「自分の思い入れ」が強くなってくると、論文書きは中断した方が
「自分の思い入れ」が強くなってくると、論文書きは中断した方がよろしいということである。ここのところ、自分の主観、感情が強くなってきたので、233枚から進んでいない。というより、ちょっと距離を置いている。どんどん自己を語り始めたら、それは論文にはならない。そういう時期があるものだが、ちょっと中断してオノレを見直すのが一番である。
このことはブログとは全く違っている。ブログはオノレを語っている。ま、ある程度の虚構があるけれども。もっとも、オノレを語っているというのは錯覚である。かならず、そこには作意がある。ある一定のイメージを設定しておいて、それからブログの記事といえども書き始めるわけである。
だから、論文を書くのと、ブログの記事を書くのではまったく違う仮面をかぶったオノレがやっているのである。このことをワスレテいると、乱雑になる。特に論文の方がである。
オレと直接会った方は、オレが結構紳士的であって、言葉も丁寧体が多く、年齢が上でも下でも敬語を使うのを意外ととられるだろうと思う。ブログの記事だと、丸出しのオレがいて、どーも誤解されるらしい。ま、それも不徳の致すところである。仕方がない。
基本的に、どう思われようと、オレには関係ないのである。好きでブログの記事も、論文も書いているだけである。それにオレはこれしかできないのだ。わははははっははなのである。
読んでくださる方には感謝している。
それでも、オレはオレのために書いているような気がする。指の運動にもなるし、第一惚けない。書いていると調べ物もしなくちゃならない。そういうことの繰り返しで、通教主体の生涯教育をさせていただいてきたのである。それだけなのだ。
昨日塾に行ってきた。二人が数学で、もう一人は国語。ちゅーぼーである。つまり男子専門である。女子生徒はオレを毛嫌いする。あたりめ~である。じじいだからだ。イケメンの若い男のセンセに教わりたいというのは、非常によく分かる気がするからだ。
それはそれでいい。
問題は、なぜ塾のセンセなんかやっているのだ?とか、収入がそんなに少ねぇのになんでやっているのだ?と今週の火曜日に、友人に聞かれたからである。夜、一緒に酒を呑んでいたのだ。さらに、時間給は?とかいろいろ聞かれた。ここでは書けないほど低いのである。いや、なにもそれを不満に思っているのではない。世間を生きるための智慧に長けているオレは、それなりにちゃんと生きているからである。むろん年金生活者であることは間違いない。カネも、髪の毛もない。腕力もない。イケメンじじいなのに、女子にはもてない。そういう哀しい現実は認めよう。
オレは、時間が欲しかったのである。だから、まともに働いていないのだ。学生であるからだ。論文書きを主体に、この3年は生きていきたいと思ったからだ。再雇用ということも考えたが、拘束時間が長い。一日8時間働いて、週に3日拘束されるのは辛い。塾もたった2コマのみ。2日ではない。2コマである。塾の経営者もこんな馬鹿をよくやとってくださっていると感謝しているのだ。オレは。
来年から在籍校には通学できないだろうから、それから何か考えてみたいと思っているが、なにもなかったらそのまんまである。生涯教育をやりたいが、学費が続かない。いろいろ大変なのである。こんなオレでも。
今日は、師匠のゼミがある。
楽しみである。実に楽しみ。
美男美女の多いキャンパスを歩いていると、それだけで若くなる。いや、若くなったような気がする。来年から、それもできなくなると思うとなんだか、せつないですな。
だんだんだんだん、棺桶が近づいてきていますよん。
だから旅から旅へと、楽しんでいるのである。昨日は、穂高に行くバスツアーに申し込んだ。中国福建省に行くのを諦めたからである。福建省に観光で行ってもしょうが無いからである。中国語ができないから、一人じゃいけねぇからである。留学生に笑われるけどね~。彼ら、彼女らは一人で日本に留学してきているのだから。たいしたもんである。
今日の3時から、その留学生たちから中国語講座で教えてもらう。なかなか上達できない。馬鹿である。
それでもオレはしぶとく生きていく。
わはははっははは。
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