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と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

なぜ老人はプリウスで事故るのか、年間500台の車を運転するドライバーが解説

2019年04月25日 22時12分52秒 | とーま君の流儀2019

????????????

そうだったのか!

がっくり

 

 

 

なぜ老人はプリウスで事故るのか、年間500台の車を運転するドライバーが解説

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あまりバイト・バイトと言わないようにしまひょ。年金暮らしなんだから。バイト以下かもしれないし。今、やっていることは。

2019年04月25日 06時17分19秒 | とーま君の流儀2019
午後からバイトの任命式がある。年間に二回ほど出席しなくちゃならない。それだけの話である。内容は書けない。

しかし、こういうのをバイトとは言わないのであろう。失礼になるからだ。あまり書かない方がいい。

そんなことを打鍵しているよりも、歩いた方がいい。

市営のジムに、昨日は会費を払ってきた。一月2000円である。会員証に、一月に行っていた日付が書いてあった。そうか、もう中断してそんなになっていたのかと思った。確かにジムには行かなかったが、歩いてはいた。毎日、10キロ以上である。千葉市の私立高校にも、隣の駅で降りて学校まで歩いていた。学校内では、トイレに行くのにも一番遠いトイレであった。授業は毎日ではなかった。一週間に三日。全部で10時間。学校からの帰りもずいぶん歩いた。居住地の駅に着いても、遠回りして歩いていた。

これが健康になる秘訣である。歩く、動くである。しかも、いろいろと考えながら歩いているから思考トレーニングにもなる(^0^)。所詮、ロクでもない思考だけどもねぇ。

しかし、アイディアは灯ってくる。あ、これをしようとかという課題意識である。だから、メモを持って歩いていた。けっこう良い。生涯学習にもなる。ま、ボキのようなものがやっていることである。ロクでもないことだ。

ロクでもない奴がロクでもない考えを思いついても、クソの役にも立たない。どうせ、メシを喰って、けつの穴からそれをひねり出してやっと生きているようなアホである。なにか世間様のお役にたつことをしてみたい、困っている方があればお助けマンをやってみたいと思っているだけであるから。

図書館に行っても帰りはかなり遠回りをしながら帰ってくる。午前中の9時には図書館にいる。最近凝っている山折哲雄先生の本を読んでいる。ご丁寧に、カード取りもやっている。カードは、もう200枚以上になっている。書名ごとに、100円ショップで買ったB6クリアファイルに入れてある。それを大型ショッピングセンターで買ったDVDを入れるケースにしまい込む。それが楽しみである。

復活したのである。若い頃からそうやっていたが、最近は面倒になってしまっていた。面倒だからノートにしていたのだが、ドンドン記憶ができなくなっている。あ、こりゃ元々だった(^0^)。アタマが悪いのだから、記憶ができないのではなくて、元々できなかったのだ。

あきらめが肝心だとは思う。しかし、トレーニングしていないと惚ける。記憶力がすべてだと言ったのは、立川談志である。非常に思い当たることがあるからだ。

以来、生涯学習に取り組んできたのだ。

無駄かもしれない。いずれ死んじまうのだから。でも、死ぬまでは惚けに逆らいたい。

それしかやることがないからなぁ。

わはははっはははっははっはははっはははっははははっははは。


任命式は午後二時からだから、それまではジムに行ったりしようっと。今日は朝から雨が降っているし。昨日ジムに会費を払ってきて良かったヨン。


BYE-BYE!
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映画俳優にもなりたかったが、鏡を見てあきらめた(^0^)。もともとが違っているからだが。それにしても、挫折ばっかりしているなぁ。

2019年04月24日 06時52分15秒 | とーま君の流儀2019
市営のジムに今日は手続きに行く。この2月に行っていた。そのときに死んだかと思っていたと受付の知人に言われた。なにしろ、去年の9月から千葉市の私立高校でバイトをしていたから、行けなかった。これも頼まれたから行っていたのである。年度途中で退職した職員がいたのだそうな。それで困ったからボキのようなジジイに頼んでこられたのである。快諾した。困っているヒトがいれば、出かけていくのがボキのポリシーであるから(^0^)。

