ああすれば、こうなるって?
原稿依頼がきたので、あれこれと考えている。毎年書かせていただいている「教師の例話」シリーズ(学事出版)である。退職したから、現役のときとはまた違った視点で書くつもりでいる。この3年間はとくにそうやってきた。
まったくのオリジナルだからである。カット&ペーストとかいう世界とは違う。特に大学院の学生になってからは、絶対にそれをやらないようにしている。当たり前である。
神戸にある理系のエリート集団(確かrikennと発音した)で疑念を抱かれるような事故が起きたからでもある。
そこで教育ということについて考えた。
あまり拙ブログでは、教育そのものについては書いたことがない。当然であろう。暴露をするのが、拙ブログの目的では無いからである。書けば書くことはできる。教育界の裏側とかなんとか、おもしろおかしくである。しかし、そんなことはやらない。もう興味が無いのである。今更、爺になって、昔の職場とか仕事がどうしたこうしたなんて、意味がない。後輩に任せておけばいいのである。
オノレ一人の力なんて、もともとどうにもならないもんだから。
それを自慢げに、いつまでも昔教員をやっていて・・・とやるのはバカの骨頂である。未練は断ち切ることである。ついでに、バカも捨てることである。あ、私は捨てられる方か。
言いたいことは、老いたのだから、「自然」に任せておけばいいのである。
つまり、「ああすればこうなる」という前提を捨てることである。こここが教育の根本であると思うからだ。だから、私は、教育の具体的なことよりも、教育の根本にある前提をとりわけ問題にしたいとずっと思ってきた。
教育というのは、子どもがいないと成り立たない。当たり前である。そして、その子どもを作るというのが、まるで計画出産みたいに、予定日から逆算して、いつまでに何人産むとか産まないとかやっている。「ああすればこうなる」というのはこのことである。
現代の世の中は、妊娠するということを、「子どもが授かった」とはなかなか言わない。言っている若い夫婦がいたら、私はそういう若い夫婦を見直すことにしている。
間違ってできたとかというのも、いかがなものかとは思うが。しかし、あくまで妊娠は人工的なものだと思っている若い夫婦がいるのではないか。
子どもの側からしてみれば、親から産んでもらったという意識はない。オノレ一人で世間に登場してきたのである。だから感謝する子どもはなかなかいないのである。
長じて、反抗期になったときに、親としてみれば「痛い思いをして、産んであげたのに」「せっかくここまで育ててやったのに」と言たくなる。
ところが、世の中はうまくいかない。
子どもは子どもで、「誰が頼んだのだ?」とか、クチをひん曲げて反抗する。
当然である。
親の方だって、「頼んで産まれてきた」のではないからである。そんなことは、「オレだってじいさん・ばあさんに頼んだ覚えはない」からである。
ここに「ああすればこうなる」という考え方の根本的な間違いがあるのである。そもそも産まれたときから、人間は勘違いをして育っているのであろう。
妊娠は、前提になにがあるのか。それは子どもがほしいからというものである。そしてまたそれは「自然」な欲求である。間違って妊娠しても、「自然」な欲求がそうした結果を招来したことは否定できまい。そもそも性衝動があったからである。それが「自然」というものである。
私には、遠い昔の物語でしかないが。まったく、まったく。そんな元気もなんにもないからである。そういうことになってしまったのも、「自然」である。自然とそうなったのである。「ああすればこうなる」という考え方から来ているのではない。
しかし、現実には、教育について言われることは、「ああすればこうなる」のオンパレードではないのか。
対症療法で終始しているような気がしてならないのだ。
自分勝手な親たちの理不尽な学校への暴言の数々。ブラック企業よりもひどい教員たちの勤務実態を誰も知ろうともしない。部活動をやっていたら、勤務時間もなにもない。教員だって土日は家族と一緒に過ごしたいであろうに、それもできない教員がたくさんおられるのである。それをマスコミはじめ、自称エリートたちは見ていないふりをしている。
しかもご丁寧に、教員たたきだけをやっている。そんなことは、江戸時代からやっているのである。現代の教員は選抜試験をくぐり抜けて就職しているのをお忘れではないのかと、言いたい。しかも難関である。
それを塾業界の人間たちも知らないのである。
「教員なんてそんなに難しいのか?」と言った御仁がかつていたが、千葉県では、社会の教員で13倍、保健体育の教員で11倍であることすら知らないで教員をバカにしている。こういう輩は、自分の能力を棚に上げているのである。自分だけが賢くて、オノレ以外は全員バカだと思っているのだ。しかも、教員採用試験の競争率すら知らないで、バカを言っている。バカはいつまでもバカである。
まったく私のようだけどね~(^_^)
あ、もう2000字を超えている。
冒頭に戻る。
そうなのである。原稿を書くために、こういうことで私はアタマの中を整理し始めているのである。これから、メモをとって、原稿の構想をたてる。
それが趣味だからなぁ~・・
(^_^)ノ””””