団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

SDカード復旧

2010-11-06 07:58:41 | その他
                             SDカード復旧

                                                      2010年11月5日(金)

 SDカードのデータを誤って消してしまったのです。
 9月にパソコンを「7」にしました。SDカードをコピーする手順がそれまでの「XP」と違っていて、操作を誤りました。

 XPではマイコンピュータからデスクトップへドラッグ&ドロップをすれば、コピーできていたのですが、「7」では単に、アイコンを表示するのみになっていました。そのためデスクトップへコピーできたものとして、一部を削除したので、SDカードの写真の一部が、私から言えば、消えてしまったのです。

 幸い、職場にコンピュータに詳しい友人がいるので、相談すると、「復旧できる!」と言います。

 ネットで「フィーダサービス」を見つけ、電話で相談すると、あまりにそっけなく「復旧できます」。地獄に仏とはこのことです。(大袈裟)

 まぁ、もっとも、絶対に必要な写真ではありません。ただ、北海道へ行った時の写真ですから、私には価値があるものです。


 リカバリー報告書が添付されてきて、メモリー内ファイル構造を物理的に読み取りし写真を特定、復旧しましたとありました。
1 復旧した写真は9/25~9/28までの381枚
2 9/28の55枚は削除後の撮影のため、上書きされ破損している

 全部復旧できた訳ではありませんが、フォーマットをしてなくて良かった。
 復元料は9,450円で、一枚当たりにすると、24.8円。安いと思いました。

 ブログにも「福」旧写真を載せることができます。




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アクセス10万IP突破

2010-10-30 09:22:36 | その他
                           アクセス10万IP突破

                                                      2010年10月30日(土)

 ブログ開設から1,202日目の昨日、これまでのアクセスの累計が100,125IPとなり、10万件を突破しました。PVは262,894件。
 昨日のアクセスは、208IP、539PV、アクセスランキングは5,114/1,486,472と出ました。

 これまでのアクセスの最高は、2009年10月5日で、510IP、926PV、1,220/1,304,614でした。この時は広島県福山市鞆町の「鞆港の埋立」の問題を書きました。マスコミで取り上げられた時期であり、多くヒットしたのでしょう。

 開設最初の1週間は41IP、55PVでしたから、定期的に読んでくれている人が増えたことは間違いないようです。

 ブログの内容は、当初「自分史」といったものを目指していたのですが、挫折状態で、さながら「食べ歩きブログ」になってしまいました。まぁ、これが私が一番特色を出せることなのでしょう。


 今までで一番驚いたのは、2008年5月18日の「この男の子をさがしてください」に寄せられたコメントです。
 6歳の男の子が海で行方不明になり、そのことを情報発信したものですが、関係者の方からお礼のコメントが寄せられたのです。
 その方がどのような方法で私のブログにヒットしたのか分かりませんが、私の情報なんて僅かなものですから、信じれない思いでした。


 後悔しているのは、ブログをしていることを友人に知らせたことです。10人くらいいるでしょうか。ブログの特色は匿名性にあると思いますので、公開するべきではなかったと後悔してます。
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帰ってきたエクシリム

2010-10-29 18:41:12 | その他
                         帰ってきたエクシリム

                                                      2010年10月29日(金)

 一つ物を持つとそれまで持っていた物を持つのを忘れる、という習性。これはもう修正がききません。
 土産物店で羊羹を買い、それを手に持ったものだから、カメラを持つのを忘れてしまった。
 「しまった」と気が付いた時は、既に家に帰った後。

 新幹線の車内に忘れたと思い、JRに電話したが、「ない」という。それが10月15日(金)。
 翌週18日、もしかしてJR岡山駅ビルでいろいろと買い物をしたので、その店に忘れた可能性があると思い、和菓子店へ電話すると、それからはスピーディに事が進む。
 既に物は岡山中央警察署へ行ってましたが、忘れ物のスタッフが親切というより人なつっこい。「私もエクシルムなんですが、これ(私のエクシリム)は明るくて色が綺麗ですね」等と雑談をしだし、私もカメラが見つかって嬉しかったのでつい付き合ってしまって、℡カード60度数くらい使ってしまいました。

 23日には我が家に届くというスピード解決でした。
 中身は大した写真が入っている訳ではないのですが、私にとっては必要なもの。メデタシといったところですが、最新のカメラのカタログを見ると、魅力的な機能が付いているではないですか・・。見つからなかった方が良かったかもー・・。




 この見るからに美味しそうな羊羹を買った和菓子店で忘れてしまったのです。うっとりし過ぎたのかも・・。



 このピオーネも買いました。これが2000円とは超安いです。
 味は糖分が少なめでしたが、私には十分です。



 隣の店では、ほぼ倍でした。



 忘れ物の通知文。



 着払です。「携帯電話」と書いてありますが、カメラです。
 


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SEIKOの時計

2010-10-12 17:25:55 | その他
                  SEIKOの時計

                               2010年9月11日(土)

 SEIKOの時計を買ったことにより、消費者として賢くなりました。

・モデル  SBQK019   パーペチュアルカレンダーと電池寿命が10年というのが特徴
・2002年7月7日購入
・2004年5月
 時刻表示板(12時)が剥れる。
・2005年2月
 時刻表示板(6時)が剥れる。
 リューズが硬くて針を廻すことが困難になる。
・2005年5月
 本体とベルトを止める金具「ピン」が外れる。
 日付けが正しく変わらない。
 リューズで日付修正ができない。
・2005年9月
 秒針が2秒単位で動き出し、暫くして動かなくなる。
・2006年7月
 本体とベルトを止める金具「ピン」が外れる。
 (以上は5年保証で無料。)

