それぞれの家庭にはそれぞれの人生がある。そして、理由がある。原因がある。こうなったことの理由というやつである。下の動画は、そういうことを考えさせてくれるものであった。
批判することはたやすい。そんなんじゃいけないって説教するのもたやすい。甘えているというのもたやすい。
言ったから、説教したから人は生き方を修正できるというのは不可能である。一方的な言葉では気持ちの修正もできないのだ。そうなのだ。修正すればいいのである。ビリーフというか、固定観念の修正である。これがもっとも大切だと思って生きてきたし、それぞれの学校で若い人々とそうやって接してきたのだ。
そんなことをこの動画で考えてしまったのだ。
家人と一緒に見た。
思わず涙が出てしまった。
こういう人生もあるのだ。終わりよければすべてよしではなかった。途中にも問題があるのだ。問題は、次から次へとやってくるのだ。
平穏無事というのはあり得ない。なんにも問題なしというのはあり得ないのだ。ボキだって、アホで、明るくて、なにも考えないで生きているのではない。それなりに苦心惨憺して生きているのだ。マジにである。学位や銭をはじめとしてほしいものはたくさんあるし(笑)。ただし、「受けとめ方」をちょっと工夫しているだけである。なんでもそうだ。受け止め方を工夫していれば、悩みが悩みにならないのである。学位も銭もこっちが欲しいとなると、あっちから逃げて行ってしまうしなぁ。
酒に逃避するというのはわかる。逃げたくなっちまうというのもわかる。ボキだって、そういう思いはしてきた。しかし、逃げなかった。なぜか。「とりあえず、生きていこう」と思っていた。そうなのだ。「とりあえず生きてみる」ことなのだ。悩みが生じてきたら、とりあえず良い方向に行ってみることなのだ。どうせ誰でも死んじゃうのだから、とりあえず生きていられることをありがたく受け止めて、生きてみることなんだよん。
なんでもそうだ。友達が一番大事だとか思わないほうがいい。会社の人間関係が一番だとも思わないほうがいい。そんなもん、いつ切られるかわかったもんじゃないのだから。会社なんか、定年退職したらあっという間に人間関係なんか崩壊してしまうではないか。経験上。もっとも、ボキのほうからも相手にしないけど。
なぜなら、孤独なのが男の特性なのだから。孤独に耐えていくことが男にはできるのだ。つまりとらわれないことである。友人とか、つきあいとか、銭とか、地位とか名誉とか・・・・あとなんだ?・・・・つまらんもんがいくらでも出てくるではないか。
とらわれないで、「淡々と生きていくこと」である。そしたら、酒に逃避する必要もないではないか。
これって、女性関係にも応用できまっせ。とらわれるから、失恋したとか大騒ぎになっちまうのであるから。
もっとも、誰も相手にしてくれまへんなぁ。女性は。家人以外は。
わはははっははははっはははっはははっはははっはははっははは。
(@^^)/~~~ (@^^)/~~~!