と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

3月16日(金)のつぶやき

2018年03月17日 06時49分09秒 | とーま君の流儀2018
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環境は潜在意識が決め手であると思っている。

2018年03月16日 08時26分55秒 | とーま君の流儀2018

リタイアしてからも仕事・仕事と関わっている方も多いが、ボキは御免被るですなぁ(^0^)

 

自分のこころのあり方が、周囲との調和をもたらすということを聞いたことがある。

仕事人時代の大先輩たちにである。

ホントウにそうである。

環境は、自分の潜在意識が影響してくる。普段から、あのヤローろくなもんじゃねぇと思っていたら何気ない会話にそれが出てくるから不思議なものである。

仕事をリタイアしてから、言いたいことは言い放題になっている。だから要注意である。トラブルのもとになっているからである

いい加減にすべきである。

もうどうでもいいではないか。

トラブルなんか。他人がなにをしていようと、ご隠居さんであるボキには無縁である。聞こえていることも聞こえないふりをしていればいいのじゃよん。

まったく、どうしようもないヤカラも多いからである。

昨日Gymにいたら、知人から電話がかかってきた。ボキは、体育館でウオーキングをしていたから、こっちからかけ直した。ボキとまったくの同年である。年は同じだが、あっちはチョーエリートである。そいつが再任用を卒業したと思ったら、まだやってくれと頼まれたからやると電話があったのである。

ご苦労様なことである。

ボキにはそういう声がかからないから、やらない。かかってきてもやらないだろうが。手をあげなかったからである。意思表示もしなかった。

ぼんくらは、ぼんくらなりに日向ぼっこでもしながら生きていきたい。つまらない旅を繰り返しながら。

そう思ってきたから、旅だけはやってきた。充実していた。それもリタイアしたらやりたいと潜在意識で思っていたから実現したのである。

なんでもそうだ。 意識で最初に決めておかないと、足はついてこない。特に後ろ足がついてこないではないか。

行く先は前足が決める。後ろ足は、それについていくだけである。前足というのは、潜在意識である。普段からそう思っているから行動に結びつく。

すべてはこころが決める。

美人を見てもそうではないか。あ、あの人美人だとこころが思わなくては美人も美人に見えないではないか。

わはははっははっはははっははははっはは。

リタイアしても仕事しか関心のない人も多い。男はほとんどそうだろう。今、なにをしている?と昨日の知人にも聞かれたからである。

ボキは仙人をやっていると申し上げた。大笑いをされたが。

そうなのである。関係がないからである。誰がどこにいようが、知らないのである。さらに、元***とかというのも関係がない。関心がないのである。

自分でも見事なものであると思っている。

ただの惚けだろうって? そうかもしれない。

忘れたいから忘れているというより、そんな情報がボキの耳に入ってこないからである。


今日は、これからエコノミークラス症候群の再診日である。三ヶ月に一度の。 順調であるから、なんの心配もしていない。 結果が楽しみである。

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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3月15日(木)のつぶやき

2018年03月16日 06時40分09秒 | とーま君の流儀2018
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急ピッチな最近だけど、相変わらずでありまする。望みは、人のジャマにならないように生きているだけだし。

2018年03月15日 08時11分33秒 | とーま君の流儀2018

急ピッチである。

交通安全講話が来月控えている。自転車の交通安全というのをやらせていただく。居住地からはちょと離れている。毎年その中学校に呼ばれているから、喜んで出かけている。毎年、動画を積極的に活用している。だから、今年も全面的にパワーポイントを作り直した。むろん、まだできあがっていない。作成しながら、中学生たちの反応を楽しみにしながら作っている。

郷土史の会に提出する論文も急ピッチである。これもまた楽しい。こういうのが趣味なのである。来年度は、退学した某大学でクラスメイトだった方に文化講座で講話をいただく予定である。留学生から見た日本文学という内容である。こちらも楽しみである。比較文化であるからだ。

私的にも色々ある。来月には、長女が同じ市内だけど、引っ越すからである。アパートからである。引っ越しの手伝いに行かなくちゃならない。これもまた楽しみである。男児の孫と一緒に遊んでくる。一泊である。