・2010年6月
 電池寿命10年というのがウリだったが、購入後約8年で電池が消耗。
 電池交換及び注油・清掃で3940円也。
・2010年8月
 動かなくなる。
 修理見積もり11000円。業者の説明によると、故障の原因は「電気的な特性ずれ」という ことでした。
・2010年9月
 11000円かけて修理しても、これまでこんなに故障をしているので、新しく購入する方が 得策と思い、故障の状態で返品してもらいました。何故か、3940円返金してくれました。


 ところが、ところがです。日本堂という時計職人の店で見てもらうと、動きだしたではないですか! その職人さんは、何もしていないと言われるのですが、何らかのショックで動き出したのかも知れません。
 名医に腕をとってもらうと、病が治るというアレでしょうか。


 セイコーという会社は、誠意がありません。
 私が、こんなに短期間に故障を繰返すことについて、責任者からの説明を求めたのですが、回答がないのです。

 セイコーはかつて、圧倒的なシェァを誇っていましたが、最近はシチズンに抜かれています。むべなるかな、です。この会社、「驕り」があるのではないでしょうか。


 今後、SEIKOの時計を買うことはありません。









916PV,443IP
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私を切らないでください

2010-09-04 09:00:00 | その他
                私を切らないでください

                         2008年7月20日(日)作成

 広島市が、広島市健康づくりセンターの駐車場に、「夜間救急診療所」を建てようとしている。
 夜間の救急診療は、現在、広島市民病院が担っているが、患者が多くて対応が困難になっている。そのため、新たに建設するものだ。
 夜間救急診療は、市民の健康にとって大切なものだから、これを充実することは良いことだ。

 建設場所である広島市健康づくりセンターであるが、写真のように被爆クスノキが植わっており、雄大だ。
 広い枝葉で駐者場に日陰をつくり、人や車を直射日光から守ってくれている。

 広島市は、まさか、このクスノキの枝を切って、夜間救急診療所を建てはしないだろうか。

 人類と植物とは、共生の関係だ。一方を傷つけることは、他方に悪い影響が出る。
 もの言わぬクスノキに代わって、「私を切らないでください。」と声を上げたい。




(2010年9月4日、追記)

 被爆クスノキ、切られないでいました。
 木の枝が建物を覆っていますので、建てる時は工夫がいったでしょうが、「切らない」ということを優先したのだと思います。


 2010年8月17日撮影。



 人類と植物とは共生関係ですが、原爆とは共生できません。
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2010広島みなと夢花火大会

2010-07-31 07:54:03 | その他
               2010広島みなと夢花火大会

                               2010年7月25日(日)

 基本計画における「施策の展開」:ひろしまライトアップ事業の推進、フラワーフェスティバルの夜のイベント展開などにより、夜の魅力を創出し、来訪者の宿泊促進と滞在時間の延長を図る。

 これは、広島市の作った文書ですが、まぁ難い。シンプルに、「たくさんの人に楽しんでもらう」ではいけないのかしら・・。
 
 昨年は38万人の来場者があったといいますが、(私は近くに住んでいるので良く分かりますが)これは明らかに水増しです。行政が嘘の数字を創出して、自己満足してはいけません。


 自宅マンションのベランダからコンパクトデジカメで撮りました。これ以上の拡大には堪えられません。




2010年7月24日、広島市宇品「広島港1万トンバース」。
 
















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108歳!の書

2010-04-10 07:34:24 | その他
                  108歳!の書

                                2010年4月9日(金)

 私のブログでも見てくれている人が100人以上います。偶然にヒットした人がほとんどだと思いますが、そういう人たちも含めて、是非ご覧にいれたいものがあります。

 108歳!の書です。

 


 力強いです。



 広島市佐伯区五日市に造幣局があり、コイン通りと呼ばれているストリートがあります。
 「金持神に会える街」というバナーが・・。



 この通りにケーキ屋さんがあります。
 カステラがとても美味しいので、時々買いにいきます。
 大概、カステラの切れ端をサービスで付けてくれます。本当にお勧めです。



 店内を見わたしてみると・・。



 元総理大臣大平正芳の書が掲げられていました。

 その隣に108歳の書です。圧巻です。
 

2010年4月6日、広島市佐伯区五日市「ラ・セーヌ」。
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恩師の死

2009-10-16 00:03:57 | その他
                恩師の死

                               2009年9月10日(木)

 何時思い出しても、恩師(中学校の担任の先生)に係わるあの時のことは、神のなせる仕業としか思いようがない。
 1996年10月、数年先生の家を訪問したことがなかったのに、その日ふと先生を思い出し、先生の家の方に足が向いていた。

 黄金山(広島市南区)の中腹にある先生の家を訪問するのは、歩いてもしんどい坂なのに、その日の私は自転車だった。途中女子高校生に道を尋ねながら先生の家にたどり着いたのは、麓から30分も経った頃だろうか。フウフウいいながら先生の家の玄関を叩いたが、返事がない。勝手に敷地内を通り勝手口に回りドアのノブを見て蜘蛛の巣が張ってあるのを発見した。

 どうしたものかと思案していると、隣の妻女が、先生は入院していると言う。入院先を尋ねても、私を不審に思ったのか直ぐには教えてくれない。先生の教え子だと言って、やっと教えてもらった。
 
