と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今日はこれから爺の料理教室が始まる、始まる。かきあげだそうな。500円で昼飯をいただくのじゃよん。楽しみ、楽しみ。

2019年10月31日 07時58分04秒 | とーま君の流儀2019
今日はこれから、「男の料理教室」である。9時からだ。かきあげを作るらしい。費用はなんと500円。参加者は爺しかいない。楽しみである。

まだ死んでいない爺しか来ない。当たり前である。死んだら参加できない。

わははっはははっははははっははっはははっはははっははっは。

元気か?

まだ生きてるよぉ。

こないだ、入院してよぉ。

それで死ななかったかぁとか楽しい会話が教室のそこらじゅうにこだまするのじゃ。

作った料理は、飯も炊いてから全員で一緒に食うから楽しいのである。共食いではない。会食である。もっとも爺の共食いではうまくもなんともないけど(^_^)。

これもまた縁なり。

一緒に死ぬわけにもいかないから、遅かれ早かれ順番待ち。

現役時代には考えられないつきあいである。平日開催だから、仕事していたら絶対参加できない教室だけれどもねぇ。

メニューはかきあげ。油であげるときは、参加しないようにと家人から指示をもらった。油がめがねにくっついて、めがねをだめにしちゃうのだそうな。

大丈夫である。爺たちは、俺がやるというのが充満しているから。俺がやる、俺にやらせろとまぁまぁ出しゃばりが多いからである。ボキの出番などまるっきりない。皿あらい専門、あるいは食うだけの専門家。

情けないけど、それもまた楽し。ラクだしねぇ。サボっても誰も文句を言わないから。

さ、行ってきまぁす。

エプロン持って。バンダナ持って。

手ふきタオルも。


しょうもない一日が始まりまんなぁ(^_^)。こんなんで一生ラクして生きていくんでしょうけど。




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いとこの納骨に参列していて思ったことは、誰でも死んじゃうってぇことなり

2019年10月31日 07時10分35秒 | とーま君の流儀2019
昨日は家人のいとこの納骨に参列していた。まだ60代であった。病気になって、他県の大学病院に行こうとして、近くのホテルに前泊した。翌朝、診察に行った。そしたら病院のトイレで意識を失ってしまった。そのまま亡くなってしまった。なんどか杯を交わしたこともあった。

むなしいものである。人の生き死にというのは。

そして遅かれ早かれ、ボキも同じような運命がくる。絶対くる。人間は100%死ぬからである。どんなに嫌がっても、死は必ずくるのだ。永遠に生きていることはできないからだ。

逃れられないのだ。あ~~~たも、ボ~~~キも。

そこで、昨日は久しぶりに親鸞関係の資料を読んでいた。なぜか。それは通信教育でお世話になった武蔵野大学が西本願寺の大学だからである。つまり、親鸞関係の大学だからだ。今朝も読んでいた。印刷もしていた。いろんな資料を。ファイルにもしたけど。

忘れている部分がたくさんあった。笑った。こんなに忘れてしまうのだ。情けない。もう惚けている。もっとも元々アホだからねぇ。しょうがねぇか。

心機一転。

生涯学習ごっこに目覚めたのだから、ありがたく受け止めて、あとは努力するしかないではないか。

死ぬまであっという間なんだから。

あ~~~~~~たも、ボ~~~~~~キも。


BYE-BYE!
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/