と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

定年後 高齢者・シニアの仕事の探し方  定年シニアが生き残る方法とは?

2019年04月19日 09時05分36秒 | とーま君の流儀2019

定年後 高齢者・シニアの仕事の探し方  定年シニアが生き残る方法とは?

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幼児性のあるおとなってぇのは、救いようがないですなぁ。ボキは、いきなりジジイになっちまったけど(^0^)。

2019年04月19日 06時30分05秒 | とーま君の流儀2019
強がりたい、威張りたい(自慢したい)、いじめたいというようなことを、「幼児性」という。つまりガキのやることである。年端もいかない子どもたちは、こういう傾向がある。男児も女児もである。

ところがである。このまんま大きくなった大人がいるから世の中はどうしようもない。アホじゃないかと思うことがあるからである。根底には、比較精神がある。自分がどう評価されているかというような心理が働いている。他人とオノレがどういうふうに評価されているかということが、エラク気になるからである。

受験競争で勝ち残ってきた御仁・淑女に多いのでは無いのか。評価に振り回されている方々。勝者の論理だ。勝ち残り組の性癖。いい加減にしろと言いたくなる時も多々あるが。

ボキは、落伍者だ。だから、そういう御仁や淑女を見ていると情けなくなる。それしか人間についての理解がないのかと思うからである。たとえ高い評価をいただいたとしても、それっきりではないのかとも思う。人間としてどれだけ評価されているのかというのならわかる。人格もすぐれていると評価されるのならば、確かにうれしいだろう。しかし、利益を生み出すからという観点のみで高い評価をいただいているのだったら、そんなもん不要である(^0^)。

人間は利益を生み出す機械ではない。ただ黙ってひたすら働いているだけの存在ではない。

たまには、世の中を違った視点から見ることも重要である。ひねってみるべきである。果たしてそうか、ほんとうに利益重点で良いのかと思うべし。それに、ボキのように世の中から落後してしまった人間のことも考えるべし。もしかしたら、せせら笑いをされているのかもしれませんぜ。ボキは、そんな失礼なことはやらないけど(どーもウソっぽいなぁ)。

高学歴を自慢しているやからもそうだ。それもよく聞いていると、学部を自慢しているのであって、大学院には行っていない。学部レベルを自慢しているのだったら、発展性はない。偏差値の高い大学を出たから自慢しているというだけである。そんなもんを自慢していたって、しょせん空しいだけである。

世の中には絶対的価値なんてぇもんはないからである。絶対に優れているというのは、ごまかしに過ぎない。他人と比較して優秀だというだけである。中身がない。薄っぺらである。そして他人をバカにする。

そんな程度の人間観しか持っていないのならば、生きている価値がない。犬畜生にも劣る。

自分のことしか、アタマの中にないからである。

生きるということは、喜ばれる人間になるということである。なんでも効率、能力主義、メリットデメリットしか言うことがないってぇ人間では、まったくの薄っぺら。

もっとラクして生きていって良し。

そんな無理してチカラを入れて生きていく必要なんてなんにもない。肩がこるだけである。

ボキのように、毎日二時間も徘徊しながら生きていっても良いのである。それで健康になり、たとえゴミ論文とはいえアチコチの雑誌に発表させていただくというのもまた心地良し。

出稼ぎバイトで、女子高校生に囲まれて「ひでじい」とか「じい」とか言われるのもまた良し。先月期限切れでクビになっちまったが。

わはははっはははっはははっははははっはははっははははっははは。

今日も図書館に行って、読書してくる。夜は塾バイト。タノシイこと限りなし。これで良いのである。隠居しているようなもんだから。

BYE-BYE!
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4月18日(木)のつぶやき

2019年04月19日 06時21分48秒 | とーま君の流儀2019
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小沢昭一的こころ「隠居、隠遁 永井荷風について考える」