 翌日、先生を記念病院(広島市中区)の病室に見舞った時には、既に意識がなかった。甥の妻が付き添っておられた。彼女によると、昨日、長男さんが東京から見舞いに駆けつけ、夕方までは意識ははっきりしていたということだった。

 あと一日早ければ、意識のあるうちに見舞うことができたのだったのだが・・。

 それから、数日後に先生は永眠した。(1930.4.10→1996.10.3)
 あの時、先生は意識の無くなる間際に私を呼んだのだろうか。同彼女によると、「先生は○○さん(私のこと)を病床で話していた。」というのだ。しかも、その時間は、私がふと先生のことを思い出した時と符合するのだ。


 恩師が死んだのは、1996年10月3日、私の人生時計15時57分。チン。


284PV,148PV



(2009年10月15日、追記)

 理化学研究所とトヨタグループは共同で、脳波で電動車いすを制御するシステムの開発に成功した。

 電動車いすを操作する人は所定のキャップをかぶる。このキャップは脳波を計測するためのもので、ノートパソコンにつながれている。操作者が前進をイメージすると、車いすは動き出し、さらに左右をイメージすることで、左へ、右へ、ジグザグ運転ができる。もちろん、車椅子に乗っている人はハンドル操作で車椅子を動かしているのではない。発せられる脳波をシステムが読み取ることで、人間の意志を汲み取り、車いすを動かしている。

 脳波を読み取る原理は次の通り。人間は右手を動かそうとすると、右手に関連する部分の脳波の振動幅が小さくなる。左手を動かすとき、歩こうとするとき、ともに同じように関連する脳の部分の脳波を測定すると、脳波の振動幅が小さくなることが研究を重ねるうちに明らかになった。今回の研究では、システムがこの脳波を拾って、一瞬のうちに処理して、車いすに動きの指示を出すことに成功した。

(以上、2009年07月31日のネット参照)

 このネットの記事を読むと、人間からは脳波が常に出ており、目に見えないが、空間に充満しているということになる。

 この空中に充満している脳波が、たまたま何らかの原因で同調し増幅され、他の人の脳内に伝達され、何らかの作用を起こすということはあり得ないだろうか?


421PV,163IP


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「オイ どうした」 「老いだ」

2009-10-14 17:33:09 | その他
           「オイ どうした」 「老いだ」

                           2009年10月14日(火)

 直ぐに起き上がれなかった訳ではない。悔しくて、しばらく立ち上がる気力が起こらなかった。

 毎朝、40分のウォーキングをしている。何時も同じコースで、平坦などうってことのない道路だ。

 一瞬の出来事だったが、記憶をスローモーションにして思い出すと、①左足の靴が、道路に舗装している滑り止めに躓いた。②身体全体が前方に傾く。③右足が転倒を防ぐべく前に出たが、0.1秒遅れた。④まず、左膝を道路についた。⑤続いて両手を付いたが、それでも勢いを止めることができない。⑥顔面を打たないよう左肩で防いだ。しかし、⑦左顔面を道路で殴打してしまった。

 この程度のことで、転倒するようなことは、今までなかった。(正直に言うと、酔っ払っていた時はあった。)

 私は、運動反応は早い方で、5段階で言えば「5」だ。筋力もある方で、垂直跳びなどはクラスでも上位だった。

 そういう思いがあり、悔しくて立ち上がれず、自問した。「オイ どうした」。

 朝起きて直ぐなので、神経が眠っていたのではなかろうか・・。歩くスピードが速くて勢いが付き、筋力で防ぐ以上のエネルギーが働いたのではなかろうか・・。

 いろいろ自問自答したが、若い時はこのようなことはなかったのだから、辿り着いた答えは「老い」だった。

 立ち上がって、痛みのある箇所を確認した。左足の膝は擦りむいて血が出ている。両手の平は点々と内出血の跡がある。左肩は押さえると痛む。俄かに、自分の目で見ることのできない顔面が心配になりだした。

 もしも、顔に傷跡が付くようことになったら、私のウリの一つである厚顔の美壮年が、台無になるではないか。

 ウォーキングを続けるどころではない。家に帰って、鏡を見た。相当顔面を打ち、痛みもあるのに、傷一つないではないか!。

 「老い」により、面の皮だけは厚くなったようである。
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おまけ商法で真綿布団を買わされた?

2009-09-30 16:56:52 | その他
         おまけ商法で真綿布団を買わされた?

                           2009年9月27日(月)

 ♪ 真綿色したシクラメンほど 清しいものはない ♪

 真綿という意味を、恥ずかしながら、知らなかった。(「真綿」とは繭をわた状に引き伸ばしたものをいいます。古くはこれを「わた」と呼んでいましたが、のちに木綿わたが登場したため、木綿と区別するために、「真綿」と呼ぶようになりました。)
 「真綿」を知らなかったことより、むしろ、「おまけ商法」で真綿布団を買わされたかもしれないことが、気になった。

 9月21日、布団を買おうと物色していると、沢山の繭をいれた筒状の物を見つけた。これが「運の付き」。
 スタッフに、「これは何ですか?」と尋ねてから話しが弾み、後は、手八丁・口八丁のスタッフに取り込まれてしまった。

