海上郡立銚子実科高等女学校 創立当時の全校生徒合同体操
体操服はなく、着物・袴のまま運動をしていた。
1911年(明治44年)
県立銚子高等女學校正門(講堂建設前)現在の税務署の位置
1922年(大正11年)
運動服と運動会風景
運動服は白キャラ地のセーラー型のブラウスと黒いプリーツスカート。黒長靴下の革靴、ヒダの付いた帽子で運動した。
1924年(大正13年)
籠球部神宮大会初出場
1939年(昭和14年)
滑川登美子神宮大会弓道に千葉県国体選手として出場 全国第4位を獲得する
1939年(昭和14年)
県立銚子の歴史を、これまでの記念誌等から探ることで、なおいっそうの応援をいただいているような気になります。これもまた伝統校であるが故の幸いでもあります。
昨日の記事で書かせていただいた初代校長の今関源十郎先生は、大正年間の殆どを校長として、草創期の我が県立銚子を作っていただいた偉大なる先生であります。昨日も書きましたが、まるで威厳が違います。またその後の代々の校長先生も偉大なる方のみ。不肖わたくしで27代目。これだけ歴史を重ねている学校がありましょうか。
ありがたいかぎりであります。
これほどの学校に奉職させていただけるとは思ってもみませんでした。
その伝統を汚してはならぬわけであります。そういう気構えが今の県立銚子を支えているのだと思うのであります。
特に初代校長先生がどんな思いで学校を運営されていたかのかということを、忘れてはならないのであります。ですから、怠けておっては申し訳ないのです。
旧制女学校に進学できるだけ、今もそうではありますが、昔は本当にすばらしいことであったのであります。NHKの朝の連続ドラマで、最近始まった番組があります。太陽の陽子さんという方が主人公であります。「おひさま」という番組です。この主人公は安曇野の旧制女学校から、師範学校を出て、小学校の先生になられる。
ですから、旧制銚子女学校とわたくしの意識の中ではリンクするわけです。事実、そういう本校卒業生も大勢おられる。
時間が無くてなかなか視聴することができないのが残念でありますが。
そういう伝統の歴史をずっと辿っていくこともまたいいものであります。
母校というのはそうしたものではないでしょうか。いろいろな先輩がいらして、そこに「縁」がある。そうしたつながりが、また現在の自分を構築してくれる。これは実にありがたいことであります。
ミクシーとか、Facebookとか、そういうつながりを大切にしてくださるサイトもあって、これもまたわたくしには興味深いものであります。
さらに、すばらしい活躍をされている先輩、後輩がおられると実にさわやかな気分になります。これほどの優れた学校に学んでいたのかとうれしくなるわけです。母校愛というものはこうした部分から育っていくのでありましょう。
たとえ自分にそれだけの実力が無くても、それはうれしいものであります。
今日、ある先生が、来年の教育実習生を連れてきました。本校の卒業生であります。英語あり、国語あり、社会あり。現在大学3年生。
楽しみであります。どんな授業をされるのか。
しかし、その時にわたくしは県銚にいられない。年齢制限にひっかかります。つまり定年。
去らねばなりません。いつまでもいるわけにはいかない。こんなところにも、無常を感じてしまいました。仕方なし。これも世間の常。
活躍を祈るしかありません。
明日は、スポーツ大会であります。
勉強三昧の生活をいっとき忘れて、健康体力の向上のためにも、楽しみたいものであります。
中間テストが終わったのですから。
また明日!