在野の研究者なんてレベルではない。そのレベルに到達していない。在野もなにも、ただの基地外ジジイである。生活のほとんどすべてを趣味で生きているだけである・・・(>_<)ヽ
在野の研究者という視点から生涯学習を見たことはなかった。それが、昨日九十九里浜に帰ってきてから、「古本屋の研究生活」なるブログの著者の方から与えていただいた新たなる視点であった。感謝である。まさに、在野でもって研究生活を送っておられる方々は多いと言うのがボキの実感でもあるからだ。
なにも大学に属するだけが、研究生活ではない。沖仲仕とか清掃のアルバイトをやりながら、好きなことに打ち込んでおられる方々も多いからである。
しかし、前提に「研究生活」がある。そうなのである。研究が好きで好きでたまらん人がそういうことが言えるのである。ボキはどうなのだと自省している。それだけ打ち込んで来たかとなると自信はまったくないからである。さらにそんな記憶もない(^_^)。
それもこれも健康学が最優先する。
健康でなくては、在野もへったくれもないからである。大学に所属していたって同様である。健康あってのものだねであるからだ。その点でボキは失格であった。健康を害したからである。もっとも、それもここ数日の旅で自信を持ったのであるが。なにしろ往復950キロを自分一人で運転してきたからである。民俗の旅であった。楽しかったから出来たのだろうと思うけれども。民俗の旅とは言うも言ったり。好きな温泉に入り、村の古老と会ったり、話を聞いたり、干したヘビを売っている老婆と朝から冗談を言い合ったりしていた。今回も。山奥で。そういうのを自分勝手に民俗の旅と自称しているだけであるが。
ボキの場合、次から次へと大学に所属して生涯学習をやっているわけではない。所属している(いた)大学の数が増えるのを無上の楽しみにしている方々も多い。生涯学習愛好者には。それはそれでおおいに結構である。通信教育ならそれも可能であるからだ。ボキも利用させていただいたし。
であるからして、誰がどこの大学・大学院を出たかということにはまったく興味がない。ボキ自身もそんなことには無関係である。しかもボキの場合は、出ていないではないか。最終学歴は、中退である。ウルトラ・チュータイ。
わははははっはである。
だから趣味なのである。
在野の研究者なんてレベルではない。そのレベルに到達していない。在野もなにも、ただの基地外ジジイである。
生活のほとんどすべてを趣味で生きているだけである。
温泉に入り、故郷の東北をさ迷っているだけである。
物好きである。台風をものともせず、出かけてしまうのだから。
こういうのを基地外というのだろう。
ま、いいか。
やることがないよりはいいから。
自慰だけれどもね。
さ、今日の九十九里は天気晴朗である。
Gymに行ったりする。
掃除もある。
夜は塾がある。さっき、NHKのラジ英を聴いていたが、ちょっと耳がついていけない。民俗の旅とか自称して遊んでいたからである。サボリである。結論は。
Bye-bye!