道中という言葉があります。東海道中膝栗毛とかもあります。やじさんきたさんの物語とか。いにしえのヒトは、旅を楽しんだのでしょう。また実にゆっくりとした旅でもあったのだろうと思います。事実、東北新幹線・山形新幹線など走っていなかったのですから。
お江戸から、わがふるさとの米沢に帰る時も、むかしは良かった。夜行列車がありましたから。急行列車でも8時間はかかった。それでも実に早いと感動していました。
特急列車では4時間。料金が高くてそんな列車には乗れなかったのでありました。
途中の宇都宮駅とか、福島県の郡山駅で、何分も、いや何十分も停車していたものでありました。これが実に良かった。箱形の、四人掛けの堅いイスでじっと座っていると、同席のじっちゃんばっちゃんと対話ができました。
そうげぇ、あがゆまでけぇるか?
あんちゃん、てぇへんだなぇ・・・
そんな会話になりました。いろいろな昔話をしながら、ずっとずっと同行の旅を続けておりました。このまま、我がふるさとに着かなくてもいいと思うくらいに、楽しい道中なのでありました。宮沢賢治の銀河鉄道の夜って、こんな世界なのかなぁと思っていました。夜がしらじらと明けるころ、東北を縦断する奥羽山脈に日が昇る。これもまた実にいい風景でありました。
言葉のこともあったでしょう。江戸弁には無いアクセント、語彙、文法。非常にすぐれた言語学の教科書でもありました。
ですから、途中の宇都宮駅とか郡山駅には十代後半に憧憬の念を持ったものでありました。いつかは、この土地に降りて、うまいものでも食べてみたいと思ったものです。
宇都宮には、餃子がある。さらに奥に行くと温泉がたくさんある。郡山にもすぐれた温泉がたくさんある。さらに、一番好きなスキー場がたくさんある。わたくしのような下手でも滑れるようなのが。
翻って、現在はどうでしょうか。
あっという間に米沢に着いてしまう。たった2時間。出発して、週刊誌一冊読まないうちに。これは旅というのとはちょっと違います。競争です。時間との競争。
それはそれでJRの方々には感謝申し上げます。ましてや、義父はJRマンだった。義兄もそうだった。昔でいう国鉄一家でもありますから。
修学旅行もそうです。
わたくしに言わせれば、あっという間に京都に着いてしまう。目的地と出発地に時間的な違和感が無い。これを快適というのでしょうけれども、もっと道中を楽しみたいと思わざるを得ません。
たとえば新幹線から途中で見える富士山。これもまた途中下車して大いにその風情を楽しみたいと思うのは必然でありましょう。ですから、実にこまめに富士山周辺には行くことになります。もっとも自分の車で十分行くことができる距離ですから。
岡崎もそう。徳川家康の歴史を堪能したいと思うのはこれまた必然。
名古屋もそう。歴史をかじっていると一度だけの訪問では満足しません。名古屋から、岐阜城へ。このコースも実に堪能しています。何度行ってもいい。信長や、秀吉が出てきそうです。楽しい、楽しい。
修学旅行の終点である京都は、もっとすばらしい。日本の古典を学ぶには最適ですから。これはこれでまたの機会に書きたいのですが。
要するに言いたいのは、あまりに目的地に急ぎすぎて到着していませんか?ってこと。
途中を楽しみながら生きていってもいいのではないかと、本当に思うからであります。
ところがそこのところを勘違いすると、すべてが目的主義的になってしまって、結果が先に来てしまう。なんでもかんでも結果優先主義。スポーツでも一流選手ほど、楽しんでくるという台詞を言うのはこのあたりを言っているのではあるまいかと思います。事実、わたくしの柔道教室の先生方でも、一流選手がおられる。そういう人ほど、楽しむすべを知っておられる。結果優先主義だとそれはそれは日々の練習はきついものでありましょう。
素人柔道愛好家としては、そういう一流の世界は全く知らないことでありますが。
受験勉強でもそうなんでしょう。
楽しむくらいの、ふてぶてしいくらいの気構えで無いといかんのでしょう。受験勉強の素人のわたくしにはまったく知らない世界ではありますが。
今日は、会議で、たくさんある議事を終了した後、県内屈指の進学校の進学データをいただきました。いただいてすぐ学校に引き返しました。明日、本校で地区内の校長先生との会議を予定していますから、その準備に入らなければなりません。そのために、銚子まで帰ってきたのです。しかし、遅くなりました。途中のコンビニで買ったおにぎりだけですっとんできたのですが、なんという距離でありましょうや。基本的にクルマは嫌いでありまする。
こういうときは道中を楽しむという気にはなりません。クルマで行っても、午後遅くなった。電車ならもっとかかったでしょう。こういうのは例外であります。
こういうときはジェット機でもあればいいなぁと思いますが。
勉強もジェット機のようにすぐ成果が出ればいいのでしょうけれども、やはり道中を楽しむという態度もまた大切であるような気がするのです。たとえ歩みは遅くとも、です。牛歩のごとく、亀の歩みのごとくです。焦ることはないのであります。勉強が好きなら、ずっとやっていられる国家でもありますから。我が日本は。大学院制度も充実しています。大学通信教育も実にすばらしいシステムを誇っている。各種学校だって通信もあれば、働きながら学習できるところもたくさんあります。よ~いドンで、全員目的地目指して勝った負けたというのも良いでしょう。しかし、また違った価値観もあるんです。視点が違うとまったく理解も、意味も違ってくるということ、今日の進学校の進学データには感じましたから。
また明日!