柔道のちびっ子たちと稽古もすることにした。病気になって某大学を中退してから、なんと4年ぶりである。明後日の土曜日19時から稽古する予定である。柔道着もボキの書庫に用意してある。これもまた楽しみである。寝技専門にやればブランクは解消できるだろう。元々、寝業師であったから、得意なんだけど。生き方も寝業師であったなぁ。あるエライ人からもそう言われたし。現役の仕事人時代に。まったく素直ではなかったからである。下手をすれば、寝首をかくような人間だったからである。

今日は、すぐ近くに住んでいる女児の孫に椅子を買ってあげることにしている。午前中に赤ちゃん専門の店に出かける予定である。西松屋という店に。これもまた楽しみである。

こんなことばかりやっている。なんにも害がない。いてもいなくてもどうでも良いようなジジイである。

ただし、日々平安でありたい。

きな臭い戦争話だの、文書改竄だの、消費税値上げだの、レスリング協会がどうしただのとマスコミは多忙である。

なんにも関心がない。

もっとも、ボキのようなジジイが安穏として生きていられる、政治のことなんか関係ない、望みは日々の日向ぼっこの太陽だけが希望だというのではまるでギリシアの哲学者のようだけど(^0^)。

今日まで暖かいのだそうな。

明日は、また寒くなるそうな。

ううううううううううううううううううううむ。

(*_*) マイッタなぁ。

今日の夜はアルバイトの塾がある。

これも、収入を度外視しているアルバイトである。コマ数も増やさないことにした。これ専門で喰っている方々のジャマをしてはアカンと思ったからである。ボキがコマ数を増やせば、困る人が出てくるからだ。

ジャマにならないように生きているのも、色々と工夫が必要なんである。まったく、しおらしいジジイである。

 

さ、これから出かけます。ウオーキングに。

 

ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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3月14日(水)のつぶやき

2018年03月15日 06時49分00秒 | とーま君の流儀2018
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朝からずっと図書館にいる。アカン!じっとしていたらまたエコノミークラス症候群になっちまう・・トホホ

2018年03月14日 11時04分43秒 | とーま君の流儀2018

歴史の会に提出する論文を書き始めた。

今日で、2500字になった。

図書館のコンピュータ席で始めた。

日本書紀の29巻を、国史大系本から原文を写して、打鍵した。ボキなりの解釈もつけてある。

かなり面白い。

もう夢中になってしまった。

先日行った講演であらかた材料は持っている。あとは、整合性と考え方のおかしなところを直しつつやっている。だから面白いのである。こんな程度のバカジジイである。もともと能力がねぇのはわかっている。それだから、面白いのである。論文がボツになったらそれもまた良し。いろいろご指導をいただけるだけで、ボキの勉強になるからである。

でも、アカン。

運動のために、図書館まで歩いてきたのに、これじゃぁ逆効果なり。

ま、行くところもない、やることもないってぇよりはいいか。

 

さ、こっからは家でやる。

これから遠回りして家に帰る。

歩いて。

楽しいもんでございますよん。

 

あまり図書館に閉じこもっていると、また病気になっちまうから。

幸い、今日は春のような気候である。

ワンコも猫も、ウキウキである。

腐れジジイのボキもウキウキである。

 

春めいてきたからなぁ。

 

ほんとに、春でございますよ。

 

( ´艸`)

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孫の予防注射につきあって、特養のご老人方とも会った。色々考えさせられたねぇ。

2018年03月14日 07時45分54秒 | とーま君の流儀2018

沈んでいく九十九里浜の夕日を見て、たそがれ人生を思うのもまた一興である。

 

 

昨日は五ヶ月の孫(女児)の予防注射に付き添った。要するに孫を抱っこしたいから付き添いと称して、病院に行ったのである。老人専門の病院みたいになっている病院である。特養の方々もたくさん来ておられた。午後からであるから、一般の患者はあまりいなかった。

ボキの孫を見て、かわいい・かわいいの連発であった。そのご老人方が。

言葉が丁寧であった。ということは、九十九里の出身ではない。九十九里の言葉はなまっているからである。いわゆるダッペ弁が特徴だからである。ということは、特養だから家族と離れてこの病院が経営している特養に入っていると推測した。この特養は月々の支払いが安いのである。ボキでも入れると聞いている。老人大学時代に。老人大学のご学友様たちから聞いたのだ。