ジムに行くのは、梅雨に入ったらいけなくなるからである。まさか、毎日ショッピングセンターを歩き回るわけにもいかないからだ。

さらに、退学した某大学の生涯学習センターにも来月から行く。博士課程で教えていただいた先生の方丈記の講義が年に2回あるということで手紙がきたからである。こちらも申し込んだ。そしたら、係の女性に「あらぁ~~とーま君?」と名乗る前に言われた。覚えてくれていたのだ。うれしかったなぁ。教えていただいた先生の体調が良くないという噂をお聞きしたから、大丈夫ですかとうかがった。そしたら、おやせになられたとのことであった。愚昧なる弟子だったから、教室の後ろでそっと講義を拝聴するつもりだけれども。ありがたいことである。実にありがたい。

もっとある。太極拳講座も申し込んだ。こっちは月に二回。しかし、知っている流派だった。この流派なら動画を持っている。復習ができる。居住地の太極拳講座は、撮影禁止で口伝である。なかなか覚えられないのだ(^0^)。

退学した某大学は、九十九里浜にある。通えるのだ。もっとも、大学院には非常に優れた先生がたくさんおられる。憧れの先生方である。だから入学したのである。定年退職した時である。

ずいぶん鍛えていただいたっけ。博士にはなりたかったが、なれなかった。挫折である。もっとも、これまで我が人生は挫折の連続であったから、慣れているけど。なれなかったものはずいぶんある。映画俳優にも憧れたけど、鏡を見てあきらめた(^0^)。

なりたくてもなれないというのは、世の中にゴマンとあるではないか。ボキの場合は、宗教家もそうだった。宗教関係の学科に高校時代非常に憧れたからである。インド哲学をやってみたかったからだ。結果は行けなかったが。就職先がなかった。もっともボキは寺院の息子でもなんでもなかったからである。

亡母の友人が寺院の奥様で、インド哲学をやりたいのなら、新聞配達なんかしないで学費を出してやろうかと言っていたことを思い出した。この寺院の奥様は、亡母の出た師範学校の同級生で、山形の小学校の先生をやっていた。かわいそうに思ったのであろう。

宗教家になっていたら、今のボキはない。もっとも悪行三昧のボキである。なれっこなかったけど(^0^)。

つまり、きっかけはどこにでもあるのだということである。なにがきっかけで一生の仕事が決まるのか、わからないというものである。

ボキの場合は全部シロウトでやってきた。

塾もそうだ。国数英とやっているが、これもシロウトである。だから、自分で勉強するしか無いのである。内容を理解していないからだ。

やることがないよりは良いか。

わははっはははっはははっはははっははははっはははっは。


BYE-BYE!
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4月23日(火)のつぶやき

2019年04月24日 06時07分14秒 | とーま君の流儀2019
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伊藤 比呂美(詩人) <ライブ版「女の一生」> ※女傑なり=ボキの感想

2019年04月23日 17時47分16秒 | とーま君の流儀2019

伊藤 比呂美(詩人) <ライブ版「女の一生」>

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一日が平穏に過ぎていけばそれで良し。それだけである。望むところは。不動心で生きていきたいなぁ。。

2019年04月23日 07時04分49秒 | とーま君の流儀2019
穏やかな朝である。晴れている。あったかい。一昨日と昨日は、寒いところにいたから実にありがたい。居住地の天候がである。

しかも、昨日の朝は温泉の露天風呂に入っていた。朝の5時にである。好きモンである。髭を剃って、それからあったまっていた。

ところがそれで疲れてしまった。朝風呂なんか家にいたら入るわけがないからだ。あ、こりゃ危ないと思った。一人で運転して帰らなければならない。昨日は月曜日。都内が混む。

どうせ東京経由で帰るのなら、長女のところに行こうと思った。露天風呂で決めた。犬を飼ったというから見に行こうと思った。決めたら早い。朝食をいただいてから、スマホで連絡。

「今日、お昼過ぎに行くから」
「え?」
「ワンコを見たい」
「今、どこにいるの?」
「*****という温泉」

あきれていた。そりゃそうだ。なにもすることがないから、放浪の旅ばかりやっている。バイトは種類こそ多いけれども、数と時間はそんなにやっていない。したがって収入もそんなにない。だから、こうやって放浪の旅をやっていられる。

