小此木啓吾先生の新書「対象喪失」(中公新書)を、インターネットで入手してからずっとやってきましたケアの学習に進展があったようです。
もっともそれは自己評価ですから、なんともなんとも言い難しです。
表紙のカバーの折り返しに
「肉親との死別、愛の喪失、失職、受験の失敗等々、日ごろ馴れ親しんだ対象を喪った時その悲しみにどう耐えるかは、人間にとって永遠の課題である」とあります。
これで、ほぼわたくしがなぜケアの学習にとりくんでおるかをご理解いただけるような気がしています。
ここにも書いてあるように受験の失敗等々の悲しみを抱えている人たちへの一助でありたいと思っていますし、自分自身のこれまでも、これからも課題であるからです。むしろこれからはますます人生の実相においてそのような個人的体験をさせていただくことの連続であることは、否定できないことでしょうから。誰にでもあることだからです。
さて、この本の中に江戸時代末期の松浦武四郎著「知床日誌」が紹介されています。現在の斜里、網走でのアイヌの人々の悲惨な状況が書かれていることを知り、ようやく入手いたしました。
国立奈良女子大学のインターネット上のデータベースにありましたので、さっそく印刷して、ルーズリーフにしてバインダーに綴じ込みました。
国後島での労働とか、この時代のアイヌの方々の「対象喪失」を長文の古文で紹介してあります。和綴じの本をそのまま画像にしてくださっています。しかも読み方をもご紹介いただいています。
あまりにも悲惨ですから、詳細をここに紹介することはできません。
ドクターの種村健二朗先生の本を数日かけて二冊読了しました。
がん治療医から緩和ケアに進まれた方です。
まぶたの母ならぬ、こころの師匠とお慕いしております。
インターネットで古本で注文した本が種村先生、小此木先生の本を含めて7冊どさっときましたので、それで、ここ数日、蛍光ペンを持ってずっとチェック作業をくりかえしておりました。例のはがきサイズの情報カードを並べて、いろいろメモしてたまったらプリンターで参考文献名と作者、出版社を、そして今日の日付をヘッダフッタとして印刷してはがきホルダーにしまい込んでおりました。
冒頭の小此木啓吾先生の本には、さらに日本を代表するような大会社におられる方の喪失体験(失職)も語られています。
仕事、仕事だけで、中年まで来てしまった方のことでした。これもここには詳しく書けません。
わたくしもそろそろだからです。
身につまされます。
さらにその先も、です。
今日の夕刻7時になりましたので、ある中学校の柔道場へ出かけました。
柔道教室があるからです。
ちびっ子たちが元気よく遊んでおりました。
わたくしも仲間に加わって一緒によろよろと遊んでおりました。
指導されておられる先生方も来られたので、急いでちびっ子たちの後ろに座って一緒に先生方にご挨拶。叱られたらたまりません。立場逆転しております。かつて共に稽古をさせていただいた方々に師事をさせていただいておることの幸せを身にしみて感じております。
そうです。わたくしも先生方の弟子にさせていただいております。ちびっ子と共に近代柔道を学んでおるのです。
それから2時間も稽古してしまいました。
年甲斐もなく、です。
わたくしごとき者でも、お役に立つことがあるということだけで、ほんとうにうれしいものであります。
それでも、わたくしにも「役割喪失」「対象喪失」・・・・・・という時期が、くるわけです。
いつまでも若いままにはおれないのですから。避けることは絶対にできないことでありますから。
また明日。
もっともそれは自己評価ですから、なんともなんとも言い難しです。
表紙のカバーの折り返しに
「肉親との死別、愛の喪失、失職、受験の失敗等々、日ごろ馴れ親しんだ対象を喪った時その悲しみにどう耐えるかは、人間にとって永遠の課題である」とあります。
これで、ほぼわたくしがなぜケアの学習にとりくんでおるかをご理解いただけるような気がしています。
ここにも書いてあるように受験の失敗等々の悲しみを抱えている人たちへの一助でありたいと思っていますし、自分自身のこれまでも、これからも課題であるからです。むしろこれからはますます人生の実相においてそのような個人的体験をさせていただくことの連続であることは、否定できないことでしょうから。誰にでもあることだからです。
さて、この本の中に江戸時代末期の松浦武四郎著「知床日誌」が紹介されています。現在の斜里、網走でのアイヌの人々の悲惨な状況が書かれていることを知り、ようやく入手いたしました。
国立奈良女子大学のインターネット上のデータベースにありましたので、さっそく印刷して、ルーズリーフにしてバインダーに綴じ込みました。
国後島での労働とか、この時代のアイヌの方々の「対象喪失」を長文の古文で紹介してあります。和綴じの本をそのまま画像にしてくださっています。しかも読み方をもご紹介いただいています。
あまりにも悲惨ですから、詳細をここに紹介することはできません。
ドクターの種村健二朗先生の本を数日かけて二冊読了しました。
がん治療医から緩和ケアに進まれた方です。
まぶたの母ならぬ、こころの師匠とお慕いしております。
インターネットで古本で注文した本が種村先生、小此木先生の本を含めて7冊どさっときましたので、それで、ここ数日、蛍光ペンを持ってずっとチェック作業をくりかえしておりました。例のはがきサイズの情報カードを並べて、いろいろメモしてたまったらプリンターで参考文献名と作者、出版社を、そして今日の日付をヘッダフッタとして印刷してはがきホルダーにしまい込んでおりました。
冒頭の小此木啓吾先生の本には、さらに日本を代表するような大会社におられる方の喪失体験(失職)も語られています。
仕事、仕事だけで、中年まで来てしまった方のことでした。これもここには詳しく書けません。
わたくしもそろそろだからです。
身につまされます。
さらにその先も、です。
今日の夕刻7時になりましたので、ある中学校の柔道場へ出かけました。
柔道教室があるからです。
ちびっ子たちが元気よく遊んでおりました。
わたくしも仲間に加わって一緒によろよろと遊んでおりました。
指導されておられる先生方も来られたので、急いでちびっ子たちの後ろに座って一緒に先生方にご挨拶。叱られたらたまりません。立場逆転しております。かつて共に稽古をさせていただいた方々に師事をさせていただいておることの幸せを身にしみて感じております。
そうです。わたくしも先生方の弟子にさせていただいております。ちびっ子と共に近代柔道を学んでおるのです。
それから2時間も稽古してしまいました。
年甲斐もなく、です。
わたくしごとき者でも、お役に立つことがあるということだけで、ほんとうにうれしいものであります。
それでも、わたくしにも「役割喪失」「対象喪失」・・・・・・という時期が、くるわけです。
いつまでも若いままにはおれないのですから。避けることは絶対にできないことでありますから。
また明日。