お江戸から、わがふるさとの米沢に帰る時も、むかしは良かった。夜行列車がありましたから。急行列車でも8時間はかかった。それでも実に早いと感動していました。
特急列車では4時間。料金が高くてそんな列車には乗れなかったのでありました。
途中の宇都宮駅とか、福島県の郡山駅で、何分も、いや何十分も停車していたものでありました。これが実に良かった。箱形の、四人掛けの堅いイスでじっと座っていると、同席のじっちゃんばっちゃんと対話ができました。
そうげぇ、あがゆまでけぇるか?
あんちゃん、てぇへんだなぇ・・・
そんな会話になりました。いろいろな昔話をしながら、ずっとずっと同行の旅を続けておりました。このまま、我がふるさとに着かなくてもいいと思うくらいに、楽しい道中なのでありました。宮沢賢治の銀河鉄道の夜って、こんな世界なのかなぁと思っていました。夜がしらじらと明けるころ、東北を縦断する奥羽山脈に日が昇る。これもまた実にいい風景でありました。
言葉のこともあったでしょう。江戸弁には無いアクセント、語彙、文法。非常にすぐれた言語学の教科書でもありました。
ですから、途中の宇都宮駅とか郡山駅には十代後半に憧憬の念を持ったものでありました。いつかは、この土地に降りて、うまいものでも食べてみたいと思ったものです。
宇都宮には、餃子がある。さらに奥に行くと温泉がたくさんある。郡山にもすぐれた温泉がたくさんある。さらに、一番好きなスキー場がたくさんある。わたくしのような下手でも滑れるようなのが。
翻って、現在はどうでしょうか。
あっという間に米沢に着いてしまう。たった2時間。出発して、週刊誌一冊読まないうちに。これは旅というのとはちょっと違います。競争です。時間との競争。
それはそれでJRの方々には感謝申し上げます。ましてや、義父はJRマンだった。義兄もそうだった。昔でいう国鉄一家でもありますから。
修学旅行もそうです。
わたくしに言わせれば、あっという間に京都に着いてしまう。目的地と出発地に時間的な違和感が無い。これを快適というのでしょうけれども、もっと道中を楽しみたいと思わざるを得ません。
たとえば新幹線から途中で見える富士山。これもまた途中下車して大いにその風情を楽しみたいと思うのは必然でありましょう。ですから、実にこまめに富士山周辺には行くことになります。もっとも自分の車で十分行くことができる距離ですから。
岡崎もそう。徳川家康の歴史を堪能したいと思うのはこれまた必然。
名古屋もそう。歴史をかじっていると一度だけの訪問では満足しません。名古屋から、岐阜城へ。このコースも実に堪能しています。何度行ってもいい。信長や、秀吉が出てきそうです。楽しい、楽しい。
修学旅行の終点である京都は、もっとすばらしい。日本の古典を学ぶには最適ですから。これはこれでまたの機会に書きたいのですが。
要するに言いたいのは、あまりに目的地に急ぎすぎて到着していませんか?ってこと。
途中を楽しみながら生きていってもいいのではないかと、本当に思うからであります。
ところがそこのところを勘違いすると、すべてが目的主義的になってしまって、結果が先に来てしまう。なんでもかんでも結果優先主義。スポーツでも一流選手ほど、楽しんでくるという台詞を言うのはこのあたりを言っているのではあるまいかと思います。事実、わたくしの柔道教室の先生方でも、一流選手がおられる。そういう人ほど、楽しむすべを知っておられる。結果優先主義だとそれはそれは日々の練習はきついものでありましょう。
素人柔道愛好家としては、そういう一流の世界は全く知らないことでありますが。
受験勉強でもそうなんでしょう。
楽しむくらいの、ふてぶてしいくらいの気構えで無いといかんのでしょう。受験勉強の素人のわたくしにはまったく知らない世界ではありますが。
今日は、会議で、たくさんある議事を終了した後、県内屈指の進学校の進学データをいただきました。いただいてすぐ学校に引き返しました。明日、本校で地区内の校長先生との会議を予定していますから、その準備に入らなければなりません。そのために、銚子まで帰ってきたのです。しかし、遅くなりました。途中のコンビニで買ったおにぎりだけですっとんできたのですが、なんという距離でありましょうや。基本的にクルマは嫌いでありまする。
こういうときは道中を楽しむという気にはなりません。クルマで行っても、午後遅くなった。電車ならもっとかかったでしょう。こういうのは例外であります。
こういうときはジェット機でもあればいいなぁと思いますが。
勉強もジェット機のようにすぐ成果が出ればいいのでしょうけれども、やはり道中を楽しむという態度もまた大切であるような気がするのです。たとえ歩みは遅くとも、です。牛歩のごとく、亀の歩みのごとくです。焦ることはないのであります。勉強が好きなら、ずっとやっていられる国家でもありますから。我が日本は。大学院制度も充実しています。大学通信教育も実にすばらしいシステムを誇っている。各種学校だって通信もあれば、働きながら学習できるところもたくさんあります。よ~いドンで、全員目的地目指して勝った負けたというのも良いでしょう。しかし、また違った価値観もあるんです。視点が違うとまったく理解も、意味も違ってくるということ、今日の進学校の進学データには感じましたから。
また明日!