と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

佐倉の桜はきれいだったなぁ。きれいなもんは、どこで見てもきれいでありまする。場所を選ばないから。

2019年04月06日 21時21分46秒 | とーま君の流儀2019

佐倉に出稼ぎに行っていた。21:22である。こんな時間になってしまった。それにしてもバイトが好きだなぁ。4時から仕事を始めたので、こんな時間になってしまったのである。電車で往復していたし。

困っているから、ボキのようなジジイに助っ人を頼んでくださるのだ。だから、喜んでやらせていただく。頼まれたということは、ボキもまだ役にたつだろうと仲介をしてくださる方が考えたからである。ありがたいもんである。なんだかんだと、やっているとそれがさらに広がっていく。

このあいだも、某高校から非常勤の講師依頼がきた。今回は断念した。週に18時間もやったんじゃ、健康を害してしまうからだ。ボキの年だったらせいぜい10時間である。それ以上やっても意味がない。

それにしても佐倉の桜は(ダジャレではない)、きれいだったよん。

こういうのを見ていると、またまた流れもんの旅に出たくなる。桜を追ってである。西行のようにである。

月曜日、古女房殿がベトナムに行くから成田空港まで送っていかなくちゃならない。ついでだから、そのまんま栃木あたりまで桜を見にでかけてこようかと思っている。すなおに家に帰っても、どうせ誰もいないしつまんねぇではないか。

古女房殿は、女学校の同級生と一緒に飛行機で飛んでいくから、ボキは亀のように地面をソロリソロリと移動である。飛行機に比べたら、ボキの愛車なんぞ遅いからだ。

春というのは人間をアホにしてしまう。桜がいけないのだ。きれいなものを見て、狂ってしまうからだ。風狂のヒトになっちまう。元々アタマは・・・・いるけどねぇ、こっちは。

それに女性まできれいに見えてくるから、ますますアホである。

路傍の雑草まできれいに見えてくる。

ぽつんと置かれているお地蔵さんまでいい顔をされているなぁと感じてもいるし。

なんでもかんでもきれいに見えるというのは、良いことである。


久しぶりに電車に乗ったから、疲れてしまった。千葉市の某高校でバイトをしていたときは、それなりに通勤は楽だなぁと思って通っていたけど。もうダメですな。この学校も3月でクビになったし。さわやかにおさらばしてきたけど。良い学校でしたよ。生徒も優秀だったし。

昨夜、大吟醸日本盛を呑んじまったので、今日はしらふである。呑むものがない。せっかく学事出版からいただいた原稿料で買った大吟醸である。かんたんに全部呑み干しては出版社に失礼だ。ちびちびと味わいながらとやりたかったが、日々安酒で我慢していたから、あっというまに無くなってしまった。

こういう夜は寝るに限る。

落語でも聞きながらである。

(_ _)
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4月5日(金)のつぶやき

2019年04月06日 05時44分16秒 | とーま君の流儀2019
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来週月曜日から華の独身ジジイ生活になってしまう(^0^)。

2019年04月05日 06時37分50秒 | とーま君の流儀2019
とかくこの世はままならぬ。思うようにいかないのが常である。考えてみれば、定年退職までトラブルなしに、生きてこられたのが不思議なくらいである。感謝する以外無し。

天が見守ってくれたのだ。間違った道に進まないように。これって重要でっせ。つまり第三者の視点でオノレを見つめるってぇやつであるからだ。

だったら、ご恩返しをするしかない。他のためにである。

マジにそう思っている。

世の中には、ままならぬ人生を送っている方々も多いからだ。

と、以上のようなことを考えていた。昨日の夜バイトである塾から帰ってきてからである。学事出版から原稿料をいただいたので、大吟醸の日本酒(日本盛)を買ってきた。それでチビチビ呑みながらであった。年金暮らしになってからは、安酒だけである。しかし、さすが大吟醸。美味かった。

そして思っていた。ままならぬ世の中ではあるが、結局人間なんて一人ぼっちなんだなぁと。一人で生きて、メシを食って、厠で出すモノを出して、それで死んでいくだけだって。それがボキの人生だってねぇ。