 しかし、この「おまけ商法」の凄まじいことと言ったら!
 まず、布団(190×210、1.5㎏)が約3割引き。おまけに、真綿のハーフケット(150×100、0.4㎏)2枚と、絹100のカバー(190×210)を付けてくれる。これらが本体の約35%相当。つまり、全部を単品で買った場合の約6割引き!になるのだ。 まだ、おまけが付く。妻が買ったパジャマ(3千円相当)、シーツ(4千円相当)をサービス。4千円相当の明太子が千円。書くのを忘れるほど、小物も付けてくれた。
 
 そして、支払いは、手数料・利子無の36回(月)元利均等払い。
 
 久し振りに借金を背負ってしまうのが気になるが・・。まぁ、月利約2%で運用している金融商品の配当で払える範囲内なので良しとした。


 いや、決定打は、スタッフの次の言葉だった。
 「真綿布団は20年持ちますヨ。」
 私の今の年齢は62.25歳。日本人の平均寿命が男79.00歳なので、死ぬまで持つではないか。
 やっと、清々しい気持ちでサインすることができた。



 繭を振ると、「カタカタ」と音がする。さなぎ中にいる。





 睡眠が商売になる!





 このスタッフの嫌味のないトークは、さすが「プロ」!


 この明太子は、上等物でした。


2009年9月21、26日、広島市南区「ビッグカメラ内タナカ」。


415PV,154IP

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プリウスの好調でブログの閲覧件数が跳ね上がる

2009-07-14 17:49:52 | その他
        プリウスの好調でブログの閲覧件数が跳ね上がる

                           2009年7月13日(月)

 プリウスの販売が絶好調なため、私のブログの閲覧件数も跳ね上がっている。

 プリウスの受注状況は、豊田新社長の6月25日のスピーチの中で、20万台と発表された。
 5月18日の発売時点では既に8万台の受注があり、発売1か月後(6月17日)は18万台と、1か月で10万台!の受注をした。

 その後の受注ピッチはさすがに落ちてはいるが、月2万台のデリバリーを上回る受注が続いており、納期が延びている状況だ。

 最近の納期は、
・6月21日現在    2月上旬の出荷
・6月24日現在    2月中旬の出荷
・6月28日現在    2月下旬の出荷
・7月1日現在    3月上旬の出荷
・7月8日現在    3月中旬の出荷
 となっている。
 6月21日から7月1日までの約10日間で、約2万台の受注ということが推定される。1か月に換算すると6万台だから、納期が延びる訳だ。

 ところで、私のブログの閲覧件数であるが、最近は一日当たり、350PV、140IP、ランキング順位9,000番台程度で推移していた。

 ところが、7月11日に、「プリウス値引き情報」と題して書いたところ、637PV、326IP、ランキング2,178/1,259,057と過去の記録を全部塗り替えてしまった。恐るべし、プリウス。
 7月12日は、書かなかったが、11日の「受注残」があり、744PV、320IP、ランキング2,329/1,259,492と引続き好調だ。PVは744で新記録というおまけも付いた。

 今日も「プリウス」と冠したが、果たしてどうなるか?


(2009年7月13日18:50、追記)
 11日の朝日新聞によると、「ブロガー」2695万人だそうだ。

 「ブログの登録者数は、国内のブログサイトの運営会社64社を対象に聞き取り調査を実施して推計した。複数のブログに登録している書き手も多く、重複を除いた実人員はこれより少ないとみられる。」

 私も「ブロガー」の1人で、1/26,950,000という存在になる。実際に8桁の数字を書くと、凄い人数だという実感がある。

 ブログは、「私的」なものなので、自分の考えを自由に書けば良いが、私は、事実関係だけは正確に書こうと思っている。


(2009年7月18日、追記)
 7月14日のアクセス件数は、461 PV、161 IP  8495 位 / 1260320ブログ となった。平常モードだった。
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ネット情報

2009-06-05 06:50:25 | その他
                 ネット情報

                            2009年6月5日(金)

 ネットの世界で驚いたことがある。

 私のブログの情報発信なんて、訪問者数が100IP程度で非常にマイナーな存在だが、それでも関係者が見ていたことがあったのだ。

 08年5月18日に、「この男の子をさがしてください」という情報を発信した。
 行方不明になった男の子をさがしているという情報を、本人の写真や特長を載せ発信したものだ。
 数日後、コメントが寄せられた。その私の情報発信に対する、「お気持ち、どうもありがとうございました。」という感謝であった。残念なことに、そのお子さんは亡くなられていたのだが・・。

 次は、検索キーワードで、マイナーな情報でもキーワードく、ヒットすることがあるということだ。

 09年4月18日に、「FMエァーチェック」と題して、情報を発信した。
 エァーチェックしたものを、演奏者、作曲者、曲目、演奏年等を羅列して書いたただそれだけのものだ。
 数日後コメントがあった。「「スターン、ノイマン、ベートーヴェン」という検索でたどりつきました。」というのである。羅列して書いたものがその組み合わせでヒットするなんて、想像もできなかった。この方とはコメントで何回もやりとりし、同好の者として興味深くかつ楽しかった。

 同じくこの「FMエァーチェック」には、もうおひとかた「飛んでこられた」。
 「エァチェック」を検索語としてヒットしたと言う。この方のブログを見ると、私とかなり共通項がある。同世代、音楽、車、酒、オーディオ。

 「FMエァチェック」に訪問してきた両者がお互いの存在を知ると、間違いなく「相互訪問」すると思われる。なぜなら、両者に共通項があるからである。

 ネットだから、点が線に、線が面に、という発展がある。僅かな情報発信でも、である。

(写真)私のチューナー。SONY ST-SA50ES 2002.2.27購入。
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危険運転致死傷罪

