですから、なぜおいしいのかよくわかっておりません。それこそデカルトの言う体験的認識であります。保健体育の先生にいちど聞いてみたいことの一つであります。
それにつけても、ちびっ子たちはわたくしを押さえ込むとなんであんなに喜ぶのでしょうか。「やったぁ」「とやませんせはよわい」とかのたまうのです。いい光景です。一生懸命やっているからうれしいのです。
でも、わたくしの存在は、目の上のたんこぶなのでしょうか。
考えてしまいます。お話にならないくらい弱いのですがね。
小学校低学年ですら、そうなのですから粛然とします。闘争本能というのは、人間の持つ業なのでしょうか。だから嘉納治五郎先生は自己の潜在的な力を精力善用という言葉で、良い方向に導こうとされたのであろうと推測しておるのです。
しかし、ちびっ子たちの一生懸命さは実にいい。さわやかです。こういう子ども時代を送っていただいて、さらに勉強も一心にやっていただいて、未来の日本を背負っていただきたいと真剣に思っております。
ささやかながら、不肖未熟の身ではありますが、そういう事の礎石となりたいものであります。耐えられるかどうかは別問題として。
今朝も、学校の周辺をゴミ拾いに精をだしている野球部の生徒がおりました。ちょっと早めに学校に行きましたら、一生懸命でありました。わたくしにも気がつかない。正門のあたりで「ありがとう」と言いましたが。今度はわたくしもやりましょう。明日の朝からでも。こういうのは得意ですから。
しかし、彼らはこれ見よがしに行動しているわけではない。それが尊いのであります。自分の向上のためにやっておるとわたくしは感じております。良い学校になってきました。打算の無い生き方こそ最も尊いと思うからです。
したがってこのブログに彼らの姿を写真で紹介することはいたしません。
そういう尊い行為を広報に使っては相済まないことであります。
前任校の教頭時代にも、片道2時間以上かかっておりましたので、朝早く学校周辺に着いておりました。バスで、学校に向かって、実は学校を通り過ぎて終点のバス停まで乗っておりました。それから、やおらゴミ袋を持って学校まで戻るわけです。空き缶とか、弁当箱のゴミとかいろいろ拾わせていただきました。生徒が出したゴミでは無いのでしたが、すくなくともそれで学校周辺からは環境美を取り戻すことができます。
楽しみでもありました。
そのうちに運動部の生徒諸君が手伝ってくれることもたまにはありました。都会的なセンスのある町にある学校で、生徒の会話に英語もバンバン登場するようなすてきな学校でしたから、ちょっとわたくしには意外でもありましたが。
わかってくださる生徒もおるのです。
人間には善根というものもあるのであります。
ちびっ子たちと、環境美化の生徒たち。
いい光景をまたまた見させていただきました。
明日は100周年式典であります。
いい心持ちで式典に臨めそうであります。
感謝の気持ちを持って。
また明日!
なによりも、孫のような柔道選手と稽古できるのが楽しみであります。なんと言ってもわたくしと年齢差が50歳くらいはあるのですから、こんなにかわいい存在はない。
それこそひと汗かいて、しっかりおいしく夕ご飯をいただきました。稽古のあとのご飯は実においしいものであります。
あまり食べるとそれこそドクターに叱られてしまいますから、ちょうどいい加減にしか食べませんが。
運動について「も」まったくの素人ですから、なぜおいしいのかよくわかっておりません。それこそデカルトの言う体験的認識であります。保健体育の先生にいちど聞いてみたいことの一つであります。
それにつけても、ちびっ子たちはわたくしを押さえ込むとなんであんなに喜ぶのでしょうか。「やったぁ」「とやませんせはよわい」とかのたまうのです。いい光景です。一生懸命やっているからうれしいのです。
でも、わたくしの存在は、目の上のたんこぶなのでしょうか。
考えてしまいます。お話にならないくらい弱いのですがね。
小学校低学年ですら、そうなのですから粛然とします。闘争本能というのは、人間の持つ業なのでしょうか。だから嘉納治五郎先生は自己の潜在的な力を精力善用という言葉で、良い方向に導こうとされたのであろうと推測しておるのです。
しかし、ちびっ子たちの一生懸命さは実にいい。さわやかです。こういう子ども時代を送っていただいて、さらに勉強も一心にやっていただいて、未来の日本を背負っていただきたいと真剣に思っております。
ささやかながら、不肖未熟の身ではありますが、そういう事の礎石となりたいものであります。耐えられるかどうかは別問題として。
今朝も、学校の周辺をゴミ拾いに精をだしている野球部の生徒がおりました。ちょっと早めに学校に行きましたら、一生懸命でありました。わたくしにも気がつかない。正門のあたりで「ありがとう」と言いましたが。今度はわたくしもやりましょう。明日の朝からでも。こういうのは得意ですから。
しかし、彼らはこれ見よがしに行動しているわけではない。それが尊いのであります。自分の向上のためにやっておるとわたくしは感じております。良い学校になってきました。打算の無い生き方こそ最も尊いと思うからです。
したがってこのブログに彼らの姿を写真で紹介することはいたしません。
そういう尊い行為を広報に使っては相済まないことであります。
前任校の教頭時代にも、片道2時間以上かかっておりましたので、朝早く学校周辺に着いておりました。バスで、学校に向かって、実は学校を通り過ぎて終点のバス停まで乗っておりました。それから、やおらゴミ袋を持って学校まで戻るわけです。空き缶とか、弁当箱のゴミとかいろいろ拾わせていただきました。生徒が出したゴミでは無いのでしたが、すくなくともそれで学校周辺からは環境美を取り戻すことができます。
楽しみでもありました。
そのうちに運動部の生徒諸君が手伝ってくれることもたまにはありました。都会的なセンスのある町にある学校で、生徒の会話に英語もバンバン登場するようなすてきな学校でしたから、ちょっとわたくしには意外でもありましたが。
わかってくださる生徒もおるのです。
人間には善根というものもあるのであります。
ちびっ子たちと、環境美化の生徒たち。
いい光景をまたまた見させていただきました。
明日は100周年式典であります。
いい心持ちで式典に臨めそうであります。
感謝の気持ちを持って。
また明日!