今日は国語古文の授業を参観させていただきました。やはり新進気鋭の国語教師であります。新採用の先生です。沙石集を扱っておられた。国文法の内容であります。
ある意味、注目しておりました。それは何故かというと、国語はわたくしの好きな分野でもあるからです。文法の指導も実に興味深かったのであります。
4時間目ですから、生徒は空腹でもあったと思います。しかし、実に熱心についていっていました。たいしたものであります。
途中、野村萬斎の能を扱っておられたので、こちらも実に興味深いものがありました。
終了後、校長室に来られたので、手法的なことをいろいろとアドバイスさせていただきました。
在校生諸君は、そういう先生方の教育的叡智をことごとく吸収することであります。なんのために学校に来ているのでありましょうや。保護者の方々の尊い援助無しには、学校生活を送ることはできないからであります。感謝しましょう。ほんとうにありがたいことであります。
今年の進路の手引きにも書かせていただきましたが、わたくしはいわゆる苦学をしたから余計在校生諸君を見ていると、まだまだ苦労が足りないと感じてしまうからであります。のうのうと高校生活を送ってはいませんか?時間を、無駄に使っていませんか?
また小言になってしまいましたが、真底そう思っています。くだらないことで時間を浪費しているんでは、もったいない。若い人であっても、使命があるはずであります。他人に迷惑をかけていないんだから何をやっても良いはずだというのでは、なにをかいわんや。
今日のスポーツジムで「品格の原点 いまなぜ日本道徳論なのか」という小学館新書を読了しました。ショッピングセンターに書店もあるからジムの前に寄って気に入ったのを購入するのです。
汗びっしょりになりました。読了するのに時間にして45分もかかってしまいました。自転車こぎをしていたのです。消費カロリーも相当なものでありましたが。
佐倉藩士の西村茂樹という人が書いた古典的名著です。それをお茶大教授の尾田幸雄先生が現代語訳をしてくださったものです。もっとも、だから45分で読めたのでしょう。
道徳教育にふさわしいことが満載されておりました。しかも、最も学ぶべき点は「品格を高める」ことでもありました。これは愚たるわたくしは人のことをどうのこうの言う資格はない。
まだまだ修行不足であります。
だいいち、怒りがまだまだあるのであります。世の中の動きについてもそうです。これ以上は書けませんが、ほんとうに怒りを感じる日々を送っております。
さらに、哀しみもある。
惜しむこころもある。メリットとか、デメリットとかついつい考えてしまいます。これは自分としては最も戒めていることであります。「利」で動く人間はろくなモノではないという思い込みで生きて参りましたから。
欲もある。食欲もありすぎて、実に恥ずかしいかぎりであります。餓鬼道であります。これでは。
古典の授業から、道徳論まで今日は筆が滑りました。たまにはこういうのもいいでしょう。
実際、県立銚子は授業で勝負するしかないのですから、ますます工夫実践に生きていくしかない。安住は許されないのであります。安住したら、それでおしまい。成長はない。だれだってそうですよ。進歩するしかないのです。
先日、レポートを書いていて、がっかりしたことがありました。発達心理学のレポートですが、家系論とか遺伝論をぎゅっと信奉されている教授で、いろいろ外国の実践例をだしてそれを証明されようとされている。論文としてはおもしろいのでありますが、教育人としては首肯できませんでした。勉強はやはり遺伝ではないという立場にどうしてもこだわりたいですから。つまり努力すれば、できるようになるということにです。
それにこだわることが教師の使命でもありましょう。
また明日。