2019年04月19日 05時32分17秒 | とーま君の流儀2019

小沢昭一的こころ「隠居、隠遁 永井荷風について考える」

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またバイトが増えた。こうやって頼まれごとをやっていると、タノシイ。惚けている暇がないからだ(^0^)

2019年04月18日 06時54分07秒 | とーま君の流儀2019
またバイトが増えた。これで7つになった。昨日正式に依頼状がきた。もっとも毎日ではない。年間4回くらいである。ただし、幕張まで行かなくちゃならない。内容は書けない。現役時代に在籍していた組織のコーシになった。それだけである。ありがたいもんである。

しかし、「働く」ということはどういうことであろうかと思った。働くと言うことは、ゼニを稼ぐ、報酬を得るという意味はないのだそうな。そもそも、仕事というのは、事に仕えると書く。他人に喜ばれる存在になるために、お仕えするのである。

また巷間よく言われることは、ハタを楽にするという意味もある。働くの反対語は、「はた迷惑」である。周りの人たちに迷惑をかけることである。Businessという単語は、Busyという単語とドッキングしている。Busyは手がふさがっているという意味で、忙しいという意味もあるのだそうな。

どの単語にもゼニをどうやって稼ぐかという意味はない。

周りの人を楽にするために、頼まれごとをいかにこなしていくかということが、ボキの最大の関心事である。いかに儲けるかではなくて、いかに頼まれる存在になっていくか、困った方には協力してあげる、究極的には喜ばれる存在になりたいのである。

だから、好き嫌いで物事を選ばない。あいつが嫌いだから、協力しないというようなスタンスにはないのである。嫌われることはあっても、ボキの方から嫌いだとは言わない。ただし、時間の無駄ということには気をつけている。会っても時間が永遠に消費されるような展開はこっちからご遠慮しているけど。

やる羽目になったら、むしろチャンスである。文句を言わずに取り組む。それでもって可能性が大きく花開くかもしれないではないか。どんな職種でも職場でも、自分をあわせられるヒトの方が楽になる。人生がである。

自分にはあっていない仕事だから、やめちまえではないのである。仕方なくやった仕事でも、淡々とひたすらやり続けていけば活路は開ける。鍋磨き、皿洗い、靴磨きがイヤだからと言っていては話にならない。帝国ホテル元総料理長の村上信夫さんは、料理長を26年間務めた。18歳で帝国ホテルに入社して、洗い場に配属された。そしてそれからが鍋磨きを一生懸命やって、とうとう出世した。もっとある。エリック・ホッファーもそうである。偉大な学者になったが、港湾労働者をやりながらずっと仕事と学問の世界に没頭した。

やる羽目になったことは、文句を言わずに取り組むことが大事である。

頼まれごとがきたら、ボキは過度に緊張しないで適度にやることにしている。あまり緊張して病んではいけない。それがコツである。引き受けたからには、完全にやらなくちゃアカンと思わないことである。

もうこんな生活をして9年目になるが、あっと気がついたことがある。それは、頼まれごとをこなしていっていたら、これがボキの天命だったのだと感じ始めたということである。タノシイからである。ヒトに喜んでもらえるし。先月まで千葉市の私立高校でもバイトをやらせていただいていたが、ジジイでも人気講師であったのだから(^0^)。

ボキは、一つのことしかできない。しかし、これもまた天命であったとシミジミ感じている。

ありがたいことである。

さ、今日は午前中これもまた9年目になった某大学での授業がある。若い大学生と一緒に考え、共に勉強をしてくる。タノシイこと限りなし。


BYE-BYE!
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4月17日(水)のつぶやき

2019年04月18日 06時21分13秒 | とーま君の流儀2019
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こころなしか、成田山新勝寺の不動明王様はやさしい目をしておられたような気がしたが。昨日のことである。

2019年04月17日 06時55分04秒 | とーま君の流儀2019
成田山新勝寺に行ってきた。昨日のことである。快晴であった。九十九里浜から一時間以上はかかる。それでも行きたかった。あの大きな不動明王様にお会いしたかったからである。あることで祈りをささげていたからである。むろん本殿にも行ってきた。

