もとシブがき隊の布川敏和氏が、離婚した。そして以下のようなことを云ったのである。
>つちやかおり(49)との協議離婚が成立した元シブがき隊の布川敏和(48)が23日、都内で会見を開いた。昨晩仕立て上がったと いうグレーのスーツ姿で登場した布川は「私、布川敏和とつちやかおりは協議離婚したことをご報告いたします」とあいさつ。「原因は、私が彼女に対する思い やりが欠けていき、夫としての器量がなくなったからだと思う。子供のためにと思っていたが、今回の話し合いの結果を子供たちに報告したところ、離婚を理解 してくれて、決断しました」と話・・・・(gooニュースより)
考えさせられるねぇ。
これって、離婚ばかりではなく、友人との別れとか、恋人との破局とかにも通じるものがあると思うのだが、いかがであろうか。マジに。
しかし、「器量」とは大きく出たねぇ。器量というのは、そもそも公的な、天下国家的なスケールで云うときに用いるべき言葉であって、離婚というような私的な関係で使うべきものだろうかとふと思ったからである。ま、当時者にしてみれば、天下国家を論じるときと一緒なのであろうから、これ以上は云わない。
友人間でもそうなのだろうか。
ある友人に多忙な中を教えていただいていた分野があったのだが、この3月に突然オレの目の前から消えてしまったのである。なんの連絡もなく。まったく突然にである。消去されてしまったのだ。
これもあれか?
オレの友人としての器量の問題なのかね。利用価値が無くなってしまったから切っちゃったってことなのか。笑っちまうなぁ。ただたんなる気まぐれとしか思えないのだが。たぶん、それは当たっているだろうと思っている。
それだけの友人でしかなかったということであろう。
騙されたオレもオレだ。ま、どうでもいいけどねぇ。
そういう輩に気をつけなはれや!ということを、天が教えてくれたのである。
わははっははははである。
先週の金曜日に、お二人の師匠からご指導をいただいた拙論のことで、分厚いB5のノートで、再構成を試みていた。再構成自体は、この10日ほどやっていたのだが。やってみて、なるほど、なるほどといちいち納得がいく。対面講義をいただいていることの最大のメリットである。オレは、こういうことを希望していたのである。通教にはなかなかないことである。
それも教えていただいていることのよろこびである。
そしてどういうふうにそれを受け止めるか、受け止めて発展させることができるかということである。なかなか困難な歩みではあるが。それが楽しみでもあるのだけれども。
で、今朝の4時から、恐る恐る書き始めた。早起きしたのである。昨晩、また晩酌をちゅ~っとやったら眠くて眠くて、あっというまにbedで死んでいたのだ。しかしである。書きながら、なるほど碩学の云われることは、たいしたものであると思いながら、縦書きを命じられたので、一太郎で書いていた。縦書きだと、デスクトップ画面でないと全体が見えない。見えないから、縦書きを二分割にして書いていた。一太郎は、ポメラとの相性もいいから、今度はどこでもいつでも書くことができる。さらに一太郎の良い点は、脚注を書いている場合に、脚注の数字が書式にならってそのまま縦書きになる。これは大きな利点である。Wordはそれができない。ま、しばらくこのままハイピッチでいく。勝負は夏休みである。通学も新しく買ったSUV にしたから、ドライブがてら、毎日朝から晩まで大学に行こう。暑いしねぇ~。学生、院生で、知っている人はいねぇし、オレは知っていても、虫のようにムシされているし気楽なもんである。わははっはははは。唯一図書館と、大学院事務室の方々だけがオレとクチをきいてくださるだけだ。こういうのもなかなかいい。誰も知らないということは、邪魔する人もいないということだからだ。黙然と一人で黙考できる。悩んだら、図書館で放浪すればいいだけである。
間で、旅行に行ってくる。中国福建省行きは断念したから、予定していた旅行資金を別の旅行に充当できる。またあちこち行くつもりである。それが唯一の息抜きである。一人で、あるいは古女房ドノと一緒に行く。温泉入って、旨い料理を食って、それで老後を楽しく過ごすつもりである。
