と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

60代の青春を生きているのだ

2014年06月01日 07時01分34秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

学ぶことの意味を問い続けたい

 

 

ここのところ論文の文体に乱れが生じて参っていたのだ。自分しかわからないことである。ましてやここに紹介するわけにもいかない。なぜ乱れてきたのかとずっと考えていた。

最初にあげられるのは、ゼミの若い仲間と違って研究者としてのトレーニングを受けていないからだと思う。当たり前である。生活のために、仕事をやっているしかなかったからである。と、ゼミでも発言したし、事実修士をとったのは60歳のときだから、ゼミの仲間と違ってオレには基礎力がない。これは(_ _ )/ハンセイである。てめぇが悪いのだ。なにしろ学部を出たのは40年前である。現役の教師時代に、論文を書いたり、レポートを書いてはきたが、教育関係が多かった。研究を対象として書いた経験は乏しい。そういう意味ではオレは謙虚に書かなければならないと思っている。

次に、独創性を出そうとついついしてしまう傾向がある。ある形式を守るべきである。マジに、そういう点では失格である。参考文献も根拠を明らかにしていれば、学習イコール論文なのである。人文科学系はここが難しいのだ。ブログみたいな文体で書いてはならないのだ。そう思っている。

しかし、「学ぶことの意味」をキチンと把握していなくなったのだということにも気がついた。どうもオレ自身、成果を気にしはじめてしまっているのだ。オレの場合、なんにもならないから論文を書いているというスタンスを捨ててはならないのである。そこにこそオレ自身の「学ぶことの意味」があるはずである。よって、時々拙ブログでそのことの確認をしていないと、我を忘れてしまう。クワバラ、クワバラである。

なぜ、そんなことを思ったか。

昨日のNHKで、通信制中学校を卒業していった70代の先輩達の番組を見たからである。いろいろな事情で中学校を出ていないから、通信の中学校に通学されているのだ。学校を出ていないから、勉強できなかったから中学校で学ばれているのである。魂が震えた。オレもこのスタンスであるからだ。オレは、苦学した。修士まで働きながら勉強してきた。今の在籍大学でやっとまともに勉強できるようになったのである。だから、家族には感謝している。在籍大学にも、師匠にも感謝している。ゼミの仲間たちにも。また、オレのようなモンを拾ってくださった教えているほうの大学や、講師をしてもいいよと云ってくださった全国チェーンの学習塾、さらにある専門学校。感謝である。

この番組で、先輩達は、癌にもなり、鬱にもなり、配偶者の介護をもやり、さらに生涯にわたる勉強をされていた。これこそ人生の鏡である。オレなんか、話にならない。まだ小僧だよ。まだまだ若造である。アタマが禿げているけど。

オレもまた、60歳の青春を取り戻したいものである。青春って、なにかになるためのものではない。苦悩し、迷い、試行錯誤しながら成長していく時期である。オレもまた、加齢はしたが、「成長」していきたいものである。マジに。

今日はちょっとシリアスな記事になっちまったけど。



(^_-)-☆

 

 

 

NHKのHPから内容を紹介させていただく。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0531.html

 

 

2014年5月31日(土)
【再放送】2014年6月7日(土)午前0時00分
※金曜日深夜    

学ぶことの意味を探して
~神田一橋 通信制中学の歳月~

東京都心にある小さな中学校。子どもたちが休みの日曜日、東京都内に家や仕事場をもつ高齢者が集まってくる。その多くは、戦後の混乱の中で義務教育を受けられなかった人たちだ。

神田一橋中学校・通信教育過程。公立としては全国に2校しかない、中学に通えなかった高齢者のための中学校だ。ことし3月、この中学を卒業した峯永昭子さんと宮城正吉さんはともに72歳。小学校しか出ていない2人にとって、57年遅れて手にする中学校の卒業証書だった。

峯永昭子さんは医師だった父親が戦死し、4人の娘を抱えて途方に暮れる母親とともに、各地を転々とする子ども時代を過ごした。
宮城正吉さんは12歳のとき東京の水道工事店に奉公に出され、朝から晩まで小さな体で働いた。

青春も、学ぶ機会も奪われたまま、年を重ねてきた2人が、60年の時を経てようやく手に入れた学びやでの日々。初めて習う英語や、小学校以来という作文に 四苦八苦しながら、2人机を並べる教室で、学ぶことの喜びを再発見していく。ところが、3年生になった峯永さんを思いがけない病が襲う・・・

5年間授業に密着し、みずからカメラを回し続けてきたディレクターがナレーションを務め、2人とともに"学ぶことの意味"を追い続けた日々を語る。

(内容59分)

 

 

 

 

コメント
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5月31日(土)のつぶやき

2014年06月01日 05時40分21秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

裂人(さこうど)というのもいるんだって

親密度というのを考えることがある。

ここのところずっと考えている「未練」というやつである。ぐだぐだといつまでも、断ち切れな... goo.gl/yuWiji


昨日、在籍大学の近くの郵便局で、能「百万」のチケット代と、学会の会費を払ってから在籍大学の門をくぐった。はれぇ~財布が空になってしまった。それにしても能は高いな。参りますよ。国立能楽堂は、オレ一人で見にいくからそれはそれでいいのだけれども(>_<)ゞ。


いろんな経験をしてきたからこそ、あなたの今があるのです。すべてに感謝しましょう。

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■「どんなことも7世代先まで考えて決めなければならない。」【イロコイ族】

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ボロブドゥール遺跡 仏像に首がないことをお気づきでしょうか?
当時オランダの植民地であったインドネシア。オランダ人が仏像の首だけを置き物として持って帰ったそうです。悪趣味ですね・・・(;^ω^) pic.twitter.com/Kzh3mAHYZ2

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西欧哲学にあって、諸個体は様々な力の担い手に還元される。その力が、知らず知らずのうちに個体に命令を下すのである。個体は、だからその意味を全体性から借り受けていることになる(つまり、個体の意味はこの全体性の外部では不可視である)。-全体性と無限-

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自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。(「二十一世紀に生きる君たちへ」) goo.gl/9u1f

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環境問題を解決するには、私たちが自然を、どこまでも経済的・実用的観点で考えている限りは、解けないでしょう。たとえば、アマゾンの熱帯原生林を破壊するなと言っても、それが単に地球の気候を守るためだけの意識だったら絶対駄目です。 『三つの鏡』

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コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/