美人というのは集団が・・・
美人というのは、一族郎党寄ってたかって作り上げるものだそうである。なにかの本で読んだことがあるが、本の名前は忘れてしまった。
これは民族学的・人類学的には正解であろう。レヴィー・ストロースの云いそうなことである。なぜなら、女子は、村落共同体にそのまま居座ってもらっては、困るからである。血縁が濃くなると困るのは集団である。だから贈与として、村落共同体は磨きをかけるのだということを読んだのである。美人をつくりあげるためにである。
自明のことである。父と娘、あるいは兄と妹、姉と弟、母と息子という婚姻関係をタブーとしていたのは、人類の智慧である。当然であろう。
だから婚姻とか、恋愛というのは、所属している集団にとって重要なのである。何をやってもいい、なんでもOKでは集団そのものが滅びてしまうのである。こいつはなかなかおもしろいことである。人類は、そもそも近親相姦をやってしまってから気がついたのであろうからである。つまり失敗してから初めて気がついたわけである。これじゃぁ我が集団は滅亡してしまうというわけである。
そこで冒頭の「美人」である。
世の中には本当に、目の覚めるような美人というのがいる。大都会に行けば行くほどいる。たまげたもんである。現代的美人というやつである。オレは、現代民俗学というものもやっているから、そういうことにも興味があって、なぜ美人というものが地域的に差があるのだろうかと真剣に悩んでいるからである。本当である。
そこで「秋田美人」のことである。
経験上、秋田には美人が多い。雪の降っている夜に、秋田市内でささやかに呑んでいると、幽霊に化かされているのではないかと思うような美人に出くわしたことが幾度かあったのである。そんなに秋田に行ったことはなかったのだが、大人になってからはそういう経験をしたことがあるのである。
そう、オレだって、バーにいくこともあるしということである。
もっとも、アルコールと香水の匂いには辟易させられることが多々あったのだが。これはいまでもそうで、いわゆるパーティというのが苦手な原因である。
あ、中国語講座で聞いたのであるが、中国ではオレのようにマイペースで呑んでいると、組織でははじき出されるのだそうだ。笑ったな。そうか、オレは中国でも排除される対象なのだなとよーく分かったからである。中国ではカンパイというのは、一息で飲み干すのだそうである。特に、エライ方との宴会ではそれができないと出世できないんだそうである。中国語講座の他の方々で、日本から所長とかで長期出張されていた方々が言われていた。
それにあれだな。中国の女性というのは本当に美人が多いから、オレのような朴念仁には目のやり場に困る。チャイナドレスというのも、どこを見ていればいいのか困っちまうではないか。どうでもいいようなことであるが。
秋田と中国には美人が多いようで、これはこれで結構なことである。
もう一つある。ロシアにも美人が多い。統計学的な話ではない。経験上である。(^-^)/
全部行ってみたいねぇ~。
中国も、ロシアも、秋田県も。
わはははっはははである。