それに、今週はバイト先の大学の授業もない。実習で学生がいない。

長女の家で寝ていた。運転して疲れてしまった。二番目の孫が保育園から早退してボキ等夫婦を待っていた。楽しみにしていたそうな。そのうち一番目の孫が小学校から帰ってきたから、一緒に西松屋と靴屋に行って着るモンと靴を買ってあげた。こんなことしか楽しみがない。それに母親も助かるだろうから(^0^)。

買い物から帰ってきた。ワンコをだっこした。女の子である。デカイ。なんとかというワンコである。家の中で飼っていた。かわいそうに。ワンコは、ソトで飼うべしと思っているからである。長女は田舎暮らしだから、ワンコの遊ぶ場所はいくらでもあるはずである。ま、どうでもいいようなことである。好きなように暮らしていけば良し。離婚なんかしないで、子育てに邁進していって欲しいと思うだけである。長女に望むことはそれだけである。

それにしても安かったなぁ。泊まった温泉旅館。昨日のブログにも打鍵したが、ほんとうに5000円の特別出血大サービス。料理も懐石。他のお客さんとおかずが違っているのかなと思ったらそんなこともなかった。ま、それでよし。温泉名と旅館名は言えない。インターネットで探しただけであるから。

今日からまたまた図書館通いが始まる。他にやることもないし。

一日が平穏に過ぎればそれでよし。


BYE-BYE!
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4月22日(月)のつぶやき

2019年04月23日 06時09分37秒 | とーま君の流儀2019
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旅という病気にかかってしまって、あああああああああああああ、疲れた(^0^)

2019年04月22日 20時08分38秒 | とーま君の流儀2019
旅の叙情に誘われて出かけていた。

時々ふら~~~~~~っと無性に旅に出かけたくなっちまう。病気だ。まるっきり病気。

安い温泉に行っていた。二食付きで5000円。9畳の部屋二つ。つまり次の間あり。ベッド二つ。純粋な温泉である。しかも、超サービス値段。ホントは14000円するのじゃ(^0^)。一部屋のみ受付。懐石料理。露天風呂付き。夜は、一時間のコンサートもあったのだ。

こんな天国みたいな旅館だ。絶対に名前は言えない。ヒミツである。ヒ・ミ・ツ。だって他の人が殺到したら、ボキが行けないではないか。

わはははっはははっはははっははははっはははっはははっはは。

運転していたから、疲れてしまった。

なにしろ往復700キロ近かった。

無事帰ってこれただけでも良しとしましょう。

また明日!

BYE-BYE!
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4月21日(日)のつぶやき

2019年04月22日 06時21分51秒 | とーま君の流儀2019
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たちぎれという落語を聞いていて、たまらんかった。悪行三昧のオノレを(_ _ )/ハンセイしたからである。

2019年04月21日 07時38分53秒 | とーま君の流儀2019
落語の「たちぎれ」というのがある。元は上方落語なのだが、柳家さん喬師匠の動画で聞いた。

話の始めこそ笑いがあった。しかし途中から笑いがまったくなかった。人情話である。若い芸者と大店の若旦那の悲恋物語であった。聞かせる。ほろりとした。すばらしい語り口であった。さすがさん喬師匠である。

若旦那が遊びが過ぎて、とうとう100日間、蔵に幽閉されてしまう。遊郭での遊びである。若い芸者が、毎日のようにこの若旦那に手紙を書く。そして、最後に手紙を書いて亡くなってしまう。100日の幽閉が終わった若旦那が、反省してソトに出る。出たはいいが、また遊郭に出かけてしまう。そして、若い芸者の死を知る。そういうストーリーである。

ベッドで寝ながら聞いていた。しかし、さん喬師匠の絶妙な語り口に感動してしまった。寝ながら聞いていたら忘れてしまうと思ったので、起きて打鍵している。

なにがそんなに良かったのか。

それは、「人間の業の肯定」だったからである。

これは立川談志が言っていたことでもある。落語は人間の業の肯定だと立川談志は言っていたのである。

ボキもそれはそれで真実だと思う。

人間は業のカタマリであるからだ。悪ばかりやっている。本能のまま生きていって恥を知らない。だから犯罪が起きる。

もっとも、偉そうな道学者のようにモノを言うことはできない。ボキごときがである。論語読みにそんな方々が多かったと経験上思っているが、ボキは論語すらろくに読んでいないから、他人に説教たれることもできないけど。

