『人生があなたを待っている <夜と霧>を越えて』
深刻そうな文体の書籍が本当に深刻なのかということを考えている。ただ単にわかりにくいだけだったりして、という可能性はあるからだ。逆に、まるで映画のシナリオのような小説なんかも存在するから、このことは、私が勝手にそう思っているだけなのかもしれない。そういうオメェはどうなんだと言われるのは覚悟の上である。
そもそもこんなブログをやっているのも、手慰みであってなんの目的もない。だから勝手なことが書ける。
しかしである。その深刻な書籍の内容を殆ど記憶していないのは我ながら呆れた。要するにアタマが悪いだけである。それは生まれつきだから仕方がない。それでも、意識して記憶に残そうとしている。
そうなのだ。まだまだ若いつもりでいるのだから。笑ってしまう。英語の単語とか古文の単語で、ダジャレで覚える方法という本がけっこうあるので、まねをしている。東大法学部に一浪して合格した、水戸一高出身の美人さんが書いていた古本を108円で買ってからこの手の本もバカにできないなぁと思って実践している。もっともその美人の書いた本は、すぐゴミ箱行きとなったが。(ゴメンね・・)
Keywordは、B6のノートを使って暗記することだとその女史はのたもう。B6 のノートが売っているとは知らなかった。普通の大学ノートの半分である。大学ノートの方はB5 である。
情報カードならB6は愛用してきた。そしたらあった。昨日、ある大学(私にとっては3番目の大学)で仕事をしてきたから、デパートに行った。単発の仕事なので電車賃もいただいてきたし、帰りの電車まで相当な時間があったからだ。千葉市のそごうにである。8階にあるロフトなんとかというところだった。十冊まとめて買ってきた。
で、居住地に帰ってきたら、そのノートが、ホームセンターの文具売り場にでーんと置いてあったのである。そごうが100円。ホームセンターが76円。マイッタな。マイッタ。
そのホームセンターにはかなり行っているのに、気がつかなかった。そんなノートが売っているなんて。もっとも、ホームセンターのスーパーで食事の材料を買う配偶者の荷物持ちでいくだけだから、あまり知らないのは当然である。
で、話はそんなことではない。
昨日、そごうでノートを買ってから、千葉城に千葉駅から歩いていったのである。中に、千葉市の郷土史博物館があるからである。特別展 「学びと書籍 -近世から近代へ移り変わる中で-」をやっていたので見に行ったのである。代金、60円。さすがにカネのある千葉市である。安価である。
窓口で払って、中に入った。がっかりした。展示ではない。私の能力である。知らないことばかりではないか。中世史もよくわからないことばかりだ。古文書も簡単には読めない。なにが書いてあるかもわからない。
慨嘆である。慨嘆。
それで冒頭に戻る。
何が書きたかったというと、フランクルの「夜と霧」である。ドイツの強制収容所の迫害に耐えた作者によるものである。私の座右の書である。人生の意味を問うものであるからだ。
しかし、若いときは、この本の深刻さに耐えられなかった。あまりにもフランクルの現実の方が深刻であったからである。
実は、フランクルの伝記というのを調べていた。そしたらなかなか無いのに気がついた。
そしてとうとう見つけたのである。
それは、『人生があなたを待っている <夜と霧>を越えて』 著者名 ハドン・クリングバーグ・ジュニア/[著] 赤坂 桃子/訳 著者名原綴 Klingberg Haddon みすず書房
上記のような本である。上・下二冊ある。
昨日の真夜中、居住地の大図書館にあったのでメールで予約した。これから借りてくる。楽しみである。フランクルが、けっこうなスポーツ好きでもあったことが書いてあるのだ。そういう面を知らなかったからである。どこまで行っても、深刻な先生であると思っていたからである。
だから知らないということは、不幸なのだ。
勉強しなくちゃそんなことも分からなかったのである。
ま、能力がないなりに、私には私のやり方というのがあるようだ。
それでもって、いつ死ぬかわからないけど、ノートでもとりながら、呼吸をしていこうと思っているのだよん。
あなたは私のことなんか、無視して待っていてはくれないだろうけれども。
(^_^)ノ””””