わたくしは、生徒の勉強をしている姿を見るのが大好きであります。今日も、放課後3年生の教室を見て回っておりました。午後の4時30分ごろでありました。
すると、先生の古典文法の声がする。
隣の教室からは、英語の講義の声がする。
さらにその隣からは、英語の先生の演習問題解説の声がする。
4番目の教室には、3学年主任が教室の後ろにおられた。自習している生徒をあたたかく見守っておられた。ありがたい限りであります。
そのまま、すっと二階に上がっていったら、数学の先生が、熱心に受験対策講座をやっておられる。数学の先生は、わたくしと同年でもあります。参りました。勝負ありました。同い年でここまでやっておられる。かなわないなぁと思いました。
実践という意味であります。教育は、実践で勝負であります。つまり、わたくしは学校を預かっているだけで、授業で勝負しているわけではないからであります。
尊い実践家たちの様子を拝見させていただいておりました。感謝のこころをもって。
わたくしは思います。学校というのは、幕末期のたとえば吉田松陰の松下村塾のような実践主体の学校でありたいと。松下村塾には成果主義は無かったのであります。あくまで、純粋な教育目的がありました。わたくしは、学校は履歴のためだけにあるのではないと思っています。履歴書を飾るためだけの学校入学なら、学校での学習はたいへん寂しいものになると思うのであります。
ここらあたりのことはこれくらいにしましょう。なかなか難しい問題を含んでいますから。
わたくしの師匠とお話をさせていただいていて、なんのために学ぶのかという師匠の問いに、わたくしは実に奇妙な回答をした覚えがあるからです。
たいていの人は、ステップアップのために、スキルを学ぶためにという答えをするのでありましょう。わたくしもそれはそれで尊いことであると思います。
わたくしの答えは人生を終わるために学ぶというものでありました。人生の終わりをどのように受容するか、できるかということを考えているのであります。それは翻って考えれば、生をいかに充実させるかということでもありますが。
ですから、わたくしの場合、大学はむしろ学問を教えてくださるシステムであるとまで割り切っています。最終的には、自分が学ぶしかないからであります。自分で知るしかないと思っております。
大学がシステムである以上、そのシステムには価値があるということを思います。思う以上は、代価を払います。したがって、各大学のこれまでの業績を享受させていただきます。だからわたくしはありがたいと思うのであります。あちこちの大学に関係をさせていただくということを。
わたくしは、基本的に、世に出るために勉強してきたのではなく、趣味でやってきたのだという感を深くしています。好きだからというのが一番あたっているのであろうと思います。だからこの年齢までやってこれたのかなと思います。むろん教師で無くなってもまだまだ生涯学習をやります。これからがわたくしの青春でありまする。
わたくしは、具体的には西郷隆盛を尊敬しておりますから、あのようになりたいと絶対達成不可能な夢想をしてきたのでありました。西郷がよく言うところの、「命も要らぬ、名誉も要らぬ、そういう始末におえないもの」になりたいとずっと思ってきました。事実、わたくしは未だにカネも・地位も・名誉も何も無い。茅屋の片隅でじっと書物を眺めているだけでしかない。
大川周明もまた西郷隆盛を尊敬し、そのように生きたいと願った人でもあります。大川は、わたくしの故郷山形の人でもあります。大川の出身地である庄内地方の人々は西郷隆盛を非常に尊敬して、岩波文庫の南洲公遺訓まで編集した人々です。いろいろな意味で興味の尽きせぬ分野であります。
先日、わたくしはNHKのラジオで評論家の湯川れい子先生の話を聞いておりました。深夜放送を、中学生のころから聞く習慣があって、その日も就寝前のひとときを楽しんでおりました。
そうしましたら、なんと湯川先生の父君が米沢出身の海軍大佐だと湯川先生がのたもう。上杉鷹山まで出てきました。つらつら聞いておりましたら、どうやら父君はわたくしの土地の大先輩であるようです。同じ土地で同じ山渓を見て育ったわけであります。湯川先生の18歳年長の兄君も、また職業軍人で亡くなられていました。湯川先生は、米沢に疎開までしておられました。本名も知りました。湯野川と言われていました。
なんともまぁご縁のあることよと感じたのです。もっともわたくしの方はただの凡人。比較するだけ蒙昧不遜。笑われてしまいます。
湯川先生がなぜ気になるかというと、先生の経営されている専門学校の入学式に出席させていただいたことがあるからです。そこで、偶然直接対面させていただいたことがあったからです。休憩時間にも目の前におられたことがありました。
湯川先生の発するオーラに魅せられました。圧倒的な人格力であります。真剣に世の中を生きてこられた迫力があります。
学校経営者として、わたくしは到底かなわないまでもまねごとの一つでもやってみたいとかつて感じたことがあったからであります。
わたくしは、明日も明後日も細々と世の中の片隅で柔道三昧の趣味に生きます。それが唯一の楽しみであります。
一隅を照らすというレベルにまでも達成しておりません。一隅にも未だ到達しておらんのですから。他人を照らすことなぞ全く不可能であります。人を照らす前に、自己の存在意義を疑ってかからなければなりませぬ。自分は照らしていただけるほどの価値があるのかどうか。自分勝手なロマン主義で、自己に酔っていてはなりませぬ。厳しく厳しく自己分析をしていくしかありません。まだまだ、参考文献の山を前にして吐息をついているようではお話になりません。ちっともアタマに入ってこないのですから、自分がいやになりまする。笑い話のようなもんです。
午前中に図書館に行って、昼から柔道教室、夕方はジム。夜もまた悪戦苦闘。文献の山に埋もれてしまいます。情報カードが山のようになってきました。それでも書けない。書けない。ほんとうに文章も下手であります。改善することが山のようにあります。
そんなことしかできないのではありますが。
また来週!
