オトコはダメなのである
毎日毎日やることがないから読書をしている。すると、運動をせよとか、玄関を掃けとかいろいろと指示がくる。つまり実用的なわけである。ゴミ論文を書いていて、一日中机にしがみついていた。だから、とうとう体調を崩した。よって、少しでも身体を動かした方がいいという配偶者のありがたいご託宣から指示がくるのである。
そりゃそうだ。まったくそのとおり。
しかし、ゴミ論文を書いてみたいというのも私の欲求であり、趣味なのである。
今月、そのゴミ論文の一部をある研究誌に投稿してあるので、査読がある。結果を楽しみにしているのだが、落選かもしれない。しかし、その緊張感がいいのである。やることがあるのだから。爺になってもである。だいたい二万字のゴミ論文である。研究者でもなんでもないので、そういうチャレンジが私のアタマを鍛えてくれるのである。日中比較藝能史というのが、今回のテーマである。だから、中国語もやっているのだけれども、こっちは塾で教えている数学のようなわけにはいかない。
今日もAmazonから中国語の中古本を買ってあったので、9:42に来た。昨日の夜にインターネットから発注して、もう来たのである。で、DVDもついているので見ていた。語学も、映像で見るとなかなかおもしろいからやっている。在籍大学の留学生による中国語講座も、音声だけでなく、映像を活かして受講している。つまり、センセ(クラスメイト)の教えてくださっている光景を撮影しながら受講している。なに簡単である。三脚を使えばできる。あとはセンセの許可がいただけるかどうかという問題をクリアすればいいだけである。
これは文字情報だけだと、なかなか難しいことである。
しかしだ。
ここからが本題なのだが、そんなことをやって何にナルのだ?と聞かれたらギャフンである。別に中国旅行に行くのではないし、だいいち政府間で危ないことばかりやっているから、しばらくは行けないと感じている。台湾なら大丈夫だろうから、三月になったら行くが。台湾の少数民族の舞踊を見てくる。そして、可能ならば映像にしてくる。そういうことである。
しかし、それでもそんなことをして何にナルのだ?と言われたら、黙るしかない。
オトコというのは、実用性のないことばかり興味を持つのである。だから、オトコはダメなのである。
基本的にジョセーの方が強いというのは、これである。つまり実用性に富むのである。
生物としては、ジョセーがすべての基本であり、オトコは間違ってできた存在でしかない。
牛だって、雄の牛は不要である。精子を保存していて、使うときにそれを使って仔牛を作っている。人間も、オトコは要らないのではないか、とふと思ったからである。今朝は。イケメンを少数保存しておればそれで済むのではないのか。どうも、イケメンにムチュウになっているおばさんや、自称美人のジョセーを見ているとそう思わざるを得ないからである。
あちこち旅をするのが好きで、たまにホテルに泊まることがある。去年鹿児島の京セラホテルに泊まったときに、あのホテルに、見ただけでどうにも不釣り合いなカップルがいた。レストランで喧嘩をしていた。笑ったな。会話が聞こえてくるのだ。オトコの方は、50代か。ジョセーは30代か。かなりの美人である。それが痴話げんかをしているのだ。私は、そういうのが聞こえてきたときは、かなり楽しませてもらうことにしている。なんといっても人間観察になるからである。わはははははと声を出して笑いそうになった。配偶者も気がついて、あの二人ちょっと怪しいねぇと、こっちの老夫婦は静かに笑っていた。いい年こいて、何をやっているんだろうねぇ~ということである。無理しているとアカンということである。
つまりこの30代のジョセーもまたかなりの強者であるということである。相手の50代のオトコは情けないこと限りなし。バカ丸出しである。かわいそうになっちまったよん。バカはバカなりにおとなしく生きていればいいのに。私のようにねぇ~。
そんなことを言っていると、いろいろと叱られてしまう。しかし、まったくそう思うからである。
体格も負ける。
食欲も負ける。
寿命は、絶対に負ける。
家事も、かなわない。
料理もできない。
掃除もやった後から自分でやり直しをしている。
誰に負けるのか?
決まっているじゃん。
配偶者である。
もう、猿股一つで、下駄抱えて逃げるしかない。雄は不要だと言われて、売り飛ばされてはかなわないからである。
もっともあれか。
私を買ってくださるところは、あ~んにも無いからダメだ。
そもそも、ゴミ論文しか書けない。
ゴミはゴミ処理場で処分してもらうしかないからである。
これからwalkingをしながら、中古本店にいくけど。田辺聖子の文庫を買いにいく。今日まで20%引きだからだ。楽しみ、楽しみ。
じゃぁねぇ~。
(^_^)ノ””””