作業化してはならないのだなぁ
生涯学習をやっていると、勉強が作業になってしまっていることに気がつくことがある。愕然となる。つまり、あまりにも日常的になりすぎて、連続した日々のあるひとこまでしかなくなってしまう...
作業化してはならないのだなぁ
生涯学習をやっていると、勉強が作業になってしまっていることに気がつくことがある。愕然となる。つまり、あまりにも日常的になりすぎて、連続した日々のあるひとこまでしかなくなってしまう...
夕刻、酒を一合呑んだらバタンキュー
金曜日は疲れる。当然である。学生じじいの役割を演じているからである。朝の、9時30分からずっと講義をいただいたり、ゼミに出席したり、午後3時からは場所を変えて在籍大学の成東インフォメーションセンターで留学生による中国語講座を受けていたのである。全部勉強になる。ありがたいことである。
それでも昨日は疲れた。
晩酌を一合くらいやったら、もうバタンキュ~であった。すぐ寝てしまった。で、4:19である。そう早起きしたのである。Gymにも行かなかったのだ。参ったね。参った。こんな時もあるのだ。疲れたら寝た方がいい。オレは無理はしないのである。だからなにをやってもモノにならなかったのだなぁ~と思う。そもそも、こんなじじいになってから、大学院に入学したのが間違っていたのだろうし。まだ、2年と3ヶ月しかたっていないが、これで良かったのだろうか?という疑問もちょっとはある。専門の研究者とか学者を目指せるほどアタマ良くねぇし。しかし、過去は取り戻せない。このままあと半年置いていただいて、じじい街道を驀進するしかないようである。
論文書きも、訂正作業をしていく。構想そのものが素人であるから、再構築である。量的な問題はクリアーした。しかし、やはり素人である。ここが哀しいですなぁ~。駄文である。まったくの駄文。厳しいものである。昨日はちょっとそのせいもあって、ちょっとだけだが、メゲテいたのである。そうなのだ。一見、気楽なじじい稼業であるが、学生でもある。評価が絡むと、メゲル時もあるのである。
中国語講座では、蛍の光の中国語バージョンを教えていただいて勉強した。唄がうまいと褒められてしまった。照れた。しかし、そんな問題ではなくて、読めるかどうかが問題である。まだまだですな。まだまだ。そして、気がついた。こういうように、在籍校の生涯学習センターの企画に沿って、勉強させていただくのも悪くはないのだなということをである。所詮、オレにはこういうのが似合っているのだ。その程度のものでしかないのだ、っていうことをである。
人生、高望みをしちゃいかんのである。亀は甲羅に似せている。甲羅よりでかくなってはいかんぞーである。それはオレでもわかている。甲羅よりでかくなったら、死んじゃうからなぁ。しかし、まだ死にたくはない。しぶとく生きていきたい。
で、今日である。
今日は、こんどは教えさせていただいている大学で講師をする。土曜日だが、朝の9時30分から講義をさせていただく。補講なのである。詳細は省く。いなくなってしまうからである。オレがである。一回分の講義の補講である。学生さんには申し訳無いのだが、そういうこともある。しかし、昨今の大学はまじめだなぁと思う。オレが学部生だったころは、休講だらけだったものである。しかも、ヨソの大学学生が、ヘルメットかぶって、ゲバ棒を持って、大学の窓ガラスを壊しに来ていたのだった。学生運動華やかなりし時代であった。
ま、今日も疲れて帰ってくるのかな?たぶんそうだろう。ありがたいものである。感謝である。
さ、別のパソコンで論文書きを再開する。
じゃぁねぇ~!