つまりお礼参りである。2000円ほど、献金もしてきたが。

そういう祈りは、ボキにとっては叙情的なものである。つまり、ほんとうの信仰では無いからだ。ただし、不動明王には偉大なパワーを感じる。それだけである。それだけ。

祈りと言っても宝くじが当たりますようにとやったのではない。あくまで、私的なことである。たとえば、ボキのゲリが治りますようにといったたぐいのものでしかない。自分勝手ないのりでしかない。

およそボキには、崇高な理念というようなものがない。さらに、毎日楽して生きているから、努力といったようなものもやっていない。眉間に皺を寄せて、ウンウンうなりながらゴミ論文を書いているってぇこともない。だから某大学大学院を中退せざるを得なかったわけである。

要するに気楽なのである。気楽に生きているダメジジイである。でも、もう良いではないか。なにを今更である。研究者に憧れたこともあったが、なれなかった。まねごとはしている。歴史の会で。古文書を居住地で習い、歴史の会でプロに教えていただいている。これで十分である。

さらにある。それは敦煌からの風にあたって、日中比較文化を勉強している。それだけである。仏教史の勉強をさせていただいていると思わず口走ったっけ。先日の船橋の歴史の会でのあいさつでは。ボキはこの会でお役をいただいているので、開会のあいさつをせよと言われたからやっただけのことであるが。

そして感じたことがある。それは、仏教史の勉強ということであった。宗教のことに関心があるということであった。。無意識でそういう台詞が出てくるということが、ボキの本質なんだろう。宗教を信じていないのだから、ド素人である。実践がないのだ。お経も読まない畳の上の水練である。おぼれて死んじまうかもしれないではないか。

ジジイになった。もう遅いのかもしれない。僧侶にもなれなかった。研究者にもなれなかった。ひたすらセンコーごっこをしていただけである。これだけを仕事として追究してきただけであった。ま、おかげさまにて若い大学生に週に一度ボキのやってきたことをお伝えしているけど。ありがたいもんである。それで十分満足しなくちゃならないのだと思う。


今日も居住地の方の古文書講座に行く。平家物語である。楽しみである。平家物語でもって、ボキは教員採用試験(コーコーの方)の再受験をしたのだったから。ご恩がある。平家物語には。

むろん、今日も歩く。二時間は歩く。快調である。絶好調。

わははっははははっはははっはははっはははははははははははっははは。

BYE-BYE!
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4月16日(火)のつぶやき

2019年04月17日 06時19分35秒 | とーま君の流儀2019
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60歳はまだまだ若い!! 定年後の人生を輝かせる話

2019年04月16日 21時09分48秒 | とーま君の流儀2019

60歳はまだまだ若い!! 定年後の人生を輝かせる話

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「定年後」あなたは何をする?

2019年04月16日 21時04分15秒 | とーま君の流儀2019

「定年後」あなたは何をする?

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ボキは鈍才に生まれたことを感謝している。知ったかぶりはしないし、そもそも知ったかぶりをしても笑われるだけである。

2019年04月16日 06時46分13秒 | とーま君の流儀2019
余計なことはしたくないというのが、普通の感覚なんだろうなぁと思う。いろいろとあって、ボキがやっていることを代わりにやっていただけないだろうかと依頼すると、必ず断ってくる御仁も多いからだ。そんなに忙しいのだろうかとも思う。ただの言い訳ではないのかと感じる。

そんなに余計なことをしたくないのであれば、やることがまったくないという状況を想定すれば困るのは断ったご本人なのではないのかとも思う。ボキは、自分の能力と相談しながらいくつかの出稼ぎバイトをやっているが、これも出過ぎたジジイ・出しゃばりジジイだと思われているのかもしれない。それならそれで良し。大きなお世話であるからだ。能力がないのは初めからわかっている。それでもやるのは、頼まれごとはやれるだけはやってあげたいと思っているからである。ボランティアだからだ。困っているから、ボキごときに声をかけてくださるのだから。そして、それで喜んでくださるのならそれでOKであるからだ。