家族だって絶対的な価値があるものではないし。夫婦だってそう。友達だってそうだ。絶対的に変化しないというようなもんではないからだ。相手が死んじゃえば、それっきりである。友達は、さらに毀誉褒貶。相手の立場が変化してくれば、つきあいも無くなってしまうではないか。相手が出世したら、ボキ風情なんか相手にもしてもらえないという経験をいくらでもしてきたからだ。

来週から古女房殿がベトナムに出かける。女学校時代の同級生とである。月曜日からである。成田空港まで朝5時30分に起きて、その友人と古女房殿を送っていく。むろんボキのクルマである。

したがって、ボキは来週独身生活になる。華のジジイ独身生活である(^0^)。

洗濯のやり方とか、風呂の洗い方とか、メシの炊き方とか、掃除の仕方とか・・・コーチングが次から次へとやってくる。じっと耐えながら反芻している。覚えきれない。たいしたモンである。こんな複雑怪奇なことを我が古女房殿は毎日こなしておられたのだ。尊敬してしまうではないか。

わははっはははっはははっははははっははははっははははっはは。

しかし、ボキ、生活不能者だよん。これじゃぁ。

良い機会なのかもしれない。一人で生きていく練習になる。そして、長生きの練習にもなる。遺されたら、ボキは一人で生きていくしかないからだ。タブン、100歳以上まで生きるつもりだから。

なんだか、ボキはそれが可能なような気がしているからだ。なんにも気にしないし、およそノーテンキだからだ。悩みがない。他の人の視線もまったく気にならないし。ひたすら愉快に楽しく毎日を過ごしているだけである。ちょっとクチが悪いのでいろいろとご迷惑をおかけすることもあるが。

黙っていれば賢く見えるしなぁ。



今日もこれから二時間歩いてくる。他にやることもないし。疲れたら、図書館で読書してくる。お昼には帰ってくる。

平和な日々である。

日々これ好日である。


BYE-BYE!



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4月4日(木)のつぶやき

2019年04月05日 05時38分19秒 | とーま君の流儀2019
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令和が万葉集から生まれた年号というので、巻の5を読んでいたらナントナント

2019年04月04日 07時04分39秒 | とーま君の流儀2019
今朝も早く起きた。NHKの英会話講座を(ラジオ)聞くためである。3時頃に一回起きたのであるが、もうちょっと寝た。それから4時30分にベッドから離れた。

まだ時間があるので、年号の令和が万葉集から生まれたということを新聞で教えていただいていたので、書庫にある万葉集を手にとってみた。いくつかあるので、武田祐吉先生の万葉集全講を手に取った。明治書院である。簡単に探せるだろうと思ったからでもある。

やおら読み始めたのであるが、巻の5にはすぐれた和歌がいくらでもあるではないか。大伴旅人が冒頭に出てくるし。

世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり

この歌は、妻を喪った旅人の歌である。ここから始まっているとは思ってもみなかった。古代人の悲しみがあった。びっくりした。むろん、万葉集もそんなに読みこなしていないからである。古代人の挽歌でもある。

思うに、古代人はけっしてシアワセばかりの人生ではなかったのだ。人生も短かったであろうし。病気にも対応できなかっただろう。病院もないし。病気になったらなったで、祈るしかなかったであろうから。

しかし、現代だってシアワセばかりあるとは限らない。ゼニはあっても、不幸な方々もいるらしい。ボキはゼニのある方々とのおつきあいはないからで。そんな方々を知らないだけである。ドガチャカ・ドガチャカと騒々しい時代でもある。他人との比較だけしか関心がない時代でもある。評価を気にしてばかりいて、自分がない時代でもある。で、退職してから初めて自分はなにをしてきたのだろうかと気がつく。仕事中心で生きてきたから、人間関係もそれしかない。あげくの果てには家族にも捨てられる。こだわりが強いぶんだけ反動も大きい。これはボキも当てはまりそうだったから打鍵しているのである。ボキは、すんでのところで免れたが。でも、(_ _ )/ハンセイはしているけど(^0^)。


万葉集は好きである。なんと言っても庶民の歌が載っている。それに、古代人の叙情がある。旅人のこの歌だって、悲しみが直接伝わってくる。まさに挽歌である。通読した古典でもある。源氏物語は飽きちゃったけど。