2009-05-24 07:18:44 | その他
                危険運転致死傷罪

                           2009年5月24日(日)

 福岡3児死亡の2審判決では、「危険運転致死傷罪」を適用し、懲役20年の判決が言い渡された。(2009年5月16日、朝日新聞)
 この判決は、世間一般の常識通りの判断だ。

 1審と2審との相違点は、
 1審では、裁判長は、飲酒での運転を認めたうえで、「正常な運転が困難な状態にはなかったと強く推認される。」としたのに対して、
 2審査では、「酒の影響で正常な運転が困難な状態で事故を起こしたと認められる。」
 としたことだ。

 法律の専門家中の専門家である裁判官の判断が、180度違うというのは、法律に問題があると思われる。(いや、飲酒して運転した経験の有無の違いかも。→これはもちろん冗談です。)
 飲酒による危険運転致死傷罪の構成要件は、飲酒により「正常な運転が困難」ということだと思われるが、「正常な運転が困難」ということを検察が立証しなければならないとなると、大きな「壁」があるように思う。

 例えば、前方の歩行者を、正常な運転状況であれば10秒前に認識し危険を避けることができたが、飲酒していたので5秒前に認識し避けることができなかったとする。これをどのように立証できるか、私には不可能と思える。

 ここは、割り切って、飲酒(呼気のアルコール濃度を定義する必要はあるが)したうえで事故を起こしたことを危険運転致死傷罪の構成要件とすればよいのではないか。

 他の刑罰との均衡を欠くという側面はあるかもわからないが、自動車運転は「免許」なのだから、免許の条件として「飲酒して運転してはいけない」ということにすれば酔い、いや良いのだ。



             危険運転致死傷罪

                            2008年1月9日(水)

 福岡市東区で06年8月、幼児が3人死亡した飲酒運転事故で、福岡地裁は8日、業務上過失致死傷罪と道路交通法違反の組み合わせで最高刑の懲役7年6月の判決を下した。

 この判決は、相当な議論を呼び起こしそうである。
 事件の衝撃性と判決との間に、世間一般には受け入れ難い「溝」があると感じるからだ。

 検察側は、危険運転致死傷罪を求刑したが、裁判所は「被告はスナックから現場まで約8分間、普通に右左折やカーブ走行を繰り返し、蛇行運転などの事実は認められない。正常な運転が困難な状態にはなかったと強く推認される。」と判決理由を述べている。

 裁判所は、「正常な運転が困難な状態ではなかった」とする理由について、「「弟を身代わりに連れて行こうか」との友人の提案を断るなど、相応の判断能力をうかがわせる言動もあった」と述べている。
 しかし、実際に飲酒運転をした経験者には分かるが、判断能力より先に運動神経能力が麻痺するのだ。
「判断能力」と車の運転のために必要な「運動神経能力」を同一に論じてはならない。

 正直に告白すると、私は20歳代飲酒運転を行っていた。それもかなり飲んで行ったこともある。
 その経験からすると、「飲酒すると、注意力が散漫になり、脇見運転等何でもするようになる」のだ。

 現行の危険運転致死傷罪の構成要件では、裁判所の判決のようになるのかもしれないが、そうであるなら、直ちに法改正をすべきである。

 「車は走る凶器」であるとは、昔から言われていることである。
 飲酒して車を運転することそのものを、「危険運転致死傷罪」の構成要件とする必要があるのではないか。これに反対する人がいるであろうか。

(蛇足)私は、かつての飲酒運転の経験から、飲酒運転は絶対にしてはならないとの信念を固くし、ビールを一口飲んでも、絶対に運転をしないようにしています。
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マルカ木工

2009-05-18 07:05:25 | その他
                 マルカ木工

                              2009年5月17日

 安い長椅子を探していたら、本格的な家具木工ショールームに迷い込んでしまった。


2009年5月9日、広島市商工センター8-2-52 マルカ木工。


 WOODY MARUKA と表示がある。マルニ木工というのは知っていたが・・。


 三角テーブル。材質は栗で45万円。我家の座卓も栗だが、随分風合いが違う。もちろん、こちらの方が上質だ。


 楢の223cmの一枚板。さすがに値段も108万円。


 松で、250cmもある。80万円。割れ目も上手くデザインに取り込んでいるので気にならない。ここの家具は、木に合わせて作るので規格品はない。


 栃で200×110cm。重量感に圧倒された。68万円。


 桜のテーブルがあります、と案内してくれたのが、これ。180cm、45万円。角度を変えると水が流れているように見える模様に目を見張る。


 去り難くいると、惜しげもなく、テーブルの上にコーヒーを置いて、勧めてくれた。恐る恐るごちそうになった。
 去り難かったのは、美しい水目模様もあるが、水目桜の座卓を持っていたことがあるからだ。


 2006年5月5日、岡山県奈義町、奈義町現代美術館で見つけた、水目桜のテーブル。
 その美しさに一目ぼれし、直ぐに、作者に座卓を注文した。
 とても気に入っていたが、1年も経たないうちに、ひび割れと反りが生じた。作者に言うと、栗の座卓と交換してくれた。
 そういう訳で、水目桜には、哀愁がある。


