学ぶことの意味を問い続けたい
ここのところ論文の文体に乱れが生じて参っていたのだ。自分しかわからないことである。ましてやここに紹介するわけにもいかない。なぜ乱れてきたのかとずっと考えていた。
最初にあげられるのは、ゼミの若い仲間と違って研究者としてのトレーニングを受けていないからだと思う。当たり前である。生活のために、仕事をやっているしかなかったからである。と、ゼミでも発言したし、事実修士をとったのは60歳のときだから、ゼミの仲間と違ってオレには基礎力がない。これは(_ _ )/ハンセイである。てめぇが悪いのだ。なにしろ学部を出たのは40年前である。現役の教師時代に、論文を書いたり、レポートを書いてはきたが、教育関係が多かった。研究を対象として書いた経験は乏しい。そういう意味ではオレは謙虚に書かなければならないと思っている。
次に、独創性を出そうとついついしてしまう傾向がある。ある形式を守るべきである。マジに、そういう点では失格である。参考文献も根拠を明らかにしていれば、学習イコール論文なのである。人文科学系はここが難しいのだ。ブログみたいな文体で書いてはならないのだ。そう思っている。
しかし、「学ぶことの意味」をキチンと把握していなくなったのだということにも気がついた。どうもオレ自身、成果を気にしはじめてしまっているのだ。オレの場合、なんにもならないから論文を書いているというスタンスを捨ててはならないのである。そこにこそオレ自身の「学ぶことの意味」があるはずである。よって、時々拙ブログでそのことの確認をしていないと、我を忘れてしまう。クワバラ、クワバラである。
なぜ、そんなことを思ったか。
昨日のNHKで、通信制中学校を卒業していった70代の先輩達の番組を見たからである。いろいろな事情で中学校を出ていないから、通信の中学校に通学されているのだ。学校を出ていないから、勉強できなかったから中学校で学ばれているのである。魂が震えた。オレもこのスタンスであるからだ。オレは、苦学した。修士まで働きながら勉強してきた。今の在籍大学でやっとまともに勉強できるようになったのである。だから、家族には感謝している。在籍大学にも、師匠にも感謝している。ゼミの仲間たちにも。また、オレのようなモンを拾ってくださった教えているほうの大学や、講師をしてもいいよと云ってくださった全国チェーンの学習塾、さらにある専門学校。感謝である。
この番組で、先輩達は、癌にもなり、鬱にもなり、配偶者の介護をもやり、さらに生涯にわたる勉強をされていた。これこそ人生の鏡である。オレなんか、話にならない。まだ小僧だよ。まだまだ若造である。アタマが禿げているけど。
オレもまた、60歳の青春を取り戻したいものである。青春って、なにかになるためのものではない。苦悩し、迷い、試行錯誤しながら成長していく時期である。オレもまた、加齢はしたが、「成長」していきたいものである。マジに。
今日はちょっとシリアスな記事になっちまったけど。
(^_-)-☆
NHKのHPから内容を紹介させていただく。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0531.html
2014年5月31日(土)
【再放送】2014年6月7日(土)午前0時00分
※金曜日深夜
学ぶことの意味を探して
~神田一橋 通信制中学の歳月~
東京都心にある小さな中学校。子どもたちが休みの日曜日、東京都内に家や仕事場をもつ高齢者が集まってくる。その多くは、戦後の混乱の中で義務教育を受けられなかった人たちだ。
神田一橋中学校・通信教育過程。公立としては全国に2校しかない、中学に通えなかった高齢者のための中学校だ。ことし3月、この中学を卒業した峯永昭子さんと宮城正吉さんはともに72歳。小学校しか出ていない2人にとって、57年遅れて手にする中学校の卒業証書だった。
峯永昭子さんは医師だった父親が戦死し、4人の娘を抱えて途方に暮れる母親とともに、各地を転々とする子ども時代を過ごした。
宮城正吉さんは12歳のとき東京の水道工事店に奉公に出され、朝から晩まで小さな体で働いた。
青春も、学ぶ機会も奪われたまま、年を重ねてきた2人が、60年の時を経てようやく手に入れた学びやでの日々。初めて習う英語や、小学校以来という作文に 四苦八苦しながら、2人机を並べる教室で、学ぶことの喜びを再発見していく。ところが、3年生になった峯永さんを思いがけない病が襲う・・・
5年間授業に密着し、みずからカメラを回し続けてきたディレクターがナレーションを務め、2人とともに"学ぶことの意味"を追い続けた日々を語る。
(内容59分)