今日は、校内のスポーツ大会でした。いろいろな種目を行いました。運動部に入っている在校生諸君には、大変な活躍の場。そうでない諸君は、久しぶりに体力鍛錬の場でもあったことでしょう。
わたくしは、開会式でちょっとあいさつをさせていただき、すぐ市役所で会議がありましたので、出かけました。ですから、後日写真部の生徒とか、いろいろな先生方からデータをいただいて、またそれから記事にいたします。それまで待っていてください。ただし、インターネットでは顔を出せませんから、これもまた難しい作業になります。
部活動をもっと紹介したいのです。しかし、全員後ろ向きの、背中を写して紹介してもおもしろくもなんともありません。これが今のところの限界であります。
まことに残念至極であります。
今夜もジムで自転車をこぎながら一冊読了した本がありました。ジムの近くにちょうど国道を挟んで全国規模の古書店チェーンがあるから、実に資料には困らないのです。まことにありがたいかぎりです。家に帰ってからは、内容の濃い本に手を出しますので、ジムで気楽に読めるビジネス本なども買います。
そこで、この「気楽」という言葉。
気楽な人は、不真面目という言葉と表裏一体に言われますが、これはちょっと気楽な人にはかわいそうであります。眉間にしわを寄せて深刻そうに仕事をしていても、仕事のできない人はやっぱりできないからです。
脱力といってもいいのですが、気楽な人は仕事が早い。さらに、ある程度の目算が立ったら、仕事への取りかかりも早い。どんどんどんどん仕事を進めていくわけです。つまり「スピード」がある。スピードがあれば、無駄を省くことができる。
この英単語を覚えようか、それとも覚えないようにしようかという逡巡が無い。迷いがない。
だから仕事をたくさん依頼される。依頼されるから、処理速度も早くなる。だんだん自分一人では抱えきれなくなるから、他人を使うこともうまくなる。すべて循環していくわけです。良い意味で。
これはスポーツと感覚的に似ています。仕事はスポーツと同じだという感覚でやるとちょうどいい。スポーツは失敗しても命まで取られるわけではありませんし、事実野球選手だって、ヒットを打てる確率は10割ではない。そんな選手がいたら、超有名人になってしまうでしょう。しかし、3割程度の確率でも真剣に取り組んでいるわけです。ミスもしますが、いちいちそれで落ち込んでいるわけではなく、次の機会にヒットを狙っていく。
スポーツ大会でもそうでしょう。
スポーツは、スピード感が命でありますから。いろいろと制限された状況の中で、しのぎを削るわけです。判断のスピードも求められる。先を読み、相手の動きを予測する、いろいろな想定外の動きを予測しながら運動をしているわけです。さらに、一瞬の判断ミスや、集中力に欠けたときに、相手はすかさずそこをついてくる。攻撃をしてくる。
いわゆる隙があるというわけです。
そういう仕事の早い人は、コミュニケーションにも長けている。対話が非常に上手です。仕事相手とコミュニケーション抜きに、チームで処理する仕事はできません。
コメントを返し、また相手に「うなずき」「微笑み」「あいづちを打つ」というような動作と一体化していると、対話が可能になります。
これもまたコミュニケーション能力とスポーツは一体化しています。すべてを言葉にしなくても、アイコンタクトでわかり合える世界が、スポーツの世界でもありましょう。
チームプレーで、試合中次に何をするかをアイコンタクトでやらなければ、(サインも含めて)なかなか勝つのは難しいのではありませんかな?
個人競技種目をやってきましたので、あまりチームプレーについてはよく知らないのですが、ね。
最後に、言いたいのは、品格の無い行動を取らないこと。志が無いと言われますぞ。スポーツだからと言って、みっともないヤジを飛ばしているのを見ることがあります。わたくしのやってきた柔道の世界でもありました。礼儀を重んじるのは、そうでないと、ただの野獣の闘いになってしまいます。だから格闘技というのでしょうが、これは自分の反省も含めて自戒したいことの一つであります。
でかい声を出して、周囲を睥睨しているだけではいかがなものか。野獣と知性ある人間の差は大きいと言わざるを得ません。そこのところだけはわかっていただきたいと思っております。
若い頃、奥羽山脈の麓で山を走り、熊さんと競争していた時代が確かにわたくしにはあったからであります。もっとも、鍛え方によってはもう一度熊さんと勝負できる可能性もあるかもしれないと、思ったりするときもあるのです。年をとっても、御前試合に出場せよと言われて、鍛え直して見事勝った老剣豪の話をちょっと思い出しました。
藤沢周平の小説にそんなのがあったように思いますから。
また明日!
