と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

授業を見る 地学

2011年05月12日 22時21分05秒 | 先公ごっこ2008年から2012年






 今日は地学の授業を紹介させていただきます。今年採用の新進気鋭の先生であります。なかなかの授業でありました。動画も撮ったので、こちらは学校でDVDに焼いて差し上げようとしましたら、なんとわたくしの校長室のパソコンではMP4を認知しない。自宅でやるしかない。これから挑戦しますが、できないかもしれません。時間が無くて。

 しかし、コンピュータの発達は日進月歩でついていけません。
 携帯だって、一番簡単なのを使っているくらいです。ついて行けないのは当たり前かも知れません。

 いろいろと5限目にその新進気鋭の先生とお話をさせていただいておりました。研究熱心であります。このような方の教師としての成長を見ていたいものでありますが、それはかなわぬ夢であります。
 
 教育実践主体の良い先生に是非なっていただきたいと心底思っております。それが未来の国を作っていく基盤となります。

 生徒諸君の方は、どうかどうか先生方の教育的叡智を全部自分のものにしていただきたい。待っていてはなりませぬ。自分から学ぶことであります。教わる方が偉そうにでぇ~んと構えていてはなりませぬ。さらに、全校集会で申し上げたように、生徒としての本分をまもりたまえ。生徒と教師としての矩をこえずというスタイルで学んでほしいと思います。 

論語に「吾、15にして学に志し、(略)70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」というのがあります。

 矩をこえずというのは、ここから発想しているのです。
 つまり、自然であることであります。
 無理は禁物ということでもあります。

 しかし、若いときにはなかなかそんな生理・養生などということには従わない。つまり矩(のり)に従わない。しばしば矩(のり)をこえる。そして、無理をやる。けれども、だんだん身体そのものが理に従わねばならぬようになる。衰えると言うと情けないが、老いるということは自然に近づくということであり、自然に近づくということは、真理に近づくということである。

 そんなことを論語から感じるのであります。

 


 モームの「人間の絆」を読み始めました。今朝は、電車で学校に行きましたから、電車の中でです。予想どおり、引き込まれています。最初から、なんとまぁモームの分身である主人公の生き方のつらさよと思い始めました。母親が亡くなっていくシーンから始まるのであります。

 モームという人にだんだん興味を感じ始めました。

 銚子駅に着いたことに全く気がつかないほどでありました。没頭型と言えば聞こえはいいのですが、これもまたある種の「矩をこえた」状態であるのかもしれません。

 
 
 また明日!


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5月11日(水)のつぶやき

2011年05月12日 01時34分33秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:46 from goo
授業を見る 美術 #goo_kencho943 http://blog.goo.ne.jp/kencho943/e/a590306d6fcf0a0c6ec0de26bd168b7e
23:14 from web
授業参観開始。生徒の学びを見させていただく。実に楽しい。すばらしい先生方と生徒達。来年は絶対に見ることができない体験です。
23:16 from web
昨日、地区の校長先生方から、授業態度について褒めていただきました。ありがたいことであります。
23:19 from web
書道部の作品を1階に掲示してあります。今日は、校長室の脇の作品の前でデジカメ撮影をしていた女子生徒がおりました。
23:20 from web
質問をしたら、掲示してある作品はその生徒のものでありました。実に立派なレベルの高い作品であります。ブログに写真で紹介しましょう。明日以降。
23:24 from web
皆、それぞれの体験を重ねてきて、今があるんです。書道も、これまでの稽古の積み重ねがあるから、こんな立派な作品ができるのです。やはり、努力は裏切らないのです。
by kencho943 on Twitter
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

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