時間的な看板を取り替えたというだけ
今年もよい年でありますように。
お祈り申し上げます。
以上終わり。
これじゃぁあんまりである。
それこそ身も蓋もない。こんなことを書くために、元旦正月からコンピュータの電源を入れているのかと笑われる。なに、笑われるのは慣れている。
しかし、時間的には昨日からの続きが、今日である。たまたま今日が、正月であり、元旦であるというのに過ぎない。昨日のオノレは、去年のオノレであり、まったく別なのではない。相変わらず、処方された薬を飲み、新聞を読んでは世の中を斜に構えて見てみるだけである。
初詣にも行かない。行かなかった。これまでも。
しかし、今年はwalkingで毎日行っている「カコちゃん神社」には行く。それも昨日までの続きである。Walkingのコースに入っているからである。
そもそも、初詣という習慣というか、儀式というのは、日本における独特な行事である。源流としての仏教や神道にはなかったということをなにかの書籍で読んだことがある。イエス教もないはずである。もっとも、こっちの方も最近は新年礼拝とかいう行事を持っておられるようであるが。そうなんである。イエス教にも結構詳しいのである。私は。
今は、6:51である。
これから年賀状が来る。あれも、もういい加減に・・・と書いてみたが、あれはあれで〒マークの職員たちの収入源である。大変な苦労をしておられるから、言うのは辞めにした。年賀状の販売も大変なようであるからである。ちなみに、私は、毎年〒マークをつけた若い職員の方から(同じ人)購入することにしている。退職したので、枚数は大幅に減った。それでも、300枚買う。大げさに感謝してくれるからである。さらに家に持ってきてくれる。逆に私の方が感謝している。(^-^)/
こちらから出すのが、100枚。
返事を出すと、だいたい200枚。配偶者が100枚くらい使うであろうか。
だからけっこう大変なのである。コンピュータをフルに使うことになる。長女が嫁に出ていく前には、彼女に年賀状のチェックをしてもらっていたから楽だったのだが、最近は全部自分でやらなければならない。これが苦痛なのである。しかし、私のようなあふぉ~を思い出していただいただけでも幸運であるから、いただいた年賀状には必ず返事を出すことにしている。
年賀状もこちらから出してみて、まったく無視される方もけっこう多いから、不思議な習慣である。たいていは、社会的地位の高い方が多い。いわゆるエライ方である。もっとも、そんなにエライのなら、それこそ秘書にやらせればいいのに、それすらケチっている。秘書を雇う余裕もないのかもしれないから、無視するのだろう。そういう輩には出す必要もない。2回くらいは出して、後はこっちも無視である。
なぜか。
面倒なんだろう。
あっちが。
だから、ヤメチマエと思っているのである。
昨日のボクは、今日のボクである。新年がきたからといって、なにも変化していないでしゅ~ってやつだ。
時間的な看板を取り替えたというだけではないか。
看板の取り替えというのは、日本人の得意技である。まったく、見事なくらいに取り替え・取り替えの文化である。
先日の記事にも書いたが、明治維新や、戦後処理というのは、まったく看板の取り替えであった。私のような庶民レヴェルでは、日々の生活はまったく変化がなかったはずである。宗教も、政治も、思想もまったく無いという言わば「無思想・無宗教・支持政党ナシ」という心境なのである。空を説く般若心経もおったまげるほどの、「無」の心境である。座禅をしている高僧たちも私たちのような庶民には、慨嘆されておられるかもしれない。
正月だから、おせちでもいただいて、今年の決意とか方針とか目標とか語りあうのであろうか。普通のご家庭は。私の家ではやらない。やってもムダであるからだ。決意を、方針を、目標を表明しても実現した試しがないからだ。言ってみるだけムダである。ムダなことはしないほうがよろしい。
ま、正月の挨拶だけはやる。きちんと正座して、家族相互にやる。「おっす!」「おめでとう」ではない。そういうことではない。本当にきちんと正座してやるのである。いう台詞も決まっている。けっこう長く言う。昨年中はお世話になりました。今年も・・・・とやるのである。
これは婿殿もびっくりしていた。
看板を変えるのである。
変える以上はきちんとやらなければならない。
そう思っているだけである。
たいしたことはできないただの爺である。
せめて、今年一年生き延びていきたいと思っているだけだから。
楽しみである。今年もなにがあるかわからないからである。生涯学習も看板を付け替える。在籍大学も放り出されるだろう。学費は払っているが、なにしろ能力が無い。全く無い。さらに論文を書いていると病気になるというのでは、学生として致命的欠陥を持っていると言わざるを得ない。そうなのである。論文は、ブログを書くようにはいかないからである。ありもしない能力をフルに絞って書いていかないと、修正の嵐である。その修正の嵐に耐えられないことになってしまったのだ。情けないけど。在籍期間は3年。そうこれで終わりなのである。看板を付け替えていくしかない。お世話になりましたというお礼を申し上げるしかない。
ただし、なにがあるかわからないと言っても、入院だけはしたくない。去年16日間も入院したからである。もう結構である。結構毛だらけである。
入院という看板は、九十九里の海に捨ててきたから、もう要らない。
あとは、おもしろおかしくまた生きていきたい。
さ、これから血圧を測って、昨日と同じ日程をこなしていくことにする。
(^_^)ノ””””