 この木工ショールームに1年前から住みついた、ノラちゃん。人懐っこい。家具の上に鎮座し、ポーズをとる。


 これ以上安楽なポーズは無いといわんばかりだ。
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ありふれた奇跡

2009-03-29 08:31:28 | その他
                ありふれた奇跡

             ありふれた奇跡

最終回

                           2009年3月29日(日)


 私は、このドラマを見て、ロミオとジュリエットを思い出した。
 モンタギュー家とキャピレット家が血で血を洗う抗争を繰り返していたが、ロミオとジュリエット二人の死を目の当たりにして、事の真相を知り、ついには両家が和解するというものだ。

 ドラマの方は、加奈に子どもが生まれないということが、翔太と加奈の両家の争いになっている。
 争いの原因は、ロミオとジュリエットでは「死」、ドラマでは「誕生」と異なってはいるが、いずれも「生命」に係わる問題だ。
 このドラマが人々を引き付けるのは、人にとって最も普遍的で根源的な「生命」ということを素材にしているからではなかろうか。

 このドラマでは、「家族」についても、問いかけている。
 翔太も加奈も三世代家族の設定だ。翔太の家族は、がんこ祖父が登場し、古き良き時代を偲ばせる。家族関係が濃密である。加奈の家族は裕福だが家族関係は希薄である。
私は第二回のレビューで、「翔太と八千草が出会う設定は、ドラマならではのものだが、とにもかくにも、両方の家族が二本の糸で結ばれた。これから、この糸が増え、紡がれるのだろうか。」と書いた。
 ドラマでは確かに色んな糸が紡がれた。その特徴は、それぞれが様々な苦悩を持ちながら、時に対立し、時に共感しあうとう関係だ。

 第八回のレビューに、夕日のことを次のように書いた。
 「タイトルバックに夕日が出るように、この夕日には重要なメッセージを持たせているのだろう。
 一回目は、翔太が自殺しようとしたことを加奈に告白し、嗚咽する場面だ。
 二回目は、翔太と加奈が抱擁し、シルエットのように重なる場面だ。
 三回目は、このドラマが完結するときだろう。」
 しかし、ドラマの完結で出たのは、翔太と加奈がホテルの窓から望む朝日だった。
 夕日は癒しを感じるのに対して、朝日は力を与えてくれるように感じる。

 翔太の祖父は、「翔太が強くなったのは、加奈さんに会ったからだ。」という趣旨の発言をするが、強くなったのは、翔太だけではない。翔太と加奈の問題に係わることで、全ての登場人物が「変わり強く」なった。

 私は、このドラマの流れは、ベートーベンの交響曲第9番「合唱」の「苦悩を通して歓喜へ」ということに繋がるものがあるように感じた。その「歓喜」とは、子どもを生むことができない加奈が見せた、捨てられようとした赤ちゃんを抱いている時の幸せな表情に表れている。
 我々は、得られないものがあっても、それを克服することができる。


第十回

                           2009年3月19日(木)

 この回は二つの物語。

 一つは、藤本が、翔太と加奈の接着剤になろうとすること。
 藤本は、翔太の祖父、そして加奈の父親に会い、翔太と加奈の結婚に理解をするよう説得を試みる。
 二人が命の恩人だからということだが、そのことで、ここまでするか?

 加奈は、子どもが産めないこと、そういう状況で翔太と結婚することは翔太を不幸にするというわだかまりがどうしても克服できなくて、二人で会っても、切ない会話が続く。切なさを紛らわせようと、ケルト人の話をするが、翔太が生き生きするからか。

 二つは、翔太の両親が復縁すること。
 翔太は復縁した両親の家を訪ね、母親から初めて離婚に至った話を聞く。両親が激しい喧嘩をしても、なぜか翔太は、なごんだ顔をしている。子どもにとって両親の存在というのは、二人セットなのだろうか?

 次回は、いよいよ母親同士が対面する。ずけずけものを言う翔太の母と、時にキレル加奈の母親で、どんな衝突が見れるか楽しみだ。


 第九回

                           2009年3月11日(水)


 二人の関係になかなか解決策を見出せず、刹那的になった加奈は、これまでのことは一切なかったことにして、初めて会ったようにして会おうと翔太に言う。
 しかし、翔太は現実からなかなか離れることができない。

 翔太と加奈の間で、現実と仮想が交錯した、難しい会話が交わされる。
 翔太は言う。「どうしてこの街は、自分だけ苦しい、寂しいと思えてしまうんだろう。」

 加奈は、「ホテルをとってある。」と翔太を誘うが、翔太は加奈の刹那を見破り、加奈の誘いにのらない。

 そのホテルで、加奈の母親は加奈に、屈辱的な不倫体験を話す。
皆苦しんでいるのだ。
 
 「自分だけ苦しいと思えてしまう」ことから「皆が苦しんでいることが分かる」ことに、どうしたらつなげることができるのか? このドラマの主題があるような気がする。


 第八回

                            2009年3月1日(日)

 このドラマは、二人の家族の対比が実に見事に描き出されている。

 翔太と加奈の父親同士は、女装趣味で一致している。翔太の父親は、その女装趣味がなければ自分の人生に何も残らないとまで言う。加奈の父親は、翔太を罵倒する場面で、加奈の母親に「そんな風に人を攻撃することで部長になったのね」と見下される。
 そこには、高度経済成長時代の労働疎外・人間疎外が伺われる。