ま、これ以上は打鍵しないが、そういうもんであろう。

家に引っ込んでいる必要もない。ドンドン出かけて、シロウトだろうがなんだろうが、いろんなヒトに聞くことである。そういう意味で、ボキは愚鈍なアタマに生まれてしまったことを感謝しているのだ。アホだから、バカだから聞くことができるのである。知ったかぶりはしないし、そもそも知ったかぶりをしても笑われるだけである。

記憶力もない。能力もない。研究者や学者さんには憧れていたが、そもそもそんな資格もない。学歴なんか老人大学で最終である(^0^)。

実績もない。あるわけない。ただし、ゴミ論文だけは書いている。それが好きだからだ。趣味である。それでよし。だから話がおもしろくなる。つまり、閉じこもっていないからだ。

ということは、専門がないってぇことである。それは最初から覚悟の上である。シロウトだというのは、そういうことである。だから、上から目線で他人を指導したりしない。

これは先月までやらしていただいた千葉市の私立高校でシミジミ感じたことでもある。生徒を上から目線で指導しなかった。ジジイと孫に近い関係だった。なにしろ生徒がかわいくてならなかった。かわいい孫がいるジジイの感覚であった。これもまた良い体験になった。

ジジとかジイジとか呼んでくれたし。若いと言ってもくれたし。

わははははっはははっははははっははっはははっはははっははっは


今日は、これから成田山新勝寺に行ってくる。あることで、不動明王様にお祈りをしたからである。先月。それが実にうまく解決したからである。報告をしてくる。それから成田イオンで買い物をしてくる。古本である。一人で行ってくる。

家人は隣近所の奥様方と食事会である。

今日も一日タノシイ。


BYE-BYE!
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4月15日(月)のつぶやき

2019年04月16日 06時16分21秒 | とーま君の流儀2019
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どうせ当たるなら、宝くじに当たって欲しかったなぁ。昨日久しぶりに1歳ちょっとの孫(女児)と会ったからだが。

2019年04月15日 06時55分21秒 | とーま君の流儀2019
孫と久しぶりに会った。昨日のことである。1歳ちょっとの女児である。まことにかわいい。目の中に入れても痛くないってぇ感じ。長男夫婦が、用事ができて、ちょっと預かって欲しいということでやってきた。うれしかった。二時間ほど預かった。もっとも古女房殿が主として面倒をみたのであるが。

なかなか抱っこもさせてくれないから、困っていた。しかし、昨日は違った。抱っこさせてくれたのである。笑みがこぼれた。こんな体験をさせてもらうと、まったくのバカジジイである。なんでも孫のためにやってあげたくなるからだ。もっとも、孫も相続関係では権利があるけどねぇ。

わははっはははっははっははははっははっははっははははっはははっは。


宝くじのBIGを買ってあったので、さっき当選していたらと思って確認した。あえなく落選であった。もっとも、当たっていたらブログに書くバカはいない。ま、これもタノシミの一つである。小遣いの範囲内でやっているだけだ。千葉駅前のよく当たる売り場で買ったのだが、無駄になってしまった。

もっともこれで良しである。当たったらと考えることがタノシイからだ。何万円も買っているわけではない。こんなタノシミもなかったら、人生、お先真っ暗である。

年金暮らしだし。夢がないからだ。出稼ぎバイトをやっているだけである。で、一週間前に名刺を自作した。無ければ困るからである。歴史の会で使うことが多い。船橋で歴史の会の文化講座をやらせていただいたが、臨席の女性から名刺を渡された。船橋の歴史の会の方であった。史跡巡りを船橋でやってみたいと提案していたので、渡りに船であった。こういう巡り会いがあるから、名刺も自作しているのである。