勉強しましょうね。
すると、先生の古典文法の声がする。
隣の教室からは、英語の講義の声がする。
さらにその隣からは、英語の先生の演習問題解説の声がする。
4番目の教室には、3学年主任が教室の後ろにおられた。自習している生徒をあたたかく見守っておられた。ありがたい限りであります。
そのまま、すっと二階に上がっていったら、数学の先生が、熱心に受験対策講座をやっておられる。数学の先生は、わたくしと同年でもあります。参りました。勝負ありました。同い年でここまでやっておられる。かなわないなぁと思いました。
実践という意味であります。教育は、実践で勝負であります。つまり、わたくしは学校を預かっているだけで、授業で勝負しているわけではないからであります。
尊い実践家たちの様子を拝見させていただいておりました。感謝のこころをもって。
わたくしは思います。学校というのは、幕末期のたとえば吉田松陰の松下村塾のような実践主体の学校でありたいと。松下村塾には成果主義は無かったのであります。あくまで、純粋な教育目的がありました。わたくしは、学校は履歴のためだけにあるのではないと思っています。履歴書を飾るためだけの学校入学なら、学校での学習はたいへん寂しいものになると思うのであります。
ここらあたりのことはこれくらいにしましょう。なかなか難しい問題を含んでいますから。
わたくしの師匠とお話をさせていただいていて、なんのために学ぶのかという師匠の問いに、わたくしは実に奇妙な回答をした覚えがあるからです。
たいていの人は、ステップアップのために、スキルを学ぶためにという答えをするのでありましょう。わたくしもそれはそれで尊いことであると思います。
わたくしの答えは人生を終わるために学ぶというものでありました。人生の終わりをどのように受容するか、できるかということを考えているのであります。それは翻って考えれば、生をいかに充実させるかということでもありますが。
ですから、わたくしの場合、大学はむしろ学問を教えてくださるシステムであるとまで割り切っています。最終的には、自分が学ぶしかないからであります。自分で知るしかないと思っております。
大学がシステムである以上、そのシステムには価値があるということを思います。思う以上は、代価を払います。したがって、各大学のこれまでの業績を享受させていただきます。だからわたくしはありがたいと思うのであります。あちこちの大学に関係をさせていただくということを。
わたくしは、基本的に、世に出るために勉強してきたのではなく、趣味でやってきたのだという感を深くしています。好きだからというのが一番あたっているのであろうと思います。だからこの年齢までやってこれたのかなと思います。むろん教師で無くなってもまだまだ生涯学習をやります。これからがわたくしの青春でありまする。
わたくしは、具体的には西郷隆盛を尊敬しておりますから、あのようになりたいと絶対達成不可能な夢想をしてきたのでありました。西郷がよく言うところの、「命も要らぬ、名誉も要らぬ、そういう始末におえないもの」になりたいとずっと思ってきました。事実、わたくしは未だにカネも・地位も・名誉も何も無い。茅屋の片隅でじっと書物を眺めているだけでしかない。
大川周明もまた西郷隆盛を尊敬し、そのように生きたいと願った人でもあります。大川は、わたくしの故郷山形の人でもあります。大川の出身地である庄内地方の人々は西郷隆盛を非常に尊敬して、岩波文庫の南洲公遺訓まで編集した人々です。いろいろな意味で興味の尽きせぬ分野であります。
先日、わたくしはNHKのラジオで評論家の湯川れい子先生の話を聞いておりました。深夜放送を、中学生のころから聞く習慣があって、その日も就寝前のひとときを楽しんでおりました。
そうしましたら、なんと湯川先生の父君が米沢出身の海軍大佐だと湯川先生がのたもう。上杉鷹山まで出てきました。つらつら聞いておりましたら、どうやら父君はわたくしの土地の大先輩であるようです。同じ土地で同じ山渓を見て育ったわけであります。湯川先生の18歳年長の兄君も、また職業軍人で亡くなられていました。湯川先生は、米沢に疎開までしておられました。本名も知りました。湯野川と言われていました。
なんともまぁご縁のあることよと感じたのです。もっともわたくしの方はただの凡人。比較するだけ蒙昧不遜。笑われてしまいます。
湯川先生がなぜ気になるかというと、先生の経営されている専門学校の入学式に出席させていただいたことがあるからです。そこで、偶然直接対面させていただいたことがあったからです。休憩時間にも目の前におられたことがありました。
湯川先生の発するオーラに魅せられました。圧倒的な人格力であります。真剣に世の中を生きてこられた迫力があります。
学校経営者として、わたくしは到底かなわないまでもまねごとの一つでもやってみたいとかつて感じたことがあったからであります。
わたくしは、明日も明後日も細々と世の中の片隅で柔道三昧の趣味に生きます。それが唯一の楽しみであります。
一隅を照らすというレベルにまでも達成しておりません。一隅にも未だ到達しておらんのですから。他人を照らすことなぞ全く不可能であります。人を照らす前に、自己の存在意義を疑ってかからなければなりませぬ。自分は照らしていただけるほどの価値があるのかどうか。自分勝手なロマン主義で、自己に酔っていてはなりませぬ。厳しく厳しく自己分析をしていくしかありません。まだまだ、参考文献の山を前にして吐息をついているようではお話になりません。ちっともアタマに入ってこないのですから、自分がいやになりまする。笑い話のようなもんです。
午前中に図書館に行って、昼から柔道教室、夕方はジム。夜もまた悪戦苦闘。文献の山に埋もれてしまいます。情報カードが山のようになってきました。それでも書けない。書けない。ほんとうに文章も下手であります。改善することが山のようにあります。
そんなことしかできないのではありますが。
また来週!
勉強しましょうね。