 母親同士は、不倫である。翔太の母親は翔太が若くして男を作り家を出てしまう。母親の愛情を受けていないと思っていた翔太は、母親が翔太が子どもができないのではないかということを親身に心配する姿を見て、それまでの誤解に苦笑いする。
 加奈の母親は企業戦士のような夫に満たされないものを感じ、人形の先生と不倫の関係になるが、逃げられてしまう。満たされない気持ちを、加奈を抱きしめることにより癒そうとする。

 翔太の家には昔ながらの茶の間がある。ちゃぶ台を囲んで3人が言い合う場面は、古き良き時代を思わせる。
 加奈の家は洋風で、テーブルだが、家族全員が食事する場面はない。必ず誰かが抜けている。
 そのことにより、親密な家族関係と希薄な家族関係を描き分けている。

 翔太の祖父(井川)と加奈の祖母(八千草)は、親世代以上に、翔太又は加奈のことを理解している。人生経験の深さを感じる。

その井川に、二人の結婚は反対だと言われ、加奈は絶望的な表情になる。しかし、山田太一はなぜか、井川に「私の気持ちだが」というセリフを言わせている。

絶望的な表情になった加奈ではあるが、八千草を病床に見舞った場面では、捨て猫を優しく愛撫する姿と重なるように、一転優しい表情になる。もう、自殺を企図したときの加奈ではない。優しさという「力」を持っている。

 タイトルバックに夕日が出るように、この夕日には重要なメッセージを持たせているのだろう。

 一回目は、翔太が自殺しようとしたことを加奈に告白し、嗚咽する場面だ。
 二回目は、翔太と加奈が抱擁し、シルエットのように重なる場面だ。
 三回目は、このドラマが完結するときだろう。


 第七回 

                           2009年2月25日(水)

 第七回は、何とも哀しかった。

 加奈は子どもが産めなくなった理由を話すが、翔太はその加奈をかばって、自らの意思で子どもをつくらないと言う。

 そのことで、翔太と加奈をとりまく人達は、翔太の方が子どもを生めない原因だと誤解するのだ。
 加奈の父親に罵倒されようとも、翔太は決して本当の理由を告げようとしない。

 一方、加奈の心は揺れに揺れる。翔太との子どもが欲しい。しかし、それは適わない。翔太に当り散らすが、今の加奈にはどうして解決できるのか、先が見えない。
 加奈は、翔太に結婚しないと言うが、二人はメイルでお互いに「ばかやろう」とまで言う関係になっている。もう分かれることはできない。

 私が期待した、八千草と井川の対面の場面であるが、八千草は井川に対して、「加奈はやれない」と言う。八千草は加奈の孫がどうしても欲しいのだ。しかし、真の原因が加奈にあることを知った時の八千草の衝撃はいかばかりだろうか。

 加奈の家族は、加奈が子どもを産めないということ、自殺をしようとしたことに衝撃を受けるだろうが、真に衝撃を受けるのは、そんな加奈を守ろうとする翔太の「優しさ」にだ。
 その優しさは、自殺しようとまでした翔太の苦悩から生まれてきている。そして、その「苦悩」は加奈の父親が蔑み罵倒したことだ。






 第六回

                           2009年2月18日(水)

 加奈は、とうとう自殺をしようとした訳を話す。モトカレの子どもを中絶したことが原因だという。
 翔太の場合は、訳を話すことにより、その呪縛から解放されたが、加奈はより苦しむ。翔太との子どもが欲しいということ、そして翔太への「愛」ゆえだ。

 翔太は、加奈をかばうため、自らが「子どもはいらない」と加奈の祖母に話す。
 このことが、両家の誤解を生み、加奈の父親と翔太の祖父・父親は対立する。

 加奈は自らが行った行為を、「若くてカーッとなって冷静でなかった」というが、それを救ってくれるのは、誰だろうか?

 次回、私が第二回のレビューのとき期待した、八千草と井川が対面する。「若くない」二人が、どのように二人の関係を想像し、解決へ導くか、私はこのドラマのクライマックスだと思っている。


 第五回

                           2009年2月11日(水)

 加奈は、遂に翔太に話す。子どもができない身体であり、その原因は自らだと。翔太のなぐさめも、今の加奈には通じない。加奈はまだそれ以上言うことができない。二人だけでかかえる問題としては、あまりに大きいのだ。

 誰にも言えず悩む加奈の母を、八千草薫がその悩みを見抜き、自らの経験を話す。八千草の方から話すということだが、加奈の母が誰かに訴えることと同じことなのだ。

 翔太と加奈の関係に「触媒」のような役割をする陣内孝則に、加奈は「生きるのよ」と激しく言うが、それは自らに言っているようである。他者を通じて自らが見えたのだろう。

 「人間」とは字のごとく、人との関係において成り立っているのであり、このドラマは、人は他者との関係において問題が解決されるということを描いているように思う。
 人間は、他者の悩み・問題は客観的に見える。そして、その者の悩み・問題を解決する力になれる。お互い同士がそうなのだ。

 そのように見てくると、二人の父親同士の「女装」シーンには辟易したが・・、様々な悩み・問題を抱えている人間同士を対面させる必要があるのだろう。

 「女装を止めると、人生に何も残らない」と言う翔太の父親に、加奈の父親は「約束を破った」と厳しい視線を浴びせるが、この二人、翔太と加奈の関係を複雑にさせそうである。


 第四回

                           2009年2月4日(水)