かなりおもしろい名刺にしてある。表面は、名前だけ。しかしながら、赤を基調にハデハデにしてある(^0^)。

問題は裏である。出稼ぎバイトを書いてある。そして笑ってしまった。バイトが6つあるのだ。今年から一つ増えているではないか。自分で作っているのだから、なんでも出来る。で、あることに気がついてしまった。メールアドレスが間違っていた。ボキらしい間違いであった。今日は、訂正バージョンを作る。


今日も孫と会いたいなぁ。あまりしつこいと孫にいやがられるかなぁ。でも、かわいくてどうにもならない。あめ玉を持って、バァバにはあめ玉をあげるのにジイジのボキにはくれないからなぁ。がっかり。なんか違うのだろうとバァバは言っていた。体のつくりが、男と女では違うからだということであった。一言余計なことも言われたが。人柄が良くないからだと。

うううううううううううううううううううううううううむ。

当たっている。どうせ当たっているんだったら、宝くじが当たるともっと良いのだが。


(^_^)ノ""""!
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4月14日(日)のつぶやき

2019年04月15日 06時32分27秒 | とーま君の流儀2019
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船橋駅前で路上ライブをしていたおねーちゃんから、CDを買ってきた。酔っ払っていたけど、素直に応援したくなったから(^0^)

2019年04月14日 06時45分25秒 | とーま君の流儀2019
昨日は歴史の会で船橋まで行っていた。朝早く電車で出かけた。よって、ブログを更新している時間がなかった。さらに、船橋の居酒屋三番瀬という店で呑んでいた。三人である。タノシカッタ。

たまにはこういうのも良い。ボキ以外はお二人とも学芸員の先生方である。勉強になった。知らないことを知っておられるからである。ありがたいものである。こういうおつきあいが、幅を広げる。積極的にソトに出るということは、実に良いものである。

基本的にいい加減なジジイであるが、人間関係だけは大事にしてきた。捨てられてもである。捨てたかったら捨てればいいだけの話である。それだけのご縁しか無かったからである。ただし、ボキの方からは捨てない。あ、このヒトとはアワナイなぁと思ったら会わないだけである。それだけの話である。

珍しい美酒を呑みながら、あれこれと語りあうのは人生のタノシミですらある。決してワルクチは言わない。言ってもしょうがない。それにボキは、他人にあまり関心がない。実績とか功績と言うモノにも関心がない。美醜に関しても関心がない。およそ組織人としての体裁をなしていない。だから生きていられるのだろう。これに限るという一生懸命さがない。

どうも退職してからそうなった。否、仕事人時代からそうだったなぁと思う。どうせヒトはボキのことを悪く言うのである。そんなのほっとけで生きてきたからでもある。こだわりがない。そんなもんを持っていたら、くたびれるだけである。

だからものにならなかったのだ。所詮、そんなもんである。生涯学習ごっこをしていただけである。

でも無意味だったとは思わない。それなりに生きる楽しさに結びついているからである。しかも、昨日の歴史の会では「柳田国男の民俗学」とい講演もいただいた。歴史の会で常任理事をなさっている御仁からである。参加者は60人くらいだった。盛況だった。

感動した。最近にはないお話であった。内容については書けない。拙ブログ、歴史の会の方が見ているらしいからである(^0^)。

船橋駅まで歩いて行った。JR船橋駅前で路上ライブをしているおねーちゃんがいた。良い声だった。美貌だった。思わず、買ってしまった。彼女のCDをである。500円した。「がんばってねぇ~~~~」と言ってきた。素直に、夢を見ている若い人たちを応援したくなる。それがボキの欠点でもあり、長所でもある。

夢が実現すればよし。一生懸命生きるということはそういうことである。

良い一日であった。

さ、今日からは帰ってきた家人と普段通りの生活が始まる。始まり、始まりである。

わはははっははははっはははっははははっはははっはははははっはは。


(。・_・)ノ
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/