万葉集というと折口信夫を思い出す。有名な先生である。憧れの國學院の先生であった。ボキごときでは、とても合格できない大学であった。今、この記事を打鍵しているが、ボキのコンピュータの背後には作り付けの書棚があって、そこに折口信夫全集がデーンとある。柳田国男全集と並んでいる。両方とも60歳過ぎてから神田東陽堂で買った。書店から、宅急便で自宅まで送ってもらったのだった。古本であった。路傍に全本置いてあった。欲しくて欲しくてたまらんかったから、即決で買ったのだった。以来、いつも手にとって勉強させていただいている。

挽歌という響きも良い。叙情である。古代人の叙情。現代の日本人に喪われてしまったシミジミとした叙情。さらに、厳しい生活も書かれている。貴族のような愛欲まみれの生活を送っている現代日本人は、もっともっと万葉集を読むべし。

ボキもだけれども。

さ、今日も二時間ほど歩いてきましょう。

美空ひばりの歌でも聴きながら(^0^)

BYE-BYE!
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4月3日(水)のつぶやき

2019年04月04日 05時39分07秒 | とーま君の流儀2019
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九十九里浜の砂粒ばかり追いかけていた。目の前には、大海があったのに気がつかなかった。(_ _ )/ハンセイ

2019年04月03日 05時53分08秒 | とーま君の流儀2019
うつむいて、目の前の砂粒ばかり追いかけていてはならない。砂粒の先には太平洋があったのだ。大海があったのだ。と、昨日県立図書館で読書をしていて中根東里にそう教えていただいた。読書カードを作りながらである。ちなみに、カード式読書法はずいぶんやっている。学部生の時からだから、40年以上になる。

それよりも、中根東里である。ずいぶんと読書をされた方である。朝起きてから、大小便以外はじっと不動の姿勢で読書をされた。同じ事はとてもできないが、せめてその真似はしたいと思っている。もっとも、今だったらエコノミークラス症候群になってしまう。実際エコノミークラス症候群になったから、ボキは、一日2時間は歩くしか無いけど。

昨日思ったのは、中根東里は師匠に認められたいとか、文名が上がるとか、僧侶の修行をしなければならないとかという視点がない。他人が比較の対象に入っていない。ボキもこうありたいもんである。評価して欲しくて行動しているのではない。好きだからやっているだけ。ブログもそうだ。自称文章トレーニングである。惚け防止でやっているだけ。

そして、思った。中根東里は、品格のある偉人だと。品性が違っている。これは武士道精神そのものである。私利私欲がない。

ついでに、新渡戸稲造の「武士道」も買ってきた。図書館の帰り、古書店に寄って。340円。あれは英文だからとてもたちうちできない。訳されている方である。ボキの英語なんて、日記に英文で書いているレベルでしかないから。

この本は、大関貴景勝が武士道精神を言っていたので買ってきたのだ。夕方早めに風呂に入って、風呂の中で読んでいた。ふざけた話である。ちょっとぬらしてしまったけど。

こんなことばかりやっているから、武士道精神とはご縁がないのである。アホでありまする。品性がないのだ。品性どころか、(_ _ )/ハンセイである。

品性というと、世の中には品性にあふれている方々が多い。すてきな紳士淑女である。そういう方々は、まずは無口である。しゃべっても、レベルの高い声をしている。理解しやすい。デカイ声しか発声できないボキとはずいぶん違っている。声の強弱だけで生きてきてしまったボキである。これじゃぁ品性のかけらも無くなってしまうわけである。特に、第二声の発音がよくない。平板である。

ある文芸賞の審査員をさせていただいてから(3年前)、朗読に関心がある。その文芸賞は自分で作った作品を、大きな舞台で朗読することを課しているからである。とりわけ、方言で朗読される方のを拝聴してからしみじみ良いモンだなぁと思ってきたからだ。昨日、選評を書いて送れと言われていたから、宮沢賢治の「永訣の朝」の朗読法と比較しながら書き上げた。ファクスで送れと指示されていたから送った。

すべては、品性と関わってくる。完成はない。ジジイになっても、品性劣悪、学業劣等だからだ。

うううううううううううううううううううううううううううううううむ。

(_ _ )/ハンセイである。
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4月2日(火)のつぶやき

2019年04月03日 05時43分04秒 | とーま君の流儀2019
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恩人というのは、いつまでも恩人である。