加奈が翔太の家を訪れることを聞いて、翔太の父(風間杜夫)と祖父(井川久志)は大はしゃぎだ。加奈も翔太の父と祖父にすぐ馴染む。

 アイリッシュダンスに興じた後、夕日が射す窓辺に映る二人の重なり合うシルエットは、それまでの、「翔太は」、「加奈は」という関係から、「二人は」に進展していることを暗示する。

 二人の家族の対比も描かれる。
 加奈の母(戸田恵子)は、不倫相手の男に体よく逃げられる。当然そのことを家族に言えるはずなく、一人苦悩する。将来に展望が開けない苦しみだ。
 一方、翔太の父は、男をつくって逃げた女房を許す気持ちにはなれないが、翔太の母親であり翔太への愛ゆえ、「ほっとけないだろう」とお金を渡す自らの矛盾に悩む。愛ゆえの悩みであり、いつか何らかの形で昇華する可能性がある。

 加奈は、まだ自殺しようとした理由を語ることができない。フラッシュバックで、不気味な人物が行き交う場面がでるが、それが何を暗示しているのか。加奈が翔太に家まで案内してもらうシーンで、「子どもがいない」という言葉に暗く反応していたのが気になる。

 最後の場面は、これは、サスペンスではないのか。
 翔太の父と加奈の父(岸辺一徳)は、お互いを良く知っているが、名前も職業も知らないという奇妙な関係だ。しかも、お互いの家族に隠したいことがあるのだ。
 お互いの家族同士が色んな糸で結ばれてきたが、父親同士のそれは、もつれそうな予感がする。


 第三回

                           2009年1月27日(火)

 夕日の美しいシーンが印象的だった。

 翔太と加奈の二人は、より知り合う関係になり、翔太は加奈に自殺しようとした理由を告白することにする。

 会社での屈辱的な出来事を話し出し、翔太は激しく嗚咽する。引き攣ったように泣く翔太を加奈は抱きすくめる。
 その二人を、オレンジ色の暖かく包み込むような夕日がやさしく照らす。
 加奈に吐露した翔太は、PTSDの呪縛から解き放たれる。
 次は加奈が話す番だ。

 加奈は酔って翔太に話そうとするが、まだ話せない。
 仲間由紀恵の酔った演技がたまらなく上手い。いや魅惑的だ。男たるもの、こういう女性を目の前にしてみたい。(バカ)

 加奈は翔太をもっと知ることにより、自殺の理由を話せると考えたのか、翔太の家に行きたいという。
 加奈もPTSDから解き放たれたいのだ。そのためには、同じ痛みを共有する翔太が必要なのだ。

 いよいよ、次回は、加奈と翔太の家族が紡ぎだす。


 第二回


                           2009年1月18日(日)

 このドラマ展開は、弁証法的手法ではないのか?
 冒頭の場面と最後の場面は、若い二人が喫茶店で会うという同じ設定なのだが、「進展」しているのだ。

 冒頭の場面、加奈(仲間由紀恵)は、翔太(加瀬亮)と喫茶店で会うが、気持ちのすれ違いで気分を害し、店を飛び出してしまう。
 加奈は、自殺をしようとした者同士として、気持ちが通じるものがありはしないかと、それを求めようとするが、翔太は、デイトの相手として見てしまう。

 最後の場面、翔太は加奈に対して、自分を曝け出す。左官の作業着を着て喫茶店に来るのだ。作業着から埃を落とす翔太を見て、従業員がたまらず注意する。加奈はそのことに腹を立て、翔太を連れて店を飛び出してしまう。二人の気持ちは一気に近づく。

 二人の家族の対比も描かれる。
 翔太は父(風間杜夫)と祖父(井川比佐志)の3人家族。父親に女ができたのではないかと、翔太と祖父がお節介ともいえるほどの心配をする。濃密な家族関係だ。

 加奈は、父(岸部一徳)、母親(戸田恵子)、祖母(八千草薫)の4人家族。母は人形展を開くが、加奈は見に行きたくない。裕福で華やかな家族だが、人間関係が、希薄である。
 その中でも、八千草薫は、「食器は手触りで洗っている」という感覚で、加奈のことを見透かしている。

 翔太と八千草が出会う設定は、ドラマならではのものだが、とにもかくにも、両方の家族が二本の糸で結ばれた。
 これから、この糸が増え、紡がれるのだろうか。
 私は、井川と八千草の出会いを楽しみにしている。

 3回目は、22日木曜日だ。


 第一回

                           2009年1月14日(水)

 山田太一のドラマ展開は、関心を起こさせる。
 ドラマは、見知らぬ若い男女が、自殺しようとしている中年男性を助けるところから始まる。
 そして、最後の場面は、その男女に対して、その中年男性が、あなた達は「自殺をしようとしたことがあるのではないか?」という問いかけで、次回に続くのだ。嫌が応でも、次回を見たくなる。
 
 見知らぬ男女が近しい関係になる筋書きは、多少強引だが、これもドラマチックでワクワクさせられる。
 男女のそれぞれの家族環境の描写も、「家族とは何か」という山田太一が追い求めているテーマに不可欠だ。

 女性の家族は、裕福だが、家族関係はバラバラである。男性の方は、頑固オヤジ(ではなく祖父だが)が、日本の古き良き時代の家族を思い起こさせる。

 山田太一のドラマは、「短いセリフ」がポンポンと投げ合うようなところが特徴だ。私のように頭の回転が鈍いと、その意味合いを想像しようとして、ドラマに引き込まれる。

 明日15日、第2回が放送される。
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