気味の悪いジジイなんでしょうなぁ。スマホで落語を聞きながら、歩いているのだから。そういえば、前から来る人たちはボキを避けていくけど・・・・トホホ。
なにかと自分のことを自慢したがる方が多い。辟易する。まったく聞いていられない。
たいていは、ご自分の血統の優秀さとか、格式とか、伝統のこととか、高学歴のことなんかを言われる。
ボキは、おかしくてたまらない。所詮、庶民ではないか。
それをである。いちいち個々の事例をあげて、他人に自慢していたら笑われる。
底流にコンプレックスがあるからである。怪しげな血統のもとに生まれているから自慢したくなるのだ。
そもそもがである。貴種であるというのは、どこでどうやって説明できるのだろうか。絶体に正しい貴種なんてあり得ないではないか。
戸籍が信用できないのである。当たり前である。あんなもん、ただの紙である。書かれていることは、インクのシミである。内容ではない。父親が誰かということも、神のみぞ知る(^_^)。
世の中に絶体はないのである。絶体的真理だと言われても、いつひっくり返るかわからんではないか。
世に会社等のワルクチを言う方々は多い。あんな奴の下で働くのは御免被るとか、べろべろに酔っ払ってくだをまいて、さらにゲロを吐いている方々も多い。東京新橋とかのガード下にある安い飲み屋でもよく聞いた。あるいは、通称立ち飲み屋でも聞くことがあった。
実におもしろい。あまりにおもしろいから、この日曜日に東京まで出かけようかと思っている。九段下の二松学舎大学で藝能史研究會の東京大会研究発表があるからである。せっかく会員にさせていただいているのであるから出席したい。ボキの専門みたいなものであるから。帰り、浜松町から出ている高速バスのターミナル地下にある居酒屋で聞き耳たててくるつもりである。
なぜおもしろいかというと、ボキも含めて庶民の嘆きが聞こえてくるからである。むろん、ボキはそういう世界からはオサラバした。もう関係ナイのである。会社とか、学校とか、組織とかという世界から捨てられたからである。定年で。もうワルクチを言いたくても相手がいないのである。
しかも、ボキは、天涯孤独である。いわゆる身内がいない。少なくとも九十九里浜にはいない。故郷が別だからである。親戚がいないのである。だから、少ない家族関係親戚関係も大事にしているのである。いないのだから、大事にしなくちゃねぇ。大事にしているつもりだけど、相手の方がそう思ってくれているかはわかんねぇですが(^_^)。
特に、奥さんは大事である。最初から他人同士だったけど、もう長いことおつきあいいただいている。ありがたいことである。こんなアホジジイでもそんなふうに思うことはあるのだ。
アホだからそう思うんでしょうなぁ。
そして時々思うことがある。
大事にしても他人は他人だということを。
これは峻厳たる真理である。
他人は他人、オレはオレなんだよん。
だから、他人に寄りかかることはしない。カネを貸してくれだのという依頼事項だけはやらない。やったこともない。銀行から借りたこともない。だいいち、銀行が相手にしてくれない。貸してくれない。担保がない。ナイナイづくしである。
一緒に遊びに行こうとか、アルコールの匂いのするいかがわしい場所に行くとか・・・やらないのだ。
思えばつまんねぇ人生である。
なにが楽しみで生きているのだろうかとは思う。読書か。そうかもなぁ。孫か。そうかもなぁ。自分が長生きしていることか。そうかもなぁ。
?
ウオーキングか。
これだ、これ。
けっこう楽しんでやっているからである。
ウオーキングに出かけていって、そのまんま帰ってこれなかったら周囲に迷惑かけるからスマホだけは持っていくけど。それで最近は落語を聞いているのだ。Youtubeから録画しておいて、スマホでいつでも聞けるようにしてあるからである。カネもかからないし、年金生活者にはありがたい限りである。
けっこうこれが楽しい。
田舎の田んぼ道をニヤニヤ笑いながら、一日10キロ以上は歩いているのじゃ。
あ・・・・・。
だから、前からくる人たちが気味悪がって、避けていくのだねぇ。
小学生もである。
大笑いしながら、ボキを見ている。こっちも笑っている。落語を聞いているからである。
わはっはははっははははっははっはははっははは。
さ、今日も笑いウオーキングをやってこようっと。
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