恋は盲目だというけれど、そしてそんなのは文学の永遠のテーマでもあるけれど、死と取り替えがきくほど価値のあるものなんかねぇと思ったのである。叙情ある落語だった。そして、ボキの好きな演歌にも恋を扱った歌は多い。多いけれども、果たしてほんとうにそうかとなると疑問を感じる。

そういう経験がないから、恋に関する疑問を感じるんだと思う。死ぬほどの思いでもって、辛い人生を送っていくというのがどうしても信じられないからである。

そもそもが、ゼニを稼ぐという心配がないからうつつを抜かしていられるのだろうと思っているからである。所詮ブルジョワしか経験できないことでしかないということである。

人間の業を成田山新勝寺の不動明王はどう解釈されているのだろうかと、思ったから打鍵しているのである。恋だの、不倫だの、離婚だのと世間にはそういう人間の業に関する出来事が多すぎるからである。だからである。不動明王様は、あのデカイ目で我々をどう受け止めてくださっているのだろうと思う。そういえば、不動明王様の右の目は優しい。左の目は、厳しい。叱ってくださるような気がしてしまう。

人間は悪行から脱皮できないのであろうか。所詮、そんなものであろうかと落語を聞いていて思ったからである。

ボキもまた迷っている衆生であるからだ。ただの庶民でしかないからだ。他人の悪口なんか言えないからである。悪口言ったら、天に向かって唾するようなもんだからだ。

うううううううううううううううううううううううううむ。

今日もまた(_ _ )/ハンセイである。

BYE-BYE!
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4月20日(土)のつぶやき

2019年04月21日 06時22分30秒 | とーま君の流儀2019
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名人・桂米朝の落語「たちぎれ線香」

2019年04月21日 03時49分55秒 | とーま君の流儀2019

名人・桂米朝の落語「たちぎれ線香」

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まるでドラマのようなシーンがボキを待っていた。背後からじょしこーせいが追っかけてきたからだ。夢では無かった(^0^)

2019年04月20日 07時14分47秒 | とーま君の流儀2019
先月まで千葉市の私立高校でバイトをやらせていたいていた。半年だけの契約であった。

ボキは、長い長いカンリショク生活をやらせていただいたから、なんとセンコー稼業の半分程度(16年)をそれに費やしていたのである。だから、普通科での授業も経験していなかった。一度で良いから、ちゃんと授業をやってみたかった。なんのために、再受験までして高校のセンセーになったのかわからないではないかと思っていた。

幸い、人材派遣会社から打診があったから半年くらいならできるだろうと思ってやってみた。

全部女子だった。古典と言語理解というのをやらせていただいた。どうせやるんだったら、一生の思い出にしたいと思った。ボキにとっては冥土の土産。

言語理解ではスマホで動画も制作させてみた。むろん、ボキも動画を積極的に使って授業を構成してみた。

大成功であった。ノリがいい。こういうのが現代の高校生は好きなんだろうなぁと思った。BGMも音楽もついていて、ストーリーもある。むろん絵コンテをあらかじめ書かせてから作る。見本となる動画も10本くらい見せた。

これらの作品は、学校広報にも十分使える。広報担当の先生からも作り方を教えて欲しいと言われてコツをお伝えした。私立高校なので、生徒募集には役立つであろうし、それが生命線でもあるからだ。

大学でもそうだ。プロの作った動画を採用している学校もある。しかし、それでは伝えるチカラがない。言語理解で取り組んだのは、まさに「伝えるチカラ」であった。どうやって情報を相手に伝えるかということである。

