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と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

九十九里浜を襲う津波(2011年3月11日)について、来年の2月10日(土)に話をさせていただく。

2017年11月05日 21時26分59秒 | とーま君の流儀2017

来年の2/10(土) 午後1時から、東千葉駅から歩いて3分のところにある千葉市民会館である。実物のボキを見たい方は来て見ませんか?・・・そんな人いないか(^_^)。



今、パワーポイントを作成した。さらに動画の編集も終わった。あとはtestをしていって、最終的には年明けに完了予定である。

房総の津浪と日本古典という話題から入っていく。動画と写真とかいろいろ駆使していく。

けっこうなボリュームである。

時間は二時間。

参加ご希望の方がおられたら、ボキ宛てにメールを。ボキは、事務局だから受付もやっているので。

 

 

飯岡漁港を襲う津波 2011年3月11日

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フーテンの寅さんはやさしいのだ・・・まさに葛飾柴又を新聞配達していたから余計にそう思う。

2017年11月05日 14時15分52秒 | とーま君の流儀2017

フーテンの寅さんとイエスキリストを比較して論じた神父様の書いた本を、さっきまで読んでいた。

特に、フーテンの寅さんは、ボキにとっては大切な人である。むろん現実に生きていた人間では無い。

あくまで映画の世界である。

「寅さんとイエス」という本である。作者は、米田彰男氏。筑摩書房から出ている筑摩選書の一冊である。

今朝からずっと読んでいた。

もっとも、途中8000歩ほどウオーキングに出かけたけれども。

ボキは、この寅さんシリーズが大好きなのである。それは、この映画の舞台である葛飾柴又で新聞配達をしていわゆる苦学をしていたからである。ただの三流大学に通う貧乏学生と、新聞配達とはよく似合っていた。いじけていたし、なんでこんな苦労をしていかなくちゃならねぇんだとも思っていた。大学のご学友様たちは、みんな坊ちゃんお嬢ちゃんばかりだったし、ハラの立つことは多かったからでもある。

自分で自分をかわいそうだとも思ったこともある。正直言って。新聞社から奨学金という名前のカネを借りて、その三流大学に支払ってやっと通学できていたのである。しかも、教員になって就職できるかどうかなんてぇことはまったくわからない。そんな程度の低レベル大学であったのだ。

希望もへったくれもなかった。

大学在学中に教員免許すら取得できなかった。教育実習なんかできなかったからである。その三流大学を出てから本屋でアルバイトしながら、やっと取得できた教員免許であった。それでもって、定年退職まで働くことができようとは、まったく思ってもみなかった。

大学の学部時代というのは、まったく絶望しかなかった。

女子学生にもモテなかったし、そういう気にもならなかった。第一、明るいキャンパス生活なんてボキには存在していなかったからである。

世間体のいい、安定した職業について、高学歴で過ごそうとも思っていなかった。当たり前である。ボキは、低収入で世間の底辺をうごめいているただのボンクラ学生であったのだから。

そこで、救いになったのが、フーテンの寅さんであった。

なにしろ庶民のフーテンの寅さんが、葛飾柴又で撮影されているのである。ボキには、こういう貧乏学生生活から永遠に抜け出せないだろうという思いもあったし。

しかし、なんだか知らないけれども、フーテンの寅さんに「貧乏だけれども、人間の優しさ」というものを教わったような気がしていた。

あの当時からである。

フーテンの寅さんは、インテリとかエリートとか、世間体の良い職業とかに徹底的に反発する傾向がある。

ボキも一緒である。

ボキもまた真逆の世界に生きているからである。今でもである。インテリでもないし、ただのジジイである。そしてイエスもまたそうだったのではないのかというのが、米田彰男神父のいわんとするところだと感じたのである。 

二人には共通する点がある。それは優しさである。庶民であるが故の優しさである。慮るところがある優しさである。 

うううううううううううううううううううううううううむ。 

人間にはこいつが必要かもしれないと今朝からずっと思っていた。タブン、間違いないであろう。 

良い本に出会ったものである。

 

感謝!

