今日は地学の授業を紹介させていただきます。今年採用の新進気鋭の先生であります。なかなかの授業でありました。動画も撮ったので、こちらは学校でDVDに焼いて差し上げようとしましたら、なんとわたくしの校長室のパソコンではMP4を認知しない。自宅でやるしかない。これから挑戦しますが、できないかもしれません。時間が無くて。
しかし、コンピュータの発達は日進月歩でついていけません。
携帯だって、一番簡単なのを使っているくらいです。ついて行けないのは当たり前かも知れません。
いろいろと5限目にその新進気鋭の先生とお話をさせていただいておりました。研究熱心であります。このような方の教師としての成長を見ていたいものでありますが、それはかなわぬ夢であります。
教育実践主体の良い先生に是非なっていただきたいと心底思っております。それが未来の国を作っていく基盤となります。
生徒諸君の方は、どうかどうか先生方の教育的叡智を全部自分のものにしていただきたい。待っていてはなりませぬ。自分から学ぶことであります。教わる方が偉そうにでぇ~んと構えていてはなりませぬ。さらに、全校集会で申し上げたように、生徒としての本分をまもりたまえ。生徒と教師としての矩をこえずというスタイルで学んでほしいと思います。
論語に「吾、15にして学に志し、(略)70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」というのがあります。
矩をこえずというのは、ここから発想しているのです。
つまり、自然であることであります。
無理は禁物ということでもあります。
しかし、若いときにはなかなかそんな生理・養生などということには従わない。つまり矩(のり)に従わない。しばしば矩(のり)をこえる。そして、無理をやる。けれども、だんだん身体そのものが理に従わねばならぬようになる。衰えると言うと情けないが、老いるということは自然に近づくということであり、自然に近づくということは、真理に近づくということである。
そんなことを論語から感じるのであります。
モームの「人間の絆」を読み始めました。今朝は、電車で学校に行きましたから、電車の中でです。予想どおり、引き込まれています。最初から、なんとまぁモームの分身である主人公の生き方のつらさよと思い始めました。母親が亡くなっていくシーンから始まるのであります。
モームという人にだんだん興味を感じ始めました。
銚子駅に着いたことに全く気がつかないほどでありました。没頭型と言えば聞こえはいいのですが、これもまたある種の「矩をこえた」状態であるのかもしれません。
また明日!