2019年04月02日 06時00分55秒 | とーま君の流儀2019
恩人という言葉がある。誰にでも恩人と呼べるような方々がおられるだろう。むろん、ボキにもいる。そんなに多くはないが、これまでナントカ生きてこられたのも恩人のおかげである。しみじみそう思う。

師弟関係にあった方がそうだろう。先生が多い。

先日、ある場所で先生なんて忘れられる存在だということを言っていた国政レベルの某政治家がいて、それはそれで納得した。もしかしたら、ご自分のことを言っているのかもしれないと思ったからである。政治家も先生だからだ。

ボキの場合は、純粋に先生である。学校で教えていただいた先生方には感謝しか無い。特に、思い出深いのは63歳で退学した某大学大学院のM教授である。この方に三年間みっちり教えていただいた。なにしろ1対1である。緊張の日々であった。自分の能力に自信がないからであった。M先生は、芥川龍之介の後輩であった。両国高校である。それから東大で博士課程まで過ごされた。中世文学では、日本の泰斗である。M先生の教えがあったから、今のバイト生活がある。これでボキのスタイルが決まった。ま、これ以上は書けないが。

大学学部では、源氏物語のI教授である。ボキは、学部は一つしか行っていない。苦学していたのはこの最初に行った大学の時期である。18歳から22歳まで。甘えていた懶惰な学部生であった。

またまた別の大学になるが、大学院修士での指導教授にもお世話になった。K教授である。この大学は在職中に修了できた。卒業式に行ったのは、定年退職の日から数えて10日前であった。

高校時代では、U先生であった。東大のインド哲学科を出られた俊秀であった。倫理社会の授業が忘れられない。サンスクリット語というのがあるということを初めて聞いたのだっけ。憧れの先生であった。ボキは、マジに高校時代に世をはかなんでいたのだった。かなりの進学校で、自分の能力の無さにがっかりしていたのかもしれない。だから柔道や応援団の活動に逃げたと今になっては思うのである。もしかしたら、苦学したのも自分に対する懲罰であったのかもしれない。言い訳である。この程度の大学学部しか入学できなかったから、せめて親には迷惑をかけたくないってぇ言い訳である。亡父の理解もなかったからでもあるが。

中学でもおられた。英語のW先生であった。仙台の東北大学を出られた方で文学が大好きであった。まだ、宿直があった時代であった。その時にボキを呼んでくださって、文学の話をしていただいた。タノシカッタ。漱石とかいろんな話をしていただいた。国語でメシを食っていくことになったのは、この先生の恩が大きい。

小学校でもおられた。いろんな先生にご迷惑をおかけした。乱暴で乱暴で、一度ならずビンタをいただいたこともある。なにしろ、職員会議をやっているその部屋の側で殴り合いのケンカをしていたのであるから、翌日先生に呼び出されビンタである。当然である。ありがたかった。

感謝して生きていかなくちゃなぁと思う。

だらしないこと限りないからだ。


BYE-BYE!


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4月1日(月)のつぶやき

2019年04月02日 05時59分08秒 | とーま君の流儀2019
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あまりにもやることがないって、うなだれているよりも・・・と思って三ヶ月だけでも語学学習をやってみようと思ったから(^0^)

2019年04月01日 13時15分35秒 | とーま君の流儀2019
13:16である。

さっきまで歩いていた。午前中ずっとである。10時から12時まで。あまりにも歩いたので、ふと大型ショッピングセンターに寄ってしまった。トイレ休憩もあるからだ。ジジイになると小の方が持たないからだ。それに最近、健康を回復してからは、実に快調だからである。大も小もである。

そして歩きながら考えていたのが、あまりにも暇だと嘆いているよりは、ものにならなくても良いから他の語学学習でもやるかということであった。で、ショッピングセンターにある書店に寄った。フランス語と、スペイン語のラジオ講座初級というのを買ってしまった。さらに、プラチナの万年筆まで買ってしまった。フランス語の方は辞書を持っているから、スペイン語が問題だ。

辞書がないからである。これからAmazonに行ってみて、探す。しかし、一ヶ月で投げ出す可能性もある(^0^)。

スペインには行っていないし、これから行ってみたい國の最優先国家であるからだが。

ま、やることがないってぇ嘆いているよりは良い。

中国語もできないのに、なんだ?ってなじられる可能性もあるだろう。でも、どうせ暇なのである。暇が、クソと贅肉をくっつけて生きているようなもんだからなぁ。

ドンドンやれることを拡大していった方が、ボキにはよろしいようである。暇をつぶしていくことである。酒を呑んで不善をなしているよりはタント良い。ゼニもないから、そこらへんのいかがわしい飲み屋に行くこともない。だいいち、ゼニがもったいない。カラオケなんかやってなんになるのだろうかと、ジジイになってからは思っている。