夜は塾に行く。そして、中学生たちと一緒にアタマの体操である。数学がいちばんいい。体操には。分野が違うから余計いい。男の子は、おなごと違ってかわいいからなぁ。ホンネでつきあえるし。じじいのオレと友達になってくれるのだよ~ん。笑っちまうな。オレのことを「ヒデサン、ヒデサン」と呼ぶのだぜ。
わははっはっはっはは。
少年タチの希望の星じゃ。
女子にはまったくもてねぇけど(>_<)ゞ
さ、午前中にgymに行く。午後からなんだかしらないけど、大事な用がある。雲上人のような方と会わなくちゃならない。gymで運動して、サウナ入って、温泉入って、ひげを剃ってくるのだ。そう、化粧してくるのである。馬鹿なじじい生活でありまするよ。
じゃぁね~。
中国語使う友達がほしいよん。誰も相手してくれないけど。(^0^)
目蓮救母劇を中国福建省に行って、撮影ならびに写真を撮ってきたかったのだが、... blog.goo.ne.jp/tym943/e/0e0dd…
熱田神宮の境外摂社である氷上姉子神社大高斎田(名古屋市緑区)の御田植祭に行った。子供の頃、田植えは普通の風景だったが、改めてこうやるのかと納得。 pic.twitter.com/Q3Nnj1VpyI
“@3_k_” RT @hey_muu ここのコンビニ近くだから行ってみようwww>>>【人気まとめ】大須 ファミマ店員 加藤さん【キレッキレで話題の人 動画】 ファミリーマート 6秒で爆笑, 面白いVine集 - YouTube youtube.com/watch?v=MXor2U…
一太郎の「徹」というワープロの最新バージョンを買ってきた
師匠の指示で、縦書きにすることになった。何が?というと、オレの論文である。これまで実に不慣れな... goo.gl/6ZbUK5
シニアが輝く時代
日頃、経済の観点からオレのようなじじい世代の生き方や生涯学習を考えるのは、避けてきたのだ。しかし、今朝起きてオレのブログにこられた方で「シニアが大学での学び直し」という検索語で記事をいくつか見られた方があった。にっこりした。まさに、オレはそういう類いのじーさんであるからである。
そして、オレもその検索語をたよりに、サーチしてみた。そしたら、あるあるあるの三乗であった。関連の記事や、ブログが。参ったね。その中に立教大学が、学び直しコースとか作っていて、入学条件は50歳以上とかあった。もっとあったが、ここでは省略する。いろいろな大学が新しいカリキュラムを作って、オレのようなシニアに再チャレンジを促しているのだ。少子化社会になって、大学に入学してくる若い世代が減っているから、新たな大学経営の手法であることくらい、いくらオレでも分かっていた。ま、法科大学院のような立ち位置とも違っているから、シニア向けの大学というのは経験上ありがたいし、オレもそれを利用させていただいている側面は否定できない。
それをである。三菱総合研究所が、「プラチナ社会の実現に向けて」という論文をネットにあげていたのだ。非常におもしろかった。http://www.mri.co.jp/opinion/mreview/special/201311.html
>プラチナ社会の実現に向けて
―― 高次の欲求を満たすシニアの活躍が超高齢社会の課題を解決
Point
超高齢社会の到来に伴い、シニアが活躍できる社会に転換していくことが必要。
高次の欲求である「つながり」「認め合う」「自己実現」を求めるシニアが増加。
シニアの活躍が、財政コストの増大や消費の低迷などの課題解決に寄与。
上記のようなタイトルである。
超高齢化社会に向けて、シニアが活躍できるような社会とある。確かにそれは言えることであって、オレもそう思っている。しかし、三菱総研も云っているように「9時から5時まで働く」のは事実上無理である。無理は禁物である。早死にする。オレは100まで生きていきたい。若い人たちに囲まれて。そして、専門の分野でいろいろ議論しながら、そしてたまには海外旅行でもしながら、「悠々自適」で生きていきたい。若い世代に、オレのこれまで修行してきたものを若干でもお伝えしてみたい。事実、教えているほうの大学で、教師教育をさせていただいているから、それは実現してしまったけど。それがとてつもなく楽しい。将来の教師のたまごっちたちに、あの手、この手と教育そのものの根幹に関わること、授業の考え方、やり方、手法、コツ・・ありとあらゆることをお伝えしている。熱心な学生さんたちと楽しいひとときを過ごしている。また、教えていただいているほうの大学では、学生(院生)をさせていただいているのだから、自惚れがあっというまに崩壊して、いじけるどころかますますFightが沸いてくる。なんと美人のclassmateまでたくさんいるのだよん。楽しい、楽しい。