わたくしは、開会式でちょっとあいさつをさせていただき、すぐ市役所で会議がありましたので、出かけました。ですから、後日写真部の生徒とか、いろいろな先生方からデータをいただいて、またそれから記事にいたします。それまで待っていてください。ただし、インターネットでは顔を出せませんから、これもまた難しい作業になります。
部活動をもっと紹介したいのです。しかし、全員後ろ向きの、背中を写して紹介してもおもしろくもなんともありません。これが今のところの限界であります。
まことに残念至極であります。
今夜もジムで自転車をこぎながら一冊読了した本がありました。ジムの近くにちょうど国道を挟んで全国規模の古書店チェーンがあるから、実に資料には困らないのです。まことにありがたいかぎりです。家に帰ってからは、内容の濃い本に手を出しますので、ジムで気楽に読めるビジネス本なども買います。
そこで、この「気楽」という言葉。
気楽な人は、不真面目という言葉と表裏一体に言われますが、これはちょっと気楽な人にはかわいそうであります。眉間にしわを寄せて深刻そうに仕事をしていても、仕事のできない人はやっぱりできないからです。
脱力といってもいいのですが、気楽な人は仕事が早い。さらに、ある程度の目算が立ったら、仕事への取りかかりも早い。どんどんどんどん仕事を進めていくわけです。つまり「スピード」がある。スピードがあれば、無駄を省くことができる。
この英単語を覚えようか、それとも覚えないようにしようかという逡巡が無い。迷いがない。
だから仕事をたくさん依頼される。依頼されるから、処理速度も早くなる。だんだん自分一人では抱えきれなくなるから、他人を使うこともうまくなる。すべて循環していくわけです。良い意味で。
これはスポーツと感覚的に似ています。仕事はスポーツと同じだという感覚でやるとちょうどいい。スポーツは失敗しても命まで取られるわけではありませんし、事実野球選手だって、ヒットを打てる確率は10割ではない。そんな選手がいたら、超有名人になってしまうでしょう。しかし、3割程度の確率でも真剣に取り組んでいるわけです。ミスもしますが、いちいちそれで落ち込んでいるわけではなく、次の機会にヒットを狙っていく。
スポーツ大会でもそうでしょう。
スポーツは、スピード感が命でありますから。いろいろと制限された状況の中で、しのぎを削るわけです。判断のスピードも求められる。先を読み、相手の動きを予測する、いろいろな想定外の動きを予測しながら運動をしているわけです。さらに、一瞬の判断ミスや、集中力に欠けたときに、相手はすかさずそこをついてくる。攻撃をしてくる。
いわゆる隙があるというわけです。
そういう仕事の早い人は、コミュニケーションにも長けている。対話が非常に上手です。仕事相手とコミュニケーション抜きに、チームで処理する仕事はできません。
コメントを返し、また相手に「うなずき」「微笑み」「あいづちを打つ」というような動作と一体化していると、対話が可能になります。
これもまたコミュニケーション能力とスポーツは一体化しています。すべてを言葉にしなくても、アイコンタクトでわかり合える世界が、スポーツの世界でもありましょう。
チームプレーで、試合中次に何をするかをアイコンタクトでやらなければ、(サインも含めて)なかなか勝つのは難しいのではありませんかな?
個人競技種目をやってきましたので、あまりチームプレーについてはよく知らないのですが、ね。
最後に、言いたいのは、品格の無い行動を取らないこと。志が無いと言われますぞ。スポーツだからと言って、みっともないヤジを飛ばしているのを見ることがあります。わたくしのやってきた柔道の世界でもありました。礼儀を重んじるのは、そうでないと、ただの野獣の闘いになってしまいます。だから格闘技というのでしょうが、これは自分の反省も含めて自戒したいことの一つであります。
でかい声を出して、周囲を睥睨しているだけではいかがなものか。野獣と知性ある人間の差は大きいと言わざるを得ません。そこのところだけはわかっていただきたいと思っております。
若い頃、奥羽山脈の麓で山を走り、熊さんと競争していた時代が確かにわたくしにはあったからであります。もっとも、鍛え方によってはもう一度熊さんと勝負できる可能性もあるかもしれないと、思ったりするときもあるのです。年をとっても、御前試合に出場せよと言われて、鍛え直して見事勝った老剣豪の話をちょっと思い出しました。
藤沢周平の小説にそんなのがあったように思いますから。
また明日!