と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

これまで一太郎を愛用してきたから、Wordの罫線が使いにくくてたまらんかった

2017年11月14日 15時52分48秒 | とーま君の流儀2017

15:31である。

図書館にいる。

ボキの履歴書と業績書に苦心惨憺していた。

つまり、Wordで提出しなくちゃアカンからである。

罫線がどうにもこうにも使いにくくてたまらん。

あらかじめ決めてある書式にのっとって、打鍵しなくちゃならんからである。

つまり、罫線が書かれてあるやつに打ちこむのである。

こいつがくせ者であった。

あったというのは、どうにかこうにか、15:33終わったからである。

ワードの罫線の引き方とか検索語をたくさん入れてやっとできた。考え方が一太郎とはまるで違っているのじゃねぇ~~~~。ブロック単位で罫線を引いていくのだということにやっと気がついた。これで一生忘れないだろう。たぶん(^0^)。

これで安心した。

今週末にメールで送らなければならないから、周囲にご迷惑をおかけすることもないからである。

ところで、前回提出した書類よりかなり分量が増大している。

ボキの積極的な活動がよ~~~~~くわかったよん。行数にして20行は、前回提出したものよりも増えている。活動の記録がである。これじゃあ、点検してくださる教授の先生方、事務職員の方々が苦労されるであろうなぁと思った。なにしろ、学事出版様関係でも毎年書かせていただいてきたし。ありがたいものである。さらに郷土史の会でも、文化講座や研究発表大会で話をさせていただいてきたし。研究誌には論文まで発表させていただいてきた。もっとある。去年から文芸賞の審査員までやらせていただいた。しかもその文芸賞委員会から、活字になってボキの原稿がちょっとだけだけど出ているし。

誰も知らないだろうけど(^0^)。

申し訳ありません。

そう言うしか無い。

ありがたいものである。

こんなことをやっているのを、ボキの家族は誰も知らない。ボキがなにをやろうとも関心がないからである。ど~~~~~せ、ジジイの道楽だと思っているふしがあるから。そういえば、大学院博士後期課程に入るときも、ずいぶん反対されたっけ。銭の無駄だというわけである。そんなところに行って何になるのだというわけである。ボキも、返答できなかったが。だって、博士になりたいと申し上げても、そんなもん取ってどうするんだい?としか言われなかったから。中退したから確かに無駄になってしまったけど。

むろん、こんなブログをやっているのも知らない。FBもTwitterもである。そうなのである。本名で書いていないからである。

あ、死んだらどうするんだい?という問題があるなぁ。

近所の方が、昨年亡くなったのであるが、この方のFB はまだ残っているのじゃ。息子さんにそっと教えてあげようと思っているのだが、やらない方がいいかなぁ。

なにしろ東大大学院卒と書かれているFBである。あまりにも凄くてたまらんし。

 

さ、そろそろ帰ろう。

 

相撲を見なくちゃ。

お気に入りの高安と稀勢の里がどうなるかシンペェだから。日馬富士がどうなるのかも気になっているけど。

 

(ToT)/~~~

 

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気分屋だと人生失敗しますぜ。思いつきだけで行動しているから。経験上、そう思う。

2017年11月14日 07時55分37秒 | とーま君の流儀2017

人生の終末を考えていないから、欲望にとらわれてジタバタみっともないことをやりはじめる。特に相続の時には、人間性が露見してしまうなぁ~~~と感じているのだよん。わはははっはははっはは。

 

 

思いつきというのは、重要である。潜在意識が、あるときふと表面に出てくることもあるからだ。そんなことを書いていた書籍があったっけ。確かにそうだ。普段から意識しているから、思いつきとなって表に登場してくるわけである。つまり、やりたいこと・やらねばならないことを意識するってぇ案配である。

しかしである。

いつも思いつきでもって行動していると、単なる気分屋という側面も出てくる。

落語じゃないが、こちとら江戸っ子だい、一度言ったこたぁ曲げねえよ!ってタンカを切っている話もある。ボキは好感を持っている。そういう「一度言ったこたぁ曲げねぇ」主義者には。

思いつきで行動していないからである。それに、クチに出して言ったことは責任を伴うからでもある。特に組織のトップになったら、かなり重要である。

ところがである。

人は欲に目が眩むと簡単に一度言ったことを曲げてしまう。相続が良い例であろう。否、この場合は悪い例か。ボキは、行政書士も持っているから、いろんな相続の事例に出くわす。むろん開業していないから、それでもって儲けることはできない。やったこともない。でも、事例は興味がある。あるから、いろいろと資料を漁る。それで知っているのだが。

欲に目が眩んで言ったことを簡単に曲げているようでは、リーダー失格である。そんなリーダーのもとで、組織の目標を設定して、一生懸命努力した所属員はかわいそうである。みじめである。

仕事をしていた時にも、そういうことにはかなり気をつけていた。

しかし、現実はいろいろあった。詳細については書けないから、これくらいにするが、ホントウにいろいろなリーダーがいたのである。

そういう方々とおつきあいさせていただいたから、わかっているのである。それもここには書けない。墓場まで持っていくことになろうけれども。

それでも思うことがある。

気分屋だということは、感情的になってしまう傾向があるということである。感情をコントロールできないのだ。冷静になってものを考えることができない。それが行動になって表れるのである。仕事でこういう傾向を持っていたらかなり危険である。改めた方がいい。

だいいち人間関係を破壊する。もっともそれで良いというなら、それで良いだろう。オレは一人で生きていくから、関わるな!というのなら好きなようになさればいい。

結果責任である。

でもねぇ、そういう方々は、人生の終末のことを考えていないのではないのか。

誰でも死ぬのである。

いつか死ぬのではない。

今日かも知れないし、明日かも知れない。

そのことを常に意識していないと、ロクな死に方はしない。

ボキは、ターミナルケアとかの勉強を、仕事しながら通信教育大学大学院で勉強させてもらったから、いつもいつもそういうことを考えているのである。

感謝している。

あの経験があったから、今がある。

ありがたいものである。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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11月13日(月)のつぶやき

2017年11月14日 06時46分55秒 | とーま君の流儀2017
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/