こうやって健康に生きて、学び直しをしているシニアは、経済的には医療コストの軽減につながるというところが、三菱総研らしい。さらに、オレのような学び直しをしているシニア層を後押しするようなマーケットができているというのだ。国内消費市場を拡大するとも書いている。笑ったなぁ。これまた三菱総研らしい。
シニアを支える「つながり」欲求を具現化すること。
これもまたシニアに」よる学び直しの効果なのだと三菱総研は云う。超高齢化社会は、じじいたちの出番を奪い、家に閉じこもりがちな高齢者を生み出してしまう。定年退職後、ずっと家にいて、女房殿と買い物に行くのはまだしも、料理の作り方まで文句をつけて、女房殿にプチ家出をされたりしている人もいるやと聞く。あるいは、非常に頑固じじいになって、近所のだれからもクチをきかれずに外出をしないというじーさまである。こういうのはじーさまが多くて、ばーさまは少ない。おなごは年取っても積極的に生きているから、みごとなもんである。(^0^)
つながりというのは嬉しいものである。ともかく人間としゃべっていると楽しいのだ。しかもそれが若い人だともっと楽しい。美人だともっともっと楽しい。わははっははははである。
シニアを輝かせる「認めあう」欲求の具現化。
シニアになっても、「働く」「趣味を究める」「学ぶ」ということは重要であるそうだ。三菱総研曰く。たしかにそうであろう。収入は少なくても「働く」ことは大切である。毎日出勤するのはもう卒業したのである。もう結構である。結構、毛だらけ、猫灰だらけである。ねらいは、プチ就労である。週に二回くらい、総計で3時間程度働く。まさにオレの塾がそうだ。プチプチ就労だ。辛くない。その程度なら。しかも、数学・英語・国語の高校受験程度を教える。英語と国語はちょっと上のレベルでも大丈夫だけれども、問題は数学だった。それも、この2年と3ヶ月の自己学習で自信がついてきた(^0^)。だいいち惚けている暇がない。楽しくて、楽しくてならないのだ。大学の非常勤講師もそうである。自ら求めて、「プチ就労」を楽しむべきである。
次に、「趣味を究める」ということである。郷土史の勉強がオレには当てはまるなぁ。しかもオレの場合は、「民俗芸能」である。地方に伝わっている神楽や、踊り、唄を取材して映像にして、それを論文に書かせていただくのだ。学会で研究発表もさせていただく。研究発表は、学び直しを始めてから、まだ2年3ヶ月だが、11回ほど登場してきた。出しゃばりも程があると云われたけど、こいつが実にたまらないほど楽しいんだよん。民俗芸能は、調査旅行も含むから、こっちも楽しい。古女房ドノを巻き込んで全国各地をさまよえることになる。そう、「さまよえる老夫婦」なのである。たまには海外も行くし。温泉つき、旨い料理つきだと、配偶者はもっと喜ぶ。夫婦仲は万全である。わはははっははである。わはははは。
最後に「学ぶ」である。
いつまでも完成はないからである。なんでもチャレンジである。居住地の公民館とかで行われる各種講座にも積極的にチャレンジしている。中国語に今はチャレンジしている。なかなかモノにならないのが楽しいのである。留学生から見たらあふぉ~なじじいだろうけれども、オレはそれでもいいのである。中国語が難しいとわかっただけでも、オレには収穫があったと思っているのだ。本当である。
来年はもっとあちこちの講座に出かける。ものになるかどうかということではなくて、出かけることがいいんだ。異世代間のしかも共学である。若返るっちゅうもんである。子供や、孫のような世代とひとときを過ごさせていただくことは、長寿の仙薬をいただいているようなものだからだ。
世代を超えて多くの人を仕合わせにする「自己実現」を目指せと三菱総研は云っている。ありがたいものだ。
なんだか、まだまだくたばりそうもないオレ。
そんなことを考えていくと実に楽しくなる。
さ、今日も一日、楽しく老後を過ごしますよ。
(^_^)ノ””””