ここんところ晴天が続いている。九十九里浜はである。だから布団を干したりしていた。小学校の3年の男子孫と一緒に、長男が使っていた部屋に寝ているのだ。しかし、背中が痛い。普段柔らかいベッドに寝ているからである。それにしても、オトコの子は動き回る。つまり寝相が悪い。時々布団をかけてあげたが、とうとう昨日は知らんぷり。ボキの方が起きられなかったからだ(^_^)。
昨日の夜は塾にいたからである。英語だけだった。中学校の一年生も教えた。英語の授業がまっくないから、不安だという。そりゃそうだろう。この子は、小学校から塾に来ていたからなんとかなるものの、我が孫くらいのレベルだと相当に不安になっちまうではないか。
つまり出来が悪いからだ。ジジイと一緒。ジジイも成績悪化の一途をたどっていたからなぁ。あ、いまでもそれは現在進行形だよん。過去形で書いていたら笑われる。
挙げ句の果てには、苦学だってよ。当たり前に学部に行けなかったからだ。高校は進学校だったから、同級生達はおおいに同情してくれた。たぶん、そこまでして通うような大学じゃあるめぇと思っていたのだろう。同感である。辞めればと何回も言われてしまった。しかも亡父は、苦学しているのを喜んでいたからかなりファンキーな親父だったよん。ゼニがかからないから、喜んでいたのである。
したがって、18歳から現在まで、全部ボキは学費を自分で払ってきたのだ。今も、確かに大学院生をやっているから、自弁である。全部自分でやっているのじゃよ、アホですなぁ。
だからかわいげがないとよく言われてしまう。自力でやるからである。なにしろ人を頼らない。これが仇となったこともたくさんあったっけ。つまり、親分がいなかったからである。頼らないのであるから、親分がいない。学歴も実にお粗末であったから、引き上げてくれる先輩もいない。これは厳しかった。なにしろ千葉県内でも希少価値であったからである。明治開闢以来、ボキの大学学部卒でガッコのトップになったのは、ボキで4人目という少なさであったからだ(^_^)。
今となってはどうでも良い話である。そんな程度の人間だから。
さ、続々とレポートが返信されてきている。タノシイもんである。知らないことにチャレンジするってぇことが、こんなにタノシイのならばたぶん惚けないだろう。
BYE-BYE!