家族から離れているから、かわいいのであろう。

でも、ふと思った。

特養の方々もまた色々な人生を背負ってきたのだろうなぁと。

それが普通の人生である。

若い方々の人生ばかりが文学の対象になる。愛だの恋だの、挫折だの、成功だのと文学の対象は広範囲である。その方が面白いからであろう。ましてや、そういう本を買うのは若い方々である。売れなければ、出版社だって手をつけないだろうから。売れるから、週刊文春とか週刊新潮とかがまるで江戸時代のかわら版のごとき活動をしているのだ。こんな週刊誌は、コンビニで立ち読みしていればよい程度のくだらなさである。買うつもりもないし、立ち読みもしないけど。あまりのくだらなさに。

ボキは、特養のご老人方のような人生を知りたい。そういう小説もあるのだろうが、まだお目にかかっていない。

たそがれた人生もまたいいものである。

たそがれてしまって、今、ナニを思うのか。あるいは感じているのか。

そういうことを知りたい。

ボキもたそがれている。

そうか。

ボキ自身がそういう心境を発信していけばいいのだ。自分自身の確認のためにも。

 

夕日を見に九十九里浜に出かけることがある。たまにである。あまり風の強くない日に。

岬から見る夕日が一番いい。高台の灯台から見える九十九里浜の夕日は出色である。今まで、輝いていた太陽が、一日の終わりに沈んでいく。周囲を染めながら。

素直に感動する。

まるでボキのようではないか。

沈んでいくからである。

用もないし、行くところもない。やることもない。ひたすら読書し、ノートをとってゴミ論文を書いているだけである。最近、論文書きを始めたし。締め切りは4月。

たそがれ人生である。

孫と対照的である。

これでいいのだ、これで。

こっちはあと何年生きるのかわからないのだから。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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3月13日(火)のつぶやき

2018年03月14日 06時43分09秒 | とーま君の流儀2018
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行動的に生きているのは、治療の一環である。もっとも、それしかやることないからで・・

2018年03月13日 08時19分31秒 | とーま君の流儀2018

行動は軽い方がいい。もっともボキの場合はアタマも軽いけど。

 

 

武陵源に興味を持った。一昨日のイモトのテレビ番組である。イモトさんが、武陵源を案内してくれた。思えば、彼女の番組でいろいろ刺激を受けて実際に行ってみた国がある。アンティロープキャニオンもそうだった。

実際、行動は軽い方がいい。ま、ボキの場合アタマの方も軽いけど(^0^)。

youtubeが登場してから、映像の便利さがよくわかるようになってきた。しかも、MP4にできる。それをスマホで見る。

こうすると、記憶に残る。

ボキは、スマホにお経もそうやってしまってある。キリスト教のもそうである。チベット仏教の動画もいつでも見られるようにしてある。

こんな便利な時代がくるとはなぁと感謝している。

これだもの書籍が売れない時代になるわけである。

つまりナニを言いたいのかというと、書籍だけで情報を得るとなると冊数が膨大になる。書籍は、テーマを絞ってあるからである。だから、テーマが異なっていると次々と本を買わなくてはならない。

しかも、ボキのような愚人ではなかなか記憶に残らないのである。非常に困る。ましてや、惚け防止のために生涯学習ごっこをやってきた身である。忘却防止をやるという点では抵抗感がない。ないが、昨日ナニを喰ったかも忘れているようではおぼつかないではないか。

さらにある。音声で検索してくれるようになってきた。つまり、デスクトップパソコンに向かって声を発すると検索してくれる時代になったのである。いつのまにか、ボキの古ぼけたデスクトップもそうなっていた。

最初、なんじゃ?これはと思っていた。そしたら、音声検索になっていた。ためしに、ボキの本名を入れて検索してみたら出てくる出てくる。笑ってしまった。ボキがこれまで書いてきた雑文まで出てくるからである。ブログも出てくるけど、あまりヒットしていないようである。そりゃそうだ。仮名であるからだ。

それに、ボキはアクセス数をまったく気にしていない。したがって、拙ブログのアクセス数を稼ぐために工夫をしたり、感謝の一文を書いたりはしない。感謝はしているけど、わざわざ書かない。どうせ他人が見ているからである。

自分のために書いているブログだからである。

惚けないためにやっているだけである。

なんでもそうだ。

惚けないために、バイトもやっているからだ。

行くところ、やることがあった方が惚けないらしいからである。

もう大活躍して、成果を残して、組織に認められて・・・という生き方は結構である。もうそんなのは、草臥れたのである。大活躍も・成果も・組織にも・他人にも認められてきたこともまったくなかったけどねぇ。