女子高校生たちもハマッタようである。おもしろくて。

ボキは、見た目も実年齢もジジだから、あの子たちはボキをほんとうに「ジイジ」とか「ヒデジイ」とか言ってくれた。たまには、「セーネン」と言えと冗談を言っていたけど。

卒業式にも参列させていただいた。そしたら、半年だけ教えたクラスの子たちが帰ろうとしていたボキを背後から追っかけてきた。「ありがとう」の連発であった。「ジイジ、ジイジ」と言いながらである。まるでドラマのような信じられない展開が待っていた。かわいい孫たちに取り囲まれていた。4月から、ボキのバイト先の大学に入学してくる生徒もいたっけ。よろしくねとあいさつもされた。

うれしかったなぁ。もう二度とこんな経験はできないだろうけど。

棺桶に入ったら、思い出してみることにしている。ちなみに、学校名は棺桶に入るまで(入っても)公開できない。



わはははっははははっははっはははっはははっははははっははは。

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悪相、悪夢、悪行・・・と悪のつく語は多い。しかし、「善の研究」という本は、なぜ「悪の研究」ではなかったのかと、昨日寝ていてふと思ったから打鍵してみた。

2019年04月20日 06時26分31秒 | とーま君の流儀2019
所詮人間は悪のカタマリである。そういう自覚があるから、普段の行動に注意していく。少なくともボキはそうだ。どうしても悪の方に引き込まれてしまうからである。むろん職業的規範というものは尊重しているから、徹底的に悪の方に行動をさしむけることはない。それでも悪の要素が多いというのは、小さいときから殺生を繰り返してきたからである。

虫や川魚をである。奥州の山奥で、ナンドでもやってきた。あまり罪の意識はなかった。だからである。所詮、悪を好んできたのである。残酷なことをしてきたもんである。釣りも好まない。せっかく海に近い場所に住んでいるのだけれども、どうも好きになれない。釣り上げた魚が肴になって目の前に出てくるのも残酷にしか思えないからだ。

とりわけ、ニワトリがさっきまで生きていたのに、今度は肉になって食卓に出てきたらこれもまたかわいそうになる。牛も豚もそうだ。肉になる家畜は、自分が死んでしまうのがわかっているから騒ぐ。にもガキのころから見学に行っていたから、しっかりとこの目で見ていた。牛や豚のあの哀しそうな目が忘れられない。ニワトリもそうだった。祖母の家でクビをはねられていたニワトリもいたからである。

もっともそんなことを言っていたらなにも喰うモノがなくなってしまう。だから、人間は「いただきます」と言って殺された生き物への感謝をするのである。「ありがとうこざいます」というのもそうだ。感謝である。ボキ等の生命に役立ってくださるからである。

そういう意味で人間は悪行三昧なのである。したがって、普段から行動に気をつけていかなければならない。

親鸞というヒトの弟子が書いた歎異抄という本を好んで読んできた。これには、思想の転換を迫る記述がある。悪人こそ救われるという有名なフレーズがある。しかし、この悪人正機説というのは、要注意である。悪人であれば誰でも救済されるのかとなると、それはいかがなものかと思うからである。だったら、悪をドンドンやってもよしと低レベルの理解をしてしまうではないか。

死刑になった人々も救済されたのかと思うからである。罪は消えないのではないのか。やってしまった罪は。

新興宗教でも、人間の善性だけを見よというのがある。人間は神の子とまで言っているのもある。ボキのような低レベルのアホは、だからボキはなにをしても許されるのだと勘違いしてしまう。そんなふうに思うこと自体がすでに悪である。

「善の研究」という難しい本がある。西田幾多郎という大学者の先生の本である。しかし、なぜこの本が「悪の研究」ではなかったのかと疑問に思って生きてきた。もしかしたら、西田幾多郎先生、逃げたのではないのかという疑問が未だに解決しない。親鸞は条件付きの救済を言っていたのであって、悪をすればするほど救済されるとは言っていないのではないのか。教行信証にそう書いてあるのだが。

うううううううううううううううううううううううううううむ。

今日は珍しくマジメに打鍵してしまった。ちょっと危険である。おもしろく、たのしく、愉快に生きていくことがボキの至上命題であるからだ。

どちらにしても、慎重に生きていくに限りますなぁ。午前中には塾の研修会があるから、出かけてくるが。勉強、勉強、またまた勉強でありまする。


BYE-BYE!
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4月19日(金)のつぶやき

2019年04月20日 06時24分11秒 | とーま君の流儀2019
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/