落語の人情話は、なかなかいい。こういうのを聞くと夫婦は別れない方がいいと、しみじみ思うですなぁ。
柳家小三治の落語「子別れ」を聞いていた。
ウオーキングをしながらである。
人情噺である。
しかし、長いけど。話の構成自体がである。
こういうのを聞きながら(スマホで)、歩いているのもなかなか良い。
良い落語だなぁ。
声の出し方という点でも柳家小三治師匠の落語は参考になる。たいしたものである。
あらすじは以下のとおりである。
上
腕はいいが、大酒飲みで遊び人の大工・熊五郎。
ある日,
山谷の隠居の弔いですっかりいい心持ちになり、
このまま吉原へ繰り込んで精進落としだと怪気炎。
来合わせた大家が、
そんな金があるなら女房子供に着物の一つも買ってやれ
と意見するのもどこ吹く風。
途中で会った紙屑屋の長さんが、
三銭しか持っていないと渋るのを、
今日はオレがおごるから
と無理やり誘い、
葬式で出された強飯の煮しめがフンドシに染み込んだ
と大騒ぎの挙げ句に三日も居続け。
中
四日目の朝、
神田堅大工町の長屋にご機嫌で帰ってくると、
かみさんが黙って働いている。
さすがに決まりが悪く、
あれこれ言い訳をしているうちに、
かみさんが黙って聞いているものだから
だんだん図に乗って、
こともあろうに女郎の惚気話まで始める始末。
これでかみさんも堪忍袋の緒が切れ、
夫婦げんかの末、
もう愛想もこそも尽き果てた
と、せがれの亀坊を連れて家を出てしまう。
うるさいのがいなくなって清々した
とばかり、
なじみのおいらんが年季が明けると家に引っ張り込むが、
やはり野に置け蓮華草、
前のかみさんとは大違いで、
飯も炊かなければ仕事もせず。
挙げ句に、
こんな貧乏臭いところはイヤだ
と、さっさと出ていってしまった。
下
一方、夫婦別れしたかみさん。
女の身とて決まった仕事もなく、
炭屋の二階に間借りして、
近所の仕立て物をしながら亀坊を育てている。
ある日、
亀坊がいじめられて泣いていると、
後ろから声を掛けた男がいる。
振り返ると、何と父親。
身なりもすっかり立派になって、
新しい半纏を着込んでいる。
仕事の帰りらしい。
あれから一人になった熊五郎、
つくづく以前の自分が情けなくなり、
心機一転、
好きな酒もすっかり絶って仕事に励み出したので、
もともと腕はいい男、
得意先も増え、
すっかり左団扇になったが、
思い出すは女房子供のことばかり。
偶然に親子涙の再会とあいなり、
熊はせがれに五十銭の小遣いをやってようすを聞くと、
女房はまだ自分のことを思い切っていないらしいとわかる。
内心喜ぶが、まだ面目なくて会えない。
その代わり、
明日鰻を食わせてやる
と亀坊に約束し、
その日は別れる。
一方、家に帰った亀坊、
もらった五十銭を母親に見つかり、
おやじに、
おれに会ったことはまだおっかさんに言うな
と口止めされているので、しどろもどろで、
知らないおじさんにもらった
とごまかすが、
もの堅い母親は聞き入れない。
貧乏はしていても、
おっかさんはおまえにひもじい思いはさせていない、
人さまのお金をとるなんて、何てさもしい料簡を起こしてくれた
と泣いてしかるものだから、
亀坊は隠しきれずに父親に会ったことを白状してしまう。
聞いた母親、
ぐうたら亭主が真面目になり、
女ともとうに手が切れたことを知り、
こちらもうれしさを隠しきれないが、
やはり、まだよりを戻すのははばかられる。
その代わり、
翌日亀坊に精一杯の晴れ着を着せて送り出してやるが、
自分もいても立ってもいられず、
そっと後から鰻屋の店先へ……。
こうして、子供のおかげでめでたく夫婦が元の鞘に納まるという、
「子は鎹(かすがい)」の一席。