今は、仕事をしていないのだから。

仕事のことを語らないのはそういうことである。

もっとも、仕事もねぇからなぁ。


わははっはははっははっはははっははは。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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3月12日(月)のつぶやき

2018年03月13日 06時45分29秒 | とーま君の流儀2018
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中國湖南省 - 張家界風景 HD 1920X1080

2018年03月12日 22時02分45秒 | とーま君の流儀2018

中國湖南省 - 張家界風景 HD 1920X1080

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中国 世界自然遺産 張家界(武陵源)に行きました。

2018年03月12日 22時00分40秒 | とーま君の流儀2018

また中国に行ってみたくなったです。

 

 

中国 世界自然遺産 張家界(武陵源)に行きました。

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毛糸の帽子をかぶって、マスクをしてセッセセッセと歩いている変なおじさんがエラそうにしていたら基地外になっちまう

2018年03月12日 08時14分32秒 | とーま君の流儀2018

下風に立つことこそ人生の大事なり

 

 

老子に「善く人を用うる者は、之が下となる」と言う言葉がある。上手に人を用いる者は、いつも相手に対してへりくだっている。下手に出て人の力を最大限に活用するものだという意味である。

また、孟子にもこの手の言はある。

「呼び捨て出来ない部下を持て」という言である。師に足るほどの部下を持てということである。よく人を用いる人に共通して見られる傾向がこれだ。

「人をよく用いない者は、後に続く者を断つ」というのも孟子にはある。これもまた経験上、断たれたことがあるから然りと思う。男の嫉妬である。男というものは、まったくしょうも無い生きものである。嫉妬心のかたまりであるからだ。

立川談志の言におもしろいのがある。小さん師匠に破門されたことについての発言であったと記憶している。破門されたが、された方の器がデカかったと言っていた。ボキは、大笑いして聞いていた。確かに、そうかもしれない。談志の方がデカかった。談志ファンだからそう感じるのかもしれない。

だから組織のトップに立つ人は、部下の器の方がデカかったということになるかも知れないということは、肝に銘じておくべきであろう。

後でなにを言われるかわかったものではないからである。

 

色々な意味で、ボキは人を用いることもないし、もう仕事がないのだから気楽なものである。なんにも評価なんか気にすることもないし、自由自在に生きている。

だから、自称エリートとか、組織のトップだとか自慢しているヤカラを見て楽しんでいるのじゃよ。

わはははっはははっはははっはははは。

こんなに楽しいことはない。

人間学だからである。人間観察ほど楽しいものはないからである。

もっともアレか。

ボキは不審者でもあろうからなぁ。毛糸の帽子をかぶって、マスクをしてセッセセッセと歩いている変なおじさんだから。あ、おじさんではなかったな。ジジイであります(^0^)。

 

昨日行った東日本大震災祈念の行事に参加してみた。文芸賞の審査員をさせていただいたから、その上位に入選した方々の朗読会に行ってみた。毛糸の帽子をかぶって、マスクをして、キタネェジャンバーを着て行った。そしたら誰も気がつかない。受付も素通りした。素通りさせてくれた。

ということは、ボキはこういう格好をしないだろうという前提で見られていたということになる。誰も、と~ま君だと気がつかないということは、だったらオレは誰だ?ということになる。

スーツを着ているから、オレなのか。

違うなぁ。

オレは、オレ。

オレは、スーツではない。

アタマの禿げたジジイである。

そんなもん、自分で決めていればいいだけの話である。

 

感謝してきた。

昨日の体験でまたまた貴重なことを教えていただいたような気がしたからである。

行くところがないと悩んでいるよりは、無意味でも無駄でも、出かけようと思う。柔道の稽古も再開する。新勝寺詣でも再開する。

ゴミ論文書きも再開する。否、した。

来月には一応の字数を書き上げるつもりである。応募先があるからである。オファーもあったし。

 

楽しめば良いのである。なんでもそうだよん。

 

ヾ(@⌒―⌒@)ノ

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3月11日(日)のつぶやき

2018年03月12日 06時51分43秒 | とーま君の流儀2018
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【貴ノ岩】事件後初の復帰戦、白星なるか!?|2018年 大相撲 大阪春場所

2018年03月11日 18時42分02秒 | とーま君の流儀2018

良かったよ、貴ノ岩

 

【貴ノ岩】事件後初の復帰戦、白星なるか!?|2018年 大相撲 大阪春場所

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/