と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

祝婚歌

2011年05月21日 11時05分55秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
祝婚歌 高野健一feat.ネーネーズ


(ニコニコ動画へのリンクです)


 明日、心友とも呼ぶべき知人のお嬢様が結婚をされます。わたくしもお祝いに参上させていただきます。

 お嬢様のことは、彼女が大学生の時から知っておりますので、実に我がことのようにうれしいのであります。理学部に学ばれた俊秀であります。

 知人にとって、娘を手放すのは寂しいかぎりでありましょう。まだ、不肖わたくしの経験したことの無いことでありますが。

 それにつけても祝いの席では、愛が満ちている。このこと自体でいつも辛そうに生きている顔をしているわたくしも、幸せのお裾分けをいただけるのですから、こんなに良いことはないのであります。

 少しは、笑顔で過ごすことができそうです。 
 
 上記のニコニコ動画にリンクした「祝婚歌」の歌は歌詞が非常に美しい。すばらしい愛をテーマにしておられる。しかも、それは人生の終わりの視点からも見つめておられる。

 こういう歌があることを知りませんでした。動画サイトのありがたさであります。しかもニコニコ動画は、個人のブログにリンクを許可されているのですから、これはありがたい。

 この歌のように、年をとっていきたいものであります。もう若くはありませんから、結婚式自体が楽しみでもありますが、どういう老い方をしていくのかということに興味があります。ここ数年、死生学や、老年学、ターミナルケア、グリーフケアというようなレポートをたくさん書いてきました。
 
 だからです。

 結局、永遠に存在する人間はいないからです。真逆の視点から人生の実相を把握することが、教育においても重要なのではあるまいかと遅まきながら気がついて参りました。

 それだけです。それだけ。

 明日はおめでたい席ですから、ニコニコしておるつもりです。


 


 祝婚歌といえば、有名なのが吉野 弘先生のです。


『祝婚歌』 吉野 弘
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

        ・第六詩集(詩画集)「風に吹かれて」
        ・おしゃべりポエム 風の記憶 著書吉野弘







 評論家の佐高信氏がこの詩を激賞しています。
 吉野弘先生も、山形人。佐高信氏もそう。
 
こんな幸せな歌を、詩を明日はおおいに味わってきたいと思っています。


 あまり幸せな顔をしていると、今日の午後からちびっ子柔道教室に参加させていただきますが、ちびっ子たちに不思議がられそうです。

 何が楽しいんですか?って聞かれそうです。

 そんなことにならないようにしましょう。




 ではまた来週!





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応援歌

2011年05月21日 01時41分24秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 「学校の格は校長の格である」とのっけから切り出されると、これはこれはなんとまぁ厳しいことを言われるお方よ、と慨嘆するしかありません。反省するしかありません。

 ある私学の理事長校長先生のお言葉であります。それはそれとして座右の銘としてこれまでも、これからもわたくしを戒めてくださっていることとして、受け止めていきたいと感じております。

 昨日は、交通安全教育部会のことで、ちょっと出かけておりました。午前中、学校に出て、それからが長道中。えんえんとクルマで会議を行う場所目指しておりました。相当数の先生方がお見えになるのですから、まさか遅刻するわけにはいかない。

 こういうときには、電車で往復すると本が読めるので、普段は電車を使うのです。昨日は時間的にちょっと厳しかったものですから、クルマにしてしまいました。

 実は最近売れている本を読みたかったのです。佐々木常夫氏の「働く君に贈る25の言葉」でありました。千葉市の書店で売っておりましたから、帰りの電車の中で読み終えるかなと思っていたのです。結果的には、クルマでしたから買えないし、読むこともできませんでした。

 しょうが無いので、帰宅して、著者の佐々木常夫氏が「プロフェッショナル・マネージャー」を激賞しておられたのを思い出して、書庫から取り出して、再読を始めました。

 某衣料チェーンの柳井正氏も激賞しておられる本でもあります。この本は教頭の時に、成田で買い求めてあまりおもしろくも無いと一度は処分した本でもありました。

 それが復活したのは、インターネット古書店で買ったのと、佐々木常夫氏の読み方がまさに尋常でないからであります。

 このプロフェッショナル・マネージャーを、何度も読み返し、目次までノートにとり、暗記するまで読まれたのだそうです。

 長いことビジネス社会で生きてこられた方です。言われることにはいちいちうなずくしかありません。特に数字の暗記についてはまさにそのとおり。すばらしい記憶力であります。

 「経営には覚悟がいる」

 「後戻りはできない」

 上記の言葉がプロフェッショナル・マネージャーには、書かれてあって、最初に衝撃波を。愚たる存在のわたくしは、甘いなぁと感じた次第です。これまで、経営には努力が大切だと思ってきました。努力をすればなんでも解決すると。確かにそれはそれで正解でありましょう。

 しかし、この本は、「経営はまず結論ありき」と書いています。「最終的に何を求めて経営していくのか」ということであります。そこから逆算して、結論に至る方法を考え、いかに実行するかということを力説されている。修正も含めて。

 一番勉強になったのが、「経営のセオリー」についてのくだり。セオリーの全否定から始まっています。これまた目から鱗でありました。最近は、社会も学校もマニュアル全盛の時代でありますから。経営者は、自分で決断し、目標とやるべきことを明言し、失敗のリスクを100%背負う人のことというのであります。

 確かに、確かにであります。なにをやっても、なにが起きてもリスクと責任は愚生にあります。

 助かったのは、「失敗を恐れてはならない」という部分でしょうか。「唯一の本当の間違いは、間違いを犯すことを恐れることである」ともありました。失敗はない方がいい。それはそれで真実であります。

 全責任を負うのだという覚悟さえあれば、このあたりは乗り超えて行くことができるような気がします。

 「結果を出すことへの執念や、ガッツが足りない」という最後の著者の文章は、まさに懶惰な愚生、「校長の格」において実に中途半端なわたくしへの最大の応援歌であると感じた次第です。しかし、「学校の格」の向上のためにも、まだまだ老骨にムチ打って、それこそ無知なる現状を打破して、自己の向上を図るしかないようです。

 辿り来てまだ山の麓かな、であります。
 ゆくべき道は、深山幽谷の彼方。そのまた奥にあるのでありましょう。永遠の旅となりそうであります。



 
 また明日!




 

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/