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柳家小さん師匠の落語は泣かせる。なかなかである。しみじみしている。

2017年11月05日 10時32分32秒 | とーま君の流儀2017

落語の人情話は、なかなかいい。こういうのを聞くと夫婦は別れない方がいいと、しみじみ思うですなぁ。

 

 

柳家小三治の落語「子別れ」を聞いていた。

ウオーキングをしながらである。

人情噺である。

しかし、長いけど。話の構成自体がである。

こういうのを聞きながら(スマホで)、歩いているのもなかなか良い。

良い落語だなぁ。

声の出し方という点でも柳家小三治師匠の落語は参考になる。たいしたものである。

 

 

 

 

 


 

あらすじは以下のとおりである。

腕はいいが、大酒飲みで遊び人の大工・熊五郎。

ある日,
山谷の隠居の弔いですっかりいい心持ちになり、
このまま吉原へ繰り込んで精進落としだと怪気炎。

来合わせた大家が、
そんな金があるなら女房子供に着物の一つも買ってやれ
と意見するのもどこ吹く風。

途中で会った紙屑屋の長さんが、
三銭しか持っていないと渋るのを、
今日はオレがおごるから
と無理やり誘い、
葬式で出された強飯の煮しめがフンドシに染み込んだ
と大騒ぎの挙げ句に三日も居続け。

四日目の朝、
神田堅大工町の長屋にご機嫌で帰ってくると、
かみさんが黙って働いている。

さすがに決まりが悪く、
あれこれ言い訳をしているうちに、
かみさんが黙って聞いているものだから
だんだん図に乗って、
こともあろうに女郎の惚気話まで始める始末。

これでかみさんも堪忍袋の緒が切れ、
夫婦げんかの末、
もう愛想もこそも尽き果てた
と、せがれの亀坊を連れて家を出てしまう。

うるさいのがいなくなって清々した
とばかり、
なじみのおいらんが年季が明けると家に引っ張り込むが、
やはり野に置け蓮華草、
前のかみさんとは大違いで、
飯も炊かなければ仕事もせず。

挙げ句に、
こんな貧乏臭いところはイヤだ
と、さっさと出ていってしまった。

一方、夫婦別れしたかみさん。

女の身とて決まった仕事もなく、
炭屋の二階に間借りして、
近所の仕立て物をしながら亀坊を育てている。

ある日、
亀坊がいじめられて泣いていると、
後ろから声を掛けた男がいる。

振り返ると、何と父親。

身なりもすっかり立派になって、
新しい半纏を着込んでいる。
仕事の帰りらしい。

あれから一人になった熊五郎、
つくづく以前の自分が情けなくなり、
心機一転、
好きな酒もすっかり絶って仕事に励み出したので、
もともと腕はいい男、
得意先も増え、
すっかり左団扇になったが、
思い出すは女房子供のことばかり。

偶然に親子涙の再会とあいなり、
熊はせがれに五十銭の小遣いをやってようすを聞くと、
女房はまだ自分のことを思い切っていないらしいとわかる。

内心喜ぶが、まだ面目なくて会えない。

その代わり、
明日鰻を食わせてやる
と亀坊に約束し、
その日は別れる。

一方、家に帰った亀坊、
もらった五十銭を母親に見つかり、
おやじに、
おれに会ったことはまだおっかさんに言うな
と口止めされているので、しどろもどろで、
知らないおじさんにもらった
とごまかすが、
もの堅い母親は聞き入れない。

貧乏はしていても、
おっかさんはおまえにひもじい思いはさせていない、
人さまのお金をとるなんて、何てさもしい料簡を起こしてくれた
と泣いてしかるものだから、
亀坊は隠しきれずに父親に会ったことを白状してしまう。

聞いた母親、
ぐうたら亭主が真面目になり、
女ともとうに手が切れたことを知り、
こちらもうれしさを隠しきれないが、
やはり、まだよりを戻すのははばかられる。

その代わり、
翌日亀坊に精一杯の晴れ着を着せて送り出してやるが、
自分もいても立ってもいられず、
そっと後から鰻屋の店先へ……。

こうして、子供のおかげでめでたく夫婦が元の鞘に納まるという、
「子は鎹(かすがい)」の一席。 

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11月4日(土)のつぶやき

2017年11月05日 06時43分04秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/