そんなジジイは、漂泊の思いやまずである。一人でもいいから、ガンジス河とか、敦煌とか、スペインとか出かけて行ったほうがズント良い。そして、いくつかのバイトでそれを発表してみると、さらに良い。テメェの悪いアタマに知識として沈殿してくれるからである。

ショッピングセンターを出ようとしたら、旅行会社が入っていたのを初めて知った。近畿ツーリストとクラブツーリズム関連の会社だった。そして、寄ってしまった。

「ガンジス河か敦煌に行ける企画はありませんか」と聞いてみた。そしたらあったのである。ボキ、普段の格好はジャージであるから、もしかしたら相手にされないかな?と思った。そんなことはなかった。いくつかパンフレットをくださった。ありがたいもんである。

しかし、高かった。阪急交通社を利用して海外には行っているが、阪急の倍以上はしていた。エコノミークラスで。ボキは、ヨーロッパにはビジネス以外では行かない。なぜならエコノミークラス症候群になったからである。

妙なジジイだと思われてしまっただろう。しかし、こういうのもまた良いもんだよん。

今日は、元号が決まった。良い元号である。令和だ。実に心地よい。

ボキも今日からは心地よく生きていこうと思っている。

歩きながら、考えながら。

BYE-BYE!


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高校野球がおもしろかった。ボキは中学の監督もやったことがあるので(^0^)

2019年04月01日 05時53分34秒 | とーま君の流儀2019

明石商業と智弁和歌山との高校野球が実におもしろかった。昨日の試合である。手に汗ニギルとはこのことか。どっちかというと、智弁和歌山の方が優勢だと思ってみていたが、結果は明石商業のサヨラナだった。

どっちの学校にも関わっていないからどうでも良いのだろうが、感じたのが明石商業のエースピッチャーへの監督の信頼であった。お前しかいないという考えがはっきりわかった。ホントにもうお前しかいなかったのだろうけど。

良いドラマを見せてもらった。

それにしても高校野球は良いものである。実は、ボキ、ジュニアハイスクールで野球部の監督をしていたこともあったのだ。好きなんである。あの棒ふり、球追っかけスポーツが。もっとも、前監督が転勤でいなくなったから仕方なしにやらされたのであるが(^0^)。

一緒に野球をやっていた。朝練習も、夕方の練習も。タノシカッタ。少年たちと一緒にである。なかなか勝てなくて、練習試合が終わった後ベンチの前で「勝ちたかったなぁ」と全員に言ったら泣き出されたこともあったっけ。全員泣いていたのだ。罪作りなシロウト監督だったなぁと(_ _ )/ハンセイしているのだけれども。

純粋な少年たちとの懐かしい、そして限りなく美しいボキの思い出であった。ボキ自身もバッティングを楽しんだり、ピッチャーもやってみた。バッティング投手もやったのである。それほど好きだったのだ。シロウトなりに。野球は。ガキのころからやっていたし。草野球だったけど。

柔道とは違う魅力がある。柔道はあくまでも個人。自分ひとりでやるしかない。あ、相手がいるけど。相手がいるから礼を重んじる。失礼のないようにやる。その意味で貴景勝関が武士道精神を言ったのは、意味ある言動であった。22歳と若い大関に勉強させていただいたが。

こういう懐かしい思い出は大事にしていきたい。あの当時の少年たちはなんにも覚えていないだろうけど。

そしてまだボキはイキイキと生きているのである。まだ、元気ですねぇと言われるかもしれないけど。早く死んじまえば良いのにとも言われるかもしれないか。

わはははっはははっははっははっははっはははっははっはははははっは。

 

6:14である。

あと15分で新年度のNHKラジオ英会話が始まる。基礎英語3と英会話である。楽しみである。他にやることもないからなぁ。

 

BYE-BYE!

 

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3月31日(日)のつぶやき

2019年04月01日 05時52分44秒 | とーま君の流儀2019
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/