モンテーニュの言葉に下記のようなものがある。
>「自分を実際より低く言うことは馬鹿であって、謙遜ではない。実力以下で満足するのは、アリストテレスによれば、怯懦であり小心である」(モンテーニュ)
しかしである。
ボキのように自分を低く言うことがあっても(それはしばしばである)、実際にこれ以上落ちようがナイくらいレベルが低くて、どうしようもないという場合にはどうすんのかと思った。そもそもバカはバカである。ボキが良い例である。謙遜して言っているのではない。しみじみそう思う。大いなる自己否定からきているのだ。マジに。
逆に言えば、だからこそ勉強しているのである。自分勝手に。家計を顧みずに。年金生活だから、貧乏である。ゴルフもやれないし、やったこともない。いかがわしい酒場にも行かない。行くカネがないし、第一ボキはアルコールと香水のにおいをかぐと卒倒してしまうようになったからである。どーも嘘くさいとかってのボキを知っている方々はそうのたもう。むろん否定はしない。社会の裏も表も熟知してきたからである。素直じゃないしねぇ。ひねくれているし。
そういうわけである(なにがそういうわけかよくわからないけど)。
で、エリック・ホッファーのこの本である。「安息日の前に」である。なかなかである。相変わらずである。
またまた大図書館で読んでいる。
そしてパソコンで感想を打ち込みながら、息をしている。
なぜこれほどまでに、エリック・ホッファーのことが気になるのだろうか。それは彼が、沖仲仕の哲学者であるからだ。
言わば肉体派である。
肉体派女優の話ではない。
正真正銘、彼は肉体労働者であり、静かな哲人でもある。書斎派ではない。インテリでもないのにインテリを気取るバカでもない。決して、庶民をアホ扱いしない人である。
この写真の机上にあるのは、カードホルダーらしきもの、ルーズリーフノートらしきもの、普通のノート等々が見えている。たぶんそうだろうと思っているんだが。
1974年~の日記が核となっているのが、「安息日の前に」である。そうなのだ。書名どおり、彼はこの書籍が生前最後の出版になった。残念だが。
しかし、実に楽しい。老いを自覚したエリック・ホッファーが、老いても判断力だけは衰えていないということから始まっている日記である。記憶力はあやしいとも書いてある。素直である。いい加減な自称インテリとは違っている。
読ませる。
一気に引き込まれる。
文章力である。
話題は多岐にわたる。当然である。完全な日記であるからだ。論文ではないからである。その一つ一つを取り上げて、拙ブログで紹介するような愚はやらない。そうである。ボキそのものが愚であるからだ。
しかし、それでも印象に残った記事がある。1975年5月16日の日記である。アメリカという国が多くの社会的不適応者が建国したという部分である。これは、これは。言われればそうである。革命の連続でもって建国した国々もそうであろう。欧州、中国、その他もろもろ。
印象的な文章もある。それは、資本主義は非知識人が創始して、共産主義は知識人が作ったものという指摘である。なるほどである。
物事の本質をついている。
こういう目を持ちたいものである。
ボキは、所詮最低の人間であるけれども、考え方においては自由自在に生きていきたいからである。
今日はモンテーニュの随想録が来る。Amazonからローソンに送られてくるだろう。モンテーニュ全集の本である。タノシミにしている。来たら、12色の色鉛筆でカラフルにするつもりである。
読んで読んでボロボロにするつもりである。
*
昨日も千葉市にいたので、往復運転していったから疲れてしまった。
で、昨日はよく寝た。
まだ昼寝をしていないのである。だからよく寝たのだ。
午後からはGymに行く。
昨日は7000歩くらいしか歩いていないので。
今日は、11:49の段階で4356歩。
順調である。
密かにある論文書きにもチャレンジし始めたけど。こっちはまだまだ秘密。
(^0^)
bye-bye!